終戦後はじめての本場所である昭和
二十年秋場所━問題点を詳述したい。
『大相撲人物大事典』576頁の当場所
番附末尾の括弧内に━
陸奥ノ里は東15、常陸海は西18枚目格
番付外で出場
ところが、うん万円の豪華版『近世日本
相撲史』第3巻38頁に次の記述がある。
〔前略〕復員した四海波が東前頭十八枚目格、
常陸海が西前頭十八枚目格、陸奥ノ里が東前
頭十九枚目格、豊錦が東前頭二十枚目格に
それぞれ付け出され…
御叮嚀にも、1日も土俵へ上っていない
四海波や豊錦が星取表に載っていて「や」印
ばかりが……。
番附に不掲載で、場所にも全然不出場なのに
星取表へ記載する必要があるのか━。
常陸海の地位は西前18で一致しているので
問題ない。陸奥ノ里であるが、初日の取組順
━常陸海より先の幕内取組最初の一番だから、
『…人物大事典』の「東15」は怪しい。
二十年秋場所━問題点を詳述したい。
『大相撲人物大事典』576頁の当場所
番附末尾の括弧内に━
陸奥ノ里は東15、常陸海は西18枚目格
番付外で出場
ところが、うん万円の豪華版『近世日本
相撲史』第3巻38頁に次の記述がある。
〔前略〕復員した四海波が東前頭十八枚目格、
常陸海が西前頭十八枚目格、陸奥ノ里が東前
頭十九枚目格、豊錦が東前頭二十枚目格に
それぞれ付け出され…
御叮嚀にも、1日も土俵へ上っていない
四海波や豊錦が星取表に載っていて「や」印
ばかりが……。
番附に不掲載で、場所にも全然不出場なのに
星取表へ記載する必要があるのか━。
常陸海の地位は西前18で一致しているので
問題ない。陸奥ノ里であるが、初日の取組順
━常陸海より先の幕内取組最初の一番だから、
『…人物大事典』の「東15」は怪しい。