備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム259.松蔭寺の擂鉢松

2011-04-17 21:21:17 | Weblog
松蔭寺の擂鉢松(しょういんじのすりばちまつ)。
場所:静岡県沼津市原128。JR東海道本線「原」駅の東、約700m。駐車場有り。
「鵠林山 松蔭寺」は、臨済宗白隠派の大本山で、「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」といわれた白隠慧鶴禅師(後に、明治天皇から「正宗国師」の諡号を贈られている。)の墓所がある。白隠禅師(1686~1768年)は、曹洞宗や黄檗宗に比べて衰退していた臨済宗を復興した、中興の祖とされる禅僧である。享保2年(1717年)に松蔭寺の住持となったが、その学識や人柄を慕う者が多く、松蔭寺が旧東海道に面していたこともあって、参勤交代を行う大名にもファンがいた。その1人が備前国岡山藩主の池田侯(第3代池田継政?)だった。
いつものように、池田侯が東海道原宿を通ると、白隠禅師を訪ねて禅談義などを交わした。帰りしなに、池田侯が禅師に寄進を申し出たところ、禅師は「特に欲しい物はないが、先ほど小僧が擂鉢を毀してしまったので、擂鉢が欲しい。」と答えた。禅師の無欲さに感じ入った池田侯は、大きな備前焼の擂鉢数個を届けた。
あるとき、松蔭寺の境内の松の木が台風で折れてしまった。白隠禅師は、その折れた枝に池田侯から贈られた擂鉢を被せておいたところ、松はそのまま大きく育った。一説には、松の木の折れたところから、血のような赤い液体が流れ出ていたともいう。この松を「擂鉢松」といい、東海道の名物ともなった。
大事な文化財である擂鉢は、昭和60年に別のものに取り替えられた(現在のものは清水焼らしい。)が、今も「擂鉢松」は健在である。(うまく写真が撮れなかったので、下のHPを参照してください。)。


「白隠禅師~500年に一度の名僧~」から(擂り鉢の松)


写真1:松蔭寺山門。擂鉢松は山門を入って左手にある。


写真2:境内に白隠禅師の墓がある。


写真3:旧東海道(現・県道163号線)に面して白隠禅師誕生地の石碑が建てられている。原宿の長沢家の三男に生まれたという。なお、近くに「産湯の井戸」も史跡として残っている。