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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

池袋のサラ ~ キャバクラ外伝第三話

2008-01-23 16:46:58 | 小説
ゴーギャンの人生をヒントに書かれた、サマセット・モームの「月と六ペンス」。その中で、画を描きながら、放浪を続ける、野獣のようなストリックランドが、こんなことを言う。

「セックスってのは、健全で、健康的なものだ。それは、オレも知っている。だが、恋愛、あれはいかん。狂ってて、まともじゃない。病気だよ、病気」

人間という生き物が、愚かに見えるとすれば、それは、かなりの部分、この病気が原因でしょう。不幸なことに、この病気を治す方法は、新しく病気にかかること、すなわち、新しい恋愛を始めることしかない。

さて、今日は、第三話です。

最初から読みたい方は、ここから、第一話へジャンプできます。

では、スタート!(笑)


第三話

六月に入って、雨模様の日が多くなった。

この頃、サラは、いつも、何となくボーっとしていて、私の話を、上の空で聞いていることが多かった。ただ、たまに、話の流れとは関係ないことを、突然、ぺらぺらとしゃべり出すことがあった。

「肌水」がバックの中でこぼれて、携帯から、ハンカチから、何から何まで肌水の匂いがする。駅前の駐輪場から、時間外に、フェンスを越えて自転車を出そうとして、怪我した。そんな、日常のこまごました出来事を、延々としゃべった。

あるとき、サラから、駅前のT百貨店で働くことになった、と聞かされた。

「若い女の子向けの、婦人服売場なの」
「客に、こんなのお似合いですよ、とか言って、服を売るとか?」
「そう。でも、まだ見習いだから、覚えなきゃいけないことがいっぱい。店には、どういうタイプの服があるとか、揃えてるサイズとか、色とか。あと、生地の種類も、すごく多いの」
「ここ、辞めるの?」
「やめないよ。デパートは六時までだから。その後、ここに来る」

次の木曜日、私は、小さな熊のガラス細工を買って、プレゼント用の包装をして持って行った。

「一応、お祝い。安いけど」

サラは、ちょっと驚いていたが、中味を確認すると、小さく「ありがとう」と言って、無表情にバックにしまい込んだ。まるで、キャッチボールで、ボールを受け取ったような、そんな感じだった。

帰り際に、サラが、今度、ご飯を食べに行きませんか、と言い出した。

「いいよ。店は、どこがいいの?」
「どこでも、いいです」
「同伴ということで?」
「はい」
「じゃあ、来週の木曜は?」
「はい、来週の木曜で」

四月に、サラと会うまでは、指名すら、したことがなかったのに、今では、プレゼントをして、さらに同伴出勤の約束までしている。女の子を、少しでも好きになったら、客は、店の術中に、どんどん嵌っていくということだ。キャバクラというのは、そういうシステムになっているらしい。

しかし、それに気がついても、大抵の場合は、手遅れである。

次の木曜日、私は、サラを、無国籍料理の店に連れていった。照明を落とした、広いホールのような空間に、丸テーブルがいくつも置かれている。エビとカニの料理がメインで、とくに、脱皮直後のカニを、まるごと揚げて、塩で食べる、ソフトクラブシェルの唐揚げは、店のお薦めだった。

席に通されて、サラに、その話をすると、彼女は、こともなげに言った。

「わたし、エビとか、カニ、だめなんです」
「そ、そうなの。でも、ここは、エスニックとか、なんでもあるから」
「そういうのも、だめなんです」

サラは、ひどい偏食だった。エビカニはもちろん、スパイシーはだめ、刺身もだめ。そもそも、肉も魚もあまり好きじゃなくて、サラダならいいけど、シーフードはちょっと。ソフトクラブシェルなんか、論外。この子は、今まで、何を食べて生きてきたのか、真剣に悩むほど、すごい偏食だった。

結局、サラは、チャーハンを注文した。ごはんものは、大丈夫らしい。水を飲みながらチャーハンを食べている前で、カニをバリバリ食べるわけにもいかず、私も、中華焼きそばを頼んで、ビールを一本だけ飲んだ。

間が持たないので、三十分余りで、レストランを出て、歩いて店に向かった。遠くに店が見える頃、サラが話し始めた。

「この前ね、お客さんと、初めて同伴したの。それでね、店に戻る途中、そのひとが、ホテルに行こうって、言い出したの。いやです、って言ったんだけど、聞いてくれなくて。手をつかんで、連れて行こうとするの。だから、怖くなって、手を振りほどいて、走って逃げたの。それで、すぐジンナイさんに電話して。そしたら、お客はいいから、とりあえず、帰って来いって。ずっと、電話、つなぎっぱなしにしてたんだけど、ジンナイさん心配して、店の前で待っててくれたの」
「その客は、どうなったの。そのまま消えた?」
「ううん、後から、店に来たよ。で、同伴ってことで、席に付いたよ。同伴なのに、別々に店に入るなんて、おかしいよね。きゃっ、はっ、はっ」

サラは、すごく楽しそうに笑った。

店でも、サラは、終始機嫌が良かった。店の七夕イベントのために、ウツミくんの運転するマイクロバスで、女の子何人かで、笹を採りに行ったときのことを、とくに嬉しそうに話した。

「笹採ろうとしたら、地元のおじさんがいてね、ウツミくん、ニコニコしながら、こんにちは、ぼくら、東京の女子高のもので、実習で使う笹採りに来たんです、って。でも、帰り際に、どうもお騒がせしました、この子達、専門学校の生徒で、って説明してるの。もう、話変わってるじゃん。だめじゃん。きゃっ、はっ、はっ」

時計を見ると、十一時を回っていた。そろそろ帰ろうと思ったとき、サラが、ぽつりと言った。

「あのね、この前ね」

小さな声で、聞き取れなかった。

「えっ?どうしたの?」

サラは、もう一度、繰り返した。

「あのね、この前ね、仕事上がりで、ジンナイさんと、ファミレスで、ご飯食べたの」
「うん」
「それでね、いつも家まで送ってくれるんだけど、ジンナイさん、おれの家に来ないかって。ジンナイさん、アパートでひとり暮らしなの」
「・・・・」
「ついて行ったの。そしたら、部屋で、抱きしめられて」
「・・・・」
「わたし、そういうのいやです、って言ったの。ちゃんと、付き合ってからじゃないと、いやですって。そしたら、おれだって、ちゃんと付き合いたいけど、立場上、付き合えないのは、お前も分かってるだろう、って」
「・・・・」
「でも、おれの気持ちは、分かるだろう。おれだって、お前の担当じゃなかったら、ちゃんと付き合いたいんだよ、って」
「・・・・」
「わたしね、ジンナイさんのこと、すごく好きなの。好きだからね、好きだからね、ちゃんとしたかったの。でもね、そうやって、好きなひとに言われたらね、それ以上、抵抗するのは、ダメなの。無理なの」

サラは、不安そうな目で、私を見ていた。それは、怯える小動物のような目だった。その後、私が、サラに、何を言ったのか、よく覚えていない。会計を頼むと、ジンナイが、席にやって来て、金額の書かれた、小さな紙を見せた。

「二万六千三百円になります」

鉛筆で書かれたその文字は、今でも、記憶に焼き付いている。

第四話へつづく


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