備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

124.飯神社

2008-06-27 23:10:52 | Weblog
飯神社(いいじんじゃ?)。
場所:玉野市胸上1503。通称「胸上八幡宮」の境内末社。地図上では「東児が丘マリンヒルズゴルフクラブ」クラブハウスの南辺り。県道74号線(倉敷飽浦線)沿いの「玉野胸上郵便局」の東、約600mで左折し「胸上」バス停あたりで狭い道に入っていく。とても狭いところもあるので、注意。参道階段前などに駐車スペースあり。
「飯明神(神社)」というのは、「飯盛山」に由来する名だろう。地図には「胸上八幡宮」の東に「飯盛山」の山頂があるように記載されているが、「胸上八幡宮」のある山上が「飯盛山」の峰、東にある峰が「由加山」と呼ばれていたようだ。「由加山」山頂には有名な磐座がある。中世、瑜伽大権現の修験者が由加神社を開いたというが、戦後の台風被害により社殿は失われている。もともとはこちらが旧社地だったかもしれない。
児島郡神社誌(昭和3年4月)では、やはり「胸上八幡宮」と同じ社地にあるが、木造の社殿が別にあり、当社は独立して(旧)村社と記されている。ただし、既に氏子はなく、いわゆる崇敬神社であったようだ。祭神は飯依彦命、飯依姫命だが、中古は「明見宮」と称したという。
なお、鎮座地の「胸上」というのは珍しい名であるが、「宗像神社」のムナ(ムネ)との関連を指摘する説もある。当然ながら、瀬戸内海交通の神としての性格を意識してのことである。

岡山県神社庁のHP(「胸上八幡宮」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04026
「岡山の山と三角点」さんの(飯盛山の「由加神社」址):http://www.geocities.jp/komaithi/b/ntrtamanoiimori.html

ちなみに、讃岐国に式内社「飯神社」がある(香川県丸亀市)。祭神は飯依比古命と少彦名命で、讃岐富士ともいわれる「飯野山」の南西麓にあるが、かつては山上にあったといい、山上には現在も立派な磐座がある。飯依比古は讃岐国の国魂神であるという。


123.天石門別保布羅神社

2008-06-27 22:27:36 | Weblog
天石門別保布羅神社(あめのいわとわけほふらじんじゃ)。
場所:倉敷市福田町広江726。瀬戸中央道「水島」ICから県道62号線(玉野福田線)を西に約2km進み、「スカイライン北口」から県道393号線(鷲羽山公園線。旧「鷲羽山スカイライン」。かつて有料道路だったが、現在は無料化されている。)に入り、山を登っていく。約1kmで鳥居があり、狭い道に入っていくと、十分な駐車スペースがある。
祭神は天手力雄命で、「天石門別」というのはわかるが、「保布羅」は何だろうか。これを説明した資料にまだ出会っていない。
なお、地図には「石洞神社」として載っていることも多い。厳密には、当社社殿前に「霊石」を積み上げた塔があり、これを「釈塔様」というようだ。「石塔」「積塔」から「石洞(しゃくどう)」になったものと思われ、備中にあるような洞窟を祀った神社ではなさそうだ(洞窟があるとは聞かない。)。
むしろ、かつては「天形星社」と呼ばれていたようで、「天形星」と記した扁額がついた鳥居もある。「天形星」または「天刑星」は牛頭天王(武塔神)の別名ともされており、疫病除けの祈願を行ったのかもしれない。
なお、当社のご神体は、径約13cm・高さ約13cmの薄い赤褐色の石(石質不明)であるという(宮司三宅和敬氏の談として、藤井永喜雄著「妙見祭祀状況ー妙見(明見)調査」(1995年11月)に記載。)。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02044


122.都羅比神社

2008-06-27 21:22:36 | Weblog
都羅比神社(つらひめじんじゃ?)。
場所:不明。
「八幡神社」ならば、いくらも現存し、選ぶのが難しいくらいだが、「都羅比神社」となると、同名の神社はなく、比定は困難である。
現在は倉敷市の一部になっている「連島」は近世まで孤島であり、「都羅島」と表記されていたことは地元の人々には常識のようである。したがって、その地区の氏神として「都羅比」神があってもおかしくはない。
ただし、旧児島郡にはかつて4つの郷があったとされており、その1つが「都羅郷」である。その範囲は不明であるが、連島だけでなく、福田、下津井なども含むと推定されている。私見であるが、「郷」はいずれ「荘(庄)」すなわち荘園として開発されるので、連島だけでは狭く、児島の西部がこれに当たるのではないか。都羅郡にある島だから、都羅島と称したということかもしれない。下津井まで都羅郷なら、田土浦坐神社が「都羅比神社」だったとする説も不可能ではない(個人的には疑問。田土浦坐神社の項参照。)。
国内神名帳総社本の脚注に「都羅郷、今備中連島座八幡宮」とある。連島にある八幡宮といえば、通称「矢上り八幡宮」(連島町矢柄)だろう。創建年代は不明であるが、連島一円の総鎮守といわれる古社である。ただ、逆に言えば、往古から「八幡神」であって、「都羅比(姫)」と呼ばれる理由がない。「都羅比神社」を合祀した記録等もないようだ。
連島にもう一つ古社がある。「箆取神社」(連島町西之浦)がそれである。祭神は大綿津見神、豐玉姫命、玉依姫命ということであり、海の神であるが、豊玉姫命と玉依姫命をも祀るという点で、あるいは、と思われる。

岡山県神社庁のHP(「矢上り八幡宮」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02052
同(「箆取神社」):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=02048