備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム269.一宮(その32・陸奥国・鹽竈神社)

2014-08-16 23:11:31 | Weblog
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)。
場所:宮城県塩竈市一森山1-1。JR仙石線「本塩釜」駅の西、約920m(表参道の石鳥居まで)。または、JR東北本線「塩釜」駅の北、約1.1km。駐車場は宮城県道3号線、「塩竃市壱番館庁舎」西側の十字路から北に向かい、最初の信号を左折(西へ)。
社伝によれば、「鹽竈神社」は、武甕槌命と経津主神による東北地方平定の折、道案内をした塩土老翁神(シオツチノオジ)が当地に留まって村人に漁業や製塩を教えたことに始まるという。勿論、これは「神話」で、神社としての創建時期は不明。不思議なのは、「延喜式」の神名帳には当神社の名がない、即ち、式外社ということになる。ところが、「延喜式」より前の「弘仁式」(820年頃編纂開始)の主税式には「鹽竈神を祭る料壱萬束」とあり、これは「延喜式」主税式にも受け継がれている。この祭祀料は陸奥国正税の約10分の1に当たるという莫大なものである。にも拘らず、神名帳に名がないというのは大きな謎である。
神亀元年(724年)、当神社の西南約5kmのところに「多賀城」(現・宮城県多賀城市市川)が築城され、陸奥国府・鎮守府として機能した。塩釜湾が国府津であったといわれており、当神社は陸奥国府と強い関係があったと考えられる。国府が衰退した後も、奥州藤原氏、鎌倉幕府、伊達氏の強い庇護を受けたことから、「東北鎮護」・「陸奥一宮」と称されたものと思われる。ただし、「一宮」を式内社に限る、とする立場からすれば、当神社は除外されることになる(その場合、一般には式内社「都々古別神社」(現・福島県棚倉町)が「陸奥国一宮」とされる。)。備前国一宮「吉備津彦神社」(2009年3月20日記事)も式内社ではないが、一宮であることは殆ど疑いがない。そうすると、単に「延喜式」に記載漏れがあったのかもしれず、実態をみれば、当神社が「陸奥国一宮」にふさわしいとも言えるだろう。


「陸奥国一宮 鹽竈神社」のHP


写真1:「鹽竈神社」正面(南側)の表参道「表坂」前にある「東北鎮護鹽竈神社」の社号標


写真2:同上、表坂の下にある鳥居。扁額に「陸奥國一宮」とある。


写真3:同上、豪壮な随神門


写真4:同上、唐門


写真5:同上、残念ながら参拝時には、左右宮拝殿が修繕中。左宮に武甕槌神・右宮に経津主神を祀る。


写真6:同上、別宮。塩土老翁神を祀る。まず主祭神である、こちらに参拝した後、左右宮にお参りする。別宮は西向きに建てられており、塩釜湾を背負う形。別宮と左右宮の3本殿・2拝殿の形は全国的にも珍しいという。


写真7:同じ境内に鎮座する式内社「志波彦神社」の鳥居。現在では、「志波彦神社鹽竈神社」が正式名称で、2社で1つの宗教法人となっている。明治期に「志波彦神社」のほうが遷座してきた。。


写真8:「志波彦神社」社殿


写真9:「志波彦神社」前から東に塩釜湾が見える。

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