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■日本が豊かに強くなるとき

2024-04-15 | ●中西語録

■■■■■■■■日本が,豊かに強くなるとき■■■■■■■■


中西英樹
タイ王国チェンライ市在住 & ロングスティヤー

■■飯山陽さんの心意気
🔵
衆院東京15区補欠選挙に,イスラム思想研究者の飯山陽さんが, 日本保
守党から出馬することになった。数年前,彼女の著書「イスラム教の論理
(新潮新書)を読んだことがあり,学識には敬服していた。
日本保守党は 作家の百田尚樹氏が自民党のLGBT法案可決に怒って結成し
た政治団体だ。従来の保守政党に飽き足らぬ人々の支持を受け, 有料党員
数は6万人を越えるという。

  (日本保守党、百田代表と飯山あかり,江東区支部長)出典:日本保守党)
飯山さんは「今の政治家は日本を貧しく,弱くするような 政治をしている。
座視するのは忍びない]と述べ「日本を豊かに強くする政策理念を 掲げる
日本保守党に共感した」さらに「ノルマンジー作戦でも誰かが  先陣を切
らなければいけなかった,私が日本保守党の先駆けになります」と 決意を
語っている。

出馬会見をユーチューブで視聴したが「私は国費留学させてもらい, 今の
自分があると思っている。これからは お国にお返しができるよう 頑張り
たい」と言っていた。国費留学した学者の中で 国の恩に報いたいと考え,
行動する人はどれだけいるだろ。飯山氏の勇気と志に感動した。


■■チェンライで戦没者慰霊祭
🔵
先頃、日本人会の知り合いが我が家にやってきた。どうということも
ない雑談に興じたわけだが, 彼がチェンライでも戦没者慰霊祭を挙行して
はどうか,という提案をした。
戦没者慰霊祭は毎年,チェンマイのムーンサーン寺,バンガード高校で行わ
れている。自分がこうして北タイで差別もされず,暖かくタイ人に接して
もらえるのは先人のお蔭と思っている。だから一年に一回くらいは 大東
亜戦争で戦った兵隊さんの慰霊と感謝の気持ちを捧げたいと,毎年のよう
に8月15日にチェンマイの慰霊祭には参列していた。

チェンライ県のゴールデントライアングルを見下ろす高台に, プラタート
プーカオ寺がある。その境内には, いくつかの戦没者慰霊碑が建立されて
いる。この慰霊碑の前で, チェンライ日本人会主催の慰霊祭を8月6日の平
和記念日に行おうという。

🔵どうしてこの寺に慰霊碑が建立されているのかわからない。総領事館
経由で厚労省に建立の経緯などを調べてもらったが,よくわからなかった
そうだ。チェンマイの慰霊祭の2つの会場には野戦病院があり、多くの将
兵が没したところである。クンユアムの泰日友好記念館、ムアイトー寺、
カンチャナブリ等にも慰霊碑はあるが, それぞれ戦没者との関連がはっき
りしている。


プーカオ寺の慰霊碑の中には「タイ・ビルマ方面,現地人戦没者慰霊碑」が
あり,このように刻まれている。「この慰霊碑は,第二次世界大戦時に,タイ
・ビルマ方面に進駐した日本軍によって, 不幸にも多くの現地の人が  殺害
されました。それ等の人々を慰霊するために建立したものです。合掌して
ください」。旧日本軍は現地人を「殺害」するためにインパール作戦を行
ったのではない。それにタイは日本の同盟国だったからタイ人を殺害する
理由もない。恐らくサヨクの人が建てた碑だろう。

自分は原爆投下の8月6日に 日本が悪うございました、と合掌する気には
なれない。戦没者慰霊祭は,やはり天皇皇后両陛下が武道館でお言葉を述
べられる8月15日をおいて他はない。


先人への感謝の気持ち
🔵チェンマイの慰霊祭は, 日本人会とは関係なく「戦没者慰霊祭実行委員
」の有志によって長年続けられている。チェンライ日本人会が主催する 
慰霊祭が挙行されるにしても, これまでチェンマイの慰霊祭に 参列しなか
った会員がどれだけ集まるか疑問である。チェンライには, 旧日本軍との
歴史が こうあって,ここでこれだけの方々が亡くなった, 日本人としてどう
しても慰霊祭を挙行したい、そうでなければ自分の気持ちがすまないとい
う志を持つ人々に支えられて慰霊祭は行われるべきだと思う。

             
保守とは旧弊にしがみつく頑迷な思想ではない。飯山陽さんは「保守とは
自分の大事な人や大事な場所、大事なものを守っていく思想だ」という。
日本のお祭りでも,地域の伝統を守り、それを守り育てた先祖を敬い, 地域
の人々を大切に思い,その伝統,慣習を次世代につなげようという思いに 支
えられている。日本が豊かに強くなれば自然と先人に感謝する心、愛国心
が生まれ、チェンライでどうしても慰霊祭をやりたいという有志が澎湃と
して出現するのではないか。

実は日本人会の若い方(といっても40歳くらい)が、チェンライの慰霊祭
の話にそれはいいことです、と即座に賛意を示したと聞いた。日本保守党
の一種のブームといい、若い人の戦没将兵への思いといい、日本と日本国
民にいくらかの希望を見出しているところである。

■■説教,昔話,自慢話
(出典:女性自身

高田純次の自戒
🔵「歳とってやっちゃいけない事は『説教』と『昔話』と『自慢話』だ
よ」これは高田純次が, 2015年7月に放送された毎日放送『情熱大陸』で
述べた言葉だ。
チェンライに遊びに来た息子が「お父さん、」とこの言葉を紹介してくれ
た。聞いた時は,なんだとー、と不快に思った。歳を取ってこの3つをやめ
たら何を話せばいいんだ。これから勉強して国連職員になり、世界平和の
ために働きたいとかの夢を語れとでもいうのか、大体、説教しちゃいけな
いなどと、お前が俺に説教しているのではないか。


考えてみたら現役の頃、上司、同僚にも 「説教」と「昔話」と「自慢話
」を常々,聞かされていたように思う。でも若い頃は「説教」を 親身な
忠告,「昔話」は有益な先行事例、自慢話だって懸案解決の近道、能力
発揮の成功例として素直に聞いていた。その割には大した人生を送って
いないではないか,と揶揄されるかもしれないが、聞いていなかったら我
が人生、もっと悲惨な結末を迎えていたに違いない。

今、こうして貧しくとも日々口に糊し,粗末なれども寒風を防げる衣服に
身を包み,雨露を凌げる家に住み、亡父の没年をはるかに超える老齢であ
りながらスタスタ歩けるのは,これまで多くの人にお世話になってきたお
陰、日本に生まれたお蔭であると感謝している。

いつも山岳民族の竹壁の家に生まれなくてよかったなあ,と考える。情け
ないが同情する前に その境遇にならなかった巡り合わせに手を合わせて
しまう。女中のブアさんが「日本人に生まれたということは 前世で相当
のタンブンを積んだからでしょう」という。
タンブンを積んだ覚えはないが,来世で牛や馬、あるいは中国人に生まれ
変わらないようお寺や坊さんへのタンブンは欠かさない。

説教
🔵説教はとは、宗教の教義・教典を, その信者や民衆に,口頭で 説き明か
す事。また,そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて,目下
の者に対して,教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう
場合もある。
説教をする人には高度な知識、見識が要求され,聞く人に「なるほど」と
理解させねばならない。知識,見識,経験となるとやはり20歳の若者よりも
老人の発する言葉のほうが説得力を持つ。

ローマの枢機卿の平均年齢は70歳を超えている。「お若いの, 年寄りの言
うことを聞きなされ」これは神父ばかりでなく一般民衆の社会でも受け入
れられていたことと思う。
しかし乍ら,世界中のカトリック教会で性的虐待問題が明るみに出てきた。
2021年10月5日に発表されたフランスでの調査報告では,1950年以降,フラ
ンス国内では推計21万人以上の未成年者が, カトリック教会の聖職者など
3000人以上から性被害を受けたという。年寄りの言う事を聞いたら 大変
なことになる場合もあるということだ。


昔話,自慢話
🔵亀を虐めている子供たちから, 浦島太郎は亀を助けて海に逃がしてやり
ました。昔話をしてはいけないというなら浦島太郎の話はいけないのか。
これは冗談。嫌われる昔話は「俺の若い頃はなあ,算盤片手に終電まで 男
も女も決算作業をやったもんよ」と言った類のものだ。
昔話は, 自慢話と繋がっていることが多い。更に, 自分と自分の経験を美化
する事によって今の風潮,若い世代を貶す、これが煙たがられる

天下のご意見番, 大久保彦左衛門は、特に武功はなかったというが「時に
元亀3年,三方ヶ原の戦いに」などと昔の話を持ち出して徳川家光を辟易さ
せる。これは講談やドラマでお馴染みである。
どうせ昔話をするなら源平合戦(治承・寿永の乱)とか文永, 弘安の役を
引いて,歴史的な大局観をもって 具体的な政策具申をすればよかったと思
うが、講談,ドラマでは年の功を笠に着て将軍を困らしているだけだ。

彦左衛門には 子孫への教訓のために書き残した 3巻3冊からなる自伝『三
河物語(みかわものがたり)』の著書がある。読んではいないが 「忠節一
筋に艱難(かんなん)辛苦を耐え,たびたびの合戦で一族に 多大な犠牲を
出しながら,懸命に徳川に奉公してきたのに,大久保一族は何一つ報われな
い」という恨み言を連綿と書き綴ったものという。

彦左衛門は享年80歳、当時としては長寿を全うしたと言えるが,不平,不満
を抱き続けた一生は幸せだったと言えるだろうか。
    
🔵高田純次は「失敗があって普通。苦労して当たり前」,
「自分が人並み以上の努力をしたかといえば,そんなことは全くない。ただ
ひとつ他人よりも少しだけ『楽しく生きよう』と思っていたかもしれま
せん」と言う。
自慢話であっても人生に前向きの人の話なら 聞く価値があるかもしれない。

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