「我欲」を捨てて「慎ましい」生活を送る。
石原都知事の言葉であるが、彼はこういった消費抑制論の危険性を理解していないようだ。
電力不足から起こる供給の減少を、需要の抑制で乗り切る。シンプルで分かり易い考え方だが、問題なのは、震災の影響によって、消費マインドが予想以上に冷え込んでいて、供給の減少をはるかに超えるスピードで消費が落ち込んでいく可能性が高いことである。
あれだけの悲惨な災害である。おまけに、福島の原発事故は未だに解決せず、強い余震がしつこく続いている。
被災地以外であっても、人間の心情として、多くの人が贅沢や遊びを控えて、財布のひもを締めるのは自然の成り行きだ。
さらに、国家財政はすでに破綻している。復興予算の財源を国債にしようが、増税でまかなおうが、国民生活を圧迫するのは間違いない。失業者救済などのセイフティネットに手が回らない現状では、消費意欲が減退するのも当たり前である。
また高齢化社会がすでに到来していることも、この傾向に拍車をかけている。若い世代と異なり、年金や今までの蓄えで生活している年齢の高い人々は消費を抑えて貯蓄を殖やすという発想に共鳴しやすい。こういった生活防衛意識が、石原氏の「我欲」や「慎ましい」という言葉でさらに強化されていく。
今の日本には、消費を支える要因が何一つ見当たらない。
花見の自粛。パチンコや自動販売機への攻撃。この一ヶ月、石原氏は、被災地への配慮や節電を名目に、人々がお金を使う行為や施設をことごとく非難し続けている。
「自粛」などと言われなくても、もう誰も余分な物を買わなくなってきているのだが。
しかし、消費の抑制こそ地獄の入り口である。
3月11日を境に、生活様式を変更して消費を急激に減らす行為は、買われなくなった商品を作る多くの人が苦境に陥ることを意味する。
そして、失業者の増加。さらなる消費の低迷。さらなる失業者。
最悪のデフレスパイラルだ。
あれはけしからん、これもけしからん。
自分自身の明日への不安を、他者への攻撃にすり替えているうちに、大不況という地獄がひたひたと迫ってきている。
街にホームレスがあふれ、お腹を空かせた子供がさまよう。
豊かな日本では絶対にあり得ないと思っていたことが本当に起こる可能性がある。
攻撃しやすい敵を見つけて、誰かを悪者にしているだけの石原氏が、これからやって来る未曾有の事態に対処できるとは思えない。
石原都知事の言葉であるが、彼はこういった消費抑制論の危険性を理解していないようだ。
電力不足から起こる供給の減少を、需要の抑制で乗り切る。シンプルで分かり易い考え方だが、問題なのは、震災の影響によって、消費マインドが予想以上に冷え込んでいて、供給の減少をはるかに超えるスピードで消費が落ち込んでいく可能性が高いことである。
あれだけの悲惨な災害である。おまけに、福島の原発事故は未だに解決せず、強い余震がしつこく続いている。
被災地以外であっても、人間の心情として、多くの人が贅沢や遊びを控えて、財布のひもを締めるのは自然の成り行きだ。
さらに、国家財政はすでに破綻している。復興予算の財源を国債にしようが、増税でまかなおうが、国民生活を圧迫するのは間違いない。失業者救済などのセイフティネットに手が回らない現状では、消費意欲が減退するのも当たり前である。
また高齢化社会がすでに到来していることも、この傾向に拍車をかけている。若い世代と異なり、年金や今までの蓄えで生活している年齢の高い人々は消費を抑えて貯蓄を殖やすという発想に共鳴しやすい。こういった生活防衛意識が、石原氏の「我欲」や「慎ましい」という言葉でさらに強化されていく。
今の日本には、消費を支える要因が何一つ見当たらない。
花見の自粛。パチンコや自動販売機への攻撃。この一ヶ月、石原氏は、被災地への配慮や節電を名目に、人々がお金を使う行為や施設をことごとく非難し続けている。
「自粛」などと言われなくても、もう誰も余分な物を買わなくなってきているのだが。
しかし、消費の抑制こそ地獄の入り口である。
3月11日を境に、生活様式を変更して消費を急激に減らす行為は、買われなくなった商品を作る多くの人が苦境に陥ることを意味する。
そして、失業者の増加。さらなる消費の低迷。さらなる失業者。
最悪のデフレスパイラルだ。
あれはけしからん、これもけしからん。
自分自身の明日への不安を、他者への攻撃にすり替えているうちに、大不況という地獄がひたひたと迫ってきている。
街にホームレスがあふれ、お腹を空かせた子供がさまよう。
豊かな日本では絶対にあり得ないと思っていたことが本当に起こる可能性がある。
攻撃しやすい敵を見つけて、誰かを悪者にしているだけの石原氏が、これからやって来る未曾有の事態に対処できるとは思えない。