人として生きる 丁字村ブログ

この時代に 人の温もりを感じて感謝できる生き方って どんな立場であろうと同じです。幸せになるためには考え方が大切です。

クモの糸

2007年04月27日 08時51分54秒 | Weblog
ある日の朝のことでございます。お釈迦様は極楽をぶらぶらお歩きになっていました。お釈迦様は玉のように美しい極楽の蓮池からはるか下の地獄をご覧になりました。するとカンダタが地獄にある血の池で浮いたり沈んだりしたりしているのを見つけました。カンダタ(犍陀多)は生前、大泥棒や人殺しと様々な悪事を行った為に地獄に落とされてしまいました。しかし、生涯で一度だけ善い事をした事がありました。それは小さな蜘蛛を助けたことでした。蜘蛛を見つけたカンダタははじめは早速足を上げて蜘蛛を踏み殺そうとしたのですが、「いやいや、いくら小さな蜘蛛といえど命のあるものに違いない。その命を奪い取るということはいくらなんでもかわいそうだ」そう思い直したのでした。そこでお釈迦さまは、地獄の底のカンダタを極楽への道へと案内するために、一本の蜘蛛の糸を、カンダタに下ろしました。
カンダタはその蜘蛛の糸を見てとても喜びました。これで地獄から脱出できるばかりか、極楽に行けるかもしれない。そう考えたカンダタは蜘蛛の糸をつたって、地獄から何万里も上にある極楽へと上り始めました。ところが、糸をつたって上っている途中でカンダタはふと下を見下ろすと、数限りない罪人達が自分の上った後をつけていました。このままでは糸は重さによって切れて、落ちてしまうとカンダタは思いました。そこで彼は「この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。お前達は一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ。」と喚きました。次の瞬間、蜘蛛の糸が、皮肉にもカンダタのぶら下がっている所から切れてしまいました。カンダタは再びまっさかさまに地獄に落ちてしまいました。
お釈迦さまは極楽からこの一部始終をご覧になっていました。自分だけが地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が、お釈迦様には浅ましく思われたのでしょう。しかし、極楽の美しい蓮池の蓮は少しもそんなことには影響されず、相変わらず玉のような美しさと、好い匂いを漂わせているのでした。極楽もそろそろ昼に近づいたのでございましょう。
自分だけって思う小さな心が いつまで経っても変わらぬ状態を作っている。
やはり 自分より先に人の幸せ・・・・ここに尽きます。