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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2009年 の 硫黄島での慰霊祭

2009年06月20日 | 硫黄島・小笠原村
今年も硫黄島に上陸して最初に、訪島者全員での慰霊祭が、平和祈念墓地公園で
行われました。

上陸して到着したのが、早い順番でしたので、慰霊祭が始まるまで
かなりの時間がありましたので、旧島民墓地碑にお参りしたり、
周囲の写真を撮ったりしながら、待ちました。

昨年より少し風があり、気温も低かったかもしれませんが、
それでも暑かったです。

一番前のテントが、代表して挨拶する方などが最前列で
2列目途中からが私たち島民です。
3年続けて同じような席で、2列目の一番左に座りました。

父島と母島の中学校二年生の代表の言葉は、素晴らしかったです。
この訪島のために、何を勉強したか、も話してくれますし、
戦争が激しかった島であることだけでなく、
住民が平和に暮らしていた島でもあったこと
にも、皆さん、ふれてくれていました。
とても、しっかりした、「しっかり勉強してくれた
こういう中学生たちがいることは将来、心強い。」と
思える言葉でした。

「硫黄島も小笠原村」「帰れない、生活していた人がいた島」
であることを、きちんと、勉強して理解してくれていました。
嬉しいことです。

中学生の皆さんは、その後、1日半かけて、島内の
各所を硫黄島協会の方の案内や、先生に先導されて
回ったと思います。
二日目に、舟見岩や、壕の入り口で、一緒になりました。

皆さんが、島の風景、壕の様子などを見て感じたことを
これらかも大切に、いろいろな角度から物を見る勉強を
続けて欲しいと思います。

式典での挨拶で、遺骨収集について、多くの人が
話していました。
「現実が、難しい事業が遺骨収集」だと思いますので、
複雑な気持ちで聞いていました。


中学生代表が千羽鶴を上げてくださいましたが、
今年は、小笠原高校の皆さんの千羽鶴も加わりました。

小笠原高校の皆さんが文化祭「ビーデ祭」に、
硫黄島へ届ける千羽鶴を折るコーナーを設けて下さっていたことは
「エンジョイ!島ライフ」 2009.06.07 「雨のビーデ祭2009」
に紹介してもらっていたので知っていました。
中学二年で訪問しただけではなく高校に入っても
硫黄島の慰霊祭を覚えてくれていて、硫黄島への千羽鶴を
届ける工夫をしてくれました。素晴らしいです。
ありがとうございました。


中学生代表の言葉の後、参加者全員での献花がありました。
それに続いて、全員での、「故郷の廃家」斉唱です。
今年は、島民参加者45人とこれまでで最多でした。
9月の「集い」で集まって、「故郷の廃家」を歌っている
人も多く参加していましたし、昨年と続けて慰霊祭に
参加の人もいました。
「集い」の司会者、「故郷の廃家」を歌う時には、
指揮者と、「間違えそうになる時に合いの手を入れる役」も
今年はいました。

中学生のテントだけに頼らずに、私たち島民のテントも
かなり、きちんと、「故郷の廃家」を歌えていたと
思いました。一昨年、昨年からの進歩が著しかったです。

一昨年は、ひどいもので、歌っていないか、
歌っていても、「荒れたる わが家に」の部分に
4拍休み(全休符)がある部分を先に出てしまって
リズムが合わなくなる人が続出で、
聴くに耐えない、私たち島民テントの歌でした。
私も、まだ、このブログを始める前で、
「故郷の廃家」のメロディーとリズムも知らず、
作詞者の名前、犬童球渓 も、初めて見たのが
2年前の慰霊祭の時点でした。


3年連続になると、写真は同じ場所で撮ったものが
多くなってしまいます。
この写真は今年の慰霊祭の献花、千羽鶴です。

昨年の同じ場面写真を確認しましたが、
昨年のは両側にしか千羽鶴がありませんが、
今年はこの写真の中央に近い部分にも献じられています。
それが小笠原高校からの千羽鶴です。
前に載せたのと似た写真ですが、千羽鶴が一つ多く加わっているというのが
ポイントです。
コメント (1)
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