福島第一原発事故による避難、屋内退避区域を「除染」すれば、住民の帰宅を早めることが出来るという主張がある。土の部分は表面を薄くさらって、道路や建物は水で洗浄するという考え方だ。
しかし、表面の土を除いたり、アスファルトを水で洗うと、その部分にあった放射性物質は「除染」されるが、新たに汚染された残土や洗浄廃液が出てしまう。
そういった汚染土や汚染廃液は、放射線の線量は低いものの、量が莫大となる。
例えば、半径20キロ避難指示区域の30%が土壌部分だとして、この表面を10センチメートルだけ削り取ると、ギザの大ピラミッド約8個分の放射性汚染土が出現する。
また、その区域の10%がアスファルトだとして、厚さ1センチメートルほどに洗浄水をまいた場合、小中学校にあるような25メートルプール約2500杯分の汚染廃液が出てくる。
線量が低いので、運搬には支障が少なく、保管期間もせいぜい数十年程度でよいと思うが、これだけ大量の放射性廃棄物を受け入れてくれる市町村が、日本のどこにあるのだろう?
一方、原子炉に関しては、漏れ出てくる高濃度汚染水をゼオライトなどに通し、放射性物質を除去して、再び冷却水として再利用する計画が進んでいる。これも「除染」の一種だが、今度は、超超高濃度の放射性物質が付着したゼオライトが廃棄物として出てしまう。
何万トンという元々の汚染水に比べれば、汚染ゼオライトは量こそ少ないが、あまりに放射線の線量が高すぎて、人間は近づくことすら出来ず、その運搬は困難を極めるだろう。
また、放射能の減衰期間は数百年レベルとなり、それだけの間壊れない耐久性の高い容器がまず必要で、さらに、地下深くなど自然災害の影響を受けない保管場所を探さなければならない。
もちろん、そういう場所が見つかったとしても、自治体や住民が受け入れてくれる可能性はほぼ絶望的だ。
結局、「除染」というのは、そこにある放射性物質を「より低濃度でより大量」か「より高濃度でより少量」に形を変えるだけのことで、放射性物質そのものは1原子たりとも消える訳ではない。
原子炉で一度出来てしまった放射性廃棄物を「消去」するには、放射能が減衰するまで何年、何十年、何百年、ひたすら待つしかない。
人類は、少なくとも現在、それ以外の方法を持っていない。
まさにこれが、原子力発電が極めて危険と言われる所以である。
しかし、表面の土を除いたり、アスファルトを水で洗うと、その部分にあった放射性物質は「除染」されるが、新たに汚染された残土や洗浄廃液が出てしまう。
そういった汚染土や汚染廃液は、放射線の線量は低いものの、量が莫大となる。
例えば、半径20キロ避難指示区域の30%が土壌部分だとして、この表面を10センチメートルだけ削り取ると、ギザの大ピラミッド約8個分の放射性汚染土が出現する。
また、その区域の10%がアスファルトだとして、厚さ1センチメートルほどに洗浄水をまいた場合、小中学校にあるような25メートルプール約2500杯分の汚染廃液が出てくる。
線量が低いので、運搬には支障が少なく、保管期間もせいぜい数十年程度でよいと思うが、これだけ大量の放射性廃棄物を受け入れてくれる市町村が、日本のどこにあるのだろう?
一方、原子炉に関しては、漏れ出てくる高濃度汚染水をゼオライトなどに通し、放射性物質を除去して、再び冷却水として再利用する計画が進んでいる。これも「除染」の一種だが、今度は、超超高濃度の放射性物質が付着したゼオライトが廃棄物として出てしまう。
何万トンという元々の汚染水に比べれば、汚染ゼオライトは量こそ少ないが、あまりに放射線の線量が高すぎて、人間は近づくことすら出来ず、その運搬は困難を極めるだろう。
また、放射能の減衰期間は数百年レベルとなり、それだけの間壊れない耐久性の高い容器がまず必要で、さらに、地下深くなど自然災害の影響を受けない保管場所を探さなければならない。
もちろん、そういう場所が見つかったとしても、自治体や住民が受け入れてくれる可能性はほぼ絶望的だ。
結局、「除染」というのは、そこにある放射性物質を「より低濃度でより大量」か「より高濃度でより少量」に形を変えるだけのことで、放射性物質そのものは1原子たりとも消える訳ではない。
原子炉で一度出来てしまった放射性廃棄物を「消去」するには、放射能が減衰するまで何年、何十年、何百年、ひたすら待つしかない。
人類は、少なくとも現在、それ以外の方法を持っていない。
まさにこれが、原子力発電が極めて危険と言われる所以である。