備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム267.一宮(その30・上総国・玉前神社)

2012-06-28 23:47:46 | Weblog
玉前神社(たまさきじんじゃ)。
場所:千葉県長生郡一宮町一宮3048。JR外房線「上総一ノ宮」の北西、約500m。国道128号線「玉前神社前」交差点を西に少し入る。駐車場有り。
永禄5年(1562年)の兵火のために古文書類が焼失したため、創建時期等は不明。一説によれば、境内にある御神水は「白鳥の井戸」と呼ばれるが、これは日本武尊が一羽の白鳥となって上空に現れ、白く美しい羽がこの井戸に舞い落ちたという。こうした所縁を知った景行天皇が当神社を創建したとされる。
当神社の東にある九十九里浜は、かつては「玉の浦」と呼ばれ、当地はその南端にある。「玉前」(玉崎)という名は、これに因むもの。祭神も玉前神=玉依姫命(タマヨリヒメ)とされるが、1200年以上続くとされる神幸祭(十二社祭)では大宮・若宮という2基の神輿が出御することから、1つは玉依姫命、もう1つは鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)(神武天皇という説もある。)であるとして、この2神を祀るともいわれる。ウガヤフキアエズは神武天皇の父神に当たるから、ヤマト政権による東国平定の守護神であることには違いないが、日本武尊との関係はやや薄い気がする。おそらく、玉依姫命も後付けで、原始には単に水上交通・漁労の神であったように思われる。
国造本紀によれば、成務天皇の時代に阿波国造の祖・伊許保止命(イコホト)の孫である伊己侶止命(イコロト)が伊甚(いじむ、いじみ)国造に任じられたというが、その本拠地が当地・上総国埴生郡(現・長生郡、茂原市の一部)であったとされる。阿波国造は安房国(千葉県南部)を支配した一族で、その同族ということになる。「玉前神社」は、海伝いに西からやってきた海人一族が奉斎した神社だったのだろうと思われる。
ともあれ、延喜式神名帳に記載されて式内社・名神大社として篤い信仰を集め、現在までも崇敬を受けている。


玉前神社のHP

玄松子さんのHPから(玉前神社)


写真1:「玉前神社」一の鳥居。社号標は「上総国一之宮 玉前神社」。鳥居は東向き、即ち、海(九十九里浜)の方を向いている。


写真2:二の鳥居


写真3:社殿は黒漆塗の権現造という珍しいもので、貞享4年(1687年)に建立されたもの。千葉県指定有形文化財。参拝時には、平成の大修理中で、全面にシートが張られていた。(社殿は南向き)


写真4:境内の塚。当神社の公式HPにも何の説明もないが、古墳であるという説もある。露出した岩をみると、磯の岩である。これが元々あったものなら、かつては当神社の目の前まで海が迫っており、当神社は正に岬の上に鎮座していたのではなかろうかと思われる。


写真5:天台宗「玉崎山 観明寺」山門。江戸初期の四脚門で、一宮町最古の建築物といわれ、一宮町指定文化財。「観明寺」は、天平6年(734年)行基菩薩の開基、慈覚大師の中興という。「玉前神社」の南側にあり、江戸時代までは当神社の別当寺だったようだ。

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