前年の1994年6月には長野県で裁判官官舎を狙ってオウム真理教の信者がサリンを噴霧し、近くの単身者用マンションや社員寮に住む7人が死亡した『松本サリン事件』が起きました。また、國松孝次警察庁長官(当時)狙撃事件や東京の地下鉄新宿駅構内での青酸ガス発生未遂事件などオウム真理教が仕掛けた事件が相次ぎ、国民を不安に陥れました。
警察は95年3月22日、山梨県上九一色村(当時)の教団施設に踏み込んで一斉捜索を行い、5月に同施設内で教団代表の麻原彰晃(本名松本智津夫)を逮捕しました。教団が絡んだ事件での起訴は、2012年までに192人にものぼりました。
私はあの日、母が入院していた国立がんセンター東病院に行くために、朝早くに地下鉄千代田線に乗って柏駅に向かっていました。無事に病院に到着した私は前日の夜から泊まり込んでいた妹と交代し、妹は都内の勤務先に出発していきました。
しばらくすると、ベッドに寝ていた母が
「おまえ、今日地下鉄に乗ってきたんでしょ?」
と聞いてきたので
「うん、そうだけど何?」
と答えました。すると母は、音声を消したテレビを指さして
「何だか大手町の駅で沢山人が倒れてるけど、何かあったの?」
と聞いてきたのです。
『?』と思いながらテレビの音量を上げていくと、そこには
道路にバタバタと人々が倒れていて、救急隊員や消防隊員が対応に追われている異様な光景が映し出されていました。最初は母も私も何が起きているのか分からず、テレビからも
「地下鉄構内でガス爆発があった模様です」
という報道が流れていましたから、よもや化学兵器によるテロだとは夢にも思いませんでした。
私と入れ違いに出ていった妹とは、随分時間が経ってから何とか連絡をとることができました。現在のように携帯電話が普及する前のことで公衆電話に長蛇の列ができてしまったために、電話をするためにものすごく時間がかかってしまったとのことでした。
後で調べてみたところ、事件のあった電車は私が大手町駅を通過した数本後のものでした。つまり、もし私があと少し家を出るのが遅かったら、私もあの累々と横たわる群衆の中にいたかも知れないのです。
そんなこともあって、私の中では決して忘れることのできない事件となっています。しかし、昨今では東日本大震災や、同じ年に発生した阪神淡路大震災と比べると、残念ながらめっきりニュースにならなくなっているのが現状です。
かつて日本は
『安全と水はタダだ』
などと言われていた時代がありました。そんな日本の安全神話を根底から覆したこの事件を、絶対に風化させてはいけないと思います。
今日はその事件の犠牲者の御霊に、サミュエル・バーバーの《弦楽のためのアダージョ》に基づく《アニュス・デイ》を捧げます。空前絶後の化学兵器テロに倒れてしまった全ての犠牲者の御霊安かれと祈ります。
合掌。