相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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拡大土俵は四つ相撲に有利?

2011-09-30 20:47:14 | 日記
 『野球界』昭和21年5月号「土俵擴大と勝敗」つづき

〔前略〕新進の九州錦は、下の方にゐた時分から、グイ
と吊上るやうにして打つ上手投に、多く星を得ていたゞ
けに、土俵が廣くなつてもそんな事に構はず、土俵の眞
たゞ中で、強引に勝負を決する事により、八勝二敗を稼
いだ。それに秋場所東へ廻つた鯱ノ里だが、彼はこれ
まで長い間幕尻の大立物と云つた感で、勝越すにしても
負越すにしても大した事はなく、秋場所も西幕尻三枚か
ら、東の同位置へ廻つた。然るに今度は相手の變つた
故かも知れないが、初日から三日間勝續け、四日目初
めて九州錦に寄切られ、其後も調子よく愛知山、双見山
に負けたゞけで七勝したから次場所には四、五枚目へ
躍進する事になるのだらう。〔中略〕最近では重い腰に
物を言はせてジツクリ水の入る四ツ相撲を取るやうに
なつたので、秋場所土俵の廣くなつた事が有利を齋した
とも思へる。             <以下、次回>

 もとの直径15尺土俵に戻った昭和21年秋場所、上位
進出の九州錦は3勝10敗、鯱ノ里も2勝11敗の体たらく。
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反響は大きかった?

2011-09-30 12:37:43 | 日記
 画像は、去る八月四日づけS紙1面より━
「対馬は韓国の領土…」と書いてあるそうな。

 当方の勝手な想像だが、昨日は「国賊」とか
「売国奴」なんてキーワードで検索された人も
━つまり相撲なんかに関心のうすい方々も当
ブログを御覧になったようである。だって…
訪問者数185IP、閲覧数は670PVを記録
━予想外の“反響”だと思った。
 お蔭さまで、トータル訪問…79,995━即ち、
本日延べ8万人の訪問者、開設640日めで到達
するのは確実。1日平均125人になる勘定。

 寄合い政党に依る政府の“腰ぬけ”外交は、
平和惚け現代日本人と表裏一体じゃぁないか。
 たとえば、高校生平和大使なんて…平和惚け
…だと思えて仕方がない。高校生の分際で━
まあ、我がその時分、その本分を全うしたとは
いえないから、批判できる義理ではないが…。
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竹島・竹嶋の話

2011-09-29 20:51:22 | 日記
 鳥渡ばかり政治的な話になるが、竹島は大韓民國
の領土だ━と宣った売国奴・国賊がいたな。韓國の
極右なのか知らないが、長崎県対馬も乗っ取りたい
らしい。
 尖閣…を乗っ取ったら、次は沖縄を狙うつもりなのが
中國共産党の魂胆であろう。
 一方、北の領土は泥棒猫みたいに占領されたまま、
百年後も還ってきそうにない━「政・経不可分」の旗印
をおろした外務官僚は取返しのつかぬ失敗である。

 相撲史の話。「竹島」という醜名(しこな)の力士が
存在した━番附では「竹嶋」〔地名も、福島や鹿児島が
福嶋・鹿児嶋と昔の番附では書かれた。〕
 『江戸時代 相撲名鑑』に拠れば、15人の竹嶋と名乗る
力士がいた。もっとも古いのが、元祿時代の竹嶋岡右エ門。
 天保期の竹嶋松五郎は、序二段が最高位らしい。その後
明治・大正年間に竹嶋…はいなかったかな?
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廉価で…お譲りします

2011-09-29 12:42:53 | 日記
 画像は、東陽堂発行の『風俗畫報』第108号で
「明治廿九年二月十日」とあります。以前、送料別
2,000円で購入したものですが、どうした訳なのか
重複所蔵━つまり余分にあります。
 ページ数は32ページとなっており、「相撲の起原」と
題する記事が掲載されています。保存状態は115年の
ときを超えて“並”といったところですが、相撲記事の
箇所は、ばっちり読むことができます。
 この古雑誌を郵送料とも1,000円にて お譲り
いたします。御希望の方は、下記メールにて御連絡を…。
            k3tanaka@w7.dion.ne.jp
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達ヶ関が秀ノ山よりも優位だ

2011-09-28 20:40:00 | 日記
 寛政九(1797)年三月場所、入幕11〔寛政元年冬の
改編を加えて12〕場所めの達ヶ関が西前頭三枚目、
入幕4場所めの秀ノ山が同五枚目にランクされ、その
後3場所は両者とも不出場のため番附からカットされ
寛政十一年二月場所も番附不掲載ながら出場━

 初日中入り後、翌二日目中入り前、更に三日目
中入り後、翌四日目中入り後、更に五日目中入り前
━いずれも、秀ノ山・達ヶ関の順で土俵へ…つまり
序列としては達ヶ関の方が秀ノ山よりも“優位”という
ことになる。尚、六日目中入り後に秀ノ山は筆頭格
荻ノ海との取組なので、達ヶ関が先に登場している。

 にもかかわらず、『日本相撲史 上巻』や『大相撲
人物大事典』など、秀ノ山の方を上位あつかい…。

 しかしながら、当場所7日間、幕内関係取組中、
秀ノ山が最初に土俵へ上ったことはなく、幕尻格
なのか甚だ疑わしい。
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