備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

30.石根依立神社

2008-06-01 23:04:12 | Weblog
石根依立神社(いわねよりたてじんじゃ)。
場所:和気郡和気町原761。県道96号線(岡山赤穂線)沿いにあるが、当社には駐車場がなく、県道は交通量も多いので、隣にある「元恩寺」さんの駐車場を利用させていただく。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は石根依立神、応神天皇、神功皇后、軻遇突智命、大己貴命、素盞嗚尊。石根依立神は、旧岩梨郡の国魂であるという。その他の神は、明治43年に「箱崎大明神」を合祀したことによるものであろう。なお、「境内に奇霊石、境外に石御神、夫婦石等がある。」「当社から西の路傍に径三米ばかりの大石がある、その傍らに長方形の自然石があり、石神という。」とも。
佐藤光範著「古代祭祀跡 吉備の「磐座」」によれば、「和気郡史」には、当社は背後の「明神山」山上にある磐座を山麓に下ろしたものと書いてある。確かに、山上の「イモリ岩」は、本来「イイモリ(飯盛)岩」であって、これは磐座に間違いない。しかし、「イモリ岩」は山の東側にある(当社は南麓)であるなど、当社の元宮とするのは合わない、というようなことを記されている。
なお、「元恩寺」は、いわゆる「備前48ヶ寺」の1つで、ほかにも金山寺(金山神社)、福生寺(大瀧神社)など、神名帳所載の神社と関係の深い寺が多い。

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-062.html

写真上:石根依立神社鳥居


写真下:路傍の石神?

29.驗田神社

2008-06-01 21:58:22 | Weblog
驗田神社(しるしだじんじゃ)。
場所:赤磐市可真上784。県道254号線(可真上万富線)から、桜ヶ丘東終末処理場の横の道路に入り(瀬戸町方面から来ると左折)、すぐまた左折して県道の下を潜る。直進すると大きな池(小山池)があり、その北側に鎮座。鳥居の前の道路が広くなっており、ここに駐車できる。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10088

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-019.html

なお、当社の南約500mのところに、式外で国内神名帳にも記載されていないが、三代実録に記事がある古社「見上神社」がある。

岡山県神社庁のHP(見上神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10091

28.於奠神社

2008-06-01 21:28:28 | Weblog
於奠神社(おまつりじんじゃ)。
場所:赤磐市可真下523。県道403号線(町苅田熊山線)を「セイテック熊山工場」のところ(石柱がある)で北に曲がる。そこからは、岡山県神社庁HPの紹介ページにあるように、当社正面に向かって真っ直ぐな道路が続いている。駐車場あり(5台程度)。
当社の読み方は、今では当社自身が「おまつり」と書いているから間違いないだろうが、「岡山県神社誌」(昭和56年4月発行)では「おみまつ」としている。国内神名帳富春本の書入れ(注釈)では、「「うえまつ」等とする本が多いが、本来「大御奠」とすべきで、「おおみまつ」が正しい。中古、八幡宮を勧請して「王八幡」と称したのは、その名の一部を残したのだろう。」というようなことが記されている。「奠」の字は「まつ・る」と読むので、確かに「おまつり」というのがシンプルでよいと思う。

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10086
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-023.html

27.阿保田神社

2008-06-01 20:21:49 | Weblog
阿保田神社(あほだじんじゃ)。
場所:岡山市東区瀬戸町万富1989。JR「万富」駅の北、徒歩で約800m。自動車なら、県道96号線(岡山赤穂線)から、東大寺瓦窯跡の案内板のところを入り北へ。用水路脇の道路を進んで、道なりに左にカーヴするところで右を見ると、鳥居。駐車場へは鳥居の前を左から回り込む。
「瀬戸町誌」(昭和60年1月)によれば、治承4年(1180年)平重衡の南都焼き討ちによってその建物の殆どを焼失した奈良東大寺再建のため、大勧進職俊乗坊重源が万富の地で瓦を焼くにあたり、東大寺の鎮守であった手向山八幡宮を当社に勧請したという(「吉備温故」)。「八幡宮」の額も残されていたと言い、当社も中古以来「八幡宮」といわれていたようだ。
「阿保田」というのは、もともと「あお田」または「おお田」であって、ともに大きな田を意味する。当社の所在地は、元は「太田村」といい、語源は同じであるという。


岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10095

Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-024.html

26.石村神社

2008-06-01 10:49:09 | Weblog
石村神社(いしむらじんじゃ)。
場所:赤磐市石54。山陽ゴルフクラブのクラブハウスの手前(北)約300mのところを左折(東へ)。あるいは、国道484号線から「石」集落への農免道路に入る。「石」集落の最も高いあたりに「石構造改善センター」と施設があるが、その手前を右折、「有限会社清水」という建設会社?の先の分岐を右に進む。(旧)吉井町教育委員会の説明板があるところが参道入り口であるが、自動車はその先、鳥居の横にある道から入る。駐車場はないが、1台くらいは駐車できると思う。
上記の説明板(昭和56年3月)には、社殿背後に磐座がある旨が記されている。
「岡山地名事典」(昭和49年3月初版)によれば、「(旧石村の)天神山の頂上に高さ約2m、方1.5mほどの立石があり、立石様と称している。古代の祭祀遺跡であるが、村名はこの立石に拠る。」とある。しかし、村内の「天神山」がどこにあるか不明。当社境内の磐座?は、高さはあまりない。
「改修赤磐郡誌」(昭和15年12月)によれば、明治42年10月に郷社「宇佐八幡宮」(現・和気町米沢に所在)に合祀したが、「神慮に叶わず」大正年間に旧地に戻った。祭神は「石村神」だが、中古以降「八幡神社」と称していたという。鳥居の扁額は「八幡宮」となっている。


写真上:鳥居


写真下:磐座?