備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム253.一宮(その25・遠江国・小國神社)

2010-08-13 20:38:07 | Weblog
小國神社(おくにじんじゃ)。
場所:静岡県周智郡森町一宮3956-1。天竜浜名湖鉄道「遠江一宮」駅の北、約3km。県道280号線を北上すれば、要所要所に案内看板が設置されている。駐車場有り。
社伝によれば、欽明天皇16年(555年)に、北方約6Kmにある本宮山(511m)山上に創祀されたという。本宮山山上には今も奥磐戸神社がある(当神社から山道を2時間近く歩く。)が、これは、後世の神宮寺の影響によるもので、必ずしも本宮山が神体山として信仰されていたかは疑問とされる。
祭神は大己貴命(=大国主神)で、「小國神社」という名は出雲国一宮「出雲大社」に対する遠江国の美称であるともいう。ただ、最初に本宮山に現れたとしても、そうでないとしても、その神がなぜ大己貴命だったのか、は特に説明されていない。一般には国造りの神であり、山を背にして開発された平野を守るとしたものか。あるいは、当神社の脇を宮川が流れており、国土開発に何より大切な水の神であったかもしれない。
さて、当神社は遠江国一宮とされているが、式内社ではあっても、(遠江国に2社ある)名神大(社)ではない。また、当神社が一宮と称されるようになったのは、他国に比べて遅かったようで、平安時代末期~鎌倉時代とみられている。ただ、この間に力を蓄えたようで、その後、特に徳川家康の篤い庇護を受けたことは有名。現在も境内地は約30万坪という(ほとんどは山林だろうけど。(注))。

(注)いや、しかし、山林の価値が低いと思うのは現代人の考えで、かつては、これだけの美林は鑑賞的な価値だけではなく、用材林として巨大な財産だっただろう。あるいは、この財力こそが当神社を遠江国一宮に押し上げた要因だったかもしれない。


小國神社のHP:http://www.okunijinja.or.jp/


写真1:クリーム色の大鳥居


写真2:社殿正面


写真3:社殿前にある「金石・銀石」。傍らの説明板に「古老の伝えによれば御祭神大己貴命(大国主命)が遠江の国造りをされ、此の地に留まりて、諸業を教え給う中に金銀の印として此の石を授けたと云われ以来諸民此を金銀石と称し、松を願掛け松(待つ)という。石を撫で松の幹を撫でれば金運や良縁に恵まれるという。」とある。