備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

128.賀嶋玉比神社(香川県土庄町)

2008-06-28 22:56:07 | Weblog
「小豆郡史」(昭和48年2月)では、土庄八幡神社の境外末社として鹿島神社があり、備前国内神名帳所載の神社である、祭神は玉依比売命である、程度の記述しかない。
鹿島神社といえば、常陸国一宮「鹿島神宮」ゆかりの神社のはずで、祭神は武甕槌神だろう。それが、当社の祭神は玉依比売命であるというのはどういうことだろう。
現在、「鹿島神社」(場所:小豆郡土庄町字鹿島甲2268。香川県庁HPの宗教法人名簿による。)は、土庄八幡神社(場所:小豆郡土庄町字宮ノ前甲5489-1?。これも香川県庁HPによるが、住居表示と違うのか、他の資料はすべて「土庄町大木戸」である。)とは独立しているようだ。「境外」といっても、約2kmも離れている。
鹿島神社で玉依比売命を祀るのか、それとも鹿島神社に合祀されているのか、あるいは、鹿島神社の末社か、どういうことなのだろうか。
なお、地元では「鹿島明神社」の名で通用しているようだ(下記HPの記事に「「備前国神名帳応永本」に明記されている・・・」とある。)。

「とれたて小豆島」のHPから:http://www.town.tonosho.kagawa.jp/kanko/img/now/now2005004/back.jpg

127.玉比神社(香川県小豆島町)

2008-06-28 22:04:44 | Weblog
往古、小豆島は旧児島郡の一部(したがって、備前国の一部)であったらしく、それが「小豆(島)郡」として分立したことの資料の1つが備前国内神名帳であるらしい。
残念ながら、このブログを始めるときから、小豆島の2社については除外するつもりだった。今のところ現地に行く予定もなく、全く調査できていないからである。
「小豆郡史」(昭和48年2月)では、福田八幡神社の境外末社として玉姫神社があり、備前国内神名帳所載の神社である、祭神は玉依比売命である、程度の記述しかない。福田八幡神社とは、通称「葺田八幡神社」(場所:小豆郡小豆島町福田甲598・599(香川県庁HPの宗教法人名簿による。)だろうとしかわからない。「境外」というからには、同社地とは別にあると思われるが、不明。

★2009年9月25日記事で再調査しています:http://blog.goo.ne.jp/junko-f1/d/20090925

125.國津神社

2008-06-28 20:53:03 | Weblog
國津神社(くにつじんじゃ)。
場所:岡山市南区郡616。岡山市市街地から児島湾大橋を渡り、西へ。県道45号線(岡山玉野線)沿い、ホームセンター「コメリ郡店」の先(南西)約300mのところ(うどん屋「辰乃屋」駐車場の手前)から狭い道路に入る。南に約600m進むと池(「下池」)があり、その東側に鎮座。駐車場はなく、1台程度置けるかどうか。
当社は、古事記にも見える児島の国魂を祀ったといわれており、もともと神ノ峯(金甲山)山上にあったという(金甲山山頂は当社の現在地のほぼ真南にある。)。
「金甲山」は、奈良末期、由加山に棲む鬼を退治しに来た坂上田村麿呂が、戦勝祈願の為に金の甲(かぶと)を埋めたことから名づけられたという伝説がある。現在はテレビ塔が林立しているが、それはつまり、四方八方が良く見える(あるいは、四方八方から良く見える)ということだろう。山頂付近には廃屋となったらしいレストハウスがあるが、これは磐座に接して建てられているらしい。山上までは県道399号線(金甲山線)が通じており、自動車で手軽に行けるが、「飽浦」交差点から登り、東側からぐるっと回っていく。徒歩では、「郡」交差点あたりから怒塚山~金甲山(そして当社前あたりに下りてくる)コースが山歩き愛好者の定番ルートのようだ。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01028


125.高島神社(岡山市南区宮浦)

2008-06-28 09:53:38 | Weblog
高島神社(たかしまじんじゃ)。
場所:岡山市南区宮浦3268。児島湾に浮かぶ「高島」にある。かつて「嵐」姓の民家が1軒あったというが、現在は無人島であるようだ。陸地からは目と鼻の先だが、渡るには船を仕立てていくしかない。そこで、お手軽には県道74号線(倉敷飽浦線)沿い、「宮浦マリーナ」の南側、「宮浦」バス停付近に「高島神社」がある(写真)。立派な鳥居もあり、見た目は普通の神社だが、「遥拝所」という位置づけらしい。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は神武天皇、天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比命。創建は神武天皇乙卯3月。神武天皇東征の際、当地に行宮を置いたことに始まる。宝亀3年に相殿として4柱の神を奉斎した。昭和15年に文部省から「高島宮伝説地」として指定された。このため、(旧)村社であるが、県社に相当するものとされた。
「高島」はもと「竹島」と呼ばれ、大正13年に岡山市が海上公園として開発。昭和15年、紀元2600年記念事業として当社の改築を行い、神域を整備したが、日中戦争により開発は中止された。
「高島」には有名な磐座(高さ約3.5mの巨石)があり、土器などの出土品もあって、古代祭祀が行われていたことは確実。ただ、(神武東征があったとして)神武天皇の吉備滞在は兵力集めが目的であって、交通不便な小さな島に3年(あるいは8年)も滞在したというのは、やや疑問である。
下に紹介するのは、自らカヤックで高島に渡って磐座に行かれた方の記録。なかなか行けない(普通には殆ど不可能)ので、とても貴重。

「種々の石」さんのHP:http://www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/okayama/takashima.html

124.飯神社

2008-06-27 23:10:52 | Weblog
飯神社(いいじんじゃ?)。
場所:玉野市胸上1503。通称「胸上八幡宮」の境内末社。地図上では「東児が丘マリンヒルズゴルフクラブ」クラブハウスの南辺り。県道74号線(倉敷飽浦線)沿いの「玉野胸上郵便局」の東、約600mで左折し「胸上」バス停あたりで狭い道に入っていく。とても狭いところもあるので、注意。参道階段前などに駐車スペースあり。
「飯明神(神社)」というのは、「飯盛山」に由来する名だろう。地図には「胸上八幡宮」の東に「飯盛山」の山頂があるように記載されているが、「胸上八幡宮」のある山上が「飯盛山」の峰、東にある峰が「由加山」と呼ばれていたようだ。「由加山」山頂には有名な磐座がある。中世、瑜伽大権現の修験者が由加神社を開いたというが、戦後の台風被害により社殿は失われている。もともとはこちらが旧社地だったかもしれない。
児島郡神社誌(昭和3年4月)では、やはり「胸上八幡宮」と同じ社地にあるが、木造の社殿が別にあり、当社は独立して(旧)村社と記されている。ただし、既に氏子はなく、いわゆる崇敬神社であったようだ。祭神は飯依彦命、飯依姫命だが、中古は「明見宮」と称したという。
なお、鎮座地の「胸上」というのは珍しい名であるが、「宗像神社」のムナ(ムネ)との関連を指摘する説もある。当然ながら、瀬戸内海交通の神としての性格を意識してのことである。

岡山県神社庁のHP(「胸上八幡宮」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04026
「岡山の山と三角点」さんの(飯盛山の「由加神社」址):http://www.geocities.jp/komaithi/b/ntrtamanoiimori.html

ちなみに、讃岐国に式内社「飯神社」がある(香川県丸亀市)。祭神は飯依比古命と少彦名命で、讃岐富士ともいわれる「飯野山」の南西麓にあるが、かつては山上にあったといい、山上には現在も立派な磐座がある。飯依比古は讃岐国の国魂神であるという。


123.天石門別保布羅神社

2008-06-27 22:27:36 | Weblog
天石門別保布羅神社(あめのいわとわけほふらじんじゃ)。
場所:倉敷市福田町広江726。瀬戸中央道「水島」ICから県道62号線(玉野福田線)を西に約2km進み、「スカイライン北口」から県道393号線(鷲羽山公園線。旧「鷲羽山スカイライン」。かつて有料道路だったが、現在は無料化されている。)に入り、山を登っていく。約1kmで鳥居があり、狭い道に入っていくと、十分な駐車スペースがある。
祭神は天手力雄命で、「天石門別」というのはわかるが、「保布羅」は何だろうか。これを説明した資料にまだ出会っていない。
なお、地図には「石洞神社」として載っていることも多い。厳密には、当社社殿前に「霊石」を積み上げた塔があり、これを「釈塔様」というようだ。「石塔」「積塔」から「石洞(しゃくどう)」になったものと思われ、備中にあるような洞窟を祀った神社ではなさそうだ(洞窟があるとは聞かない。)。
むしろ、かつては「天形星社」と呼ばれていたようで、「天形星」と記した扁額がついた鳥居もある。「天形星」または「天刑星」は牛頭天王(武塔神)の別名ともされており、疫病除けの祈願を行ったのかもしれない。
なお、当社のご神体は、径約13cm・高さ約13cmの薄い赤褐色の石(石質不明)であるという(宮司三宅和敬氏の談として、藤井永喜雄著「妙見祭祀状況ー妙見(明見)調査」(1995年11月)に記載。)。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02044


122.都羅比神社

2008-06-27 21:22:36 | Weblog
都羅比神社(つらひめじんじゃ?)。
場所:不明。
「八幡神社」ならば、いくらも現存し、選ぶのが難しいくらいだが、「都羅比神社」となると、同名の神社はなく、比定は困難である。
現在は倉敷市の一部になっている「連島」は近世まで孤島であり、「都羅島」と表記されていたことは地元の人々には常識のようである。したがって、その地区の氏神として「都羅比」神があってもおかしくはない。
ただし、旧児島郡にはかつて4つの郷があったとされており、その1つが「都羅郷」である。その範囲は不明であるが、連島だけでなく、福田、下津井なども含むと推定されている。私見であるが、「郷」はいずれ「荘(庄)」すなわち荘園として開発されるので、連島だけでは狭く、児島の西部がこれに当たるのではないか。都羅郡にある島だから、都羅島と称したということかもしれない。下津井まで都羅郷なら、田土浦坐神社が「都羅比神社」だったとする説も不可能ではない(個人的には疑問。田土浦坐神社の項参照。)。
国内神名帳総社本の脚注に「都羅郷、今備中連島座八幡宮」とある。連島にある八幡宮といえば、通称「矢上り八幡宮」(連島町矢柄)だろう。創建年代は不明であるが、連島一円の総鎮守といわれる古社である。ただ、逆に言えば、往古から「八幡神」であって、「都羅比(姫)」と呼ばれる理由がない。「都羅比神社」を合祀した記録等もないようだ。
連島にもう一つ古社がある。「箆取神社」(連島町西之浦)がそれである。祭神は大綿津見神、豐玉姫命、玉依姫命ということであり、海の神であるが、豊玉姫命と玉依姫命をも祀るという点で、あるいは、と思われる。

岡山県神社庁のHP(「矢上り八幡宮」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02052
同(「箆取神社」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02048

121.八幡神社(旧児島郡)

2008-06-26 23:39:47 | Weblog
八幡神社(はちまんじんじゃ?)。
場所:不明。
神名帳の旧児島郡「八幡明神(神社)」が、式内社鴨神社(玉野市)とは別だとすると、ほかに探さなくてはならない。しかし、八幡神社又は八幡宮と称する神社は児島地区でも相当数ある。
神名帳西大寺本の一つ「明治七年注進本」には、「曾原村」という脚注がある。また、「総社本」には、「三家郷小林庄清瀧座シヲ、今曾原村ニ遷奉、児島総鎮座氏子二十二ヶ村アリ」との脚注がある。根拠が不明で、後世の脚注であろうから、そのまま信じることはできないが、これを信じるなら、児島一島の総鎮守といわれた通称「清田八幡神社」であろう。旧児島郡最古の八幡神社ともいわれており、ありそうなことである。
一方、岡山県神社庁のHPによれば、「鴻八幡宮」(「鴻の宮」)が、神名帳所載の「八幡明神」であると主張されている。同社は旧県社であり、少なくとも近世以来は旧児島郡内で最も隆盛していたといえるだろう。なお、「岡山県神社誌」(昭和56年4月)では、神名帳云々には全く触れられていない。
ほかに、「本荘八幡宮」(「通生八幡」)も大宝元年(701年)豊前国宇佐宮から勧請したという古社である。
ちなみに、「児島郡神社誌」(昭和3年4月)では、「清田八幡神社」が「式外」「神名帳所載の八幡明神」であるとされており、「鴻八幡宮」のほうは「大宝元年宇佐ノ宮から勧請したという・・・が、諸書には見えない。」などと書かれており、神名帳云々には触れられていない。

岡山県神社庁のHP(八幡神社(清田八幡)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06017
同(鴻八幡宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06035
同(本荘八幡宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06005

120.木華佐久耶比神社

2008-06-26 22:25:34 | Weblog
木華佐久耶比神社(このはなさくやひめじんじゃ)。
場所:倉敷市福江1671-4。瀬戸中央自動車道「水島」ICの南、約2km。県道21号線(岡山児島線)を南下し、福林湖の北端の堤防上の道路を左折(東へ)してもよいが、その先の交差点で「サノヤス福南山団地」方面(当社の案内板も出ている。)に左折するほうが道路もやや広く安全。駐車場あり。
岡山県神社庁のHPでも触れられているように、修験道の「新熊野五流」(修験道総本山「五流尊瀧院」は当社の北、自動車で約5km。)との関係が深かったようだ。往古は福南山山上にあり、「福南山明現宮」と称されていた。現在も山上に奥宮があり、その石鳥居の扁額は「福南山明現宮」となっているという(未見)。また、現在の社殿は北西を向いているが、山上にあるときは南面していたという。
なお、福南山は別名「狗浜山(ぐひんさん)」(本来は「狗賓山」か)といい、当社の式神に12天狗があり、それぞれ「○○坊」と名がついていた、という。これも修験道ないしは山岳信仰との関連を示すものと言えよう。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06018

119.玉比神社

2008-06-26 21:33:58 | Weblog
玉比神社(たまひめじんじゃ)。
場所:玉野市玉5-1-17。玉野市役所の南西、約2.5km。国道430号線沿い「玉比メ神社前」交差点に面する。「玉野市市民会館」の隣にあり、その駐車場に駐車可。
臥龍山の山麓ではあるが、十分「街なか」と言える場所にこんな巨大な岩があることにまず驚く。この巨岩だけを「立石神社」として祀っている。
万葉集にも歌われた「玉の浦」はこの辺りのことだとする説もあり、もともと、この巨岩「立石」も浜辺にあり、波に洗われていたと言われている。また、臥龍山山腹に「臥龍稲荷神社奥宮」があるが、それが磐座であるとされている。
海岸線からやや離れたが、往古から海の交通の守護神であっただろう。なお、現在は、安産の神様でもある。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04004

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-034.html


写真上:「玉比神社」の巨岩


写真中:上の写真の反対側。「立石神社」として巨岩を祀る。


写真下:「臥龍稲荷神社」。磐座?