備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

63.湯山神社

2008-06-08 23:25:24 | Weblog
湯山神社(ゆやまじんじゃ)。
場所:赤磐市山手600。赤磐市市街地から、県道27号線(岡山吉井線)を北上し、笹岡郵便局のところで右折(東へ)して、県道257号線(坂辺吉井線)に入る。そこから約1km、左にカーヴするところで、「持行橋」を渡って「山手」方面に向かう。約3kmで当社に着くが、森の小道を少し入ったところにあって、通り過ぎやすい。右手に「二宮神社」(和気町小阪)があるが、その手前。入り口から鳥居までの間の未舗装の道に駐車できる。
「改修赤磐郡史」(昭和15年12月)によれば、当社はもと、現在地の北にある湯山にあり、そこには「湯の井戸」があった。この井戸の水を使うと、染物の発色が良いとして珍重された。その守り神として、当社が国内神名帳に記載されるようになったのであろう、としている。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10049

62.鴨長尾神社

2008-06-08 21:29:24 | Weblog
鴨長尾神社(かもながおじんじゃ)。
場所:赤磐市長尾971。山陽自動車道「山陽IC」の南側に、山陽自動車道と平行して新しい道路ができている。集落は山沿いに形成されているが、集落内の道路は狭いので、手前の広めの道路に止めてきたほうがよい。「長尾集会所」の手前、カーヴミラーがあり、「地蔵堂」があるところを山側に上って行く。当社の前(北西)には池があり、これを巻くように進んでいくと、当社の入り口に着く。駐車場はない。
杉木立や石組みの参道など、雰囲気の良い神社である。当社は中腹にあるが、背後の長尾山山頂には磐座があるとどこかで見たが、実見はおろか、写真も発見できず、未確認。ほかに、「長尾」には名水「湯倉井」というのがある。
位置的には、「備前国分寺跡」や「両宮山古墳(両宮神社=伊勢神社)」の東にあり、旧山陽道を見下ろす場所に当たる。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は大国主命。旧郷社。
中古以来「大明神」と称されていたが、明治2年に「杵築神社」と改め、明治3年に「鴨長尾神社」に復した。

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-069.html

61.鴨新田神社

2008-06-08 20:48:57 | Weblog
鴨新田神社(かもしんでんじんじゃ)。
場所:赤磐市塩木299。国道484号線沿いにある「JAあかいわライスセンター」の西約150m。わかりにくいが、小さな貯水池があり、その奥に石組みの参道と鳥居替わりの石柱が見える。駐車場はない。
「鴨高岡神社」と「鴨上松原神社」は、当社の背後の山の裏側(北)にある。地図上の直線距離は近いが、実際に行くとなるとかなり遠回りになる。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は別雷神。旧村社。

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-118.html

60.鴨上松原神社

2008-06-08 20:20:00 | Weblog
鴨上松原神社(かもかみまつばらじんじゃ)。
場所:赤磐市中山259。「鴨高岡神社」の項で、同社が農免道路の終点付近と書いたが、その農免道路の始点付近にあるのが当社。したがって、「鴨高岡神社」から、自動車で東へ約4kmで当社に着く。ただし、そちら側から来ると、目印も無く、通り過ぎてしまうかもしれない。もう一つの行き方としては、国道374号線から「中村橋」交差点で県道265号線(周匝久米南線)に入り(西へ)、約3km直進後、「中山」方面に左折(南へ)、約2kmで到着。「戸津野」への分岐のところにある。駐車場はないので、手前の道路のやや広いところに駐車。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は阿遅鉏高日子根神、事代主神、高龗神、大山咋神。後の2神は、大正3年に高龗神社、日吉神社を合祀したことによるものだろう。旧村社。





59.石淵鴨部神社

2008-06-08 19:26:50 | Weblog
石淵鴨部神社(いわふちかもべじんじゃ?)。
場所:赤磐市稲蒔480。高星神社に合祀。高星神社の項を参照。
「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、旧佐伯北村大字稲蒔字岩淵山474に祀ってあったが、大正6年に「高星神社」に合祀した。祭神は、味耜高彦根神。中古は、朝日神社・妙見宮と称していた、という。

58.鴨高岡神社

2008-06-08 18:58:07 | Weblog
鴨高岡神社(かもたかおかじんじゃ)。
場所:赤磐市戸津野1542。国道484号線から、「布勢巨神社」と同じように、「金勢大明神」「竜天天文台公園」の案内看板から北上、岡山東変電所の巨大な送電線鉄塔が間近に見えてきたところで、再び案内看板があるが、ここで「戸津野」方面に右折。「布勢巨神社」に向かう道路は1.5車線くらいだが、この先は1車線になるので、注意。ここから約900mで農免道路の終点に着くが、その先に農免道路の上を跨ぐ橋が見え、当社はその橋の右にある。手前で左折して橋を渡ると、すぐ。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は事代主命。旧村社。






57.布勢巨神社

2008-06-08 12:05:59 | Weblog
布勢巨神社(ふせこじんじゃ)。
場所:赤磐市中勢実65。国道484号線、布勢神社(赤磐市)の西約1.5kmで「竜天天文台」への案内看板があり、そこから北上する。地図でみると複雑そうだが、実際はほぼ一本道。この辺りでは「金勢大明神」のほうが有名?で、案内看板もあるので、それに従ってもよい。当神社は「金精大明神」駐車場から約600mで入り口。ただし、入り口辺りには鳥居や石柱など目印がないので、通り過ぎてしまうかも。竜天山のほぼ山頂にある。駐車場はないが、参道に駐車できる。なお、竜天山キャンプ場から南下してくる方法もある(玄松子さんのHP参照)。地図には「正四佳布勢一三神社」と記載されていることが多い。
式内社布勢神社(赤磐市)の元社といわれており、その故に玄松子さんもお参りされているようだ。石製の神殿が珍しい(写真中)が、磐境?のようなものもある(写真下)。


玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/fuseko_title.htm


写真上:鳥居


写真中:社殿。拝殿は普通の木造だが、本殿が小さく、石造であるのが珍しい。


写真下:磐座? 小さな社殿の台座のようだが・・・

56.神峯神社

2008-06-08 11:09:50 | Weblog
神峯神社(こうのみねじんじゃ?)
場所:赤磐市是里3235(宗形神社(赤磐市)に合祀。)。
備前国と美作国の国境にある神峰山(こうのみねやま。現「高ノ峰」)山頂に、神峯伊勢神社と並んで鎮座していたが、明治43年2月、宗形神社(赤磐市)に合祀された。なお、宗形神社(赤磐市)の項を参照。
「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、祭神は大己貴命。

「高ノ峰」山頂には今も祠があるらしい。
H.HongouさんのHP「岡山の山を歩こう!!」から:http://www.tamatele.ne.jp/~hongou/hyakusen/kounomine.htm


55.片山神社

2008-06-08 11:04:14 | Weblog
片山神社(かたやまじんじゃ)。
場所:赤磐市由津里2288。赤磐市市街地から県道27号線(岡山吉井線)を北上し、中国銀行赤坂支店のところで左折(西へ。岡山空港方面)、県道53号線(御津佐伯線)に入り、約1.2kmで「由津里地区集落センター」のところを左折(南へ)、ほどなく「由津里公民館」があるので、そこを右折、正面に見える。狭い道だが、石鳥居を通れれば、境内に駐車できると思う。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10113
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-028.html

54.石上布都魂神社

2008-06-08 10:15:57 | Weblog
石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)。
場所:赤磐市石上1448。行き方は玄松子さんのHPにも書いてあるが、赤磐市と岡山市の市境が複雑なところで、岡山市にも御津石上という地名がある。わかりやすい行き方としては、まず「岡山御津カントリークラブ」を目指す。赤磐市市街地方面からは、県道27号線(岡山吉井線)から、県道364号線(矢知赤坂線)を左折(西へ。「多賀上」交差点に当社の案内看板がある。)、ゴルフ場を通り過ぎて突き当たりT字路(平岡西公民館がある。)を右折(北へ)。狭い道路だが、県道468号線(平岡小鎌線)で、そこから約3kmで当社駐車場に到着(大きな看板が出ている。)岡山市市街地からは、国道53号線から金川大橋で右折、その先、県道255号線(仁堀中御津線)を北上すると上記のT字路のところを通るので、直進。
当社も備前国一宮を称している。それは、日本書紀等にも記された吉備の「石上」とは当社のことであり、大和国石上神宮の元社ではないか、という由緒にあると思われる。ただし、「一宮」というのは、国司が赴任後最初にお参りする神社のことであり、もちろん最重要な神社には違いないが、それは古いというだけではなく、政治的な意味なども含めて決まるもの。だから、時代により変遷があったり、一宮を主張する神社がいくつか出てきたりする。備前国では、「安仁神社」も一宮との主張をしているが、諸般の事情を考えると、吉備分国前(その時代には「一宮」とは言わなかったかもしれないが)は「吉備津神社」、備前国に分かれてからは「吉備津彦神社」が一宮であることは動かないと思う。
ところで、当社駐車場から約700m南に宮司さん宅がある(ここは岡山市御津石上)。宮司さんは「物部」さん(!)という。岡山藩主池田綱政公の命により、金谷姓から「旧姓」に戻した、という。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=09013

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-114.html

玄松子さんのHP:http://www.genbu.net/data/bizen/hutumitama_title.htm