相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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八百長防止策ふたつ

2011-02-28 20:14:33 | 日記
 「八百長」を広義に解釈すれば、イコール「不正
行為」ということになるだろう。この度の有名大学
で起った携帯メールに拠る不正行為は、いわば
“八百長受験”だ。おとなりの大韓民國では数年前
同様の事件後、試験場へ携帯電話〔以下、携電〕を
もちこませないよう…探知器でチェックするそうな。

 さて、ここから八百長相撲防止策━大きく二つを
考えてみた。八百長の交渉には、「時間」と「場所」
が不可欠だ。交渉場所は殆んど「支度部屋」だろう。
携電持込み厳禁とする。…と共に防犯─否、監視
カメラを設置すること。
 交渉する時間的余裕を関取衆に与えぬよう智慧を
絞る必要━たとえば十一日目取組は十日目打出し
直後に急遽編成する。十三日目の取組前に翌十四
日目の相手が誰なのか判明してはいけない。2日間
で1勝1敗の“五分”の星へ…“工作”が容易なのが
現状じゃぁないか。
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85年前の“前例”

2011-02-28 12:46:42 | 日記
【画像は往時の番附編成会議。元双葉山も出席…】
 今朝は、春場所の新番附が発表・発行されるはず
だった。
 「幻の番附」は、紛擾直前発表の昭和七年一月の
ものがよく知られているが、編成済みの番附を「発行」
しない今回と酷似した“前例”がないわけではない━。

 『日本相撲史』明治・大正篇の378頁に拠れば…
〔大正十五年〕三月十二日より晴天十一日間、大阪市
…において第一回東西聯盟相撲(後半)を開催。〔略〕
東西両協会合同の資格審査のための準備相撲を東西聯盟
相撲と名づけ興行したが、その成績により…順位を決定
して発表した。しかし番附は発行しなかった。〔下略〕

 尚、当聯盟大相撲ではじめて「不戦」勝・敗が適用
〔棄権に因るものを除く〕されたが、『…相撲史』は無視
している━十日目の西張横■宮城山─小結□清瀬川と、
前10□三杉礒─西幕尻■桂川の2番━「や」印は誤り。
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“貧乏神”が初日から幕内4連破!

2011-02-27 20:25:10 | 日記
 拙稿「江戸大相撲熱戦譜」は、文政七(1824)年
春場所概況を執筆中であるが、この度気づいた点
を述べてみたい━。
 “貧乏神”〔幕下(現十両)筆頭力士のこと〕に進出
してきた槇ノ嶋改め稲妻(後横綱)の当場所初日から
四日目までの星取表は下記のとおり。

初 日○玉 川(前頭四枚目)
二日目○源氏山( 関 脇 )=後大関
三日目○小 柳(前頭二枚目)=後横綱阿武松
四日目○璞(あらたま・同七=幕尻

 ううむ…初日から4日間も幕内力士を連破した記録が
他にあるだろうか? 鳥渡、思い浮ばないのである。
まあ、長い大相撲の歴史だから、あるかも知れない。
 尚、稲妻は前場所幕下三枚目で初日から9連勝して
千穐楽は小柳に全勝を阻止されてしまった。
 更に、当該場所の翌五日目は幕下外ヶ濱(後幕内Ⅴ
柏戸)に休まれた〔現代なら不戦勝〕と思われる。
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…鏡花は難解

2011-02-27 12:34:08 | 日記
 「聯想ゲーム」式にならべると…
『相撲史発掘』→「江戸大相撲熱戦譜」
→文政七年春場所→湯島天神
→「湯島詣」→泉鏡花→「婦系圖」
 
 亡父の書斎に“休眠状態”の講談社版『日本現代
文學全集』〔全100余巻=すべて舊字體・舊假名遣ひ〕
の⑫泉 鏡花集━昭和40年…發行 定價500圓━と
あるのを引張り出してみた。宝のもち腐れではいけない
ので…。

 巻末の「作品解説」を抜萃してみたい。

明治以來の數多い小説家の中で、天才といふ言葉をあて
はめることのできる作家は多くない。〔中略〕その中で、
天才といふ言葉を使ふにもつともふさはしいのが泉鏡花
である。しかし戰後の文章の方法の變化、漢字制限、新
カナ遣ひなどのために鏡花の作品は次第に讀まれにくく
なつて行くものと思はれる〔中略〕その當時の愛讀者に
とつてさへ難解であつたのだから、今の一般讀者にとつては
言ふまでもない……

 「湯島詣」は46頁あまり、「婦系圖」は70頁の長篇だ。
フィクションを好まない小生は読む気になれない。
 今から…湯島天神場所大相撲の“展開”━概況を振返って
みたい。
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内容重視?

2011-02-26 20:03:52 | 日記
 拙作&私家版『相撲史発掘』では、第21号(平成
八年二月刊)より拙稿「江戸大相撲熱戦譜」を連載
━スタートしたばかりの頃の拙文を読むと…ほんと
に恥かしくて、書き直したいくらいであります。最近
じゃぁ…どうしたら“臨場感”がすこしでも表現できる
か、苦心惨澹━と、云っても「決り手」が全然判らず
臨場感なんて…とても無理なのかも知れません。
 第41回からは、1ページめの上段の本文17行に…
開幕日と開催地、幕内平均年齢(数え歳)、番附編成
の吟味━を中心に、きっちり纏めております。
 この度の第47回も1ページを上記の如く書きあげる
ことが出来ました。

 文政七年春場所の入幕力士3人のうち、再入幕の
四ッ車や新入幕の璞(あらたま)は…前場所負越して
いる。でも、両者の白星はすべて幕内力士から獲得
していた━せめてもの救いであろう。
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