備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム255.鳥人幸吉の墓(その1)

2010-10-31 21:00:00 | Weblog
鳥人幸吉の墓(ちょうじんこうきちのはか)。神様ではないが、世界で最初に空を飛んだ偉人、浮田幸吉(備前国出身)の墓が静岡にあると聞いて、見に行った。
武田山福泉寺(たけださんふくせんじ)。場所:静岡県静岡市葵区大工町4-1。国道362号線(通称:昭和通り)と県道208号線(通称:本通り)の「本通三丁目」交差点の2つ南の交差点を西へ入る。駐車場有り。
武田山福泉寺は浄土真宗大谷派の寺院で、東本願寺末。本尊は阿弥陀如来。開山の慶伝大徳法師は甲府の出身で、武田信玄の孫となり、武田信玄が永禄11年(1568年)に駿河国に侵攻・占領したことから、その頃に駿河国に来たらしい。元は、慶長11年(1606年)、江尻宿(現・静岡市清水区)に長延寺として建立したが、同15年(1610年)に駿府(現・静岡市葵区)に移り、福泉寺と改称した。
さて、浮田幸吉は、宝暦7年(1757年)に備前国児島郡八浜村の旅籠宿「桜屋」瀬兵衛の次男として生まれた。幸吉が7歳のときに父が急死したので、親戚の傘屋に引き取られた。もともと手先が器用で、傘張りや提灯張りに優れた技量を示したが、次いで岡山城下、上ノ町の表具屋万兵衛の店に住み込んだ(このとき15歳)。あるとき、鳩が飛ぶのをみて自らも飛ぶことを思い立ち、鳩の飛翔方法を研究して、人工の翼を作った。27歳のとき、実家の「桜屋」の屋上から初めての飛翔を試みたが、あえなく失敗。その後も研究を重ね、ついに、天明5年(1785年。幸吉28歳)、旭川に架かる京橋の欄干から飛びたち、河原を旋回した。このとき、河原では奈良茶行事の夜宴が開かれており、その群集のなかに落ちてしまった。城下を騒がせたということで捕らえられ、岡山を所払いとなった。いったん児島に戻ったが、結局、駿河国の府中・江川町に移住し、「備前屋」の屋号で、岡山の特産品である木綿製品を商った。その後、甥の幸助を養子にとって隠居した幸吉は、オランダのゼンマイ時計を扱う時計師竜考斎に弟子入りして、時計の修理や入歯作りを学んだ。「備考斎」と名乗ったが、入歯作りの腕前がよく、駿府では入歯師一般のことを「ビンコーサイ」というようになったほどだという。
浮田幸吉の墓には、台座に「浮田」、「備前屋」、「備考斎 行年六十八歳」などの文字が彫られ、右側面に「嘉永四辛亥三月廿五日 備前児島郡八浜 桜屋瀬兵衛倅幸吉」と刻されているのがみえる。嘉永4年というのは1851年だから、幸吉の生まれたのが1757年とすると、享年は94歳になってしまう。そこで、この墓は2代目幸吉(養子の幸助)の墓だともいう。(続く)


写真上:「福泉寺」


写真中:浮田幸吉の墓。新しい台座の上に古い墓石が載せられている。


写真下:側面