今日は湿度さえ気にしなければ、そこそこ涼しくて過ごしやすい気温となりました。そんな中、今日は稲城市民オペラの公演を鑑賞するために、東京都稲城市に出掛けました。
一昨年《椿姫》で旗揚げしたこの市民オペラも回を数えることもう3回目、昨年はホールが改修工事中だったため別会場でのガラ・コンサートでしたが、今回は改修を無事に終えたホームグラウンドたるホールでの公演となりました。新装したホールでの記念すべき公演に選ばれたプログラムは、ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世の不朽の名作オペレッタ《こうもり》です。
久しぶりのオペラ鑑賞ということで、妙に朝からウキウキしていました。通常よりも早い時間からの公演でしたので、少しばかり余裕をもって現地に到着するように出発…したのですが、何と時間を読み違えてとんでもなく早く到着してしまい、御覧のような有り様でした。いくら楽しみにしていたとは言え、誰もいないホールに一番乗りするという、遠足の日の小学生のようなことをやらかしたわけです。
しかも間が悪いことに、何とその有り様を代表者である先輩に見つかってしまったからさぁ大変!もう慌てるやら恥ずかしいやら…(*/□\*)。そうしたら先輩が
「いいよ、折角だから中に入りなよ。」
と、開場前にもかかわらず入れて下さったのです。
中では
第1幕のスタンバイが整えられていました。実はゲネプロ(ゲネラルプローベ=最終リハーサル)自体は昨日のうちに終えてしまったということで、こんなフライングが可能だったそうです。
なるべく他の方々の邪魔にならないように、《椿姫》公演の時に座った上手の天井桟敷に座らせて頂く準備をしてから、まだまだ時間があるので一旦外へ出ることにしました。やがて外に長蛇の列が出来た頃にシレッと最後尾に並んで、チケット受付をすませてから改めて席に着き、開演を待ちました。
《こうもり》のストーリー自体は、かつて仮面舞踏会で蝶々に扮した銀行家アイゼンシュタイン氏が、こうもりに扮して人気を博し、酔い潰れてしまったファルケ博士を泥酔したままウィーンの街角に放り出して恥をかかせたことに端を発したことに始まります。『こうもり博士』とウィーン中の笑い者になってしまったファルケは、自らの資金力と人脈とにものを言わせて、大がかりな『復讐劇』を開演します。
この復讐劇がとにかく大がかり、何しろアイゼンシュタインの妻ロザリンデや女中のアデーレ、アイゼンシュタインが禁固刑を受けることになっている刑務所長のフランク、ロシア系の王族であろうオルロフスキー公までを巻き込んでの大パーティなのです。正に『目には目を、パーティの恥はパーティで』といったところでしょう。
その内容たるや、先ずアイゼンシュタイン氏をフランス貴族ルナール侯爵として王族オルロフスキー公に紹介され、ワインの代わりにウォッカをひたすら呑まされ、ドレスアップして登場したアデーレに満座の中でコケにされ、フランク扮するシャグラン男爵とトンチンカンなフランス語会話をさせられ、挙げ句妻ロザリンデが扮したハンガリーの某公爵婦人をナンパするも失敗し、ナンパアイテムの金時計まで取り上げられてしまうという散々なもの。これだけのことが第2幕の前半だけでアイゼンシュタイン氏の身に降りかかるのですから、たまったものではありません。
その後もパーティは続きますが、やがて朝6時を告げる時計の鐘の音に慌てふためき、同じ場所へと急ぎ帰るルナール侯爵とシャグラン男爵…ならぬ受刑者アイゼンシュタイン氏と刑務所長フランクを、社交界の面々が大爆笑で送り出します。刑務所に出頭したアイゼンシュタイン氏によってファルケから『こうもりの復讐』が成就したことが明かされ、ぐうの音も出ないアイゼンシュタイン氏は、直前まで間男アルフレードとの浮気をなじり倒していたロザリンデに膝をついて「全てはシャンパンのせいなんだ。」と赦しを乞い、華やかに幕を閉じます。
私は今までに4~5回ほど《こうもり》を演奏で参加したことがあるのですが、その度に《こうもり》の内容において不思議に思っていることが2つありました。
1つは、何故ファルケはこれほどまでの多様な社交界の面々を、自分一人の都合のいいように動かすことが出来たのか…ということです。
ファルケ博士は弁護士であるという設定も為されているようです。しかしたとえそうだとしても、一介の弁護士が銀行家や中産階級だけでなく、王族であるオルロフスキー公まで引っ張り出して、配役を与えてのやりたい放題…そんなことってあるだろうか?と、長いこと思っていました。
しかし、これは当時の世界情勢と重ねると分かるような気がします。
名家ハプスブルグ家をはじめとした王族貴族は言うに及ばず、巨額の資金力を誇る銀行家も、産業革命と共にのし上がってきた成金も、官吏や軍属でさえも世紀末の浮き世においては明日の月日の定めぬ身の上、首元が冷ややかでない人など誰もいなかったでしょう。中には強引な取引をしたり、違法スレスレの危ない橋を渡っていたりした人たちだって居たに違いありません。
思うに恐らくファルケは、こうした混沌とした社会情勢の中を切り抜けてきた辣腕弁護士なのでしょう。そして《こうもり》の登場人物達は皆…王族オルロフスキー公ですら…大なり小なり様々な『イタいところ』を辣腕弁護士ファルケに掴まれているのかも知れません。だからこそファルケは、これだけの好き放題をやらかすことが出来たのではないでしょうか。ただ財力にものを言わせただけでは、これだけの一定以上の階級の人々を動かすことなど不可能なはずです。
そしてもう1つの疑問は、奇しくも演出家である先輩が今回のプログラムに演出ノートとして書いておられることと近いものでした。それは、復讐に執念を燃やしているはずのファルケが
『皆兄弟姉妹として、互いにDu(ドゥ)と呼び合いましょう』
という、このパーティの秘められた主旨とは正反対の何とも感動的かつ感傷的なことを、しかも先陣を切って歌い出すことです(因みにドイツ語では二人称の言い方が2つあります。通常はSieと呼びますが、恋人や家族といったより近しい関係の場合にはDuを使います)。
このことについて、演出ノートには
『言葉や立場と、音楽が与える印象とかとても違っている事、いわば矛盾が、特に《名作》と言われるオペラやオペレッタてはよくあります。私はそういう所にこそ、作曲家の真意があると思っています。』
『今回の上演では、無論、それぞれの騙し合いの面白さ、復讐劇のキレを明確に演出したいと思っていますが、もっと大事にしたい事が、この《矛盾》です。』
とありました。
この文章を拝見して、少し謎が解けたような気がしました。
世界史でも出てきますが、19世紀末のオーストリアを取り巻く環境は緊張と混迷の度合いを深めていた時代でした。それまで政略結婚という平和的な形で君臨していたオーストリアがプロイセンとの普墺戦争に敗れて孤立し、『ウィーンの大破局』と呼ばれた経済混乱を招き、人々の生活と精神は疲弊していきます。そんな中でもオーストリア=ハプスブルグ家としては何とか平和裏に事態を打開すべく手を尽くそうとしますが上手くいかず、反って第一次世界大戦の火蓋まで切ってしまうことになるのです。
通常であれば、これだけ王室が不甲斐ないと民衆が蜂起して革命か勃発し、フランスのブルボン家やロシアのロマノフ家のように王族が血祭りにあげられることになるかと思います。しかしオーストリアではそのようなことは起こらず、最終的にハプスブルグ家は一切の政治的実権を放棄して一般市民になり、市民側もそれを許しました(現在でも末裔の方がシェーンブルン宮殿の一室で生活していらっしゃいます)。これはヨーロッパの歴史の中では驚くべきことです。
しかし、これこそがオーストリア気質とでも言うべきものなのではないかと思います。
ヨーロッパの多くの国が戦争によって他国との関係を勝ち取ってきた中で、オーストリアは長きに渡って他国との政略結婚を重ね、戦火を交えること無く国交を結び、国力を保ってきました。それだけオーストリアの人々は、本来争い事を嫌う、若しくは苦手な気質の人々だとも言うことが出来るかと思います。
この《こうもり》という作品の中にも、生粋のオーストリア人としてのヨハン・シュトラウスⅡ世の思いが織り込まれているわけです。
先輩の演出ノートにも
「復讐とは言うけれど、本心では許し合いましょうよ。」
という平和への願いが溢れているのではないか…とありましたが、私もその通りだと思います。
それはオルロフスキー公の歌に出てくる『十人十色』と訳されたフランス語にも表れているように思います。
これは多様性を認める言葉であって、ともすると唯一絶対の神を戴く一神教の道徳観では成熟しにくいものかも知れません。しかし、敢えて他者を認め合う=許し合うことによって相互理解を深められれば、相手の考え方にだって一理あることを落ち着いて認めることだってできるはずです。
それは、言葉を選ばずに言えば、一神教に起こりがちな他を認めない『原理主義』とは正反対の、非常に柔軟な考え方であるということが出来るかと思います。もしかしたら、この《こうもり》が日本人にこれだけ受け入れられているという背景には、日本古来からの八百萬的なものの考え方と、この作品の根底にある多様性の認め合いという部分に、相容れる何かを感じているからかも知れません。
さて、今回の公演にも小劇場ならではの様々な工夫が為されていました。
オーケストラは前回の《椿姫》同様、ピアノ・ヴァイオリン・クラリネット・ファゴットの4名のみのアンサンブルで行われました。前回のこともあって、特に低音の鳴り方に不安がありましたが、今回は
ピアノを上蓋を開けるだけでなく、鍵盤下の板まで外しての演奏となりました。このことによって、《椿姫》の時よりも格段にピアノの低音が客席まで伸びて、実に安定感のあるアンサンブルとなっていました。
欲を言えば、特にアイゼンシュタイン氏のナンパアイテムの金時計について。
この時計は、懐中時計ながら愛らしいベルの音が鳴ることで女性達を惹き付けます。通常オーケストラで演奏する場合にはグロッケンシュピールやトライアングルといった金属的な高音を響かせて表現するのですが、今回はピアノの高めのラの音を連打することで代用していました。それはそれで、曲を知っている身としては頭で補填して楽しむことが出来ましたが、中にはそれが時計の音だと気づかなかった方もいらしたようでした。なので、出来ればそこだけでも出来れば誰かに何らかの金属打楽器を叩いても良かったかな…と思いました。
《こうもり》はオペレッタ、つまり、歌と歌の間はミュージカルのように台詞ですから、様々なアドリブが飛び交います。今回は全編日本語上演ですから、各キャストともノリノリです。
序曲の後、ステージ裏から聞こえてくるはずのアルフレードの声がえらく近くから聞こえる…と思ったら、何と客席の後ろからアルフレードが客席の御婦人方に何やら渡しつつ歌いながら階段を降りて来ました。その後上手いこと上がり込んでロザリンデと再会しているところに裁判に敗れたアイゼンシュタイン氏と弁護士のブリントが雪崩れ込んで来たのですが、何とアルフレードが逃げ損ねてしまったのです!
へ?どうするの?と思っていたら、何とアルフレード君、たまたま近くにあった花瓶置きの台の向こう側に回って何やらの胸像のふりでフリーズするという離れ業で、何とピンチをすり抜けてしまいました。これには客席も大笑い、さすがはのっけから魅せて下さいます。
ファルケからパーティに誘われたアイゼンシュタイン氏が浮かれているところにロザリンデが何とも野暮ったい上着を持ってくると、アイゼンシュタイン氏は一張羅で行く!と息巻いて出ていってしまいます。そこでロザリンデか言うには
「貴方の一張羅なら東長沼のクリーニングスズキに出しちゃったわよ!」
これはプログラムに載っていた広告のお店の名前、何と生コマーシャルをかましてしまったのであります。地元ネタだけに、多いに受けていました。
その後、ファルケと二人きりになったロザリンデ。やがてファルケが《ドン・ジョヴァンニ》の『お手をどうぞ』を歌いながらそっと抱き締め、ロザリンデもそれに応えて歌い出し…ますが、すぐにスルリとすり抜けます。それにしてもアルフレードと言いファルケと言い、一体何人の男を泣かせてきたのか、このロザリンデ恐るべし…。
やがてアイゼンシュタイン氏とアデーレが偽パーティに出発してしまったのと入れ替わりにアルフレードがやって来て、今日から僕がここの主人!…と、ソファーにあったガウンを羽織ろう…としたのですが、ここでアクシデント。何とアルフレード君はガウンの右袖に誤って左腕を突っ込んでしまったため、そのまましばらく舞台上で悶絶するハメに…。
一段落したところにアイゼンシュタイン氏を迎えに来た刑務所長フランク。アルフレード扮する偽アイゼンシュタイン氏と陽気に酒を酌み交わします。このフランク氏、この後終始この舞台での笑いの中心となっていました。ただ、これが元来の性格によるものなのか、この公演で才能が開花なさったのかは定かではありません…。
第2幕でもフランク氏は、主たる男性陣が夜会の正装である燕尾服にホワイトタイでキメている中に、一人だけ昼間の正装であるモーニングにコントのように巨大なピンクの蝶ネクタイで現れてしまうという猛者っぷりを発揮してくれました。第3幕でも、とかくフロッシュの方が笑いの中心になりがちなところ、客席経由で酔っ払って帰ってくる辺りからやりたい放題好き放題。前日行われた無観客でのAKB総選挙といった時事ネタを織り込みながら笑いをとっていました。この方、確か《椿姫》ではジェルモン父さんだったはず…。
アデーレは、ちょっとロザリンデに喰われ気味。特に第2幕のパーティでは厚かましさとコケティッシュさが要求されてくるところですが、終始硬さが滲み出ていたのがちょっと残念。でも、過日私から稲城市民オペラに寄付させて頂いた扇を使って下さって嬉しかったです。
イーダは、アデーレ扮するオルガとの丁々発止がなかなか楽しく、舞台上でも積極的に動いてくれていました。ブリントの、アイゼンシュタイン氏にカツラをもぎ取られた時のギャップにも大笑いしましたし、フロッシュの、ワインやシャンパンとは違う安酒特有の顔の酒焼けの仕方には恐れ入りました。
最後には
万雷の拍手の中で、洒脱に満ちたウィーンの夜会は幕を降ろしました。
次回は来年4月に、ビゼーの《カルメン》(日本語上演)が決定したとのことでした。今度は社交界とは打って変わった情熱的な舞台にどんな稲城市民オペラワールドを転回してくれるのか、今から楽しみです。
一昨年《椿姫》で旗揚げしたこの市民オペラも回を数えることもう3回目、昨年はホールが改修工事中だったため別会場でのガラ・コンサートでしたが、今回は改修を無事に終えたホームグラウンドたるホールでの公演となりました。新装したホールでの記念すべき公演に選ばれたプログラムは、ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世の不朽の名作オペレッタ《こうもり》です。
久しぶりのオペラ鑑賞ということで、妙に朝からウキウキしていました。通常よりも早い時間からの公演でしたので、少しばかり余裕をもって現地に到着するように出発…したのですが、何と時間を読み違えてとんでもなく早く到着してしまい、御覧のような有り様でした。いくら楽しみにしていたとは言え、誰もいないホールに一番乗りするという、遠足の日の小学生のようなことをやらかしたわけです。
しかも間が悪いことに、何とその有り様を代表者である先輩に見つかってしまったからさぁ大変!もう慌てるやら恥ずかしいやら…(*/□\*)。そうしたら先輩が
「いいよ、折角だから中に入りなよ。」
と、開場前にもかかわらず入れて下さったのです。
中では
第1幕のスタンバイが整えられていました。実はゲネプロ(ゲネラルプローベ=最終リハーサル)自体は昨日のうちに終えてしまったということで、こんなフライングが可能だったそうです。
なるべく他の方々の邪魔にならないように、《椿姫》公演の時に座った上手の天井桟敷に座らせて頂く準備をしてから、まだまだ時間があるので一旦外へ出ることにしました。やがて外に長蛇の列が出来た頃にシレッと最後尾に並んで、チケット受付をすませてから改めて席に着き、開演を待ちました。
《こうもり》のストーリー自体は、かつて仮面舞踏会で蝶々に扮した銀行家アイゼンシュタイン氏が、こうもりに扮して人気を博し、酔い潰れてしまったファルケ博士を泥酔したままウィーンの街角に放り出して恥をかかせたことに端を発したことに始まります。『こうもり博士』とウィーン中の笑い者になってしまったファルケは、自らの資金力と人脈とにものを言わせて、大がかりな『復讐劇』を開演します。
この復讐劇がとにかく大がかり、何しろアイゼンシュタインの妻ロザリンデや女中のアデーレ、アイゼンシュタインが禁固刑を受けることになっている刑務所長のフランク、ロシア系の王族であろうオルロフスキー公までを巻き込んでの大パーティなのです。正に『目には目を、パーティの恥はパーティで』といったところでしょう。
その内容たるや、先ずアイゼンシュタイン氏をフランス貴族ルナール侯爵として王族オルロフスキー公に紹介され、ワインの代わりにウォッカをひたすら呑まされ、ドレスアップして登場したアデーレに満座の中でコケにされ、フランク扮するシャグラン男爵とトンチンカンなフランス語会話をさせられ、挙げ句妻ロザリンデが扮したハンガリーの某公爵婦人をナンパするも失敗し、ナンパアイテムの金時計まで取り上げられてしまうという散々なもの。これだけのことが第2幕の前半だけでアイゼンシュタイン氏の身に降りかかるのですから、たまったものではありません。
その後もパーティは続きますが、やがて朝6時を告げる時計の鐘の音に慌てふためき、同じ場所へと急ぎ帰るルナール侯爵とシャグラン男爵…ならぬ受刑者アイゼンシュタイン氏と刑務所長フランクを、社交界の面々が大爆笑で送り出します。刑務所に出頭したアイゼンシュタイン氏によってファルケから『こうもりの復讐』が成就したことが明かされ、ぐうの音も出ないアイゼンシュタイン氏は、直前まで間男アルフレードとの浮気をなじり倒していたロザリンデに膝をついて「全てはシャンパンのせいなんだ。」と赦しを乞い、華やかに幕を閉じます。
私は今までに4~5回ほど《こうもり》を演奏で参加したことがあるのですが、その度に《こうもり》の内容において不思議に思っていることが2つありました。
1つは、何故ファルケはこれほどまでの多様な社交界の面々を、自分一人の都合のいいように動かすことが出来たのか…ということです。
ファルケ博士は弁護士であるという設定も為されているようです。しかしたとえそうだとしても、一介の弁護士が銀行家や中産階級だけでなく、王族であるオルロフスキー公まで引っ張り出して、配役を与えてのやりたい放題…そんなことってあるだろうか?と、長いこと思っていました。
しかし、これは当時の世界情勢と重ねると分かるような気がします。
名家ハプスブルグ家をはじめとした王族貴族は言うに及ばず、巨額の資金力を誇る銀行家も、産業革命と共にのし上がってきた成金も、官吏や軍属でさえも世紀末の浮き世においては明日の月日の定めぬ身の上、首元が冷ややかでない人など誰もいなかったでしょう。中には強引な取引をしたり、違法スレスレの危ない橋を渡っていたりした人たちだって居たに違いありません。
思うに恐らくファルケは、こうした混沌とした社会情勢の中を切り抜けてきた辣腕弁護士なのでしょう。そして《こうもり》の登場人物達は皆…王族オルロフスキー公ですら…大なり小なり様々な『イタいところ』を辣腕弁護士ファルケに掴まれているのかも知れません。だからこそファルケは、これだけの好き放題をやらかすことが出来たのではないでしょうか。ただ財力にものを言わせただけでは、これだけの一定以上の階級の人々を動かすことなど不可能なはずです。
そしてもう1つの疑問は、奇しくも演出家である先輩が今回のプログラムに演出ノートとして書いておられることと近いものでした。それは、復讐に執念を燃やしているはずのファルケが
『皆兄弟姉妹として、互いにDu(ドゥ)と呼び合いましょう』
という、このパーティの秘められた主旨とは正反対の何とも感動的かつ感傷的なことを、しかも先陣を切って歌い出すことです(因みにドイツ語では二人称の言い方が2つあります。通常はSieと呼びますが、恋人や家族といったより近しい関係の場合にはDuを使います)。
このことについて、演出ノートには
『言葉や立場と、音楽が与える印象とかとても違っている事、いわば矛盾が、特に《名作》と言われるオペラやオペレッタてはよくあります。私はそういう所にこそ、作曲家の真意があると思っています。』
『今回の上演では、無論、それぞれの騙し合いの面白さ、復讐劇のキレを明確に演出したいと思っていますが、もっと大事にしたい事が、この《矛盾》です。』
とありました。
この文章を拝見して、少し謎が解けたような気がしました。
世界史でも出てきますが、19世紀末のオーストリアを取り巻く環境は緊張と混迷の度合いを深めていた時代でした。それまで政略結婚という平和的な形で君臨していたオーストリアがプロイセンとの普墺戦争に敗れて孤立し、『ウィーンの大破局』と呼ばれた経済混乱を招き、人々の生活と精神は疲弊していきます。そんな中でもオーストリア=ハプスブルグ家としては何とか平和裏に事態を打開すべく手を尽くそうとしますが上手くいかず、反って第一次世界大戦の火蓋まで切ってしまうことになるのです。
通常であれば、これだけ王室が不甲斐ないと民衆が蜂起して革命か勃発し、フランスのブルボン家やロシアのロマノフ家のように王族が血祭りにあげられることになるかと思います。しかしオーストリアではそのようなことは起こらず、最終的にハプスブルグ家は一切の政治的実権を放棄して一般市民になり、市民側もそれを許しました(現在でも末裔の方がシェーンブルン宮殿の一室で生活していらっしゃいます)。これはヨーロッパの歴史の中では驚くべきことです。
しかし、これこそがオーストリア気質とでも言うべきものなのではないかと思います。
ヨーロッパの多くの国が戦争によって他国との関係を勝ち取ってきた中で、オーストリアは長きに渡って他国との政略結婚を重ね、戦火を交えること無く国交を結び、国力を保ってきました。それだけオーストリアの人々は、本来争い事を嫌う、若しくは苦手な気質の人々だとも言うことが出来るかと思います。
この《こうもり》という作品の中にも、生粋のオーストリア人としてのヨハン・シュトラウスⅡ世の思いが織り込まれているわけです。
先輩の演出ノートにも
「復讐とは言うけれど、本心では許し合いましょうよ。」
という平和への願いが溢れているのではないか…とありましたが、私もその通りだと思います。
それはオルロフスキー公の歌に出てくる『十人十色』と訳されたフランス語にも表れているように思います。
これは多様性を認める言葉であって、ともすると唯一絶対の神を戴く一神教の道徳観では成熟しにくいものかも知れません。しかし、敢えて他者を認め合う=許し合うことによって相互理解を深められれば、相手の考え方にだって一理あることを落ち着いて認めることだってできるはずです。
それは、言葉を選ばずに言えば、一神教に起こりがちな他を認めない『原理主義』とは正反対の、非常に柔軟な考え方であるということが出来るかと思います。もしかしたら、この《こうもり》が日本人にこれだけ受け入れられているという背景には、日本古来からの八百萬的なものの考え方と、この作品の根底にある多様性の認め合いという部分に、相容れる何かを感じているからかも知れません。
さて、今回の公演にも小劇場ならではの様々な工夫が為されていました。
オーケストラは前回の《椿姫》同様、ピアノ・ヴァイオリン・クラリネット・ファゴットの4名のみのアンサンブルで行われました。前回のこともあって、特に低音の鳴り方に不安がありましたが、今回は
ピアノを上蓋を開けるだけでなく、鍵盤下の板まで外しての演奏となりました。このことによって、《椿姫》の時よりも格段にピアノの低音が客席まで伸びて、実に安定感のあるアンサンブルとなっていました。
欲を言えば、特にアイゼンシュタイン氏のナンパアイテムの金時計について。
この時計は、懐中時計ながら愛らしいベルの音が鳴ることで女性達を惹き付けます。通常オーケストラで演奏する場合にはグロッケンシュピールやトライアングルといった金属的な高音を響かせて表現するのですが、今回はピアノの高めのラの音を連打することで代用していました。それはそれで、曲を知っている身としては頭で補填して楽しむことが出来ましたが、中にはそれが時計の音だと気づかなかった方もいらしたようでした。なので、出来ればそこだけでも出来れば誰かに何らかの金属打楽器を叩いても良かったかな…と思いました。
《こうもり》はオペレッタ、つまり、歌と歌の間はミュージカルのように台詞ですから、様々なアドリブが飛び交います。今回は全編日本語上演ですから、各キャストともノリノリです。
序曲の後、ステージ裏から聞こえてくるはずのアルフレードの声がえらく近くから聞こえる…と思ったら、何と客席の後ろからアルフレードが客席の御婦人方に何やら渡しつつ歌いながら階段を降りて来ました。その後上手いこと上がり込んでロザリンデと再会しているところに裁判に敗れたアイゼンシュタイン氏と弁護士のブリントが雪崩れ込んで来たのですが、何とアルフレードが逃げ損ねてしまったのです!
へ?どうするの?と思っていたら、何とアルフレード君、たまたま近くにあった花瓶置きの台の向こう側に回って何やらの胸像のふりでフリーズするという離れ業で、何とピンチをすり抜けてしまいました。これには客席も大笑い、さすがはのっけから魅せて下さいます。
ファルケからパーティに誘われたアイゼンシュタイン氏が浮かれているところにロザリンデが何とも野暮ったい上着を持ってくると、アイゼンシュタイン氏は一張羅で行く!と息巻いて出ていってしまいます。そこでロザリンデか言うには
「貴方の一張羅なら東長沼のクリーニングスズキに出しちゃったわよ!」
これはプログラムに載っていた広告のお店の名前、何と生コマーシャルをかましてしまったのであります。地元ネタだけに、多いに受けていました。
その後、ファルケと二人きりになったロザリンデ。やがてファルケが《ドン・ジョヴァンニ》の『お手をどうぞ』を歌いながらそっと抱き締め、ロザリンデもそれに応えて歌い出し…ますが、すぐにスルリとすり抜けます。それにしてもアルフレードと言いファルケと言い、一体何人の男を泣かせてきたのか、このロザリンデ恐るべし…。
やがてアイゼンシュタイン氏とアデーレが偽パーティに出発してしまったのと入れ替わりにアルフレードがやって来て、今日から僕がここの主人!…と、ソファーにあったガウンを羽織ろう…としたのですが、ここでアクシデント。何とアルフレード君はガウンの右袖に誤って左腕を突っ込んでしまったため、そのまましばらく舞台上で悶絶するハメに…。
一段落したところにアイゼンシュタイン氏を迎えに来た刑務所長フランク。アルフレード扮する偽アイゼンシュタイン氏と陽気に酒を酌み交わします。このフランク氏、この後終始この舞台での笑いの中心となっていました。ただ、これが元来の性格によるものなのか、この公演で才能が開花なさったのかは定かではありません…。
第2幕でもフランク氏は、主たる男性陣が夜会の正装である燕尾服にホワイトタイでキメている中に、一人だけ昼間の正装であるモーニングにコントのように巨大なピンクの蝶ネクタイで現れてしまうという猛者っぷりを発揮してくれました。第3幕でも、とかくフロッシュの方が笑いの中心になりがちなところ、客席経由で酔っ払って帰ってくる辺りからやりたい放題好き放題。前日行われた無観客でのAKB総選挙といった時事ネタを織り込みながら笑いをとっていました。この方、確か《椿姫》ではジェルモン父さんだったはず…。
アデーレは、ちょっとロザリンデに喰われ気味。特に第2幕のパーティでは厚かましさとコケティッシュさが要求されてくるところですが、終始硬さが滲み出ていたのがちょっと残念。でも、過日私から稲城市民オペラに寄付させて頂いた扇を使って下さって嬉しかったです。
イーダは、アデーレ扮するオルガとの丁々発止がなかなか楽しく、舞台上でも積極的に動いてくれていました。ブリントの、アイゼンシュタイン氏にカツラをもぎ取られた時のギャップにも大笑いしましたし、フロッシュの、ワインやシャンパンとは違う安酒特有の顔の酒焼けの仕方には恐れ入りました。
最後には
万雷の拍手の中で、洒脱に満ちたウィーンの夜会は幕を降ろしました。
次回は来年4月に、ビゼーの《カルメン》(日本語上演)が決定したとのことでした。今度は社交界とは打って変わった情熱的な舞台にどんな稲城市民オペラワールドを転回してくれるのか、今から楽しみです。