少し前に安養子さんから電話が掛かり四国に遠征に来る予定を聞いた。最近の移動運用の流行で各地に移動運用の猛者は数え切れない程居るが安養子さんの移動運用は一味違う。彼の移動運用スタイルは地元の九州は勿論の事、全国のレアーの町村を主体とした全国を網羅したもので しかも最大の特徴はコンディションが続く限り、呼掛ける人が無くなるまで続く、徹底した運用スタイル、其の事から全国に安養子ファンは多い。
今回は愛媛県や高知県で運用の少ない安芸郡の奈半利町と東洋町を運用、昨日は宍喰町(徳島県)宍喰温泉に入ったらしい。今日の午前中に彼から電話が入り海部郡牟岐町(37004D)で運用する旨の連絡が入った。此の町は徳島県下では勝浦郡勝浦町(37005A)と並ぶレアーな場所、流石に安養子さん眼の付け所が違う。しかし此の町で安養子さんの運用スタイルが(フルサイズの逆Vアンテナを使用)可能な運用場所は一箇所しかない。海部郡牟岐町から同、美波町に通じる海岸線に並走する「阿波サンライン」の途中の展望駐車場しか無い。電話で其の場所を案内して15時頃に現地で落ち合う事にした。
安養子さんとの無線での出会いは2005年の9月14日の7MHz帯、調度私が平成の大合併に寄る取り残した市町村を制覇する為に運用形態を国内中心に切替えた頃と一致する。其の頃、既に安養子さんは移動運用をしていたが私は追っ掛け専門で有った。そして私が移動局を開局して初めての北海道の移動運用をした頃から交信回数が増え始め今日の交信で395回を数える。(ラグチューなどで業務日誌に記入しない物を入れると400回を軽く超える数字と成って居る)此の数字は交信回数397回のJE3OKZ(松井さん)に並ぶ数字と成って居る。
よく言われる事だが全国に名を知られた移動運用局は意外と他局の移動運用中に呼掛け側に回る事は少ない。此れは私の想像だが其の方々は既に全ての目標を達成ししているので次の段階としては供給側に回るのではと思うのだが?しかし松井さんも安養子さんも非常にアクティブな移動運用をされるが他の移動局の運用中も必ずと言って良い程、パイル・アップの中でコールサインを聞くので其の運用スタイルが此の交信数に表れている様に思える。
安養子さんとは彼が4エリヤでのミーティングに出席の時、四国にも移動運用に来られ其の時に初めて御会いした。生まれ月は安養子さんが少し先輩だが生まれた年は同じで同世代、何よりも共通点は『無線大好き人間でパイル・アップを受けるのも大好き人間』無線に対する考え方も共通点が多く(其々の運用地での総交信数に拘る所や其の目標を達成する為に要望の多い場所や全国各地へ移動運用に出向く等)私には気に成る人で有る。
松井さんは私等より若く現役組なので北海道や九州等の移動運用は仕事の関係で難しいと思うが移動運用を始めたのは早く現在までに行って来た近畿、中国、北陸、東海、四国地方への木目細かい移動運用は際立って居て其の真摯なオペレートと相まって私は全国の移動運用の第一人者と思っている。松井さんとは私が移動運用中に2回程、御会いしたが無線の話に成ると何れも4時間近い熱い話と成った。安養子さんとは今回で4回目のアイボールで2013年も十島村からの帰りに宮崎の御宅に寄る予定で有ったが日程の遅れで隠岐の移動運用を取らざるを得無く成り断念、従って2012年の秋の長野県蓑輪町の会合以来の1年半振りの再会と成った。
15時ジャストに展望台駐車場に入ると既にアンテナのセッティングは終って居り、準備万端整っていたが残念ながら此の時間帯のコンディションは今一、挨拶もそこそこに新しい安養子さんの車の中や設備を見せて貰いながら説明を受けた。矢張りハイ・エースは広いので寝る場所と運用場所は完全に独立していて羨ましい限り、発電機からの自動車へのACラインの取込や冬季用のファン・ヒーターや扇風機や運用卓周り、発電機への連続給油装置など参考に成る事が多く写真を撮りまくった。
最初の写真は運用場所風景、次はバッチリポーズの決った安養子さん、3番目は運用状態、5番目は発電機への補助タンクからの連続給油装置(自作)の写真 6番目は運用場所の南側の海側の景色
そして7MHzでの運用が始まったが此の場所は直ぐ北側に山があるので私が過去に何回か此の場所で運用した時に実感した4エリヤや徳島県の局とは交信がし辛い感じは最初は有ったが6,1エリヤは海上伝搬なのでガンガン入って居た。そして夕方のコンディションが安定した処でオペレートに専念して頂く為にお別れした。帰りながら最近移動運用に興味を無くした私だが安養子さんの車や無線設備に刺激を受けたのか「此れは如何しても宝くじを買って5億円を当てるしか無いな?」と思った。