備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

103.青陵神社

2008-06-21 22:36:37 | Weblog
青陵神社(あおはかじんじゃ)。
場所:岡山市北区谷万成2-439。国道180号線沿いにあり、「北ふれあいセンター」の東あたりだが、こちらは社殿の裏側。参道階段は、谷に下り、「万成病院」の向かい側(西)にある。しかし、駐車場はないので、どこか安全なところに駐車して、徒歩でアプローチ。
前方後円墳の後円部に鎮座しているが、もとは前方部に社殿があったという。住宅や道路開発で古墳の面影はあまり残っていないが、社殿の隣に石棺が置かれている。
吉備津彦命と温羅との戦いの際に討たれた二頭の鬼の首を葬ったところといわれており、当社には二つの鬼の面が伝わっており、その面の裏に「青陵神殿」と書かれていたという。祭神は「青陵神」となっているが、説明板には「御神体は吉備津彦命の御舎弟硫王とみなされ、温羅夫婦は五穀豊穣の守護神として併祀されている。」と記されている。なお、当社の北約1kmのところ(岡山市北区首部236)に「白山神社」があり、神名帳には記載がないが、境内に温羅の首塚という盛土がある。
地図で見ると、「京山」という山の東側に式内社「尾針神社」、南側に式内社「國神社」、そして西側に当社があることになる。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01015

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-050.html

コラム10.金山寺の境内にある神社

2008-06-21 21:30:00 | Weblog
金山寺は、正式には「銘金山観音寺遍照院」という。所在地は、岡山市北区金山寺481。半ば伝説的な僧「報恩大師」の創建になり、創建当時は法相宗に属したが、1回目の入宋から帰国した「栄西」により天台宗に改められた。栄西は2回目の入宋の後、臨済宗の開祖となったが、もともと天台宗葉上流の開祖でもある。ちなみに、栄西は備中国吉備津神社の権禰宜賀陽氏の出身であるとされている。
「金山神社」の項で触れたが、金山寺は康治元年(1142年)に現在地に移されたが、栄西が1回目の入宋から帰国したのが嘉応年間(1169~1170年)であるということなので、ちょうど移転のすぐ後になる。栄西が当寺の中興の祖とされる所以である。
さて、当寺の本堂は天正3年(1575年)頃の建造とされており、国指定重要文化財となっている。その本堂の後ろに鎮守社がある(写真)。岡山市史によれば、中央は、天台宗お決まりの「山王宮」だが、それと並んで3つの小祠があり、「牛王宮」、「竜王宮」、「石山明神」であるとされている。向かって右端の神社が「石山明神(神社)」で、これは岡山城拡張のため、寛永5年(1628年)に移されたという。ただし、現在、見に行くと小祠は2つしかない。
岡山市北区畑鮎(牧石小学校辺りから金山寺に上る県道の途中)にある「石鉄神社」(いしづちじんじゃ。神社と通称されているが、伊予国前神寺(石槌権現)と同じ真言宗の寺院である。)のお滝場(行場)に「蔵王大権現」として勧請されたともいう。

102.金山神社

2008-06-21 21:28:54 | Weblog
金山神社(かなやまじんじゃ?)。
場所:不明。少なくとも現在、旧三野郡に「金山神社」と称する該当の神社はない。神名帳の写本の中には「金山寺村」と脚注しているものがあるが、現在、同地には、神社は八幡宮(通称「金山八幡」:岡山市北区金山寺493))しかない。
「金山」といえば、岡山市市街地の北にある霊山であり、備前48ヶ寺の根本道場であった「金山寺」が現存する。もともと「金山寺」(天平勝宝元年(749年)開創)は金山の山頂にあったが、延久元年(1069年)に本堂等が焼失し、康治元年(1142年)に山腹の現在地に移された。また、戦国時代、備前金川城主松田氏から日蓮宗改宗を迫られて拒絶した結果、焼き討ちに遭い全山灰燼に帰したという。その後、宇喜田直家の保護を受けて再建された。
さて、金山の山頂には現在「妙見宮」がある(写真)。社殿の真後ろに三角点がある。近くには磐座があり、名称はともかく、これが金山の神社の原型だろうとする説もある。要するに、古代から金山は霊山であり、だからこそ、報恩大師がここに寺を開山したのであろう。そして、その鎮守として「金山神社」を勧請したこともあり得るのではないか。
金山「妙見宮」へは、国道53号線「辛香」(運転免許センター近く)から、あるいは、牧石小学校から、県道386号線(津高法界院停車場線)山頂目指して登って行く。閉鎖された「金山休暇村センター」の跡にある。
なお、金山の北西麓に古社「金山鳴瀧神社」があるが、その近くにある(ほとんど隣接)日蓮宗「臥龍山道林寺」に伝教大師作の「妙見尊像」が伝わるという。これは、大覚大僧正から松田左近将監元喬に与えられたというもので、元は金山の頂上に安置されていたとされる。松田氏は日蓮宗への改宗を迫って「金山寺」を焼き討ちした一族である。そうすると、金山山頂にあった本来の「金山神社」を追い出し、日蓮宗の影響下に神仏混淆した「金山妙見宮」を勧請したのかもしれない。であれば、「金山神社」の元宮は「金山妙見宮」のところにあったが、「金山神社」は別のところに移された(例えば、「金山八幡宮」に。)ということも考えられる。


写真上:金山妙見宮の鳥居


写真中:拝殿(事務所みたいだが。)


写真下:本殿

101.尾治針名真若比神社

2008-06-21 20:26:55 | Weblog
尾治針名真若比神社(おちはりなまわかひめじんじゃ)。
場所:岡山市北区津島本町20-8。岡山大学の東に日蓮宗不受不施派の大寺「妙善寺」がある(JR「岡山」駅から「妙善寺行き」のバスもある。)。その正面左に急な、狭い道路があり、そこを上って行く。急な斜面だが、住宅が連なっており、行き止まりに当社がある。駐車場はないが、参道階段前に1台くらいは駐車できるスペースがある。
式内社だが、やはり江戸時代までに所在不明となっていた。岡山市北区北方にある「御崎宮」(式内社「天計神社」の近くにある。)の境内社となったとの説もあるが、根拠ははっきりせず、疑問と思う。現在地には天津神社があったが、当社の別称である「尾張針田明神」が地名の元になっている「半田山」の清浄な地に当社の旧社地を探した結果、現在地に当社が再興されたとのこと。
近くに古墳もあり、その名から尾張氏との関連が考えられることから、このあたりも往古から開けていた土地なのだろう。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01046

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-012.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/ojiharina_title.htm

100.石門別神社(岡山市北区大供表町)

2008-06-21 19:40:54 | Weblog
石門別神社(いわとわけじんじゃ)。
場所:岡山市北区大供表町3-30。鹿田小学校の南、県道173号線から一本北側の道路に面するが、当社の前あたりから急に狭くなっている。境内に駐車場があるが、入り口がわかりにくい。鳥居正面の少し左(北)から入るようだ。
旧三野郡には「石門別神社」という名の式内社が2社あり、もう1社は現在、岡山市北区奥田にある。どちらも、現在地は住宅密集地にあり、「石(岩)」らしきものは何もない。いずれも、江戸時代までに廃絶しており、「戸隠宮」と称されていた当社がその1社に充てられたものとみられる。したがって、現在の祭神は天石門別命であるが、もとは手力雄命だったのではないかとも考えられる。
「祭祀から見た古代吉備」(薬師寺慎一著)によれば、当社がもとは「大安寺山」(現在の矢坂山)にあった、とされるところから、その一枝峰である「万成山」の頂上にあったという「北向八幡宮」の元宮の磐座こそが当社であった、と推定している。そして、中世、備前国守護であった松田氏が万成山に城(「富山城」)を築いており、その松田氏の支流が鹿田荘(現在の岡山市北区大供)に本拠を置いて鹿田氏を名乗ったとき、万成山から当社を勧請したのではないか、としている。今でも万成山で産出される「万成石」は、その色から「桜御影石」と呼ばれて珍重されていることから、なるほどと思われるところがある。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01002

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-027.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/iwato2_title.htm

99.國神社

2008-06-21 18:53:26 | Weblog
國神社(くにじんじゃ)。
場所:岡山市北区三門中町5-1。JR吉備線「備前三門」駅の北東、徒歩約400m。国道180号線と平行して北にある、やや狭い道路に面している。狭い道路、水路、古風な家並と、いかにも旧道という雰囲気。公式には駐車場はないことになっているが、水路を渡り(神橋?)、鳥居の前に数台分のスペースがあり、いつも1~2台は駐車している。
当社も式内社だが、江戸時代には既に廃絶しており、明治時代になって再興されたようだ。長い石の階段を上って行くが、南側(社殿も南面している。)が開けており、眺めがよい。往古も、旧山陽道を見下ろしていたのだろう。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01013

Web魁さんのHP(ただし、説明文は天計神社(岡山市)のもの):http://websakigake.sakura.ne.jp/05-107.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/kuni_title.htm

98.天計神社(岡山市)

2008-06-21 11:49:21 | Weblog
天計神社(あまはかりじんじゃ)。
場所:岡山市北区中井町1-5。御野小学校の北東隣。地図には「神宮寺山古墳」として記載されていることも多い。東側に「ワイワイ倶楽部」というゴルフ練習場があるが、その面する道路沿いではなく、水路を隔てた狭い道沿いにある。鳥居横に1台程度は駐車できそうだが、公式には駐車場はなく、周囲は住宅地であるので、できれば徒歩等でアプローチ。
伊勢神社(岡山市北区番町)の北、約1km。また、天神社(岡山市北区三野本町)の南、約1.5km。
岡山市内でも平地には珍しい前方後円墳の、後円部の頂上部に鎮座しているが、もとからここにあったわけではなく、もとは「幸田畑」というところにあり、小早川秀秋が現在地に遷座させたという。前方部はかなり削り取られているが、当社のある後円部はきれいな小山となっている。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01012

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/05-106.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/tenkei_title.htm

97.伊勢神社(岡山市)

2008-06-21 10:37:33 | Weblog
伊勢神社(いせじんじゃ)。
場所:岡山市北区番町2-11-20。トマト銀行本店の東、約400m。駐車場あり。
岡山市市街地中心部からやや北方にあり、周辺は岡山空襲の際も被災しなかったので、周囲を含めて何となく古風な印象を残す。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01007

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-013.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/ise_title.htm