黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

四国八十八箇所霊場・第八十六番札所『志度寺』

2020年01月27日 20時43分13秒 | 四国88箇所霊場

 

        

 

 

 『志度寺』(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある真言宗善通寺派の寺院で四国八十八箇所霊場の第八十六番札所で本尊は十一面観音菩薩である。

 

 藤原不比等に関わる伝説は謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』などの舞台にも成って居る。また、江戸時代、当地の出身の平賀源内を長崎に遊学させる為に、当時の住職が尽力したという。本堂の背後で境内の北は瀬戸内海が広がり一つ前の札所である八栗寺のある五剣山と屋島が望める場所に志度寺はある。

 

 本寺の縁起に寄ると、志度浦に辿り着いた檜の霊木を智法尼が草庵へ持ち帰り安置し、其の霊木から本尊である十一面観音を造立し、小さな堂を建て祀ったという。推古天皇33年(626年)創建とされている。

 

 天武天皇10年(681年)藤原不比等が堂宇を増築し「死度道場」と名付けたという。また、持統天皇7年(693年)には不比等の子・藤原房前が行基と共に堂宇を建立し、寺名を「志度寺」に改めたと伝えられて居る。此の海辺は極楽浄土へ続いて居るといわれている。

 

 其の後、巡錫に来た、弘法大師が伽藍の修理に当たったのは弘仁年間である。室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄するが其の後の戦乱に寄り、寺院は荒廃する。藤原氏の末裔の生駒親正に寄る支援などを経て後、寛文10年(1671年)に高松藩主・松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など高松藩主・松平氏に寄り再興された。

 

 広大な境内に大きい山門や五重塔や本堂が立並ぶ立派な寺院だが個人的な感想だが、境内に樹木が沢山在り境内の見通しが悪かったり順路が良く解からなかったりして、此れ等を整理したら寺院としての見栄えや立派さは数段アップする様に思い一寸残念な気がした。

 

 

 

        



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。