備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

77.沼田神社

2008-06-12 23:13:05 | Weblog
沼田神社(ぬたじんじゃ)。
場所:赤磐市沼田1。住所は「沼田(ぬた)」となっているが、社殿は「斎富」にある。県道37号線(西大寺山陽線)が山陽自動車道とクロスする少し北西、「遠藤農機商会」のところを狭い道路に入っていき(北東へ)、正面の丘の上に鎮座。突き当たりを左に回りこむと、丘の上の広い駐車場への道がある。なお、県道253号線(可真上山陽線)の「沼田」交差点から南東に進むほうが行きやすいかもしれない。
中古「野原八幡宮」と称したといい、鳥居の扁額も「八幡宮」のままとなっている。地図には「八幡宮」としか記されていないことが多い。
なお、備前国の鳥取郷(荘)の一宮であったという。垂仁天皇の皇子誉津別は長じても声が出なかったが、ある時、鵠(白鳥)の鳴声を聞いて声を発した。垂仁天皇は大喜びし、諸国に鳥取部(ととりべ)を置いた、という(このため、「鳥取県」以外にも各地に「鳥取」の地名が残っている。)。鳥取部の民の住地が鳥取郷(荘)で、備前国ではこの辺りにあったのだろう。おそらく砂川に近い沼沢地だったものと思われる。
「岡山県神社誌」(昭和56年4月)によれば、祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后とされており、いわゆる「八幡神」である。明治2年、旧号に復したという。



コラム5.式内社と国内神名帳

2008-06-12 22:38:14 | Weblog
鴨神社三座(赤磐市)の項でも書いたが、備前国内神名帳西大寺本では、旧赤坂郡には鴨布施明神(鴨布勢神社)が2社あるが、式内社鴨神社三座は記されていない。
「式内社」とは、延喜式神名帳に記載された神社のことであり、単にそこに記載された、ということではなくて、延喜式がまとめられた当時(10世紀初頭)に朝廷から官社と認められた神社である。官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことであり、それがやがて、引き続き上京して神祇官から幣帛を受ける神社(官幣社)と国司から受ける神社(国幣社)に分けられたという。したがって、国内神名帳の本来の趣旨からして、式内社が漏れていることはあり得ないと考えられる。
したがって、西大寺本に鴨布施明神が2社あるのは誤りで、1つが式内社鴨神社三座であることになる。そして、本来1社であるべき、国内神名帳に載る鴨布勢神社であることを主張される神社が2つあることになる。式内社にも同様なことがあり(むしろ一般に式内社のほうが社格が高いと考えられるので、由緒の古さを誇るために主張することが多い。)、「論社」と言って比定の研究が盛んである。是非、式外社も論社の研究をしてほしい。
ところで、この2つの鴨布勢神社については、西大寺本の異本である「明治七年注進本」に、「正四位下鴨布施明神」の脚注に「多賀村」とあり(ただし、上記のように、当社は式内社鴨神社三座を指すと考えられている。)、「正五位下鴨布施明神」の脚注に「上仁保村」とあるのに応じている。

76b.鴨布勢神社(赤磐市多賀)

2008-06-12 22:06:15 | Weblog
鴨布勢神社(かもふせじんじゃ)。
場所:赤磐市多賀1610。赤磐市市街地から県道27号線(岡山吉井線)を北上し、「多賀上」交差点で左折(西へ)、県道364号線(矢知赤坂線)に入る。交差点から約1km、多賀1620番地の民家の裏(北)に「郷ノ佐古池」という池がある。その東岸から急な山道を登っていく。もちろん駐車場はないので、池への入り口か、県道の広めなところにでも駐車していくしかない。10分ほどの山登りで到着。なお、こちらは脇道で、本来は、手前、県道から狭い道路に入ったところ、多賀1597番地の民家の裏(北)に参道入り口がある。石柱があるが、どうみても、民家の庭にお邪魔して登っていくような感じである。こちらからのほうが距離はやや長いが、緩やかである。途中に鳥居もある(写真上)。
岡山県神社庁のHPでは、祭神は水分神(みくまりのかみ)となっているが、社殿に掲げられた説明板では、大己貴命・鴨事代主命となっている。中古、「紫明現」と称したという。


岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=10038


写真上:山道の参道の途中にある鳥居


写真下:本殿。夏草が伸びていた。