相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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閏月

2010-04-30 19:54:17 | 日記
 現行の太陽暦ではあり得ないが、旧暦の太陰暦では
“閏月”が存在していました。
 『日本相撲史』所載「節会相撲の年譜」では…
元慶六(822)年閏七月
延長六(928)年閏八月
天慶三(940)年閏七月
天暦元(947)年閏七月
長和四(1015)年閏六月
寛治五(1091)年閏七月
 …以上、6度の閏月開催が記録されており、更に
「武家相撲の年譜」にも…
建久二(1191)年閏十二月
建長六(1254)年閏五月
 …と、2度の閏月興行が記録されております。

 ところが、勧進相撲では…
寛保元(1741)年閏四月番附の他に閏月開催を記載して
おりません。

 実際には、次の江戸本場所興行が閏月に初日の蓋を
開けております。
安永二(1773)年閏三月
文化八(1811)年閏二月
文政五(1822)年閏一月
天保三(1832)年閏十一月
〃十二(1841)年閏一月
嘉永五(1852)年閏二月

 この6度すべて『日本相撲史』が無視しているのは
甚だ遺憾に思っております。〔延引したため閏月に
なった例もあるが…〕
 番附の「蒙御免」の下の「當…」と「○月」との間の
「閏」の門構えを省略した「壬」に気づかなかった?
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苦労?

2010-04-30 12:56:38 | 日記
一、大きく・やわらかく、まれにみる素材。
一、すくすくそだった一年竹みたい。苦労を知らない。
一、“非力”なため、突っ張っても、横からあおぐように
 なる、いわば蝿を追う恰好。
一、出っ尻(ちり)のまま、腰をすえる修行を積まな
 かったから、当然へっぴり腰。
一、したがってどうしても前かがみになりがちであり、
 足が出ない。おこされて足がそろったらまずそれっ
 きり。これが最大の“弱味”。
一、おこされないためには、すばやくもろ差しになって
 巨体を生かすよりほかはない。
一、もろ差しばかりねらうから、相撲ぶりが小さく
 せせこましくなる。
一、からだに似あわず─いや反比例の原則どおり。
 いつも小心・翼翼。[中略]
一、へっぴり腰だからまともに攻めこんで堂堂“つめ”
 ることがむずかしい。
一、投げにたよりたがるのもそのせい。
一、四つに組んだらほとんど策がない。

 以上は、昭和39年「横綱・大関なで斬り帳」と題する
彦山光三翁の大鵬論だが、2番めの「…苦労を知らない」
というのは角界入門後のことに限られると思う。幼・少年
時代は結構“苦労”していたに違いございません。
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快挙

2010-04-29 20:31:51 | 日記
 幕末の嘉永七(1854)年二月場所、東幕下十枚目
(現十両最下位)竜ヶ峯柳太が初日から千穐楽まで
10日間を全部白星で飾っております。

○緑 松(幕下筆頭=現在の数え方=以下おなじ)
○殿 り(〃八枚目=後三流横綱不知火)
○松ケ枝(〃七枚目=後幕内千賀ノ浦)
○三ッ鱗(〃六枚目)
○八十嶋(〃十二枚目)
○的 石(〃十枚目)
○立田野(〃二十枚目)
○玉頭山(〃二枚目
○嶋ノ浦(〃十七枚目)
○三ッノ海(〃五枚目)

 いやぁ……当時の取組編成法にも“物言い”を
つけたくなりますねぇ。今でいえば、十両どん尻
力士に幕下連中を対戦させるようなものですから。

 でも、翌場所の嘉永七年十一月番附で、たった
3枚しか上らず東幕下(現十両)七枚目に止まって
おります。
 なんだか…最近の郷土力士下田改め宇映を思い
出しましたね。千載一遇のチャンスを逸すると…。
 この竜ヶ峯は、その後“貧乏神”(十両筆頭の意)
まで上った〔但し、その場所興行中止。〕けれど、
欠場が多かった。体調不良と想像されよう…。
 尚、大阪番附で最高位前頭三枚目となっています。
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延べ1万人の方が……!!

2010-04-29 12:49:43 | 日記
 きのうは当ブログ開設120日めでありました。
ついにトータル訪問者数(IP)が1万人を突破して
10,095人様となりまして感謝・感激であり
ます。
 旧臘・年末からの最高記録も発表しておきます。
一日閲覧数(PV)がもっとも多かったのは、今月の
23日(金曜)で、680と記録されております。
 そして、24時間の訪問者数がもっとも多かった
のは、前記より2日前の21日(水曜)で、173人
の方に御訪問いただきました。

 実は、こないだの土曜と日曜は2日つづけて訪問
者数が…“3桁”に達せず、ほんとにがっかり
いたしました。〔自宅じゃあなくて、会社等から
アクセスする方が多い─とみえて、土・日曜は若干
すくない傾向がありました。〕

 …というような次第で、当面の目標は、つねに
訪問者数が百人が“最低ライン”になるように…
マンネリ化せぬよう…頑張る所存であります。

 以前はGWには…天草まで相撲史蹟めぐりへ…
帰りのフェリーで何時間も“待った”なんてことも
ありましたが、最近は“人混み”のなかに入りたく
ないという意識が強くなってきました。
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調査発表

2010-04-28 20:21:39 | 日記
去る昭和五十九年四月発表から始った「明治本場所の
幕内記録アラカルト」の題目は次のとおりです。

(1)全勝力士が消えた星(2)初対戦あれこれ
(3)カード別記録総まくり(4)新入幕物語
(5)新三役物語(6)十両との対戦総ざらい
(7)番附醜名に使われた文字
(8・9)力士の出場率(10)東西制回顧
(11)改名物語(12)大関力士の勤務評定
(13)全休力士物語(14)最終出場の成績
(15・16)勝越し&負越し(17)同名異人対同名異人
(18)削られた好取組(19)三役陣、星の潰しあい
(20)勝利数物語(21)東方力士と西方力士と
(22)年度別の優秀力士(23~25)仮想番附
(26)連勝と連敗(27)架空・是より三役
(28・29)金星と銀星(30)引分け物語
(31)力士の名前(32)対戦範囲を探る
(33)同名異人との対戦(34・35)架空殊勲賞
(36・37)関脇の成績(38)不可解な取組編成
(39)対戦人数を探る(40)勝利数三傑物語
(41・42)出場回数物語(43)連続出場を探る
(44)横綱推薦基準を探る(45)大関降下制度の検討
(46)三役を維持した力士(47)取組数の移り変り
(48)十両陥落物語(49)一場所限りの栄光
(50~52)誰が明治最強力士か
(53・54)勝負預り物語(55・56)昔の横綱は強かったか
(57)□□山の成績(58・59)山と山の対決
(60)力士の本姓(61~63)力士の星座
(64・65)筆頭力士の成績(66~68)山と川の対決
(69~72)同位対戦物語(73・74)二枚目対三枚目
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