相撲通ならば御存知と思うが、知らない
人が多いであろう……。
昭和三十五年名古屋場所は、大相撲史上
初めての快挙━幕内全力士が初日から楽日
まで“皆勤”を記録したのだった。〔当時、
『大相撲』誌等で話題として採りあげられ
てないみたい。〕
即ち、江戸・明治時代は勿論、大正~昭
和戦前だって本場所において幕内力士が全
員皆勤した“ためし”がなかったのである。
そこで…この度、江戸寶暦末以来の幕内
皆勤した人数を調査すると発想に至った。
今夕、寶暦・明和・安永・天明・寛政・享和
期における幕内皆勤数を調査して判明したこ
と━。
〇皆勤力士ゼロが天明三(1783)年冬場所。
大関は東が“無名”の看板力士、西は後横綱
谷風で14人+1附出し=15力士で皆勤なし。
〇10日間制確立以降で享和期までに最多の
皆勤幕内力士数は12名であった。それを
列記しておく。
寛政八(1796)年冬場所、20+附出し1
享和三(1803)年春場所、17+附出し1
仝 冬場所、20人
人が多いであろう……。
昭和三十五年名古屋場所は、大相撲史上
初めての快挙━幕内全力士が初日から楽日
まで“皆勤”を記録したのだった。〔当時、
『大相撲』誌等で話題として採りあげられ
てないみたい。〕
即ち、江戸・明治時代は勿論、大正~昭
和戦前だって本場所において幕内力士が全
員皆勤した“ためし”がなかったのである。
そこで…この度、江戸寶暦末以来の幕内
皆勤した人数を調査すると発想に至った。
今夕、寶暦・明和・安永・天明・寛政・享和
期における幕内皆勤数を調査して判明したこ
と━。
〇皆勤力士ゼロが天明三(1783)年冬場所。
大関は東が“無名”の看板力士、西は後横綱
谷風で14人+1附出し=15力士で皆勤なし。
〇10日間制確立以降で享和期までに最多の
皆勤幕内力士数は12名であった。それを
列記しておく。
寛政八(1796)年冬場所、20+附出し1
享和三(1803)年春場所、17+附出し1
仝 冬場所、20人