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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

「裸祭り」ポスターと DJ OZMA の紅白

2008-01-10 19:19:24 | 芸能
ふんどし姿の男衆が、「蘇民袋」を奪い合う、岩手県奥州市黒石寺の「蘇民祭」。その観光ポスターの駅構内での掲示に、JR東日本が、待ったをかけた。その理由が、「セクハラ」だったことから、騒動になっている。

この騒ぎを見ていると、一昨年の紅白での、DJ OZMA のステージをめぐるドタバタを思い出す。

両方とも、裸がテーマ(笑)。ポスター制作者も、DJ OZMA も、心血を注いで、独創性やエンターテイメント性の高いものを作り上げたのに、世間から、予想以上のバッシングを受けている、そんな気持ちだと思う。

このポスターは、口を開け、天を仰ぐ、胸毛ひげ面の太った裸の男を、大きく前面に出して、その背景に、裸の男たち十数人の、後ろ姿を配するという、度肝を抜く構図である。

面白半分に、手を抜いて作ったのでないことは、よく伝わってくる。

DJ OZMA のステージも、手品を見せたり、OZMA が途中でいなくなったり、ワイヤーでつるされたり、最後には、北島三郎と入れ替わったり。

客を楽しませるための仕掛けを、二重三重に張り巡らせた、作り込んだステージだった。

問題なのは、ポスターやステージの出来不出来ではなく、それを、「誰に、どこで見せるか」、ということだろう。その点において、奥州市の観光課も、紅白プロデューサーも、大失敗している。

このポスターを見て、不快の念を持つひとが、多数出てくるのは、容易に分かることである。それを、駅構内という、公共スペースに掲示するのは、間違いなく不適切だ。朝の通勤時に、うっかり見たら、口の中が、なんだかイガイガしそうだ(笑)。

紅白歌合戦も、視聴率が30%を越える番組で、老若男女、子供も大人も、日本人も、外国の日系人も、幅広い層が見ている、一大イベントである。なにより、NHK自身が、それを目指している。

セクシャルなものを、強く意識させる、OZMAのあのステージが、出し物として、適切だったかどうか、答えははっきりしている。子供と見ていて、急に新聞を読み始めたお父さんや、思わずお茶を入れに行ったお母さんも、多かったのではないか(笑)。

逆に、適切なひとに、適切な場所で見せれば、ポスターも、ステージも、もっと冷静に見てもらえる可能性があったと思う。実際、OZMAは、紅白の後、「CDTVスペシャル」で、深夜に、同じステージを披露したが、TBSに抗議が殺到したという話は、聞かない。

つまり、どちらの騒動も、制作者の問題と言うよりは、販売担当者の失敗である。駅構内に張りたかったら、そこまでインパクトを追求してはいけない。紅白で受けたければ、セクシャルな部分は、控えめにしなければならない。

「この程度で、文句を言うのは、日本社会が成熟してないからだ」云々というのは、子供の言い訳である。この社会で、何が受けるかを見抜いて、ヒットを飛ばすのが、プロである。

ただ、奥州市の観光課は、ポスターを駅に張ることには、失敗したが、「セクハラ」騒動が話題になったことで、「蘇民祭」の宣伝自体には、大成功した。

彼らが、もし、JR東日本の掲示拒否まで予測して、敢えて、このポスターを作ったのなら、恐るべき企画力である。「祭りは、すでに始まっている」作戦である(笑)。

一方、一昨年の紅白は、OZMAの騒動で、みそが付いただけで、大幅な視聴率アップもなかった。

おまけに、OZMAだけが、「出入り禁止」で処分されて、肝心の、プロデューサーは、何のお咎めもなし。自身で、責任を取ることもしない。OZMAをかばうこともしない。その結果、紅白だけでなく、責任を曖昧にして、身内をかばおうとする、NHKの腐った官僚体質までも、世間から、やり玉にあげられる始末である。

手がけた番組をダメにした上に、組織そのものまでも窮地に立たせる。このプロデューサーの「辣腕」ぶりには、つくづく感心させられる。

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