備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム262.一宮(その29・武蔵国・氷川神社)

2011-06-30 11:35:21 | Weblog
氷川神社(ひかわじんじゃ)。
場所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407。東武鉄道野田線「北大宮」駅の東、約500m(徒歩約10分)、またはJR東北本線「大宮」駅の北東、約1.3km(徒歩約20分)。駐車場有り。
社伝によれば、創建は第5代孝昭天皇の3年(紀元前473年)とされるが、いくら何でも古すぎだろう。また、第12代景行天皇(在位:71~130年)のとき、日本武尊が、東征の折りに当神社を祈願所としたともいうが、これも伝説の域を出ない。ただし、景行天皇の頃に出雲の氏族が武蔵国に移住して当地を開拓したといい、第13代成務天皇(在位:131~190年)のときに出雲の兄多毛比命(エタモヒ)が武蔵国造となり、当神社を崇敬したという。社号の「氷川」は、出雲の「簸川(ヒカワ)」に因むといい、現在の主祭神が須佐之男命(スサノオ)であることから、創建が景行天皇の時代に遡れるのかもしれない。もっとも、当神社は、古代には広大な「見沼」のほとりにあり(境内の神池は、見沼の名残だとも言う。)、元々は沼の水神を祀っていたのではないかともいう。また、当神社の東南に中山神社(祭神:大己貴命、見沼区中川)と氷川女体神社(祭神:奇稲田姫命、緑区宮本二丁目)が約7kmの距離に一直線に並ぶが、元は3社で1つの「氷川神社」だったという説もある。
さて、社伝では、聖武天皇(在位:724~749年)のときに当神社が「武蔵国一宮」に定められたとするが、室町時代より前には「小野神社」(多摩市)が一宮、「二宮神社」(旧・小河大明神、あきる野市)が二宮で、当神社は三宮だったとする説も有力。小生は、「一宮」は制度ではなく、一種の名誉社格のようなものと思っているので、時代によって変わることもあり、有力な神社が複数あれば、一宮の称を争うこともあり得ると考えている。必ずしも名神大(社)ばかりではなく、場合によっては式内社ではないこともあり得る。
しかし、実際に参拝すると、当神社のかつての権勢がよく判る。まずJR「さいたま新都心」駅の少し北のところに参道入口(写真1)があるが、ここに「是より宮まで十八丁」と刻された丁石がある。18丁といえば、約2km(徒歩約30分)である。この長い参道の先に立派な楼門(写真3)や社殿(写真4)がある。また、境内の周囲は野球場やサッカー場などもある広大な「大宮公園」となっているが、元は当神社の社有林であったという。元々、式内社・名神大であるから、延喜式の当時から有名な神社ではあったのだろうが、中世以降は武家の篤い崇敬を受けて「武蔵国総鎮守」とされ、徳川幕府、明治政府が江戸・東京に置かれると、その権威が更に高まったものと思われる。


社団法人さいたま観光コンベンションビューローのHPから(武蔵一宮氷川神社)

玄松子さんのHPから(氷川神社(大宮))


写真1:「氷川神社」参道入口(一の鳥居前)にある石碑。「武蔵国一宮」「氷川大明神」などと刻されている。


写真2:二の鳥居前にある社号標。「官幣大社 氷川神社」とある。


写真3:楼門。神池を渡ったところにある。


写真4:社殿


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