備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム57.日光山正楽寺

2008-09-22 21:30:12 | Weblog
日光山正楽寺(にっこうさん しょうらくじ)。高野山真言宗の寺院で、本尊は十一面観音(恵心僧都作と伝える。)。寛文6年(1666年)に「千手院」1坊となり、以来、単に「正楽寺」と称する。なお、現在では、少し離れた備前市穂波に「柳青院」と「正智院」がある(末寺?)。
場所:備前市蕃山1305。県道397号線(寒河本庄岡山線)、いわゆる「岡山ブルーライン」の終点「蕃山IC」を下りて、すぐ北の「蕃山」交差点を右折(東へ)、約500m。駐車場あり。
天平勝宝年間に報恩大師が開基した備前48ヶ寺の1つとされるが、寺伝では、正安2年(1304年)に信賢上人が中国・西安の青竜山から霊土を持ち帰り、現在地に「勝楽寺」という寺院を建立したという。このときの本尊は千手観音であり、寺坊は24坊あったとされる。その後、寺勢は衰微し、天和元年(1681年)にはすべて焼失してしまったが、岡山城の艮(うしとら)=鬼門の方角に当たるとして、岡山藩の祈願所として再建された。
大谷川が流れる谷沿いにあり、この大谷川を下っていくと、南西約3kmのところに国内神名帳所載の古社「石立神社」がある。


「岡山寺院名簿」HPから(正楽寺):http://www.kukai.org/shorakuji/index.htm

コラム56.平満山石蓮寺(廃寺)

2008-09-22 21:24:48 | Weblog
平満山石蓮寺(ひらまさん しゃくれんじ?)。石蓮寺山山上にかつて20数坊があったというが、寛文年間(1661~1672年)に廃寺となった。鎌倉時代のものといわれる石造十三重層塔のほかは、立派な日吉神社(下記HP参照)が残っているのみであるが、「石蓮寺みんなの森」公園として整備されており、眺望がよく、桜の名所という。
場所:赤磐市石蓮寺743(「石蓮寺みんなの森」)。県道403号線(町刈田熊山線)から美作岡山道路「熊山IC」に入る交差点の1本手前(西)の道路(入り口に「石蓮寺石造十三重層塔」の案内板がある。)を北に曲がって上って行く。途中から大きく西に方向を変えて上って行くので、遠く感じる。入り口から約3kmで、石塔前に到着。駐車場あり。狭い道路だが、ほぼ1本道で、要所に案内板があるので、迷うことはない。
石塔の前あたりから眼下を見下ろすと、県道403号線は往古も重要な往来だったと思われる。それは、国内神名帳所載の古社が並んでいるからで、東から「雨引神社(御所宮)」(沢原)、「八幡和気神社」(佐古)、「於奠神社」(可真下)、「験田神社」(可真上)、「神根歳彦神社」(大刈田)・・・。
石蓮寺山はさして高い山ではない(海抜271m。なお、三角点は石蓮寺跡よりやや西にある。)が、天気が良ければ、遠く金甲山や四国の五剣山まで見えるらしい。

「GONchan'sぶらり見てある記」さんのHPから(「石蓮寺みんなの森」):http://urachan.hp.infoseek.co.jp/kumayama-keikan01.htm

岡山県神社庁のHPから(日吉神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10089


写真上:石造十三重層塔


写真下:日吉神社


コラム55.吉乗山石井寺(現・大乗山妙林寺)

2008-09-20 19:57:03 | Weblog
大乗山妙林寺(だいじょうさん みょうりんじ)。今は日蓮宗誕生寺派の寺院であるが、かつてここに吉乗山石井寺(きちじょうさん いしいじ)という寺院があったという。殆ど資料がないので、あくまでも推測だが、中世には天台宗又は真言宗の寺院であったが、備前松田氏(もともと伊福郷の地頭であったという伝承がある。)により日蓮宗に改宗させられた。しかし、松田氏が宇喜多氏に滅ぼされると、衰退した。一方、池田光政公が国替えの時、鳥取から日意上人伴い、寛永9年(1632年)山崎町に寺院を創立させたのが妙林寺の起こり。その後、寛文6年(1666年)の不受不施派禁制の際には受不施派への転向を行い、貞享3年(1686年)に「境内狭小」ということから現在地に移転した、ということのようだ。
場所:岡山市北区三門東町7-1。国道180号線から、トマト銀行三門支店の裏あたりから山門正面へ、または岡山県立工業高校の南あたりから東参道(こちらに駐車場がある。)へ、狭い道を入っていく。一方通行も多いので、案内に自信がない(スイマセン。)。
当寺の西にある「宮山」山上に式内社「國神社」がある(2008年6月21日記事)。当寺もなだらかな丘の上に広い境内がある。その挟まれた谷に、今も「岩井宮裏」という地名が残っている。「宮山」には國神社と同じ境内に式内社「天神社」もあったとか、いや式内社「天石門別神社」があったとか、「国守八幡宮(伊福八幡宮)」を合祀したとか、されたとか、いろいろな説があり複雑だが、池田家文書のなかに「(伊福八幡宮は)慶長年間(1596年~1615年)に再建。社領は2石6斗2升である。このうち1石5斗7升2合を社僧石井寺に納めた、云々。」というような記事がある。

大乗山妙林寺のHP(石井寺のことには全く触れていませんが):http://www.myorinji.or.jp/history.html

コラム54.藤田山成就寺

2008-09-18 21:26:16 | Weblog
藤田山成就寺(ふじたさん じょうじゅじ)。日蓮宗の寺院で、本尊は十界大曼荼羅。かつては12坊末寺3ヶ寺あったというが、現在は本坊「恵音院」(けいおんいん)のみとなっているようで、単に「成就寺」と称しているようだ。末寺は「妙浄寺」(建部町建部上211)と「孝徳寺」(建部町品田302)があるという。
場所:岡山市建部町富沢682。岡山市街地から国道53号線を北上し、国道484号線と交差する「大田」交差点を左折(西へ)、直進約2km。県道71号線(建部大井線)沿いに上り口があり、周囲には何もないのですぐわかる。駐車場あり。
県道71号線は、赤磐市北部を横断する国道484号線から接続して建部町からは南西に向かい、備中二宮「鼓神社」の近くを通り、足守(応神天皇行幸の旧跡という「葦守八幡宮」の近く)に至る道である。また、当寺の手前(東)約400mのところで右折(北へ)すると、自動車で約3kmの距離に国内神名帳に載る古社「多自枯鴨神社」がある。
当寺は報恩大師(摩訶上人)開基の備前48ヶ寺の1つで、48ヶ寺の最後に建立されたため、大願成就の寺として「成就寺」と名づけたという。延文3年(1358年)、大覚大僧正備前布教の折、日蓮宗に改宗した。その後は日蓮宗を信仰していた金川城主松田氏の庇護を受け、備前西北部の法華信仰の中心地として栄えた。しかし、明和3年(1766年)に山門(仁王門。なお、仁王像は運慶作と伝える。)以外は焼失。現存する建物はすべてその後の再建であるが、日蓮宗寺院で三重塔があるのは珍しい。

「日本すきま漫遊記」のHPから(成就寺):http://www.sukima.com/14_sanyou01_07/08joujuji.htm


写真上:山門


写真下:遠景

コラム53.海岸山妙福寺(観音院)

2008-09-17 19:09:05 | Weblog
海岸山妙福寺観音院(かいがんさん みょうふくじ かんのんいん)。高野山真言宗の寺院で、本尊は千手観音。地元では、「室谷山金剛頂寺真光院」を「西寺」というのに対して、当寺を「東寺」(ひがしでら)と通称しているという。
「西寺」のほうは、正式名称の山号といい、寺号といい、いかにも真言宗の寺という感じだが、報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つとすれば、創建当時から同名だったはずはないと思われる。むしろ、当寺のような「観音院」といったシンプルな寺名のほうがふさわしい気がする。いわゆる金山寺文書や備陽記では単に「牛窓山」としか記されていない。もちろん、「牛窓山」というからには、「西寺」のほうがそれらしいのだが。
場所:瀬戸内市牛窓町牛窓2718。県道28号線(岡山牛窓線)の終点(牛窓港フェリーターミナル辺り)の先を海岸線沿いに約500m。五香宮の下に神功皇后ゆかりの「纜石(ともづないし)」があるが、その周りにスペースがあれば駐車できるようだ。途中、昔ながらの街並みの狭い道路なので、通行注意。
延暦年間(782~805年)に報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つで、その第一の創建との伝承を有するという。当寺もやはり「寛文の寺社整理」により寛文6年(1666年)に廃寺となった。同年、岡山藩主池田光政公が「牛窓神社」に参拝した際、「往吉宮」の再建を命じ、翌年、当寺の旧寺地に「五香宮」が建立された。その後、元禄9年(1696年)に再興。
当寺・五香宮を通り過ぎて更に海岸線を北東に約1km行くと、国内神名帳所載の古社「牛窓神社」の長い階段の参道の前に着く。現在、「五香宮」の宝物となっている神功皇后の鎧冑・太刀等は、元は「牛窓神社」にあったともいう。

「Young Ogin Club」さんのHPから(海岸山観音院):http://yasuogi.hp.infoseek.co.jp/temple6.html

「日本すきま漫遊記」さんのHPから(妙福寺):http://www.sukima.com/14_sanyou01_02/07myoufukuji.htm

岡山県神社庁のHPから(五香宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=12002


写真上:五香宮


写真中:五香宮の奥に「東寺」がある(石灯籠のところ)


写真下:東寺本堂



コラム52.室谷山金剛頂寺(真光院)

2008-09-16 20:47:26 | Weblog
室谷山金剛頂寺真光院(むろたにさん こんごうちょうじ しんこういん)。高野山真言宗の寺院で、本尊は千手観音(聖徳太子作と伝える。)。単に「真光院」ということが多いようだが、地元では「西寺」(にしでら)と称される。
場所:瀬戸内市牛窓町牛窓4032。県道39号線(備前牛窓線)から「牛窓オリーブ園」の案内板があるところを曲がり(東へ)、(オリーブ園には行かずに)山の中腹を走る道路(「オリーブロード」というらしい。)を約2km進むと到着。駐車場あり。
寺伝によれば、天平勝宝年間(749~757年)、報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つで、当時11坊あったというが、その後の情報が殆どない。池田藩のいわゆる「寛文の寺社整理」により、寛文6年(1666年)に廃寺となり、僧坊は全て破却された。元禄9年(1696年)に高野山の「金剛頂院」の末寺として、本坊「高蔵院」を「真光院」と改称して再興、「室谷山金剛頂寺真光院」となった(なお、「高野山金剛頂院は明治12年(1879年)に焼失。)。
背後の山は「阿弥陀ヶ峰」または「阿弥陀山」といい、現在は「牛窓オリーブ園」になっているが、その北側、かつて「錦海湾」と讃えられた景勝(今は錦海塩田跡の荒野)を見下ろすところに「八間岩」という大岩があるという。天気がよければ霊山熊山も見えるということから、古くから山岳信仰があったかもしれない(下記ブログを参考にさせていただきました。)。
当寺の東約1.5kmのところに、国内神名帳所載の古社「牛窓神社」がある。鎌倉時代には当寺の住職が社僧として奉仕していたという。

「Young Ogin Club」さんのHPから(室谷山真光院):http://yasuogi.hp.infoseek.co.jp/temple5.html

「KINちゃんのひとりごと」さんのブログから(八間岩と室谷の項):http://kin-kin.blog.ocn.ne.jp/kin/2007/07/index.html

51.杉沢山長楽寺

2008-09-15 17:22:02 | Weblog
杉沢山長楽寺(すぎさわさん ちょうらくじ)。天台宗の寺院で、本尊は聖観音。明治時代までには1寺(本坊は「円了院」(えんりょういん)といった。)となっており、今は単に「長楽寺」と称している。
場所:和気郡和気町矢田965。和気町役場佐伯庁舎の北、約3km。吉井川の左岸を走る国道374号線から「三保高原スポーツ&リゾート」の案内板の出ているところを入り、旧「同和鉱業片上鉄道」廃線跡(現在は自転車道になっている。)の高架の下を潜ると、すぐ右手にある。駐車場なし。
寺伝によれば、天平勝宝年間、報恩大師開基による備前48ヶ寺の1つ。開山時は「安生寺」と称し、32坊があった。仁寿年間(851~853年)頃、兵火のため荒廃して廃寺同様となり、康保年間(964~967年)に信源上人により、また文治年間(1185~1189年)に源頼朝により再興されたものの、次第に衰微した。弘治年間(1555~1557)に天神山城主浦上宗景が祈祷所として、「照光山安養寺」(和気町)などとともに再興したが、天正5年(1577年)に宇喜田直家により天神山城が落城させられると、当寺も全山焼失した。文禄年間(1592~1595年)に比叡山探題僧正豪円が「金山寺」に来て、各地の廃寺の復興を行った際に、当時も再建された。なお、寺名については、開山当時の「安生寺」から「長福寺」となり、江戸時代には現在の「長楽寺」になっていたというのだが、いつ、なぜ変わったのかは不明。
昭和12年(1937年)、庫裏からの出火を機に、信者の便のため山上(「三保高原スポーツ&リゾート」の少し南あたり)から現在地へ移転した。廃寺となった伽藍はそのまま残されていたが、昭和32年(1957年)に焼失した。なお、このとき、元の本尊千手観音も焼失した。昭和12年移転時には内仏であった阿弥陀如来を本尊としていたが、昭和30年(1955年)に聖観音像を入手して、本尊としたという。
浦上宗景が居城とした「天神山」(和気町)山上にはもともと、国内神名帳に載る「天石門別神社」(和気町)があった(2008年5月29日記事)。当寺の旧寺地の近くにある「三保高原スポーツ&リゾート」から東~南に田土集落を通って下りてくると、ちょうど「天石門別神社」(和気町)のところに出てくる。

コラム50.本宮山円城寺

2008-09-14 19:11:25 | Weblog
本宮山円城寺(ほんぐうさん えんじょうじ)。天台宗の寺院で、本尊は千手観音。
場所:加賀郡吉備中央町円城742。国道429号線沿いにある「道の駅 かもがわ円城」の角の交差点を西へ進み(岡山市方面から来れば左折)、自動車で約900m。駐車場あり。
寺伝によれば、霊亀元年(715年)、行基菩薩により、現在地から東方約4kmにある本宮山山頂(583m)に「正法寺」として開基されたという。その後、報恩大師の備前48ヶ寺の1つに加えられた。弘安5年(1282年)に火災に遭い全山焼失し、翌年現在地に移転再建され、円城寺と改称されたという。当時、塔頭14坊・末寺6寺あったというが、現在は本坊「観音院」(かんのんいん)の近くに、「医王院」(「松本坊」を改称)と「地蔵院」(「福蔵坊」を改称)の独立した2寺を残すのみとなっている。
当寺については、本尊千手観音や阿弥陀仏よりも、境内にある鎮守「提婆宮」のほうが有名かもしれない。提婆宮は、本地弁才天権現である「提婆天」を寺の鎮守として祀った「神社」といい、神仏混交の姿を残している、というのだが・・・。「提婆」というのは「ディーヴァ」、即ち、(諸説あるが)インドの神=「天」のことだろう(だから、「提婆天」というのは本来おかしいと思う。)。確かに寺院の境内に鳥居があって、「宮」があるのだが・・・、インドの神様と仏のコラボも神仏混交でよいのだろうか。
ところで、当寺の北東約3kmのところに国内神名帳所載の古社「化氣神社」がある(2008年6月24日記事)。同神社も、元は本宮山山上にあったという。さて、どういうことになっていたのだろうか。

円城寺のHP:http://www.eonet.ne.jp/~atismt/enjoji-he.html

吉備中央町観光協会のHPから(円城寺):http://www.optic.or.jp/kibichuo/data/AE020/AE020.html

「よっさんとクレーテのページ」HPから(本宮山~円城寺):http://www5.ocn.ne.jp/~yoshik/reikai4.html


写真上:山門


写真下:右;本堂、正面;提婆宮、左(白壁の向こう);庫裏

コラム49.幡降山極楽寺(普門院)

2008-09-13 22:26:13 | Weblog
幡降山極楽寺普門院(ばんこうさん ごくらくじ ふもんいん)。真言宗御室派に属し、本尊は千手観音。かつては5坊あったが、少なくとも明治初期には本坊「普門院」のみとなっており、「普門院」で通用しているようである。
場所:赤磐市山口990。県道53号線(御津佐伯線)と県道250号線(山口山陽線)の分岐点(コンビニ「サークルK岡山赤坂店」がある)、赤磐市役所赤坂支所方面から県道53号線を進むと、交差点(コンビニのあるところ)を直進する(右折(北東へ)すると御津金川方面、左折(県道250号線を南東へ)すると赤磐市市街地(下市)方面で、正面は行き止まりのため、行き先表示がない。)。概ね西の方の谷に向かうと約1.5kmで着く。駐車場あり。
天平勝宝4年(760年)報恩大師開基と伝える備前48ヶ寺の1つ。元は伊田村萱野というところにあったが、永禄12年(1569年)、当時の住職快円が、竜女が玉幡を捧げる霊夢を見て、現在地に移転したという。山号もこれに由来するものかと思われる。なお、境内に山王鳥居を持つ山王社がある(写真下)。山王鳥居も珍しいが、真言宗寺院で山王社は珍しいだろう。もとは天台宗だったのだろうが、いつ真言宗に改宗したのかはよくわからない。
周囲に何もないような場所であるが、当寺の東約3kmのところに国内神名帳所載の古社「片山神社」がある(県道53号線から南に少し入る。)。県道53号線を御津金川方面に向かえば、右手(北側)に「赤磐富士」が見え、御津矢原には古社「楢村布勢神社」がある。
旧地の「伊田村」というのは今の御津伊田だろうと思うが、今も岡山市と赤磐市の市境となっているように、「伊田越」または「山口乢」と呼ばれる峠の西側が、かつて金川城主松田氏の支配区域となっていた。このように、何もないようでいて、実は要衝の地であったのかもしれない。

岡山市のHP「おかやま桜前線」から(幡降山極楽寺普門院)http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/sakura/bankoyama.html


写真上:山門


写真中:本堂


写真下:山王社

コラム48.石井原山千光寺

2008-09-12 20:52:24 | Weblog
石井原山千光寺(いしいはらさん せんこうじ)。天台宗の寺院で、本尊は千手観音。報恩大師創建時には12坊あったというが、現在は本坊「教王院」(きょうおういん)のみとなっているようだ。寺中に「玉泉院」があるというが、現在は小堂のようであり、全体で単に「千光寺」と称している。
場所:赤磐市中島350。赤磐市役所の北東約1.5km、県道253号線(可真上山陽線)の「中島」交差点を南東の狭い道路に入る(入口に当寺の大きな案内板がある。)。そこから道なりに進むと約1km強で到着。広い駐車場がある。なお、途中、立派な山門(楼門)がポツンと立っている。
寺伝によれば、もともと現在地の南にある竜王山の山上に千軒の寺があり、それぞれの寺が明かりを灯すので、「千光寺」といった。竜王山の向こう側はすぐ海であったので、光が邪魔になり、漁師達が怒って寺は焼き払われた。これを聞いた報恩大師が天平勝宝4年(752年)に当寺12坊を創建したという。境内に来迎石という大石、閼伽井、小原という堂があったため、山号を「石井原山」としたという。
その後衰微して廃寺同然となっていたところ、天正18年(1590年)に沼田村の沼田左衛門太夫のもとに老翁が現れて「山王」と名乗り、当山の再興を託した、という。「沼田」は「中島」の隣で、当寺の南西約2kmのところに国内神名帳に載る古社「沼田神社」がある(2008年6月12日記事参照)。

「日本すきま漫遊記」HPから(千光寺)http://www.sukima.com/14_sanyou01_02/26senkouji.htm


写真上:山門


写真中:教王院


写真下:本堂(この右手、更に上の段に三重塔がある)