相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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No.2落選に想う

2014-01-31 20:52:12 | 日記
 九重落選━相撲史研究者の端くれとしては、
やっぱり95年前の大正八年夏場所後、検査役選
に落ちて角界を去り「市井の人」となった元超剛
横綱太刀山を想い浮べる。

註①当時役員選挙は夏場所直後に行われた模様。
②「法人」組織前の職制は━
取締─勝負検査役─〔…部長?〕─平年寄

 太刀山の現役引退・年寄東関襲名は大正七年春
(一月)であり、1年ばかり”平”で雌伏していたと
思える。『日本相撲史』も当時の選挙法に「不条理」
があった云々。
 太刀山は弟子たちを系統の異なる高砂へ託した。

 今回の九重も、高砂傍系だから不利だったみたい。
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珍名力士 往桁

2014-01-31 13:05:06 | 日記
 江戸時代、大相撲爛熟期だった寛政年間━その
最後の本場所である寛政十二(1800)年冬場所、東
前頭六枚目に突如すがたを現した往桁の星。

●秀ノ山(前四)
●桟 シ(前三)
●濱ヶ関(幕下)
●八十嶋( 〃)







 風流・高齢力士だった八十嶋は当時幾つであったか
…。
 いずれにせよ、往桁は弱い幕内力士の一人と思える。

 尚、番附をみると行人偏の右側は「生」みたいだが、
漢和辞典に載っていない?
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前頭六枚目格が穏当か

2014-01-30 20:47:31 | 日記
 明治三十一年夏場所、幕内力士が事実上千秋楽
となる九日目中入後〔?〕の取組順は次のとおり。

西前14小天竜─十両 谷ノ川
東前14岩木野─ 〃 稲瀬川
〃前11北 海─西前14格 一力
東前X響 舛━〃前12鶴ヶ濱
〃前4黒 岩─〃前4谷ノ音
〃小結源氏山─〃前6小松山
西関脇荒 岩─東前1若 湊
東大関朝 汐─西大関鳳 凰

 明治二十九年春場所、不出場の東前頭三枚目響舛
は、同六枚目が翌場所の地位だった。
 一時脱走→除名直前も三十年夏場所東前頭三枚目
で全休。したがって、出場ゼロの場合3枚降下が“相場”
と愚考して、当該番附外幕内格の響舛は前頭六枚目格
が穏当ではなかろうか。 
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大相撲「旧体制」が残った・残った…?!

2014-01-30 12:39:07 | 日記
 愈々好角家注目の日本相撲協会役員改選。従前の
「無投票」に非ず…「番外大相撲」を期待したい。

 ”病み上り”の北の湖理事長は、No.2九重(元横綱
千代の富士)に角界最高権力者のポストを“禅譲”する
意思はないらしい。尤も、九重理事候補は”当落線上”
だそうな…。

 旧立浪→伊勢ヶ濱一門は、万年主流派出羽海系など
と違って、”鉄の団結”力はやや弱いので、立候補2名
”共倒れ”の可能性はないのかな?

 万年非主流派砂一派は票が不足しているのに2名
擁立━立候補数が11人じゃぁもの足りない。我と思わん
ものは落選覚悟━昔の若松(元幕内鯱ノ里)の如く…━で
名乗り出て堂々と12乃至13人ほどで争って慾しいものだ。
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取組数が少なくて…

2014-01-29 21:15:26 | 日記
 愈々終盤戦の検証になってきた明治三十一年夏
元関脇響舛の地位如何。

八日目中入り後
 西前12鶴ヶ濱─東前14岩木野
 東 X響 舛━西前14小天竜
 〃前4黒 岩─〃前6小松山
 西関脇荒 岩─東小結源氏山
 東大関朝 汐─西張関脇大炮

 取組数が5番では、なかなか難しい。
五枚目から十一枚目のあいだ、としか
断定できまい。
 いずれにせよ、明晩までに結論を…。
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