相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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幕内より強い十両力士

2024-02-08 21:19:33 | 日記
 大正七年春場所、西十両五枚目
矢 筈 山 登〔後小結〕の星取表。

〇朝 緑(十両3)=元幕内〔改名歴なし〕

〇國ヶ岩(十両12)
〇東 雲( 〃5)=後小結〔改名歴なし〕
〇鶴 渡(前十七格)

〇岩木山(前十)
〇八甲山(同十四)
〇福 柳(同十七)
〇一 湊(同九)

 絶好調の所為なのか…幕内力士5人に
挑戦し、悉く撃破して、8戦全勝優勝。
まさに幕内より強い十両力士である。
 尚、下の名前が“1字名”の入幕第一号
ではなかったか。
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地名「〇ヶ〇」読めないのか

2024-02-08 13:40:20 | 日記
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 我が相撲ファンとしての“初土俵”は、
昭和三三年春場所、「土俵の鬼」(映画化)
・「異能力士」(彦山翁命名)の若乃花勝治
(→幹士)の新横綱のとき━その番附をみる
と、東張出横綱に若乃花、その盟友だった
琴ヶ濵が東関脇に、更に東前頭十枚目には
鶴ヶ嶺が載っていた。
 そのときから〇ヶ〇を「…が…」と読む
のを知った。小学校の「国語」の時間に
習った記憶もなければ、教科書に掲載して
いた覚えもない。

 江戸大相撲独特の「縦番附」第一号である
寶暦七(1757)年冬場所、東前頭筆頭に「外ヶ濵」
の名がみえる。これが「外が浜」と書いてあれ
ば幻滅である。
 ところが、現代日本の“地名”━『相撲史発掘』
の宛先にだって、「藤ヶ岡」じゃぁなく「藤が
岡」、「櫻ヶ丘」に非ず「桜が丘」、「松ヶ丘」
ではなく「松が丘」、ほか「梅が岡」等々。
 人名即ち姓名ならば、例えば「鐘ヶ江」など
「鐘が江」と戸籍簿に書いてある筈がない。

 以上、日本伝統文化の半壊・堕落だ━と愚考
する次第。
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