相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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曖昧のスタンス❔

2023-10-31 21:44:45 | 日記
 「曖昧戦略」なるもの、国際問題
ならば少なくあるまい。端的な例で
はアメリカの「臺灣」に対する姿勢
に変化が将来あるのか・否か。

 日本相撲協会の11勝V大関に対する
「綱獲り」なんか曖昧で、現時点では
はっきり断言してない。〔横審の姿勢
は論外。〕
 今日づけS紙の相撲記事━「成績と
内容次第で横綱昇進の話題が浮上する
可能性…」━はっきり「綱獲りだ」と
記述していない。
 昔の“好例”を採りあげて諸賢の参考
にして戴きたい。昭和二四年秋場所、
新大関千代ノ山は13勝2敗で初優勝、
翌春〔一月〕場所も12勝3敗で「連続
優勝」を成し遂げたが、その直後の番附
編成会議で、師匠出羽海理事長(元横綱
常ノ花)が、率先して「時機尚早」と発
言し、横綱「見送り」となった━当時
審議委員会発足直後だったが、協会か
らの「諮問」はなかったみたい。
 しかしながら、仮に突如ひとり横綱
Tが引退したら、協会は「喉から手が
出る」ほど横綱が慾しくなり、綱への
ハードルが下ることを懸念する次第。
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『相撲史発掘』No.104 頒布中

2023-10-31 13:38:37 | 日記
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 拙作&私家版『相撲史発掘』第104号を
御希望の方に洩れなく進呈しております。
【画像=題簽は元40代・式守伊之助氏】

〇“時代”を超えた力士たち(第4回)
 ●明治→大正篇②
◎玉椿・浪ノ音・伊勢濱・西ノ海・朝潮・碇泻

〇江戸大相撲熱戦譜(第84回)
 ●天保十四年冬場所
◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき

〇大正期の新聞記事から(16)
 ●『國民新聞』の相撲記事

〇鳥取県出身入幕力士一覧
 ●雷電為五郎から伯桜鵬哲也まで

〇還暦に達した元横綱力士
 ●阿武松緑之助から北勝海信芳まで

〇古今平幕最優秀力士星取表(34)
 ●神風正一から力道山光浩まで

 頒布を御希望の方、二折り定形郵便なら
94円切手を…、折らずに定形外郵便ならば
120円切手を同封のうえ…下記宛て
〒852-8113 長崎市上野町14-11
       田   中       健
 お問合せは jhisa104@ybb.ne.jp まで…お気軽に。
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小結 清水川5━0八方山

2023-10-30 21:29:37 | 日記
 昭和戦後のパーフェクト記録を
ひとつ拾ってみた。最高位は小結
━前頭筆頭である。

①昭和二二年秋場所 楽日(十一日目)
西前頭八●八方山(寄切り)清水川〇東前十九

②同 二五年夏場所 三日目
東前頭七〇清水川(押倒し)八方山●西前頭九
③同 二五年秋場所 十三日目
西前頭三〇清水川(上手投)八方山●西前頭八
④同 二六年春場所 四日目
東小結〇清水川(上手投)八方山●西前頭四
⑤同 二六年夏場所 十四日目
西前頭筆頭●八方山(寄切り)清水川〇東前頭三

 隣県熊本出身の八方山は、戦前は双葉山、
戦後は若ノ花とも対戦している。
 年寄不知火としては協会「監事」に就いた
が、のち九重(元横綱千代の山)と“交替”させ
られている。
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三日目で幕内全勝いなくなった !

2023-10-30 13:22:49 | 日記
※昨日までのトータル訪問者数
 1,063,013

 146年前の明治十年、異例の東京
本場所大相撲は 春・夏・冬の3場所
開催されており、翌十一年は夏場所
だけ━これは、江戸時代の春・冬の
両季制から春・夏の両季興行へ変革
の過渡期で“調整”のための処置だった。
 その明治十一年夏場所は“怪記録”が
発生している。幕内力士は別番附に
附出された1を加えて22名だが、
初日から「3連勝」した者が皆無━
ほんとに信じられないような現象だ。

 扨て、拙稿「天保十五年春場所」を
現在鋭意執筆中だが、幕内力士が30年
ぶり増員されて24名になったので、
さぞかし充実した相撲が展開…なんて
思いきや、まったく逆で、上記同様、
初日~三日目で「3戦全勝」力士は
ひとりもいない━吃驚した次第。
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叛骨精神なんか微塵もないのか

2023-10-29 21:29:25 | 日記
 明朝は九州場所大相撲の新「番附」発
表━また例によって「叛骨精神」皆無の
相撲記者諸氏は「綱獲り」と書きたてる
のだろうか……。黄泉の彦山光三・天竜
三郎・玉ノ海梅吉・小坂秀二ら諸氏の苦
虫を噛み潰したような表情が瞼に浮んで
仕方がない。

 むかしから角界の格言に「押さば押せ・
引かれても押せ、押して勝つのが相撲の
極意」なんてフレーズだったと思うが…。
尚、「押す」は「忍す」=「我慢する」と
置き換えられることを忘れまい。
 ところが底の浅い平成・令和の「現代
相撲」では甚だ遺憾ながら「引かば引け」
みたいな取口がすくなくない。

 昭和三四年九州場所、13勝2敗で初Vの
新大関若羽黒のときも・同三八年名古屋場
所で13勝2敗で初Vの大関北葉山のときも
「横綱」云々は大きく採りあげられていな
い━前者の師匠は当時の立浪取締(元横綱羽
黒山政司←政五郎)であり、後者の師は時津
風理事長(元横綱双葉山定次←定兵衛)であり
何れも主流派大部屋所属で優遇され易い立場
だった。
 尤も、殊に北葉山の場合、弟弟子の豊山の
方が「未完の大器」で師匠の期待も尋常じゃぁ
なかったはず。
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