備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

118.早瀧比神社

2008-06-26 20:26:58 | Weblog
早瀧比神社(はやたきひめじんじゃ)。
場所:玉野市滝773・774。県道427号線(槌ヶ原日比線)と県道62号線(玉野福田線)がぶつかる「長尾」交差点(南西角にコンビニ「サークルK玉野長尾店」がある。)を西に進み(東に行くと式内社鴨神社。)、次の「滝」交差点で左折(南西へ。由加神社方面でない方)、県道266号線(長尾児島線)に入る。そこから約500m、「滝」バス停のところ(「玉野自然公園」の大きな案内板がある。)で右折(西へ)。狭い道路(旧県道62号線であるらしい。当社を過ぎて更に進むと由加神社方面)を進めば、当社に到る。駐車スペースあり。ただ、当社の手前あたりの道路は特に狭く、注意。
玉野市には、至るところに巨岩・奇岩がゴロゴロしているが、当社の鳥居の脇にある「龍岩」などもあり、岩・滝川など自然信仰の場所としてふさわしい。なお、式内社鴨神社と当社は約1.5kmの距離を隔てておおよそ東西に向かい合っている(厳密ではないが、式内社鴨神社は西を、当社は東を向いている。)。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04017
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/08-008.html


117.田土浦坐神社

2008-06-25 23:21:32 | Weblog
田土浦坐神社(たつちのうらにましますじんじゃ)。
場所:倉敷市下津井田之浦1-15-30。瀬戸中央自動車道「児島」ICの南、約2km。料金所を出て南下、県道393号線を左折(東へ)、瀬戸大橋の下を潜る手前で右手の坂を下へ降りていくと当神社社殿前に出る。駐車スペースあり。
式内社だが、国内神名帳西大寺本には当神社の名がない。当神社を総社宮合祀128社に含める場合には「都羅比呼明神」を当神社に当てる。
当神社が式内社「田土浦坐神社」に比定されたのは、地名の「田之浦」と神社名の「田土浦」の類似が大きい。瀬戸内海に突き出た鷲羽山の西にあり、海交通の神として祀られるのには十分な理由はある。しかし、確実な証拠はなく、近世以降「新庄八幡宮」の摂社となり、祭神も実際には不明となっていた。旧無格社。
そういうなかで、当社を「都羅比呼明神」(「都羅比神社」)とする根拠を示した資料にはまだ出会っていない。中古、旧児島郡には「都羅郷」が存在したが、当社が所在する「下津井」地区も「都羅郷」に含まれるとすれば、その氏神、地主神等であった可能性はある。「都羅郷」の範囲が不明だが、かつて文字通り島であった「連島」地区だけとする説もある。また、現在の祭神は「大綿津見神」とされており、「比」(ひめ)ということとも合わない。
上記のことから、「下津井」地区も「都羅郷」にふくまれ、祭神も今とは異なる(例えば、海の神としても「宗像三女神」や「豊玉毘売命」であったとすれば、どうだろう。)とすれば、あり得るかもしれない。


岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=06001
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-033.html

神ナビさんのHP:http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/tatsuchiura/tatsuchiura.htm

116.鴨神社(玉野市)

2008-06-25 22:04:26 | Weblog
鴨神社(かもじんじゃ)。
場所:玉野市長尾1173・1174。JR「常山」駅から南へ約4km。県道427号線(槌ヶ原日比線)と県道62号線(玉野福田線)がぶつかる「長尾」交差点(南西角にコンビニ「サークルK玉野長尾店」がある。)を、東の狭い道路に入る。約400mで当社参道入り口に至る。そのまま奥に進めば、正面に社殿。駐車場あり。
式内社であるが、国内神名帳西大寺本にはその名がない。単に欠落している、としない場合は、「八幡明神」を充てる。当神社はもともと、平安時代初頭に大和国葛上郡加茂に鎮座する「高加茂神社」の神を勧請し創建されたもの。鎌倉中期の貞永2年(1233年)、宇佐八幡宮を勧請して合祀し、以来「八幡宮」と称した、という。当神社の宝物に「かものみや」と記された金幣があり、これにより当神社が式内社「鴨神社」と認められた経緯がある。
こうしたことから、国内神名帳の「八幡明神」=当社とする説が出てくる。国内神名帳所載の神社は中古、多くが「八幡宮」と称したことがわかっており、式内社といえども例外ではないわけだが、なぜ当神社だけが「八幡明神」とされなければならなかったのか。疑問を感じる。
いずれにせよ、当神社の前に立ち、背後に聳える「鴻巣山」の威容をみれば、式内社であることを納得させられる。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=04016
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-035.html

神ナビさんのHP:http://www.geocities.jp/kibi_setouchi/kamotamano/kamotamano.htm

コラム12.旧児島郡は9社?、それとも11社?

2008-06-25 20:47:05 | Weblog
備前国内神名帳128社の現在社の比定の上で最も問題なのが、旧児島郡である。西大寺本には式内社である鴨神社と田土浦坐神社の名がない。総社本は、西大寺本の9社に、この2社を加えたものとみてよい(この2社には「右二所在神祇官」とちゃんと記されている。)。
国内神名帳と延喜式は成立時期が異なるのだから、式内社といえども、総社宮に合祀されない神社があってもよいだろう、と考えれば特に問題はない。しかし、私見では、西大寺本は、写本するときに、うっかり書き漏らしてしまったのではないか、と思う。
西大寺本の記載を優先する場合は、「八幡明神」を「鴨神社」に、「都羅比呼明神」を「田土浦坐神社」に充てる。それぞれの項で再度触れたいが、それなりに根拠が無いわけではないようだが、やや無理がありそうな感じだ。
それと、もう一つ。旧児島郡には、郡の「総社宮」が現存する(写真)。極めて珍しい例で、児島の民の信仰心の篤さと経済力が背景にあったと思われるが、それはそれとして、ここで合祀されているのが11社であるということである。
以上のことなどから、「11社」説が正しいと思うが、その場合の難問は、「八幡神社」と「都羅比神社」がどの神社であったか、ということである。備前国総社宮の武部宮司も「不明」としておられるようだ。

岡山県神社庁のHP(旧児島郡の総社宮):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01025

115.金山鳴瀧神社

2008-06-25 20:14:22 | Weblog
金山鳴瀧神社(かなやまなるたきじんじゃ)。
場所:岡山市北区御津中山980。岡山市市街地から国道53号線を北上し、県道386号線(津高法界院停車場線。こちらを進むと金山寺方面)入り口(運転免許センター)付近から、国道を北へ約2km。押しボタン式信号のある「中山」交差点を右折(東へ)。その先、狭い道路を南東に進むと当社に着く。ただし、駐車場はなく、狭い道路を行きたくない場合は、交差点から入ったところあたりで駐車し、徒歩でそのまま少し登ると「右 道林寺 妙見道」という石碑があるので、右手に進むと「道林寺」の南隣に当社がある。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は鳴瀧大神、応神天皇、天照大御神、春日大神で、旧村社。「金山から落ちたぎり、中山の村間を清く流れる滝の下に鎮座して、滝津瀬を司り、公田の用水を守護する神様であるから、金山鳴瀧神と尊称すると申伝えている。」
ただし、「落ちたぎる」ほどの滝がどこにあるのか、よくわからない。
ところで、「道林寺」は京都妙覚寺直来、備前四本寺の一つで、寺内に奉祀の妙見の尊像は伝教大師の作という。金山の頂上に祀っていたが、明和・寛政のころ境界争いが三十年続き、道林寺住職日近がひそかに同寺に安置したという。現在、金山山頂には妙見宮がある。(「金山神社」の項参照)

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-085.html

114.河瀬神社

2008-06-24 23:46:03 | Weblog
河瀬神社(かわせじんじゃ)。
場所:岡山市北区御津草生1807。国道53号線沿い、岡山北警察署の北約600mの「草生下」バス停近くの押しボタン式信号機のところの狭い道路を東に入る。約300mで当社脇の駐車場に着く。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は瀬織津毘売命、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、春日大神。旧村社。西大川(旭川)草生村字泉あたりに鎮座する川瀬の神。

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-084.html


113.徳藏神社

2008-06-24 23:11:03 | Weblog
徳藏神社(とくらじんじゃ)。
場所:岡山市北区御津河内2090。岡山市市街地から国道53号線を北上し、「宇垣」交差点(「岡山空港」方面の案内板あり。)を左折(東へ)、県道61号線(妹尾御津線)に入る。そこから約3kmで、左手に当社の案内板がある。そこからは狭い道で、駐車場もないので、徒歩で行くほうがよい(約200m)。
かつては、西にある徳倉山山上にあったという。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=09001

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-083.html

112.化氣神社

2008-06-24 22:03:32 | Weblog
化氣神社(けぎじんじゃ)。
場所:加賀郡吉備中央町案田5。国道429号線「道の駅かもがわ円城」の北、約900mで「KOA岡山中央チロリン村」(オートキャンプ場)の案内板と並んで、当社の案内板がある。岡山市方面からは、そこを右折するのだが、つい、広めの道路を進んでしまって広域農道に出てしまいがちになるが、そうするとうまくたどり着けない。国道429号線と並行する道路を進み、再び国道に合流する手前(広域農道が高架(跨道橋)になって国道とクロスするあたり)で、山裾を登る狭い道に入る。そこから約1.5kmで広い駐車場に到着。道路から駐車場に至る参道?の入り口に付近に金属製の鳥居がある。
越前国敦賀気比神社と同じく伊奢沙和氣神を祀る。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=08015
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-134.html

111.靭負神社(岡山市)

2008-06-24 21:23:08 | Weblog
靭負神社(ゆきえじんじゃ)。
場所:岡山市北区芳賀3400。「宗形神社」(岡山市)の北東、約1.8km。「宗形神社」は県道61号線(妹尾御津線)から、「大窪」交差点で県道239号線(上芳賀大窪線)に入ったところにあるが、そこから県道239号線を東に進み、約1.5kmで「下芳賀公会堂」に着く。そこから先は狭い道路に入り、自動車でも行けないことはないが、当社には駐車場はないので、できれば県道の広めのところに駐車して徒歩で登ったほうがよい。公会堂からは真北に約300m。
瀬戸内市長船町にも同名の神社があるが、関係は不明。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=07038

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/06-052.html

コラム11.神社と寺院

2008-06-23 23:01:57 | Weblog
現存する神社には住所があり、それを目指して行く訳であるが、ナビゲーション・システムに登録されているものは殆どない。近隣の住所までいけば大体わかるとはいうものの、「人里離れた」という言葉がぴったりくるような場所も少なくなく、迷いながら2回、3回と訪ねることになる。
神社と寺院の違いは、神社はたいてい無住で、寺院には「住職」が居る、ということだろう。もちろん、寺院にも栄枯盛衰・廃絶もあるとはいうものの、神社の場合は火災で縁起文書などが焼失、という例が極めて多い。これは無住であることも一因ではないだろうか。
かつては神仏混交で、多くは寺院が別当として神社の管理も行っていた。それを、明治以来、神仏分離となり、却って(今となっては)神社も衰退した例も多いのではないか。研究書も、神社は神社、寺院は寺院、で分かれており、全体像がつかめない気がする。
さて、備前48ヶ寺との関係に触れようと思ったのだが、ついつい長くなったので、また別の機会に。