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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

甘い見通しはもう要らない ~ 海洋汚染の監視強化を

2011-04-14 10:12:24 | 原発事故
福島第一原発事故は、小康状態を保っていると報道されている。確かに、周辺地域での空間線量の値は、水素爆発が相次いだ事故直後に比べると、少なくとも増加傾向にはないようだ。

しかし、外部から原子炉へ大量の水を入れ続けているにもかかわらず、タービン建屋地下やトレンチ内の汚染水が増加しているように見えないのは、非常に不気味である。

原子炉から流れ出た高濃度汚染水が何らかの経路をたどって、海や地下水脈に流れ続けている可能性を否定できない。

放射性物質の空中への放出は減少したが、その減少分が海洋や土壌に向かっているのだとすれば、事態は何ら改善されていないことになる。

ところが、政府、東電や原子力工学専門家の発言からは危機感が感じられない。どうやら、彼らは海を果てしなく大きな塩水のプールと見なしているようだ。高濃度の放射性物質も海に出れば拡散して薄まるので、危険は少ないという論法である。

「低レベル」汚染水を一万トンも、地元の漁業関係者にすら知らせずに海洋投棄した事実が彼らの安易な考え方を裏付けている。

しかし、「海=巨大なプール」という発想は大間違いである。そんな単純な話ではない。

海洋での水の動きは、大規模なものから小規模なもの、深海へ潜るものや上がってくるものなどさまざまで、放射性物質の流れの予測は難しい。

さらに食物連鎖による生物学的な濃縮効果も考える必要がある。

海に出た放射性物質は直ちに動植物プランクトンに取り込まれ、食物連鎖に従って、小さな魚から大きな魚へと移っていく。この際にどれほどの濃縮が起こるかも、科学的な予想が難しい。

例えば、放射性元素が水溶性化合物として取り込まれれば、濃縮の度合いは低いかもしれない。しかし、脂溶性であれば相当な濃縮を覚悟しなければならない。クジラから高濃度のダイオキシンが検出される事例があるが、これはダイオキシンが脂溶性であることが大きい。また、ストロンチウムのように骨に吸収される性質を持った元素も、濃縮される危険が高い。

海沿いにある巨大原発から放射性物質が大量に流出、しかもその沖合には親潮と黒潮がぶつかる世界有数の漁場が存在する。こんな事故は人類史上初めてで、今後何が起こるのか、どんな未来が待っているのか、誰にも見通せない。

従って、保安院や一部の専門家のように、最もお気楽な未来を予想して、事故処理を進める姿勢は厳に戒めなければならない。

実際、コウナゴのような小魚から高いレベルの放射性物質が検出されたニュースは、事態がかなり厳しい方向へ進みつつあることを示している。海への流出が完全に止まっていなければ、十年二十年後、遠洋で獲れたマグロから高濃度の放射性物質が検出されても、とくに驚くべき結果とは言えない。

将来の漁業に与える深刻度を考えれば、政府は、最高レベルの危機感を持って、放射性物質による海洋汚染を監視するべきである。陸上への汚染だけに目を向けて、海洋汚染を軽視することがあってはならない。

とくに広域、多種類、多年にわたる生物学的調査は必須だ。これは「海洋汚染監視庁」といった組織を作って臨むようなレベルの問題である。

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石原流「消費抑制論」は大不況を招く

2011-04-12 11:32:33 | 政治
「我欲」を捨てて「慎ましい」生活を送る。

石原都知事の言葉であるが、彼はこういった消費抑制論の危険性を理解していないようだ。

電力不足から起こる供給の減少を、需要の抑制で乗り切る。シンプルで分かり易い考え方だが、問題なのは、震災の影響によって、消費マインドが予想以上に冷え込んでいて、供給の減少をはるかに超えるスピードで消費が落ち込んでいく可能性が高いことである。

あれだけの悲惨な災害である。おまけに、福島の原発事故は未だに解決せず、強い余震がしつこく続いている。

被災地以外であっても、人間の心情として、多くの人が贅沢や遊びを控えて、財布のひもを締めるのは自然の成り行きだ。

さらに、国家財政はすでに破綻している。復興予算の財源を国債にしようが、増税でまかなおうが、国民生活を圧迫するのは間違いない。失業者救済などのセイフティネットに手が回らない現状では、消費意欲が減退するのも当たり前である。

また高齢化社会がすでに到来していることも、この傾向に拍車をかけている。若い世代と異なり、年金や今までの蓄えで生活している年齢の高い人々は消費を抑えて貯蓄を殖やすという発想に共鳴しやすい。こういった生活防衛意識が、石原氏の「我欲」や「慎ましい」という言葉でさらに強化されていく。

今の日本には、消費を支える要因が何一つ見当たらない。

花見の自粛。パチンコや自動販売機への攻撃。この一ヶ月、石原氏は、被災地への配慮や節電を名目に、人々がお金を使う行為や施設をことごとく非難し続けている。

「自粛」などと言われなくても、もう誰も余分な物を買わなくなってきているのだが。

しかし、消費の抑制こそ地獄の入り口である。

3月11日を境に、生活様式を変更して消費を急激に減らす行為は、買われなくなった商品を作る多くの人が苦境に陥ることを意味する。

そして、失業者の増加。さらなる消費の低迷。さらなる失業者。

最悪のデフレスパイラルだ。

あれはけしからん、これもけしからん。

自分自身の明日への不安を、他者への攻撃にすり替えているうちに、大不況という地獄がひたひたと迫ってきている。

街にホームレスがあふれ、お腹を空かせた子供がさまよう。

豊かな日本では絶対にあり得ないと思っていたことが本当に起こる可能性がある。

攻撃しやすい敵を見つけて、誰かを悪者にしているだけの石原氏が、これからやって来る未曾有の事態に対処できるとは思えない。

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「パチンコと自販機を完全撤廃」の節電効果は1%程度

2011-04-11 15:15:45 | 政治
都知事四選を果たした石原慎太郎氏が、当確後のインタビューで「パチンコと自動販売機で合わせて1000万キロワット近い電力が消費されている国は日本以外にない。こういう生活様式は改めたほうがいい。」と発言した。(#注1参照)

パチンコを我慢して、自動販売機をなくせば、大きな節電効果が上がるという意見である。

本当だろうか?

東京電力管内のパチンコ店と飲料用自販機で消費される一日の総電力量はそれぞれ約400万キロワット時。従って、合わせて800万キロワット時。もし石原氏が発言通りの「1000万キロワット」ではなく「1000万キロワット時」と言うつもりだったのであれば、一日の消費電力量としては概ね正しい数字である。

一方、Yahoo!JAPANのトップページに出ているように、東京電力の電力供給能力は現時点で4250万キロワットである。この数字から計算すると、一日の供給可能電力量は10億キロワット時 (= 4250万 * 24) 程度ということになる。

つまり、パチンコ店をすべて閉店して、自販機を全部撤去した場合、東京電力が現在供給可能な電力量の約1% (= 800万 / 10億) が節電できる計算になる。

勿論、1%という数字は決して小さいとは言えない。原子力による電力供給は、3月11以前では全供給能力の30%だったのだから、石原氏が主張するように「生活様式を改めれば」原子力発電所の30分の1くらいは要らなくなる。

しかし、パチンコの全店閉店と自販機の完全撤去の結果起こる、関連企業の倒産や失業者の増加というマイナス効果を考えれば、社会全体として、到底割に合わない節電対策である。

従って、現実の政策としては、言及する価値すらない案で、端的言えば、絵空事である。

ところで、一般家庭の一日の使用電力量は10キロワット時程度だが、100ワット電灯を毎日10時間点けているのを、こまめに消して半分の5時間にすれば、家の全消費電力の5%を節電したことになる。

小さな節電を積み重ねれば、「生活様式を改め」なくとも、驚くほど大きな効果が現れるということを、石原氏は知らないようだ。


#注1
「キロワット(kW = kJ/s)」と「キロワット時(kWh = 3600 kJ)」は、本質的に意味の異なる単位なので、節電などを議論する際はどちらを使っているのか明確にすべき。発言の際、石原氏は「1000万キロワット時」というべきところを「1000万キロワット」と誤って発言した可能性がある。

ちなみに、パチンコ店の営業時間を15時間、自動販売機を24時間稼働とすれば、使用電力はそれぞれ30万キロワットと20万キロワット程度になる。Yahoo!JAPANなどに載っている電力供給能力4250万キロワットと比べる場合は、この数値を使う。
コメント (1)
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都知事選・期日前投票は「記名投票」である

2011-04-09 03:43:09 | 政治
過去の衆議院選挙で期日前投票をしたときに、投票所入場整理券に名前はもちろん、理由すら書く必要は無かった。それが、投票率を底上げしてきたことは間違いない。

ところが、今回の都知事選では、有権者が「見たことの無いような投票整理券」が届いた。どうやら期日前投票するのであれば、住所・氏名・理由を当局に提出する必要があるようだ。これが記名投票かどうかは議論があるだろうが、都民の、あるいは国民の気持ちが萎縮することは事実である。

石原慎太郎知事は、できるだけ投票率が少ない方がよいと思っているわけではあるまい。都知事選まであと2日である。都知事や総務省は震災のどさくさに紛れて、投票率が下がらないように最大限の努力をするべきである。

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「トイレットペーパー品切れ」=「買いだめ」という幻想

2011-04-08 03:46:32 | 政治
スーパーの棚から品物がなくなると、すぐに「買いだめはやめよう」という声が上がる。「品薄」なのは、誰かが「買いだめ」しているからだと安易に考えるひとが多い。

しかし、「品薄」=「買いだめ」は間違いである。

例えば、ある大型スーパーに、毎日100人の客がトイレットペーパーを買いに来るとする。12ロール入ったものを1人が1個ずつ買うとすれば100個売れることになる。これが通常の需要量である。

店は毎日100個を仕入れればよいが、在庫として100個ほど余分に棚に置いておけば、100人の客は200個のトイレットペーパーから自分の1個を選ぶことが出来る。多くの客は、スーパーに十分な数のトイレットペーパーがあると感じるだろう。

ところが、今回の大震災のように、もし物流がある日を境に何日間か止まったらどうなるだろう?

仕入れが止まった日(1日目)に来た100人の客には、在庫分の100個しかないが、とりあえず全員買って帰ることが出来る。だが、次の日(2日目)に来る100人の客は、在庫分もないので、誰もトイレットペーパーを買うことが出来ない。

買えなかった100人は、トイレットペーパーなしでは生活できないし、かといって代わりになる商品もないので、その次の日(3日目)もトイレットペーパーを求めてやって来る。この100人に、新たな100人の客が加わるので、3日目には、200人の客がやって来るがやはり誰も手に出来ない。

仮に物流停止が3日間で終わり、4日目から仕入れが再開して、100個のトイレットペーパーが店に届いたとする。すると、この日にやって来る300人の客が、この100個を奪う合う形となり、200人の客はむなしく帰るしかない。

そして、5日目も、300人の客が来て、トイレットペーパーは100個。6日目も、300人で100個。メーカーが増産体制を整えて100個以上の仕入れが可能になるまで、この状態が延々と続いていく。

つまり、誰一人として「買いだめ」したわけではなく、きちんと1人が1個ずつ買っているのだが、スーパーの棚は、いつ見ても空っぽという感じになる。この時点で、需要量は300個。通常の3倍に跳ね上がっている。

おそらく、毎日毎日、普段の3倍の客がやって来るので、品不足でパニックになった人たちが、家にまだトイレットペーパーがあるのに殺到しているという印象を、多くの人が受けるのかもしれない。

しかし、トイレットペーパーが家に無くなったという当たり前の理由で買いに来て、しかも1人が1個ずつ買ったとしても、仕入れが3日間止まっただけで、これだけの品不足が起ってしまう。

大抵の生活必需品についても、仕入れが止まれば、同じようなことが起きる。ただ、とくにトイレットペーパーは、無しで済ますわけにいかないし、代用品もないので、それがはっきりした形で現れてくる。「品不足」といえばトイレットペーパーが思い浮かぶのは、そのためだと思う。

さて、物流停止から何週間か経って増産が開始され、店が毎日200個のトイレットペーパーを仕入れ始めたとする。すると、何週間も続いた品不足はたった2日で解消して、店はすぐに仕入れ量を100個に戻すだろう。

せっかくお金をかけて増産体制を取ったメーカーからすれば、何の得にもならない品不足である。また、スーパーにとっても、全体の売り上げが増えたわけではない。増えたのは文句を言う客だけだ。

そこで彼らはこう言うかもしれない。

「そらみたことか。一人がトイレで使う量が増えるわけじゃないんだから、たくさん作ったって、たくさん仕入れたって意味無いんだよ。品薄?どうせ誰かが買いだめしてるんでしょ」

増産や仕入れ増にあまり旨みがないことも、トイレットペーパーが品薄になりやすい理由の一つかもしれない。

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「20mSv退避」を勧告する原子力安全委員会に存在価値なし

2011-04-07 04:56:22 | 原発事故
10~50 ミリシーベルトなら屋内退避、50ミリシーベルト以上なら避難。

原子力安全委員会が定めた指針である。この指針に沿って、福島第一原発から30キロ以遠の地域について、政府は「屋内退避も避難も必要ない」としてきた。

だが放射性物質の流出が長期化するに従い、福島県浪江町のように累積10ミリシーベルトを超える場所が出てきた。当然のことだが、安全委員会がしなければならないのは、浪江町を屋内退避エリアにするよう政府に勧告することである。

ところが、突然、自ら決めた指針を変更して「20ミリシーベルトで屋内退避または避難」と言い始めた。これに従えば、しばらくの間、浪江町は今まで通り「屋内退避も避難も必要ない」地域ということになる。しかし、いよいよ屋内退避なのかと心労が絶えない日々を過ごしている住民にとっては、急に政府の方針が変わって、もうあと10ミリシーベルトくらいまでなら大丈夫ですよと言われても、むしろ不安が募るばかりだろう。

安全委員会は、重要な研究論文が最近発表されて、従来の考え方が誤りだと判明したから、指針を変更したわけではない。一方「浪江町はまだ安全」という結論自体は、移動制限区域を出来るだけ広げたくないという政府の思惑に合致する。制限区域の拡大は原発事故の悪化を国内外に印象づけることになるからである。

また、現在、屋内退避エリアになっている20~30キロ圏では、物資が届かず、住民の困窮も限界に近づきつつある。政府は何をやっているのか、という声は日増しに高まるっている。だが、「屋内退避で大丈夫」とする従来の方針を変えて、政府が50ミリシーベルトに届かない区域の住民を避難させれば、自らの最初の判断は誤りだったと認めることになる。

「20ミリシーベルトで屋内退避または避難」の勧告は、政府がメンツを潰さず、20~30キロ圏に避難指示を出すことが出来る便法である。同時に、移動制限区域を30キロ以下にとどめておけるのだから、政府にとっては「渡りに船」である。

IAEAが福島県飯館村の住民を避難させるよう勧告した際、安全委員会の一人が「IAEAは葉っぱの上を測定しただけ。日本の方がより正確な測定」とまくし立てていたニュースは記憶に新しい。

その主張が正しいかどうかはともかく、「避難地域を広げるべき」という国際圧力から、日本政府を守ったことは間違いない。どうやら内閣府原子力安全委員会の「安全」は、「政府の安全」であって、「国民の安全」ではないらしい。

政府の都合に合わせて、如何様にも基準値を変更する委員会は、国民にとって百害あって一利なしだ。こんな御用聞き委員会はさっさと潰して、本当に国民を守ってくれる組織を一刻も早く作るべきである。

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送電網は本当に「スマート」なのか?

2011-04-06 09:02:06 | 政治
送電網の各所に配置されたコンピューター内臓の「スマートメーター」が需要と供給のバランスを常時監視して、電力の最適な配分を行う「スマートグリッド」。停電の多い米国を中心に技術開発が進んでいるシステムだが、日本では、電力会社に「我々の電力網はすでにスマートだ」という意識が強く、積極的な研究が行われてこなかった。

しかし、今回の電力危機で、首都圏の送電網が本当にスマートなのか、疑問を感じる出来事が多発した。

計画停電の際、その地域を通る道路の信号機まで止まって、交通事故で命を落とされた方が出てしまった。また、大きな病院も例外とされず、容赦なく停電の対象になった。これは、信号機や大病院への送電ラインを一般家庭などへのラインから切り離せないことを意味する。

逆に、鉄道の変電所があるからという理由で、付近のかなり大きなエリアが計画停電から除外されている例もある。変電所への送電ラインが独立していないということだ。

結局、東京電力ご自慢の「スマート」な送電網は、鉄道、道路、病院といった必須の社会的インフラを、普通の家庭と区別することが出来なかった。

モザイクのように入り組んだ計画停電エリアマップは、需要側の社会的重要度を考慮せず、供給側が自分たちの都合で作り上げた送電網地図で、いざという時に備えて、社会基盤を支える使命感が感じられない。

緊急時、重要な社会施設への電力供給を止めないためには、分岐点ごとに「スマートメーター」を設置して、きめの細かい電力分配が可能な送電網を作る必要がある。

また、各家庭やそれぞれの事業所にも「スマートメーター」を付ければ、ある時間帯で節電可能な家庭や事業者から、同じ時間帯に大きな電力が必要な事業者へ優先的に電力を回すことも出来る。

例えば、ピーク時の消費電力に上限があるが、その見返りとして料金が安くなるコースを作れば、節電対策が進むと同時に、社会全体として「公平感のある」電力分配ができるだろう。

「スマートグリッド」は開発中の技術で、こういった送電システムの再構築には、多額の投資が必要となる。それは、利用者への負担という形で跳ね返ってくる可能性もある。しかし、原子力は勿論、火力にせよ、水力にせよ、新たな大規模電源が当分は見込めない今、供給電力を最大限に活用する送電システムの開発に、お金を惜しむべきではない。

福島第一原発事故で露呈したのは、東京電力が「原発は絶対に安全」という思い込みのもと、安全でなくなった時の備えを怠っていたことだ。送電システムについても「すでにスマート」という過信のもと、緊急時の対応策を何も考えていなかった。

その結果、すべての発電所が停止したわけではないのに、電車が走らない区間が出現し、駅が閉鎖され、道路の信号が消え、首都圏は大混乱に陥ってしまった。そして、いつ起きるとも分からない大規模停電に怯えて、経済活動は停滞するばかりだ。

深刻さを増す放射能汚染と先の見えない電力危機。

東京電力の「我々はスマートである」という思い上がりが、その出発点にある。

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「5年で原発半減」を目標にグリーン技術革命を起こせ

2011-04-05 06:01:54 | 政治
日本では、電力の原子力依存度は30%である。従って、家庭、工場、ビル、公共交通機関など、すべての電力使用者が15%の節電に成功すれば、原子力発電所を現在の半分に減らすことが出来る。

3月11日以前であれば、こういった計算は理論上のお遊びに過ぎなかったが、東日本大震災によって福島第一第二原発が完全停止した今、真剣に考えるべき現実となっている。

使用電力を急に減らせないため、首都圏では計画停電が行われ、電車の本数が減り、工場が稼動停止に追い込まれ、夜の街から明かりが消えてしまった。

また、次の夏までに何の手も打たなければ、うだる暑さの中、家庭、職場、電車内でクーラーすら止めなければならない事態が確実にやって来る。しかし、多くの人が外出を控え、物も買わず、遊びもせず、イベントも中止で、家でじっと暑さに耐えているだけでは、社会が麻痺状態に陥り、やがて破滅的な不況が襲ってくる。

この危機を避けるために、15%の節電は、もはや控えめと言っても良いほどの最低ラインになっている。

しかし、15%の節電を強いられるというのは、決して悪い面ばかりではない。いやむしろ、このピンチを上手く乗り切って「低エネルギー高品質社会」を実現すれば、不景気に喘ぐ日本を救う絶好のチャンスになる可能性がある。

勿論、「暗い」「寒い」「暑い」のを我慢したり、「楽しい」ことを自粛すれば、節電は可能である。しかし、それでは失業者が増えるだけで、何も生まれない。生活の質を向上させつつ、節電を成し遂げる。多くの人がそれを目指すことで、ピンチをチャンスに変える可能性が見えてくる。

といっても、難しいことをやる必要はない。要は「お金を使って節電しよう」ということだ。

まず第一に、すべての電力使用者が現在使っている電化製品を調査して、消費電力のより小さいものへの買い替えを進めることである。

例えば、古い型のクーラーを最新型に変えるだけで、相当な節電効果が現れる。また、白熱電球を蛍光灯へ、蛍光灯をLED照明に替えるなど、可能な限り1ワットでも少ないものを求めればかなりの節電になる。

さらに、新しいパソコンやテレビを購入する際に、多くの人が消費電力を考慮する習慣を身につけるだけでも意味がある。

第二に、ソーラーシステムなどを導入して、自家発電の量を増やしていくことである。大きなマンションやアパートでは、真夏の太陽光を使えばかなりの発電量になる筈だが、現在のところソーラーパネルを装備しているところは、あまり多くはない。

また、地域によっては、小規模な水力発電や地熱発電を地区単位で行うことも可能なはずだが、これもあまり見かけない。

こういった自家発電については、電力会社保護のために様々な規制が掛けられていて、それが普及のネックになっている面がある。しかし、逆に言えば、規制をなくして上手く促進すれば、東京電力が危なくなるほど、強力な電力供給源に成り得るということである。

一方、都心にあるような大きなビルや公共施設については、一定量の節電、あるいは使用電力の一定パーセントをグリーンエネルギーで自力調達するよう目標設定を促すべきだ。

何々ヒルズといった巨大ビルの電力事情は、これまであまり問題になることはなかったが、利用者が省エネルギーに積極的な施設を評価して、そこを優先的に利用する姿勢を見せれば、施設の側も変わっていくだろう。

「お金を使った節電」とは、エコ商品やグリーンエネルギーにどんどんお金を使って、生活の質を落とさずに、節電を達成する方法をみんなで模索することである。計画停電が続く首都圏で、具体的な節電対策の積み重ねの中から、個人や企業がより良いものを積極的に取捨選択することが重要だ。

そして、節電はプラスの経済効果を持っていること、「低エネルギー高品質社会」は実現可能だということを、首都圏が示せれば、やがて日本全国が同じ方向を目指すようになるだろう。

個人の消費や企業の設備投資が、省エネルギー対策やグリーンエネルギーの利用という方向に流れ始めれば、政府が行う公共事業以上の効果をもたらす。多くの企業が参入し、より優れた技術を開発したり、より効率の良いシステムを提案していくだろう。

その中でヒット商品が生まれれば、それは景気浮揚につながるし、今後、強力な日本の輸出商品となる可能性もある。少なくとも、「安全な原発」を輸出するより、はるかに世界の人々に受け入れられるはずである。

巨額の借金を抱える政府は、もう日本国民には何もしてくれない。消費者や企業が、自らのお金を出して、日本という国を引っ張っていくしかない。

そして選択できる道は二つだけである。

今後も東京電力の「無計画」停電に振り回されて、その挙句に、泣く泣く「安全な原発」に頼り続けていくのか、それとも、お金を使って積極的な節電対策を行い、その過程で画期的な技術革新を成し遂げ、グリーン技術で世界を牽引する国になるのか。

決めるのは日本人自身である。


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福島原発事故の見えない明日

2011-04-04 03:36:48 | 原発事故
2号機取水口付近の立て坑に亀裂が存在し、高濃度の放射性物質を含んだ水がそこから海に流れ込んでいることが判明した。その流出は現時点でも止めることが出来ていない上に、空中へ放散している放射性物質と同様、止めるスケジュールすら見えてこない。

これは放射性物質の深刻な漏洩であり、過去に前例を見ないほど大規模な海洋汚染が進行しつつあると言わざるを得ない。

海に流れ出た放射性物質は、プランクトンを出発点とする食物連鎖の中で濃縮されていく危険性があるが、どの生物が問題となるのか、あるいは心配する必要はないのか、予測するのは困難である。

従って、様々な魚介類や海洋生物、さらには河川の生物やそれを食べる動物について、長期間にわたって放射性物質のモニタリングを行う必要がある。

政府や東京電力は放射性物質や放射線の危険性について、自然界にもともと存在するものを引き合いに出して「さほど心配することではない」という印象を与えようとしている。

しかし、原子炉内部で人工的に発生し、本来ならそこに厳重に閉じ込められている筈の放射性物質が、大気中や海に大量に流れ出て、食べ物や水道水から検出されるというのは、異常事態以外の何ものでもない。

いくら何ベクレル、何ミリシーベルトまでは大丈夫だと言われても、原子炉内部の放射性物質など、1ベクレルたりとも口にしたくないというのが消費者の心理であるし、それを止めることは誰にも出来ない。

実際、水道水の汚染が判明して以来、首都圏では、未だにミネラルウォーターの品薄状態が続いている。また、原発に近い地域の野菜は、勿論出荷制限が掛かっていないにもかかわらず、店頭で大量に売れ残っている。

また、海外では、東北地方のみならず日本の他地域からの物品についても、輸入制限を設ける国が出てきている。

こういった動きに歯止めをかけ、国内、国外の消費者を納得させる方法は、出荷した商品へのきめ細かい放射能モニタリングしかない。市場に出ているものには原子炉内部の放射性物質が一切含まれていないことを証明してみせるしかない。

しかし、今後否応なく強いられるだろう広範かつ長期間の放射能検査には、莫大なコストが掛かる。被災地の直接的な復興費用に上積みされて、日本の再起を妨げる足かせになるかもしれない。

今回の原発事故は、その収束に数年から数十年掛かると言われ始めている。つまり、行く先が全く見えないということである。そして、それは日本全体の復興も先が見えてこないことを意味している。

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「震災は天罰」石原氏に都知事の資格なし

2011-04-02 08:49:23 | 政治
石原都知事の政見放送を聞いたが、笑止千万である。

新銀行東京の負債には全く触れず、オリンピック招致の失敗にも言及せず、築地移転問題すらスルーだ。

78歳の人物が史上初の都知事四選を目指すのなら強力な理由が必要である。少なくとも、新銀行東京の負債、オリンピック招致、築地移転問題の三つの解決は必須のテーマである。

だが、彼は何も語らない。

加えて、「震災は天罰」である。最低でも、その発言に対して真意を表明する必要がある。

だが、一度釈明会見を開いただけで、その後は、全く触れられていない。石原氏は都合の悪い事実を隠そうとしているようにしか見えない。

困難な次の四年間。彼からは、反省もビジョンも感じられない。

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