備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム252.一宮(その24・伊豆国・三嶋大社)

2010-07-14 22:26:45 | Weblog
三嶋大社(みしまたいしゃ)。
場所:静岡県三島市大宮町2-1-5。JR「三島」駅の南東、約1km。駐車場あり(有料)。
伊豆国はもともと駿河国の一部だったが、天武天皇9年(680年)に分割して設置された。このときまで、駿河国の国府は現・沼津市にあったが、現・静岡市に移転したという。そして、伊豆国の国府は現・三島市に置かれた。
三嶋大社は延喜式の神名帳では「伊豆三島神社」(名神大)であるが、創建時期は不明。元は三宅島(現・富賀神社)→下田市白浜(現・伊古奈比命神社)→伊豆の国市(現・広瀬神社)→現在地と遷宮したともいわれる。このあたりは、主祭神とも関連してくるのだが、一説には伊予国一宮「大山祇神社」の分社であるともいい(逆に、「大山祇神社」が当社の分社であるともいう。2010年3月19日記事参照)、また一説には出雲国御穂崎に隠棲した事代主命が海を渡って三宅島に到って鎮まったとされる。前者の説では祭神は大山祇神となり、後者の説では事代主命となる。現在では、この2神をもって「三嶋大明神」と称し、同座として祀っているというが、俗に「恵比寿さん」とも呼ばれており、永らく事代主命が主祭神だったことを窺わせる。
しかし、「三島」というのは、やはり元は「御島」であり、人格的な神ではなく、海底火山の噴火や新島の隆起など「自然の驚異」に神威を感じて祀ったものだろう。駿河国一宮「富士山本宮浅間神社」と同様、噴火などの自然災害がある度に神階が上がっていった、とみられていることもこれを裏付ける。
ところで、現在地への遷座は、平安中期以降に伊豆国の国府の近くに新宮として祀られたことによるといわれている。国府の場所は確認されていないが、かつて当神社の近くに長谷町という地名があった。長谷は「ちょうや」と読み、ここに「庁屋」(=国庁)があったとされる。また、当神社が伊豆国の総社を兼ねていたともいわれている。


三嶋大社のHP:http://www.mishimataisha.or.jp/

玄松子さんのHPから:http://www.genbu.net/data/izu/misima_title.htm


写真上:正面(南側)の鳥居


写真中:鳥居を潜って直ぐ右手にある「たたり石」。「たたり」は「祟り」ではなく、糸のもつれを防ぐ道具であり、当神社前を通る旧東海道の中央にあって人の往来の整理をするために置かれていたものらしい。現在のように自動車が行き交うようになると当然邪魔になり、当神社の境内に移された。交通安全に御利益があるという。


写真下:豪快な印象の社殿。特に本殿は立派。