備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

117.田土浦坐神社

2008-06-25 23:21:32 | Weblog
田土浦坐神社(たつちのうらにましますじんじゃ)。
場所:倉敷市下津井田之浦1-15-30。瀬戸中央自動車道「児島」ICの南、約2km。料金所を出て南下、県道393号線を左折(東へ)、瀬戸大橋の下を潜る手前で右手の坂を下へ降りていくと当神社社殿前に出る。駐車スペースあり。
式内社だが、国内神名帳西大寺本には当神社の名がない。当神社を総社宮合祀128社に含める場合には「都羅比呼明神」を当神社に当てる。
当神社が式内社「田土浦坐神社」に比定されたのは、地名の「田之浦」と神社名の「田土浦」の類似が大きい。瀬戸内海に突き出た鷲羽山の西にあり、海交通の神として祀られるのには十分な理由はある。しかし、確実な証拠はなく、近世以降「新庄八幡宮」の摂社となり、祭神も実際には不明となっていた。旧無格社。
そういうなかで、当社を「都羅比呼明神」(「都羅比神社」)とする根拠を示した資料にはまだ出会っていない。中古、旧児島郡には「都羅郷」が存在したが、当社が所在する「下津井」地区も「都羅郷」に含まれるとすれば、その氏神、地主神等であった可能性はある。「都羅郷」の範囲が不明だが、かつて文字通り島であった「連島」地区だけとする説もある。また、現在の祭神は「大綿津見神」とされており、「比」(ひめ)ということとも合わない。
上記のことから、「下津井」地区も「都羅郷」にふくまれ、祭神も今とは異なる(例えば、海の神としても「宗像三女神」や「豊玉毘売命」であったとすれば、どうだろう。)とすれば、あり得るかもしれない。


岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06001
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-033.html

神ナビさんのHP:http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/tatsuchiura/tatsuchiura.htm

116.鴨神社(玉野市)

2008-06-25 22:04:26 | Weblog
鴨神社(かもじんじゃ)。
場所:玉野市長尾1173・1174。JR「常山」駅から南へ約4km。県道427号線(槌ヶ原日比線)と県道62号線(玉野福田線)がぶつかる「長尾」交差点(南西角にコンビニ「サークルK玉野長尾店」がある。)を、東の狭い道路に入る。約400mで当社参道入り口に至る。そのまま奥に進めば、正面に社殿。駐車場あり。
式内社であるが、国内神名帳西大寺本にはその名がない。単に欠落している、としない場合は、「八幡明神」を充てる。当神社はもともと、平安時代初頭に大和国葛上郡加茂に鎮座する「高加茂神社」の神を勧請し創建されたもの。鎌倉中期の貞永2年(1233年)、宇佐八幡宮を勧請して合祀し、以来「八幡宮」と称した、という。当神社の宝物に「かものみや」と記された金幣があり、これにより当神社が式内社「鴨神社」と認められた経緯がある。
こうしたことから、国内神名帳の「八幡明神」=当社とする説が出てくる。国内神名帳所載の神社は中古、多くが「八幡宮」と称したことがわかっており、式内社といえども例外ではないわけだが、なぜ当神社だけが「八幡明神」とされなければならなかったのか。疑問を感じる。
いずれにせよ、当神社の前に立ち、背後に聳える「鴻巣山」の威容をみれば、式内社であることを納得させられる。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04016
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-035.html

神ナビさんのHP:http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/kamotamano/kamotamano.htm

コラム12.旧児島郡は9社?、それとも11社?

2008-06-25 20:47:05 | Weblog
備前国内神名帳128社の現在社の比定の上で最も問題なのが、旧児島郡である。西大寺本には式内社である鴨神社と田土浦坐神社の名がない。総社本は、西大寺本の9社に、この2社を加えたものとみてよい(この2社には「右二所在神祇官」とちゃんと記されている。)。
国内神名帳と延喜式は成立時期が異なるのだから、式内社といえども、総社宮に合祀されない神社があってもよいだろう、と考えれば特に問題はない。しかし、私見では、西大寺本は、写本するときに、うっかり書き漏らしてしまったのではないか、と思う。
西大寺本の記載を優先する場合は、「八幡明神」を「鴨神社」に、「都羅比呼明神」を「田土浦坐神社」に充てる。それぞれの項で再度触れたいが、それなりに根拠が無いわけではないようだが、やや無理がありそうな感じだ。
それと、もう一つ。旧児島郡には、郡の「総社宮」が現存する(写真)。極めて珍しい例で、児島の民の信仰心の篤さと経済力が背景にあったと思われるが、それはそれとして、ここで合祀されているのが11社であるということである。
以上のことなどから、「11社」説が正しいと思うが、その場合の難問は、「八幡神社」と「都羅比神社」がどの神社であったか、ということである。備前国総社宮の武部宮司も「不明」としておられるようだ。

岡山県神社庁のHP(旧児島郡の総社宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01025

115.金山鳴瀧神社

2008-06-25 20:14:22 | Weblog
金山鳴瀧神社(かなやまなるたきじんじゃ)。
場所:岡山市北区御津中山980。岡山市市街地から国道53号線を北上し、県道386号線(津高法界院停車場線。こちらを進むと金山寺方面)入り口(運転免許センター)付近から、国道を北へ約2km。押しボタン式信号のある「中山」交差点を右折(東へ)。その先、狭い道路を南東に進むと当社に着く。ただし、駐車場はなく、狭い道路を行きたくない場合は、交差点から入ったところあたりで駐車し、徒歩でそのまま少し登ると「右 道林寺 妙見道」という石碑があるので、右手に進むと「道林寺」の南隣に当社がある。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は鳴瀧大神、応神天皇、天照大御神、春日大神で、旧村社。「金山から落ちたぎり、中山の村間を清く流れる滝の下に鎮座して、滝津瀬を司り、公田の用水を守護する神様であるから、金山鳴瀧神と尊称すると申伝えている。」
ただし、「落ちたぎる」ほどの滝がどこにあるのか、よくわからない。
ところで、「道林寺」は京都妙覚寺直来、備前四本寺の一つで、寺内に奉祀の妙見の尊像は伝教大師の作という。金山の頂上に祀っていたが、明和・寛政のころ境界争いが三十年続き、道林寺住職日近がひそかに同寺に安置したという。現在、金山山頂には妙見宮がある。(「金山神社」の項参照)

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-085.html