備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

91.小島神社

2008-06-18 23:13:37 | Weblog
小島神社(おしまじんじゃ)。
場所:岡山市中区原尾島1-7-39。行き方については、「八幡雄島宮」の項を参照。
往古、西大川(旭川)が国富村の方へ流れていた頃、川の中央に小島があり、その小島に鎮座していたので「小島神社」と称した(一時、「浮洲宮」とも呼ばれていた)という。また、「大井手神」と呼ばれていたこともあるようだ。「井手」というのは、「堰」の意で、要するに田の水の神だったのではないか。
八幡雄島宮は寶暦6年(1756年)に国富村雄島山(操山)から現在地に遷宮し、明治23年(1890年)に小島神社と合祀され、現在のような形になったという。したがって、神名帳では、八幡雄島宮と小島神社は全く別の神社として認識されており、現在は1社だが、神名帳上は2社ということになる。当社の真東に「芥子山」があるとして、日の出の方向と結びつける説があるが、創建時には、それぞれ別の場所に鎮座していたとすれば、この説は当たらないことになる。
なお、八幡雄島宮から「原尾島」(原村と尾島村の合併地名)の名が付けられたといわれており、当社も「コジマ」ではなく、「オジマ」と称するとする。ただし、総社本の脚注には「玉井宮(岡山市中区東山)であろう。同社は往古は児島神社と呼ばれていたから。」というようなことが書かれている。この説は、玉井宮の由緒と合わないし、同社が東照宮と合祀されて江戸時代以降隆盛した(旧県社ともなった)ことに影響されたのではないか、と思われる。ただ、「オジマ」神社と呼ばれるようになったのは、それほど古いことではない、とは言えるだろう。

90.天鴨神社

2008-06-18 22:00:34 | Weblog
天鴨神社(あまがもじんじゃ)。
場所:岡山市中区長岡422。国道250号線沿い「ヤマダ電機テックランド東岡山店」の向かい側にコンビニ「サンクス東岡山店」があるが、その店の東側の駐車場から真北に鳥居が見える。鳥居前の駐車場は、当社の駐車場ではないようで、駐車はできないので注意。
当社はもともと岡山市土田にある「頭高山」山上に鎮座していたという(県立岡山聾学校の県道を隔てた西側。現在は、天津神社がある。)。

岡山県神社庁のHP(当社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01086

岡山県神社庁のHP(参考に、天津神社):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01085

Web魁さんのHP(天鴨神社):http://websakigake.sakura.ne.jp/06-055.html


89.石高神社

2008-06-18 21:30:30 | Weblog
石高神社(いしたかじんじゃ)。
場所:岡山市中区円山853。県道28号線(岡山牛窓線)の「曹源寺口」交差点(トマト銀行曹源寺支店の角)を北へ曲がる。そのまま直進すると「曹源寺」正面だが、当社に行くには、県道から入ってすぐの交差点を更に左折(西へ)すれば、鳥居前に出る。鳥居前には駐車できないので、その手前を右折して裏に回ると山上の駐車場への道がある。なお、通り過ぎてからでは、自動車は通れない狭い道しかないので注意。
社伝によれば、往古、現在の社の北方、操山の中央部にある「高倉山」(「石鉄山古墳」のある辺り?)にあった石高神社(祭神:大己貴命)と、嶽字岩坪にあった岩坪八幡神社(祭神:須勢理姫命)を天和3年(1683年)合祀し、岩坪八幡宮と称したが、明治4年(1871年)に石高神社に改称したという。現在の社は操山の南の小山(「宮山」)にあるが、氏子地域は操山の北側を中心とする幡多郷(現在の藤原、高屋など)とされていることも、これを裏付けるものと考えられる。また、近くに「曹源寺」という大寺があるが、むしろ山北にある「沢田山恩徳寺」(備前48ヶ寺の一つ)と関係があるのではないか、と妄想する。

石高神社のHP:http://www4.ocn.ne.jp/~ishitaka/page014.html

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01039
Web魁さんのHP:http://websakigake.sakura.ne.jp/07-070.html