※『鷲ヶ濱…小傳』第2版をI市のS氏ならびにN市のK氏
宛お送りいたしました。2版は余分がありませんが、旧版を
御希望1名様へ━必ずしも先着優先とはいたしません。
扨て、その鷲ヶ濱━謎はふたつ。「毒殺説」を否定する
理由は、小兵ということに加えて、逝ったときの年齢━40歳
を過ぎている点である。20~30歳代が狙われるはずである。
それに「常歓院千峰遊戯居士」という戒名の9文字に殺害を
聯想させるものは入っていない。〔同じ頃、幕末の本場所中
斬殺された小柳平助の戒名は「釈法刃」だった。〕
もうひとつ━文久元(1861)年冬場所における番附欄外の
“無冠”は、この度相撲博物館へ照会して取組順序を検証
の結果、99%小結格と判明したのである。
当場所、鷲ヶ濱は初日~四日目および六日目に出場、この
うち六日目は新横綱雲龍戦だから別とすれば、初日中入り前・
二日目中入り後・三日目中入り前・四日目中入り前の土俵へ
━何れも東小結鬼面山〔後横綱〕の取組の1番前に相撲を
取っていたのである。〔四日目は小結同士の鬼面山─小野川
(←虹ヶ嶽)戦の直前〕
もし、関脇格ならば以上の取組順になるはずがない。
宛お送りいたしました。2版は余分がありませんが、旧版を
御希望1名様へ━必ずしも先着優先とはいたしません。
扨て、その鷲ヶ濱━謎はふたつ。「毒殺説」を否定する
理由は、小兵ということに加えて、逝ったときの年齢━40歳
を過ぎている点である。20~30歳代が狙われるはずである。
それに「常歓院千峰遊戯居士」という戒名の9文字に殺害を
聯想させるものは入っていない。〔同じ頃、幕末の本場所中
斬殺された小柳平助の戒名は「釈法刃」だった。〕
もうひとつ━文久元(1861)年冬場所における番附欄外の
“無冠”は、この度相撲博物館へ照会して取組順序を検証
の結果、99%小結格と判明したのである。
当場所、鷲ヶ濱は初日~四日目および六日目に出場、この
うち六日目は新横綱雲龍戦だから別とすれば、初日中入り前・
二日目中入り後・三日目中入り前・四日目中入り前の土俵へ
━何れも東小結鬼面山〔後横綱〕の取組の1番前に相撲を
取っていたのである。〔四日目は小結同士の鬼面山─小野川
(←虹ヶ嶽)戦の直前〕
もし、関脇格ならば以上の取組順になるはずがない。