相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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協会←恊会←恊會

2015-11-30 21:15:25 | 日記
 文字━和文の主要部分を占める漢字を
難しい側面だけをみて嫌な“感じ”をもつ
人も少なくないだろうが、面白い側面も…。

 昔の新聞・雑誌を読むと、○月場所を「…
塲所」━鳥渡みただけでは変りないみたい
だが、「塲」は右上が通常の「場」とちがう。

 大正二年…の郷土紙『長崎日日新聞』を
仔細に検証していたら、「協会」→「協會」が
「恊會」となっていたのである。

 当方の記憶にあやまりがなければ、昭和
二十年代の『相撲』〔出版社は現在同様〕の
裏表紙左側に「大日本相撲恊会」と表記して
あったんじゃぁなかったか。

尚、念のために漢和辞典をひいてみた━
「恊」は「協」の異体字と思われ、勿論
「正字」は「協」なんだ。
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1面コラムを批判する

2015-11-30 12:41:52 | 日記
 S紙一面「歴史の交叉点」━横綱審議委員会
委員Y氏━北の湖理事長を“もちあげ”ることに
終始した玉稿の印象だ。
 故理事長としての功績は、「公傷制度」撤廃の
ほかに思い当らない。彼の在任中、時津風部屋
新弟子リンチ事件はじめ不祥事が続出して国技の
権威が地に堕ちた感が否めなかった。
 …協会の公益法人化という一大事業をなしとげた
…━とあるけれど、“名”ばかりで“実”が伴って
おらず、「改革」の範疇には入らないだろう。
〔大正末の「財団法人」認可にくらべるまでもない〕
 尚、漫画家K氏が「彼北の湖こそは谷風・雷電
から、双葉山・大鵬につながる相撲系譜の偉大な
数人に入る」━云々。

 彦山光三の考え方は鳥渡ちがう━。
『横綱傳』の一節。
…谷風は江戸大相撲の実質を劃期的に向上させ、
梅ヶ谷(初代)は明治以後における大相撲の基礎を
盤石のごとくかため、常陸山はその真価を天下に
宣揚し、双葉山はいよいよこれを普遍的に強化…

 単に相撲の強さを中心に考察すれば江戸期の
雷電や、明治末~大正初期の太刀山の名をあげ
なければならない。
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明治の長崎で……

2015-11-29 21:48:03 | 日記
〔前略〕明治三十八年三月末から四月に
かけて長崎市で晴天8日間、東京・大阪
合併大相撲が興行されたのである。
 当時の郷土紙『東洋日の出新聞』によれば、
開催地は「大黒町埋立地跡」とあり、現在の
JR長崎駅前附近と思われる。
 大正末まで「大阪大角力協會」が存在、合併
…というのは東京・大阪両所属力士が対抗(団
体)戦を行う形式。
 ちなみに大相撲の取組は昭和初期まで東西
〔対抗〕制と称し、東方同士・西方同士は対
戦しない━従って当興行でも東京力士同士や
大阪力士同士の取組はなかった。
 必ずしも全力士参加ではないが、横綱常陸山、
大関朝汐ら東京方三役6人、大阪も大関大木戸
(後横綱)ら三役6人が出場した上位の顔触れ。
 当四月五日の千秋楽、角界第一人者の常陸山
が過去14勝1敗の若嶋と全勝同士で対戦して
「引き落し」で敗れた━その7年前、大阪天満宮
における合併大相撲以来の“番狂わせ”を
演じたのであった。

 過日の郷土紙への寄稿でした
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或る疑惑相撲

2015-11-29 13:21:18 | 日記
 昭和後期における「疑惑相撲」━と
云っても星の「売り・買い」=収・贈賄
の賄賂は一切なく、単なる「貸し・借り」
だが、「無気力」相撲よりは悪質だ。

 昭和四十九年名古屋…十四日目
○K ( 寄 切 り ) T●
 同四十九年秋場所 十日目
●K ( 寄 切 り ) T○

 当時の地位を表示すれば誰々なのか
すぐわかっちゃうので敢えて…。

 こんな小噺があるね。7勝7敗力士曰く
「勝てば八百長、負ければ無気力、どう
すりゃいいの?」引分ければいいじゃぁ
ないのさ。━戦時中の青葉山対龍王山戦
みたいに「敢闘精神欠如」と物言い?
〔竜王山になったり…確認してない。〕
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疑惑相撲は殆んどなかった?

2015-11-28 21:27:08 | 日記
 横綱Ⅰ若乃花が連続優勝で通算4度め
の賜杯━宿敵栃錦は大関で連覇して横綱
になったが、横綱としては連覇を記録して
いない━対する若乃花は横綱連覇が2度
もある。

 その昭和三十三年秋場所における8勝
7敗の幕内力士→九州の地位

前一 大 晃→小結
同三 成 山→前一
同六 大内山→前三
同八 双ッ龍→前六
同十四 小城ノ花→前十三
同十六 宮 錦→前十四
同十七 及 川→前十六
同二一 豊ノ海→前十八

 当場所の7勝8敗は、出羽錦以下
7力士だった。
それに、軽量の鳴門海が7勝7敗1
分(痛み分け)の五分の星をのこした。
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