江戸時代の勝負づけに表記されて
いる「無勝負」なる判定が比較的に
多かった時期・期間は、文政年間で
ある。
そこで、その文政期の江戸本場所
25場所における幕内関係取組、総
計2,066番のうち、無勝負が何番
記録されているのか━綿密に調査し
てみた。
その結果、合計101番だと算出
した。したがって、4.89%が当該
期間の無勝負率と云うことになる。
まぁ…、幕末乃至明治前期におけ
る引分け相撲の割合なんかと比べる
と少ない。
次の元号である天保年間になると
この変てこりんな判定が激減する。
やや「牽強付会」的に云えば、幕府
の水野忠邦が断行した「天保の改革」
の“影響”が角界まで波及して、当時
の相撲會所(現協会)関係者のあいだ
で出来るだけ“不明朗”な判定を減ら
していく方針が、「回向院定場所」化
と並んで意図されたのじゃぁないか。
いる「無勝負」なる判定が比較的に
多かった時期・期間は、文政年間で
ある。
そこで、その文政期の江戸本場所
25場所における幕内関係取組、総
計2,066番のうち、無勝負が何番
記録されているのか━綿密に調査し
てみた。
その結果、合計101番だと算出
した。したがって、4.89%が当該
期間の無勝負率と云うことになる。
まぁ…、幕末乃至明治前期におけ
る引分け相撲の割合なんかと比べる
と少ない。
次の元号である天保年間になると
この変てこりんな判定が激減する。
やや「牽強付会」的に云えば、幕府
の水野忠邦が断行した「天保の改革」
の“影響”が角界まで波及して、当時
の相撲會所(現協会)関係者のあいだ
で出来るだけ“不明朗”な判定を減ら
していく方針が、「回向院定場所」化
と並んで意図されたのじゃぁないか。