相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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71年前の“悪例”

2022-08-31 21:35:14 | 日記
 丁度71年前の昭和二十六年秋…
新入幕 平 ノ 戸の入幕直前の星。

〇大ノ浦(十両9)
●大 龍( 〃6)
〇朝 若( 〃7)
〇美楯山( 〃4)
〇藤 田( 〃2)
〇玉 晃( 〃8)
〇日本錦( 〃7)
●宮 錦( 〃10)
●大岩山( 〃3)
〇嶋 錦( 〃12)
●松 登( 〃1)
●大天龍( 〃15)
〇北ノ洋( 〃1)
〇今大嶋( 〃16)
〇玉ノ海( 〃14)

 十両六枚目で対幕内挑戦はなく
10勝5敗は絶対「入幕候補」じゃぁ
ない━しかも、幕尻残留が通り相場
の神若(→芳ノ里→プロレス)を無理
矢理陥落させたうえ、郷土力士の
平ノ戸を抜擢…。

 今度の平戸海の場合、更に2枚下位
から入幕は、「実力の伴わない」番附
編成であり、秋の「勝越し」は相当困
難だ━と予想せざるを得ない。
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『大相撲人物志』無代進呈 !

2022-08-31 13:14:51 | 日記
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 昭和五十二年、日貿出版社刊
歴史家 安藤英男氏(S2~H4)著
千部限定函入『大相撲人物志』
482ページ(うち、口絵32頁)
定価16,000円━━を御希望の方、
先着1名様に無代進呈いたします。
運賃のみ負担して下さい。宅急便
の“着払い”にて…お願いいたします。

 カラー口絵は雷電爲右エ門(春英画)
登場力士は、
江 戸 時 代
 谷風から陣幕までの9横綱、雷電ら
6大関のほか、幕末の関脇両國━計16名。
明 治 前 期
 鬼面山から小錦まで5横綱、象ヶ鼻から
大碇までの9大関のほか鬼ヶ谷ら━計17名。
明 治 後 期
 大砲から太刀山までの5横綱、朝汐から
駒ヶ嶽まで5大関、関脇逆鉾ら━計14名。
大 正 時 代
 鳳から大錦卯…まで4横綱、伊勢ノ濵から
太刀光までの7大関、関脇若葉山ら━計13名。
昭 和 前 期
 常ノ花から安藝ノ海まで8横綱、豊國から
五ッ嶋までの6大関、天竜・玉ノ海の両関脇
ら━計22名。
昭 和 後 期
 前田山から琴櫻まで17横綱、名寄岩・増位山
〔後者は非歌手〕両大関━計19名。

〒852-8113 長崎市上野町14-11
       田   中       健
 お問合せは jhisa104@ybb.ne.jp まで…お気軽に…。
       ☎095-845-6799
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大正16年…相撲號を落手 !!

2022-08-30 21:09:30 | 日記
 95年前の非常に貴重な古雑誌を
落手する幸運に恵まれた。
 表紙の最上部に“右から左”へ…
「運動全般雜誌野球界臨時增刊
第拾七卷第貳號」とあり、その下
部の題簽は、その侭転載してみれば
「號撲相所場春」となり、右下には
「行發社界球野」━ここまでは何の
変哲もない。右側上部の縦書きに注
目だ。
「大正十六年一月十日發 行」である。

 周知のとおり、大正十五年十二月二十五日
123代の大正天皇が満47歳3箇月で崩御、
「昭和」と改元された。
 病弱のため大正十年に当時の皇太子(のち
昭和天皇)に摂政を任じた━そのため国技
大相撲の「天皇賜杯」は当初「摂政杯」と
呼称されていたのだった。

 従前から「大正十六年…」と記載された
月刊誌━相撲関係に限らず、数種存在した
ことを知っていたが、全然お眼にかかった
ことはなかった。
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「入幕」なる相撲用語を知らない?

2022-08-30 13:32:14 | 日記
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 相撲用語のひとつ「入幕」なる言葉は
大抵の辞書にも載っているようである。
 十両から幕内へ昇進することだが、
江戸~大正期に多かった幕内附出し〔幕
尻格とは限らない。〕は、厳密に云えば
入幕じゃぁないが、拙稿なんかでも広義
に解釈する場合だってある。

 郷土力士の平戸海が新入幕を果した秋
の新番附。ところが当ローカルニュース
なんか「幕内昇進」と云っても「入幕」の
言葉を全然発することはなかったみたい。
 「平戸海が新入幕」とテロップに表示
しない━入幕と云う相撲用語を知らないと
は情けないと思わずにはいられない。

 でも、平戸海の入幕は想定外であり、
鳥渡ばかり評価するのを躊躇せざるを
得ない。名古屋は十両八枚目で10勝5敗。
この地位ならば仮令11勝だって“貧乏神”
止りの星なのである。
 しかも、幕内力士とは全然対戦して
おらず、「実力査定」が不可能じゃぁ
ないか。
 結論としては、星数不足のみならず、
内容的にも幕内〔下位〕としての実績
零であり、九州では十両へ逆戻り❔
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琴ヶ濱の化粧廻しに「日大…」

2022-08-29 21:27:19 | 日記
 拙稿「香川県出身入幕力士一覧」の
余白へ昭和戦後の大関琴ヶ濱の写真を
転写する。
 昭和五十二年、実業之日本社刊『土俵
の華 五十年』サブタイトル「昭和幕内全
力士写真入名鑑」━127頁掲載、琴ヶ濱の
化粧廻し姿のそれを採用したい。

 殊に、注目すべきは、その化粧廻しに…
「日本大學後援會」の7文字が入ってる
ことだ。
 大相撲 花籠部屋と日大相撲部との相当
ふかい関係は以前から知っていたけれど
…、おなじ二所ノ関一門である佐渡ヶ嶽
部屋所属の琴ヶ濱とも日大は繋がってい
たのか━勿論、部屋と云うより力士個人
の後援会らしい…。

 でも、鳥渡ばかり違和感が…。なぜなら
二所ノ関系統は出羽海系と異なり、“一枚岩”
じゃぁなかった。元幕内大ノ海の花籠と、
元大関佐賀ノ花の二所ノ関━両親方の“仲”は
あまりよくない。それで元小結琴錦の佐渡ヶ
嶽はどちらかと云えば花籠派に非ず二所ノ関
派だったから。
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