備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム126.岩間山本山寺、金刀比羅山

2009-02-01 22:47:21 | Weblog
岩間山本山寺(いわまさん ほんざんじ)。
場所:久米郡美咲町定宗403。
式内社「宗形神社」(赤磐市)から中国自然歩道を西へ約5km進むと、天台宗の古刹「岩間山本山寺」に着く(写真上・中)。「本山寺」は、役行者小角の修行した跡といわれ、大宝元年(701年)に頼観上人が「新山寺」を建てたが、その後に鑑真和上が来て「本山寺」と改めたという。平安時代に一時荒廃したが、後に真道上人・古道上人らが復興して隆盛になり、天永元年(1110年)に現在地に移転。最盛時には120坊があったとされる(現在は本坊「遍照院」のみ。)。浄土宗の開祖法然上人は、その両親が子無きを嘆き当寺に参詣祈念したところ懐妊した子である、という逸話もある。天台宗の寺院(しかも山上伽藍)で、本尊は十一面観音菩薩ということなので、これが備前国にあれば「備前48ヶ寺」に数えられていたかもしれない(現所在地は久米郡美咲町なので、美作国)。
元の「新山寺」は、現在地の南にある「金刀比羅山」(480m)の南東斜面にあったらしい。現在も、「金刀比羅山」山頂付近には「本山寺」の奥院がある。立派な岩があり(写真下)、岩の上には不動明王の石像が置かれている。ところで、「改訂岡山県遺跡地図<第9分冊>東備地区」(昭和15年3月)によれば、古社「剣抜神社」跡は「金刀比羅山」の山頂にあるとされている。「社前に積石塚があったと伝える。その跡に大理石の宝殿が建てられている。」とも記されているが、見落としたか、現地にはそれらしいものは見当たらなかった。「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、文化の頃(1804~1817年)に長さ3尺6寸強の片刃直刀1口が発掘されたといい、土器の破片もあったので、ここに古墳があったのだろうとする。ここも「高ノ峰」に劣らぬ聖地だったのだろう。
余談だが、「岩間山本山寺」の頼賢という僧が「宗形神社」の境内に「大宮山神宮寺念仏庵」という寺を建立して、神社の社務を行った。後の住持が村人とトラブルを起こして出奔したので、現・赤磐市黒本に移した。これが現在の「和田山聖観寺無量院」であるという。かつては「宗形神社」にも神仏混淆の時代があったということであろう。


「日本すきま漫遊記」HPから(本山寺):http://www.sukima.com/14_sanyou01_07/17honzanji001.htm


写真上:岩間山本山寺本堂(1350年建立。国重文)


写真中:同三重塔(1562年建立。これも国重文)


写真下:本山寺奥院の磐座? ひょっとすると、「剣抜神社」の磐座か?

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1 コメント

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歴史深く (まる)
2013-06-19 12:49:06
現実社会の中、考えまとまらず、つまづいた時はその地を
訪れます

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