黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 北海道常呂郡訓子府町での移動運用 (2010/06/01~02)

2012年04月30日 12時59分20秒 | アマチュア無線 移動運用

 
 



 「置戸温泉 ゆうゆ」を出発39号線を北見市に引返す方向に走り手前の訓子府町に入った。役場の北側の駐車場に入り其の場所での運用も考えたがやはり公共の場所での発電機による運用はマズイと思いカーナビで確認すると町内を東西に川が流れていたので河川敷が無いか確認に出かけた。訓子府小学校を南に通り越した場所に叶橋が有り南側に河川敷(北緯意43度43分17秒 東経143度44分18秒 海抜133mH)を見付けた。近くに民家は有ったが途中に堤防が有り距離も70m近く離れて居て何より良いのは河川敷の割には草が少なく整地されていた事だった。そして其の場所に車を乗り入れ昼食と昼寝で雨上がりを待つ事にした。


 夕方前に雨は上がり久し振りに広い場所を利用した申し分の無いアンテナを設営できた(増毛町以来)運用は16:35jst~20:27分jstの7MHzから始め224局と交信 其の後3.5MHzで20:30jst~22:22jstまでに55局と翌朝は05:21jst~08:26jstで7MHzで73局と交信し合計は352交信、300台を越したのは久し振り、矢張り確りしたアンテナ運用で無ければ駄目だと言う事を今更ながらに実感した。


 翌朝運用後にJR8NSD北見市の菊池さんがお見えに成り無線談義に夢中に成っていると無線のアンテナを取付けたハイエースが現れ中からJA8JXC移動で御世話に成っている同じく北見市の杉村さんが降り立った。3人で話に花を咲かせていると若い人が現れライン引きでマス目を入れていたが3人は其の作業を避け移動しながら話に夢中、私の車の近くの線引きに成って「夏祭りの花火大会の駐車場に成るので線引きをしている申し訳ないが車を移動願えないか?」と丁重に頼まれ「すみません直ぐ移動します。」とお詫びしてお二人に御手伝い頂き撤収作業後、線引き完了の場所に車を移動、其の後も無線談義は続き時間の過ぎるのを忘れた。(道理で河川敷の手入れが出来ていた筈、厚かましくも夏祭り前にチャッカリと使用したのだ。)お二人はアクティブに無線運用されているので其の後も良くお空でお会いするが何時も其の時の情景を思い出す。


 北海道常呂郡置戸町での移動運用 (2010/06/30~07/01)

2012年04月30日 10時27分19秒 | アマチュア無線 移動運用

        



 チミケップ湖を出発して北見市に帰り食料の調達をした後、39号線~211号線~1060号線で置戸町の鹿ノ子ダムを渡切った「おけと湖」の見学用の土地に(北緯43度36分30秒 東経143度23分17秒 海抜455mH)車を乗り入れアンテナを設営した。美幌町、弟子屈町移動運用は共に不本意な結果に終わったので この場所からの運用はかなり気合を入れて臨んだ。


 運用は16:31jst~20:10jstを7MHzで20:13jst~21:59jstを3.5MHzで翌朝05:10jst~08:14jstは7MHzを運用 総交信数302 内3.5MHzは70局と交信した。


 移動中は日に1回は必ず家内に生存連絡をする約束で移動運用に出ていたので連絡しようと携帯電話を見ると圏外表示が点灯している。ダム上の道路を移動してみても圏外が変わる事は無かった。「此れは小原さんに連絡を頼むしか無いな」と判断、彼からの声が掛かった所で「元気にしてる事の」連絡を依頼、快く引き受けてくれた。今回の移動では2箇所くらい携帯電話の繋がら無い場所が有ったが 其の度に彼のさりげないサポートに御世話に成った感謝している。 それ以後は辺鄙な運用場所の場合は事前に携帯電話の通信圏内で有る事を確認する様にしているが時々忘れて仕舞う。困ったものだ。


 翌朝はアンテナを撤収し麓の写真の「置戸温泉 ゆうゆ」に向かう途中から雨が降り出し到着時には強い降りに「今日は観光も無いしゆっくり行こう!」と決め温泉を堪能した。

 


 北海道網走郡津別町のチミケップ湖に行く

2012年04月29日 17時39分36秒 | 旅行
        



 美幌峠を美幌町方面に下り(343号線)美幌町から39号線で北見市に入り途中から27号線に乗換え開成峠を越えた辺りから682号線に、ko此処等まで来ると未舗装の道に変わり新緑の中を走った。もともとチミケップ湖に行く事は予定に無かったが急に行く気に成った理由は思い出せないが生来の偏屈な性格が出たように思う。時間の無い現役時代の旅行だと制約された中での予定通りの行程と成るのは致し方無いが現在は浪人生活お金は無いが時間だけは有り余る程、本来の旅の最高の楽しみ方は「風の吹くまま気の向く侭の時間を気にしない旅」だと私は思っている。時間を気にせず気が向けば半日近く昼寝をして過ごす場所も今回の旅行では何箇所かあった。この湖は一般の観光リストに入らない様な場所、北海道を2ヶ月も旅行したら一般の人が行っていない様な場所に1箇所くらいは行かないとの気持ちが働いた様に思う。

 
 余り観光客が訪れている場所には思えなかったが最初の写真の場所に駐車場が有りトイレも綺麗に管理されていたし草の刈り込みも綺麗にされていた。湖の周辺も派手さは無かったがしっとりと落ち着いた雰囲気は好ましく、避暑地としては良いと思えた。近くにホテルの様な建物が有ったが固定客が有るのだろう。有名な観光地には無い静けさと森林浴を楽しむには最良の場所と思う。


 最初の写真は静かな湖面の方を向き何かひっそりと建っていたのに何故か?心引かれてシャッターを押したが近付いて見てみると この湖で遊泳中に若くして亡くなった息子さんの母君が建立した墓標で有った。
 

 北海道川上郡弟子屈町での移動運用 (2010/06/30)

2012年04月29日 16時51分14秒 | アマチュア無線 移動運用

          

  



 摩周湖の第2駐車場を出発52号線を下り川湯温泉に向かう。この温泉は前回に移動運用にアクティブなJI8GOO釧路の中川さんとアイボールし足湯に入りながら話をした場所、思い出が有ったので入ろうと思うと「何とお湯が流れていない?」仕方が無いので地図で温泉を探すと(ホテルや旅館の日帰り浴は何と無く尻込みしてしまう)公共浴場が在る様なので探したか中々見付からない。目立たない民家の様だったので見過していたのだ。入浴料は300円だったと記憶しているが風呂場までの廊下は誰かの家と同じで歩く度に床が沈む様な感じ!風呂場も同じでタイルが所々で剥がれた古い設備で有ったが料金も含めて私には分相応、さすが本場の温泉地で御湯は最高だった。


 更に52号線を進み屈斜路湖の東側の中央部の砂湯の駐車場に車を止め湖の写真を取った。(左端と次の写真)更に湖に並走一番南側で243号線(パイロット道路 美幌峠に上る道)に突当たりを右折して少し走ると和琴半島の入り口が有りこの場所も思い出が有ったので訪れることにした。


 駐車場からの木々の間を抜けると3番目の写真の屈斜路湖が目の前に広がる湖畔は砂湯の様に派手さは無いが この場所には和琴温泉の無料で入れる珍しい露天風呂が有る4枚目の写真の道を奥に進むと道路の直ぐ横に溜池状の形をした露天風呂が有る(写真5枚目が全景)入るのは無料で有るがチョット気合が必要、何故なら此の場所は水際に有り観光客が水遊びをしたり、和琴半島を周遊する人達が直ぐ横を通るので見られ事を覚悟でストリップをする事になる もちろん混浴で有るHi


 今回は時間帯が合わなかったので入らなかったが前回(2009年)は夕方に入ろうと出向いたが若いママさん達が水辺で子供達を遊ばせており入れなかったので翌朝5時過ぎに出向き露天風呂を楽しんだ。途中から地元の80歳過ぎの爺さんが入って来てお湯の中を移動する私に「おい其処の若いし動きまわるな、藻が上がる出ないか!」と怒鳴ってきた。「若いし???」一瞬頭の中で言葉を反復したが居るのは私だけ、歩みを止めてお湯に浸かった。自然の湯溜まりで掃除など無し、湯底は砂利状の小石、温度の関係で藻が発生して普段は底に沈んでいるが人が歩くとその波の影響で藻が浮かび上がって来るのだった。湯溜まりは30mx15m 深さは70~80cm位あり 広いので興味本位で歩いて居た私も悪いが爺さんの言い方も言い方「カチン」と頭に来たが静かにしていたらその爺さんが湯溜まりの中央で仁王立ちして寒風摩擦を遣るような仕草で体を洗い始めた「おいおい 其方の方が非常識でないか?一回沈めたろか!」と思ったが辞めた。相変わらず同じ事をしてお元気でお暮らしなのか?お迎えが来て別世界に居られるのか?私に知る由も無いがそんな経緯を懐かしく思い出した。


 其の後、勾配の有る道を上り美幌峠の道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」に辿り着いた。


        


 上の最初の写真の一番右の駐車帯が弟子屈町での運用場所(北緯43度38分55秒 東経144度14分55秒)弟子屈町での運用は05:46jst~07:03jst迄 7MHzのみの運用で交信数は27局に終わった。どうも私はこの地には廻り合わせが悪い、前回の運用は摩周湖の第2駐車場で運用、夜中から嵐に成り早朝の運用中に逆Vアンテナの片方のエレメントがバランの付け根から切れ飛んで道路に落ち観光バスを止めたり摩周湖には3日滞在したが写真は取れず ある事情で家から送金して貰う羽目に成ったり、和琴温泉では爺さんに怒鳴られ、最後の駄目押しは美幌峠で再度嵐に遭遇、釣竿アンテナは不調に成り交信数は伸びないし兎に角、散々な目に遭っている 此れだけ色々な事が有ると偶然とは思えない 暫くは近付かない様にしようと思っている。


 

 


北海道網走郡美幌町での移動運用 (2010/06/29)

2012年04月29日 09時04分36秒 | アマチュア無線 移動運用

      


 美幌峠も昨年に続いて2回目、昨年は天候に恵まれず霧の中の美幌峠、景色は何も見えなかった。今回は昼間は曇り気味であったが周りの景色は楽しむ事が出来た。前にも書いたが前回の北海道の旅の目玉は摩周湖、函館山からの夜景、美幌峠からの景観で有ったが其の全てが天候不良で叶う事は無かった。今年の再訪問によりコンディションは最良ではなかったが2年越しで全ての景色をカメラに収める事が出来た。


 北海道の道の駅76番 「ぐるっとパノラマ美幌峠」は弟子屈町と美幌町の境界に位置する。中央の写真、道の駅の建物の右横の国道を挟んだ反対側の駐車場の中央付近を境界線が走っている。私は「道の駅の運用」には余り興味が無いので、美幌町と弟子屈町で運用する事にし最初に駐車場の奥手に車を止め美幌町を運用する事にした(北緯43度38分57秒 東経144度14分53秒 海抜493mH)釣竿アンテナと発電機をセットしたが時間的に早かったので車の中で休んでいたが夕方近くから雨がポツリ、ポツリと落ち始め霧が出始めた。やがて周囲は霧ですっぽり覆われやがて直ぐ前の道の駅の建物までも確認が出来無い程の幽玄の世界に変わった。


 運用は16:53jstから開始ししたがコンディションが思いの外良くなく19:16jstに閉局 総交信数54局で閉局しアンテナの関係で7MHzのみの運用で終わった。明日の朝は弟子屈町を運用予定、天候は更に悪化の方向に有ったので車を15mほど移動して釣竿アンテナのステーを2方向に張り補強し明日の朝は即運用出来る状態で車中泊したが夜中は可也車が揺れて目が覚めた。高度が有り寒いのと熊が出ても不思議でない寂しい場所、この様な場所で車中泊する酔狂な観光客は私一人であった。

  


 摩周湖への旅 (2010/06/29)

2012年04月28日 22時03分04秒 | 旅行

        


         


 2009年の7月の北海道の旅では摩周湖の観光に力を入れ3日間で第3展望台と裏摩周の展望台に各3回ずつ訪れたが親不孝が影響したのか?
天候が悪くまさしく「霧の摩周湖」の状態、今回は摩周湖の湖面の状態が撮れる状態まで滞在する予定で摩周湖に行く事にした。網走の道の駅を出て102号線で小清水峠を越え391号線の摩周国道に入り52号線で摩周湖の第3駐車場に向かい朝の7時前に展望台に上った。


 摩周湖の湖面は展望台に上がって初めて見えて来る、逸る気持ちを抑えて展望台への坂道を上がり切り湖面を見た時、薄いブルーの湖面が見えた「遣った~!」状況は決して良くは無かったが取り合えずデジカメのシャッターボタンを押した。


 観光客も沢山上がって来たが湖面を見た瞬間、皆さん言葉は其々だが感嘆の声があがる 其れ程、神秘的な光景が其処には広がっていた。第3展望台には1時間半くらい居たが2回ほど霧が出て湖面の見えない時が有ったが晴れる時は3~4分くらいで霧が飛び去って仕舞う。自然界の不思議さを実感した。


 摩周湖は流れ込む水路も無ければ流れ出る水路も無いと言う。湖面に向かっては急勾配の山肌で人口の設備も無く周辺は立入り禁止措置が取られ木々の伐採も許可されない 完璧な自然保護の体制が取られて居る為、今後も自然環境が保たれる事と思うが本当に素晴らしい景観の地である。




浜頓別町から網走市までの移動 (2010/06/28)

2012年04月28日 11時32分23秒 | 旅行
        


 浜頓別町の原生花園を出てオホーツク/・ラインを網走に向け出発した 。最初に枝幸町の北海道の道の駅28番「マリーンアイランド岡島」に休憩を兼ねて寄った。この道の駅は船の形をしたユニークな建物、駐車場もまずまずの大きさ電波も飛びそうなロケーションで有ったが運用せず休憩のみに成った。もし枝幸町を運用するなら浜頓別町との境の北見神威岬のオホーツク・トンネルを出た直ぐの所に抜群のロケーションの場所が有り其の地点をナビに登録した次回、北海道に行く時は是非運用したいと思っている。


 次の雄武町は道の駅53番「おうむ」に入った。この道の駅は街中に有り写真を撮る為に寄ったが中に入ると「コロッケ」を揚げた後の匂いが立ち込めて腹の虫が鳴いた。値段は忘れたが思いの外高かった様に思ったが欲望には勝てず5個買ったが大変美味しかった。駐車場を出るため徐行していると知らない人が車を止める感じで「ようけ釣れたですか?」と問いかけられたが良く意味が解らなかったので「ええ?」と聞き返すと「鮭は多く釣れましたか?」と聞いてきた様子、釣りも遣らないし思わぬ質問に躊躇していると「徳島の人でしょ、鮭釣りに来たのでは?」屋根に釣り竿(釣竿アンテナ)が乗っているので相手の方はテッキリ其の目的で旅行していると思ったらしい。話をして解ったが其の人は徳島の方で北海道で徳島のナンバー・プレートを見付け懐かしく私が出てくるまで態々待っていた様子、急ぐ旅では無いので駐車し直して立ち話、釣竿には違いは無いが此れは無線のアンテナで持ち運び時に縮小する為 釣竿の振り出し機能を利用している事を説明すると「なるほど!」と感心していた。其の後30分くらい話をして別れたが今回の旅行では徳島関係の人は二人目、余市の道の駅でも御夫婦の方から呼び止められて世間話、再び会う可能性の無い人との別れ際の「良い旅を」「お元気で」短い挨拶にも心が通い合い此れも旅ならではの魅力に思う。


 その後、次回の雄武町の移動運用地を求めて日の出岬へ向かいガラス張りの建物の近くの駐車場をナビに登録この場所で夕食を取った。その後は日が暮れて観光する事も出来ないのでノンストップで網走市まで ひた走りし、道の駅105番 網走市の「流氷街道網走」に到着した時には22時を回っていた。其の日は長距離走行だったので直ぐ就寝、最後の写真は朝日が昇る時に撮ったもの北国の夜明けは早い。

 ベニヤ原生花園の見学 (2010/06/28)

2012年04月28日 09時54分04秒 | 旅行
        


        


        


        



 今日は浜頓別町を出て網走市迄の移動の日、クッチャロ湖畔を時計回りに一周した後オホーツクラインに乗った所で「ベニヤ原生花園」の看板を見つけて見学する事にした238号線を左折し海側に暫く走った行き止まりに原生花園はあった。


 確か入場料は無料であっったと記憶している、中に入ってベニヤ橋~ハマナス橋を渡って海岸まで出た後、引き返し小さな花の道~プリンス通り~スズラン通り~香り坂~ウグイスの小道に入ると可也奥まった場所に成り熊が出てくるのでは?と心配になる様な道に成った(殆どの人が短縮コースを見学するのだろう人が分け入ったような感じがしなかった。)その後、花園橋~手前のベニヤ通りに帰るのに2時間位を要した。


 書いた字のごとく原生植物なのと広大な場所で人工的な手(レイアウトや区画整理)を加えていないので派手さは無かったが小花は可憐な花をつけていた。花の名前を知っていたのは「ハマナス」のみで場所ごとや花ごとの説明が少なくやはり予備知識が有る程度必要でその意味では玄人向きの原生花園の様に思えた。2009年は7月11日~8月11日の北海道旅行この時は花の時期には遅すぎ残念な思いをしたが今回は花の最盛期に訪れたのでコンディションの良い花々を見る事が出来た。


 北海道を回って感じる事だが地方部では造園を殆ど見ない極寒の影響で内地の様な庭木が育たないのだろう、その代わりに この花の時期には家々の前に極彩色の綺麗な小花が並べられていて心が和む 家々に塀が有る家が少ないのでオープンな感じがして花々が其の家の人のみならず道行く人も楽しむ事が出来るところが嬉しい。

 北海道枝幸郡浜頓別町での移動運用 (2010/06/27~28)

2012年04月28日 05時11分21秒 | アマチュア無線 移動運用

        



 北海道の気候は四国の4月中旬くらいの感じで朝方は冷気を感じるが昼頃に成ると清清しい新緑の気候に成る。北端の地は絶えず4~5mの風が吹き運用中の車内でも暑さを感じなかった。運用後、窓を開放して車内で昼寝をしたが起きると2時間以上経過して居り非常に心地よい目覚めだった。この様な気持ちの良い昼寝が出来たのは青森県の鶴田町以来で約20日程前の事、考えて見ると徳島を出て日数は経っているが北上した分、気候の遅れが有り それらがシンクロし同じ季節の中を過ごして来た事に成る。四国はこの時期は鬱陶しい梅雨の真っ只中、今年は梅雨無しの1年を過ごす事に成りそうだ。交信中に猿払村の道の駅に風呂が有る事を教えて頂き出発前に入って汗を流した。大きい温泉地の様な豪華な設備ではなかったが日帰り浴が出来る事は車中泊で旅行する者には有り難い限りである。


 道の駅を出発しオホーツクラインを南下し始めると走るに従って宗谷岬から猿払村間よりは国道端の建物が少しずつ増えてきたが やはり北端の地からなのか作物を栽培している感じでなく広大な牧草地の中を只管走り続けた。写真の様に牧草地には刈り取られた牧草がロール状にされて収穫中、春から短い夏に掛けて何回も収穫されるのだろう それらを保管する酪農農家の建物は半端な大きさではなかった。


 宗谷岬から浜頓別町間は前回と同じコースを走った為、迷う事無く運用予定場所のクッチャロ湖迄行き周辺を探した。写真の場所でも多分問題は無かったと思ったがこの場所は夕方が来ると車中泊の車が並ぶ場所で道立公園内(表記は無いが公共公園内、及び公共のキャンプ場は基本的に発電機の使用は不可)700mくらい離れた浜頓別温泉の南側に有る運動公園(北緯45度07分29秒 東経142度20分52秒)に温水プール用の広い駐車場が有ったので其の場所に決めアンテナを設営した。


 運用は27日は17:18JST~19:39JST翌朝は04:46~07:15JSTに7MHzのみの運用で158局との交信で終わった。運用中に地元の方が来られたので早めに閉局、外で立ち話をしたが北海道で初めて蚊の攻撃を受けたが「後にも先にも」この場所だけであった。


北海道宗谷郡猿払村での移動運用 (2010/06/26~27)

2012年04月27日 01時10分15秒 | アマチュア無線 移動運用

        


 宗谷岬の駐車場を出て200m位走るとレーダーが突然ピィーピィー鳴り出した。走り出した直ぐだった事と速度取締り様レーダーの御蔭で事無きを得たが沢山の車が捕まっていた。宗谷岬近辺の小さい家筋を過ぎると猿払村の近くまで殆ど家は無く広い少しアップダウンのある238号線(オホーツク・ライン)を淡々と走った 知来別小学校付近から138号線に乗換え海岸線の国道よりは少し高い丘陵地帯を走り運用場所を探して居たら道路の側帯に良い場所が有ったので車を止めて準備をしていると近くの酪農家の人が近寄って来て(丁度この頃、こうてい病が流行っていたので酪農家の人達はピリピリしていた様子)「貴方の車は徳島のナンバープレートを付けているので北海道に来るまで沢山の場所を通って来ていると思うのでこの地帯は酪農が中心、水際作戦で家畜を守って居るので万一の事が有ると大変な事に成る出来れば他の場所で遣って貰えないか?」と頼まれた。此方は遊び酪農家の人は生活が掛かっている「解りましたそうします。」と答えて撤収作業に入ると其の方が 「この道を直進して突き当たりを右に曲がって行くと村役場が有るので其の近辺か反対側の海の近くに道の駅が有るのでその辺で遣ったら」とやさしく教えてくれた。


 教えて貰った通りに進むと最初の写真の猿払村役場が有り其の立派さに驚いた。原発誘致以外でこの様な役場は多分全国でも類が無いのでは?私の住む阿南市は人口8万人 其の阿南市役所が御辞儀するような規模で有った。役場近辺には今風の個人住宅が建ち中心地に大型のスーパーが有り食料の調達をしたが、この辺では発電機での運用は無理なので写真2の道の駅へと向かった。道の駅の規模も大きかったが何かのコンテストが有った様で大型の6mのビームアンテナを建てた車が止まっていたのでお互いに妨害に成ってはマズイと判断、道の駅の国道を挟んだ反対側の写真3枚目のインデギルカ号遭難慰霊碑の横の駐車場で運用した。


 インデギルカ号は1939年12月12日未明、あらしで漂流、浜鬼志別沖合1500mのトド岩に座礁、その後沈没、村民の救助活動で429名は救助されたが702名が死亡、旧ソビエト政府からは船舶及び遺体、遺品の収容も必要なしと打電、船は数年後爆破されたと記録されている、ソビエト連邦解体後に解ったらしが政治犯及び其の家族の極東への護送船だったらしく、かの国の国情をよく表している。それにしても最北の極寒の海での遭難事故で此れだけの生存者が居た事は村民の努力によるもと思われる。


 猿払村での運用は26日は16:45JST~21:49JSTまで翌日は05:06JST~12:20JSTまで運用、総交信数 229交信 内21MHzが14局の交信に終わった。朝方、運用中にJA8GLV/8 石山さんから呼ばれ(北海道の移動局では超アクティブな方なので御存知の方が多いと思うが)「何処を移動中?」と私が聞くと「直ぐ近く」と返事があり やがて運用場所に現れたのには驚かされたが可也呼ばれていたので挨拶もそこそこに成り大変申し訳なかった。石山さんとは2009年の移動時も美瑛町の望岳台で御会いした神出鬼没の人で有る。



 運用場所は 北緯 45度19分48秒 東経 142度10分41秒の場所


オロロン・ラインから稚内~宗谷岬へ

2012年04月26日 17時46分50秒 | 旅行

        


 天塩町の運用地を出発し500mくらい走り天塩川を渡ると幌延町に入る と同時にオロロン・ライン(106号線)は日本海側の海岸線を淡々と並走する道に成る。幌延町に入ると 直ぐに日本海に浮かぶ利尻富士が見え始め更に進むとやがて道路の右側に30基に及ぶ風力発電の設備が一直線上に建ち並ぶ場所を通過した。

 

 国の施策と補助がある関係で風力発電設備は日本全国、何処でも見られる風景だが建設はしたものの殆どの風力発電設備は採算が取れていないとか?徳島にも同様の設備が有るが全ての設備のプロペラが回っている事を見た事なかった。この幌延町のプロペラはどの発電設備も大変元気よく回っていた。此の場所だと人家も無く よく有る「新聞報道や低周波数公害の裁判沙汰に」成る事も無く むしろ延々と続く単調な景色に変化を与え通行する人達にインパクトの有る壮大な風景に成っていた。まさに一石二鳥で有る




        




 稚内までは道幅の有る路面状態のよい道をドンドン進んだ。稚内市の最北端 ノシャップ岬に有る灯台と稚内市青少年科学館の写真、この場所で昼食と休憩を取った。其の後、稚内市内を通過したが午後なのに霧が出ていたのか?全体的に白っぽい状態の中を宗谷岬まで東に進んだ。国道の右手の山手側には北の守りの要、自衛隊のレーダー・サイトが点在していた。



        



 左から皆さん良く御存知の宗谷岬の日本最北端の標識、宗谷岬は2009年に続き2回目、前回は網走からオホーツク沿岸を北上 帰りは猿払村~浜頓別町~中頓別町~美深町~小平町~札幌市~小樽市と移動した。今回の日本海沿岸のオロロン・ラインの北上コースと合わせて宗谷半島をめぐる大きい幹線を走破した事に成る。どの場所に行っても常時5~7m位の風が有り非常に心地良かった事を覚えている。2枚目は宗谷神社、移動中の安全を祈願して賽銭は100円とした。御利益が有ったのだろう無事に徳島に帰還することが出来た。3枚目の写真は大韓航空の旅客機が領空侵犯した際、ソビエト空軍の戦闘機に撃墜された(全員死亡)その遺族会が建立の「祈りの塔」個人的な思いだが終戦後に北方領土に侵攻して四島を我が物にして「返す気も無いのに条件闘争する」現、ロシア政府、遣りたい放題の北朝鮮、訳の解らぬ中国国家等等、大陸の気質は日本人には理解し難い。「国境が有って無いが如しの陸続きの条件の中」で絶えず侵略したり又侵略に怯えた長い歴史の中で「遣ったもん勝ち」「遣らなければ遣られる」的発想の国とは、まともな話は出来ない。また反面「多分、日本人が平和ボケし過ぎているのだろう。」自国を自力で守れない国が国家と言えるのだろうか?考えさせられた。最後の写真は宗谷岬の灯台、北の海の道標として活躍している。




        


 左端の写真は宗谷岬の後ろ手の丘の一番奥にあるレストランだったと思うが風車がたの建物、次は其の建物から宗谷岬方面を遠景で撮ったもの灯台、明治時代の北方方面の監視小屋 正面の4軒続きは観光客相手の食堂。左から一番最初の食堂のホタテラーメンは最高だった。 3枚目は最北端の標識、私も最北端の前で写真に納まりたかったが「生来の小心者」観光客の人に「撮って貰えませんか?」の一言が言えずに旅行中の写真は6000枚を越しているが自分が写っている写真は殆ど無い。旅行から帰ると家内に何時も「お父さんの写真は風景ばかりで人間が写って居ないね?」言われるので「小心者なので人に頼めない」と言うと「うそ~無線ではあれ程喋るのに信じられない?」と笑飛ばされるが事実だから仕方が無い。多分 少々屈折しているのだろう・・・・


 最後は宗谷岬を丘の上から撮ったもの、写真で見ると観光客で賑々しいがこの周辺だけで少し離れると何も無い場所、冬の厳寒期にはどの様な景色に成るのか想像も出来ない。










北海道天塩郡天塩町での移動運用 (2010/06/25~26)

2012年04月25日 11時45分15秒 | アマチュア無線 移動運用

          

  



 増毛町を出るとオロロン街道を北上し、小平~苫前~羽幌~初山別~遠別の各町村を経由して目的地の天塩町に入った。最初の写真は小平町の道の駅「鰊番屋」3番目の写真は上平ウインドファ-ムの風力発電設備の風景と思うが定かでない。4番目は遠別町の道の駅「富士見」最後の写真は天塩町(北緯意44度53分31秒 東経 141度44分06秒)の運用場所である。


 天塩町の運用場所は最初町筋の西側の海沿いにアスファルト舗装の駐車場らしき場所が何箇所かあったがどの場所も東側に住宅地を控え発電機での運用をするとクレームが有りそうで断念、道の駅も似た状況、最終的に町筋を外れて北上して天塩川を渡る橋の手前が左カーブになっているが直進し田んぼの中の駐車帯に車を止め写真の様に道路に平行にアンテナを張り運用した。


 この場所での運用は25日は16:53jst~22:49jst翌朝は04:58jst~07:35jst実施し 総交信数 204交信 内3.5Mhzは33局で終わった。


北海道増毛郡増毛町での移動運用 (2010/06/24~25)

2012年04月25日 09時48分28秒 | アマチュア無線 移動運用

         

  




 古平町を出発小樽~札幌を抜けてオロロン街道(231号線)を日本海側の沿岸を北上、増毛町の南側、岩内温泉「あったまあ~る」に立ち寄り入浴、先日の古平では港での運用、潮風や雨の中での発電機の点検などで雨に濡れていたのでゆっくりと温泉を楽しんだ。


 増毛町での運用は町筋の手前、暑寒別河川口橋を渡り切った暑寒別海水浴場の道を挟んだ反対側の駐車場内(北緯43度15分92秒 東経 141度30分47秒)で運用した。写真2は其の駐車場から雪を頂いた暑寒別岳方向を撮った物


 3枚目の写真は運用駐車場でアイボールしたJR8KJR(写真左端の方)北海道の移動では有名な橋場さん 私も沢山の北海道移動で御世話に成っている方、中央と右端の方は御夫婦、写真のキャンピングカーで全国の温水プールを制覇する為に回っているとの事だった。車の写真をよく見ると後ろのアンテナ基台から同軸が見える天井の部分にワイヤーアンテナを張っているとの事だった。コールサインも御聞きしていたが忘れてしまった。その後この近辺に山菜を取りに来られた御夫婦(御二人ともアマチュア無線をしている方)が入っての合計6人のアマチュア談議が始まり楽しい時間を過ごした。


 この場所での写真も沢山撮ったのだが記録したCDが見当たらない。最後の写真は運用後手塩町に向かう途中で立ち寄った「マリーナましけ」の写真、私は船が大好き所有する事など夢物語だが見るだけでも楽しい。私に万一、宝くじの1等が当たったら欲しい物ベスト3は ① モーターボートの所有、② 口径50cm以上の天体観測用反射望遠鏡とドーム設備 ③ 50mHクラスのクランクアップ・タワー 其れにしても随分と欲深い望みだ。


 増毛町での運用は24日の16:45jst~22:17jstと25日の05:02jst~07:23jstの時間帯で行い総交信局数、243交信で 内3.5Mhzは47局で終わった。
 
 
 


ここ数日の実績 (2012/04/22~24)

2012年04月24日 20時58分19秒 | アマチュア無線

 ここ数日間はアンテナ工作に追われ無線の方は御無沙汰気味、ただ安養子さん(JO6XMM/6)の7MHzと3.5MHzの移動運用は落とさない様に連日呼んでいるが3.5MHzの信号は日によって かなり変化している。先程、伊仙町からの3.5MHzの信号を聞いたが今回の移動で一番弱い感じがした。正確に言うと信号が弱いのでは無く、空電によるノイズレベルが高くノイズに押されている感じだ。


 先日まで安養子さんが回った沖縄もアクティブに運用する局が少なく人気のある場所だが、現在移動運用している離島からのQRVは少なく沖縄の比では無い、しかも与論、沖永良部、徳之島、奄美大島の全ての市、町村を回ると公表しているので この様な機会は滅多に無く私も安養子さんが出て来られる時間帯に成ると何が有っても中止して無線機の前に座る様にしている。最近開局したての方なら今回の予定の場所を固定局でするには可也難しいし、移動局で交信するとしても2~3年以上掛かるだろう。言い換えれば1週間無理をしても時間の都合をつけ交信すれば全市町村との交信完成の時間短縮には相当貢献する事となる。特に3.5MHzの運用は少なく貴重である。


 ここ数日の離島移動運用に成ってからパイルアップも随分大きく成って来て、指定事項を聞き逃した人が(エリヤ指定)間違って呼んだり、スタンバイのタイミングや中にはシグナルリポート交換時に交信に関係無い人が親切心か(私はでしゃばり以外の何者でも無いと思っているが)交通整理宜しく色々送信しているが「余計な御世話だ」と私は思う。


 珍しい場所からの移動運用時はパイルアップも厳しく、当然交信時間は極端に短い、しかし多数の人は、其の瞬間、瞬間に思いを込めて呼んでいる。呼ぶ側も呼ばれる側も思いは同じ、自力で交信を成立させたいのでは無かろうか?誰しもシグナルレポート交換と名前の交換で終わる交信に第三者に世話に成ったのでは「交信した意義が無くなる」と思うのは私だけだろうか?全国に移動運用に出る様な人は百戦練磨の経験を持つオペレーター、貴方がシャシャリ出無くても大丈夫、問題なく捌けます。寧ろ其の瞬間、瞬間を楽しんでいると言っても過言で無い。移動局が助けを求めた時だけ対応すれば良い事、頼む事も無いと思うが?貴方は知らない内に当事者同士の交信の意義にまで踏込んだ干渉をして居る事を自覚し厳に慎むべきと考える。

 28MHzのアンテナの準備

2012年04月23日 18時45分13秒 | アマチュア無線
    

 今日の朝方の天気は曇っていたが9時過ぎから晴れてきたので28Mhzのアンテナをくみ上げる畑の草刈を行い仮組みの場所を確保しブームより各エレメントを取り外しエレメント長を変更した。(今回は6エレの予定なのでエレメント長が変わった)思いの外、手間が掛かり3本しか出来ず半分が残った明日には仕上げたいと思う。


 各エレメントが設計どうりに仕上がれば畑の中に足場パイプで組んだポールに取り付け
最終調整して最良の状態にして後日、クレーンで吊り上げる予定だが少し先の事に成るだろう。一度タワーに取り付けるとトラブルが有れば面倒な事に成るので慎重に進める予定(今回のアンテナはモノバンダーの為トラップが無いのでトラブルは無いと思うが)アンテナが上がった時の事を想像すると今から胸が躍る。