黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 阿南市での無線 50MHzのアンテナ編(1980~2012)

2012年11月30日 11時49分48秒 | アマチュア無線

 私の運用する周波数帯はHF帯が多い、VHF,UHF帯に興味が無いと言う事では無いのだが性格的に如何かと言えばせっかちなタイプなので何時コンディションが開けるのか?解らない状況の中でひたすら聞き続ける忍耐力に耐えられない方で有る。其の点、HF帯は何処かの周波数帯を利用すれば ほぼ何時でも相手に困る事は無いので運用がHF帯に集中する様に思う。28MHzや50MHz帯がオープンした時のスリリングなQSOの醍醐味は大好きなのだが如何せん其れ等に遭遇するチャンスは極めて稀である。1988年頃、サイクル22の上昇前頃にクリエート社のCL6A(5エレ八木)を購入し10mH位で遊んで居たが本格的な運用はしていなかった。

 

  其の後CL6DX(6エレ八木)に変更し運用していたが移動中に不注意によりポールを倒しブームは問題なかったがエレメントの一部が歪み嫌気がしたのとタワーの上にアンテナを取付け本格的に50MHz帯を運用しようと2000年頃、同社のCL6DXX(7エレ八木)に変更して現在に至っている。今回のサイクル24は私にとっては50Mhz帯での多分最後のチャンスと思われたのでコンディションさえ上昇すれば同アンテナの垂直スタックを視野にアンテナ取付け機構を作ったが残念ながらコンディションは思った様に上がって来ず期待外れに終わった。今のサイクル中にコンディションが急激に上昇する可能性は少ないと思うが万一、其の状況に成れば計画は是非実行したいと思っている。


 阿南市での無線 18、24MHzのアンテナ編(1990~2012)

2012年11月30日 10時03分41秒 | アマチュア無線

 18MHzと24MHzが開放された1990年頃、直に変更申請を提出しアンテナはクリエート社の248A(18MHzは3エレ動作、24MHzは4エレ動作のデュアルバンダー)を購入しビーム・アンテナでスタートした。開放時代は此の設備で十分通用したが最近ではビーム組は当たり前の状態と成っている。此のアンテナは数年後の九州の北部に上陸した大型台風による瞬間最大風速53m/sの強風により壊された。トラップの付いている3本のエレメントはブームの取り付け部分からくの字型に曲がり魚の骨状態になってしまった。又、第一導波器の片側がちぎれ何処かに飛んで行き、行き先不明と成ってしまった。過去 沢山のアンテナを組み上げ使用したがエレメントの一部が行方不明に成ったのは此のアンテナだけステンレスのビスが浮き、飛んでしまった後、エレメントパイプが抜け飛んだと思われる。此の事故以後、エレメントの接続部は出来るだけ貫通ビスナットを使用したりエレメントの径の細い部分は2重にネジビスを使用する事にしている。片方のエレメントは其の後1週間、家の周りを捜し求めたが発見する事は出来なかった。


 其の後、10年間位は18、24MHzにQRVする事は激減、(1994~2010)ダブレットのアンテナで対応していたが2年前にサイクル24に対応する為ナガラ社のT2-3VXの中古のアンテナを手に入れ上げたが、24MHzに不足を感じたのでクリエート社のCL-15をサイズダウン(5エレモノバンダー八木)を追加している。しかしながら10MHzのアンテナがダブレットで非力なので昨年、ナガラ社のT3-3VX(10,18,24MHzの3エレン、トライバンダー八木)を手に入れ組上げているが現在、畑の中でタワーの上には上がっていない 近日中にT2-3VXと入替予定である。


 18,24MHzは解放後の取組みが早かったので、途中10年間位出ていなかったが競合も少なく海外交信も比較的ゆっくりと出来るし短期間で280Eを超えたのでDXを遣るには魅力の有る周波数帯、私は24MHz帯が一番好きで最近一番良く聞いている周波数帯で有る。


 阿南市での無線 14,21,28MHzのアンテナ編(1980~2012)

2012年11月28日 22時22分22秒 | アマチュア無線

 14,21,28MHz帯のアンテナはTA-33に始まり150Eを達成した辺りで限界を感じ当時(1980年台の前半)は28MHzが絶好調で有ったのでクリエートの218U(21,28MHzの5エレのデュアルバンダー)を購入して使用した。サイクル21の終わり頃は手付かずで有った14MHzをクリエート社のCL20DX(5エレモノバンド八木)に変更し運用した。サイクル22の上昇前に21,28MHzが出られないことの不便さから再びトライバンダー八木に変更する事を決め、国内外のメーカーを物色し海外にはハイゲインや其の外でも商品は有ったがアンテナにはメンテが必須、部品の入手が簡単な国産と決めたが当時は7エレのトライバンダーと言うとナガラとミニマルチしか無くナガラの材質が良いことは解っていたが同じ7エレでもブームが短かったので(ナロースペース)性能的に如何なのか?と疑問が残り反面、ミニマルチは当時は余り知られて居なかったので不安は有ったがミニマルチの7SDX(14,21,28MHzのトライバンダー7エレ八木)に決め購入した。

 

 当時で20万位した様に記憶している。性能的にもまずまずで1990年のARRLの10mのDXコンテストで自分としては最高の1250局との交信が出来た事も有ったがトラップコイルの接続部の絶縁材料に亀裂が入りステンのビス浮きでトラップコイルの端末処理で接触不良を頻繁に起こし安定に動作しなくなったので最終的に諦めクリエートの214F(14MHz,21MHzのデュアルバンダー5エレ八木)と28MHzは自作の4エレを使用した時も有ったが最近は14MHzは4エレ21MHzは5エレの八木と成っている。


 過去の使用したアンテナは其々に一長一短が有り、私は元来マルチ・バンドで運用するタイプなのだがタワーが2基しか無かったのでトラップ付のマルチバンド・アンテナを多用したが それらのアンテナは色んなバンドを運用する小細工は出来るが此処一番のぺデイションに成ると其の差は歴然と現れ何度も悔しい思いを経験した。通常の運用では当然ながら競合も少ないので何と無く交信の確率も有るのだが此処一番と成ると中々飛んで行かない。最近に成って21MHzや24MHzでモノバンダーを使用する様に成って其の差を身を持って知った。若い頃はモノバンドのアンテナにすると出られない周波数が出来るので其のロスを恐れてマルチバンドが出られるアンテナを多用したが結果的には其れは失敗で有った。

 

 今思い返すとサイクル21、22、23、そして現在のサイクル24を経験したが若い頃にこそ タワーが2基で有れば、これぞと思う周波数を2バンドほど決めてモノバンドの多素子のアンテナを上げ徹底的に追い詰めた後に他の出来て居ない周波数のモノバンドで追い詰めて行き、有る程度遣り付けた後にマルチバンドのアンテナにして取りこぼしの無い様に取組むべきで有ったと思う。最近はステップIRと言う各バンドフルサイズで稼動する非常に便利なアンテナが入手出来る様に成り海外と交信すると其のアンテナを使用する局と会う機会が有るが、前にも書いたが今から新規に本格的にDXを遣るので有れば価格は高いが其の選択肢がベストで有る様に思う。決して安いアンテナだとは思わないが現在、ステップIRで運用可能なバンドのモノバンドのアンテナを集めようとするならば多分100万では出来ないであろうしタワーが1基ですむし結果的に非常に経済的で有ると思う。


 阿南市での無線 7MHzのアンテナ編(1980~2012)

2012年11月28日 09時41分46秒 | アマチュア無線
 阿南市でのアマチュア無線を本格的に始めた頃はハイバンドは(14,21,28MHz)は3エレの トライバンダーを使用してそれなりに楽しんではいたが7MHzはダイポール・アンテナを使用していた。ハイバンドは冬に成ると如何しても聞こえない時期が有るので其の期間中は7MHzを運用する期間が有ったが早朝の国内が開けない時間帯に海外の局と交信する日本の局の信号が聞こえて相手に送っているシグナル・レポートは「59」を送っているのだが此方には海外局の信号が全く聞こえないでノイズばかり、少しぐらい聞こえても良いと思うのだが全然聞こえない事があり受信感度にそれ程の違いが有る筈がないと考え 原因はアンテナ系と考え彼是と遣ってみた。最初に挑戦したのが垂直系のアンテナ、早速、クリエートのCV-48を購入、このアンテナは確か全長12m位有り可也上のほうにトラップ部分が有り価格も5万円以上した本格的なバーチカル・アンテナで、単管を2mくらい打ち込みアンテナをクランプで固定しラジアルを2方向に張りSWRを測定すると何もしないでもSWR計の針は1.0で殆ど触れない。「やった~」という感じで7MHz帯を聞いてみるとバンド全体が非常に静かに(ノイズの少ない)聞こえる。試しに国内の局を呼ぶとQRZ QRZの連発で思う様に飛ばない。此れでは駄目と次に挑戦したのがループ・アンテナでタワーの19mH位の所から2mほど横に単管を出し其処から吊り下げた少し上から押し付けられた様な「おにぎり形のループアンテナ」で給電は最上部からで有った。タワーが低かったので下側の両サイドをロープで引っ張り三角形の底辺部分の地上高を2.5m程にした後、カットしながら調整する予定で有ったが、調整が上手く行かなかった。原因を考えてみるとエレメントがCV-48の直近くを通過していたので影響が有るのか?と考えクランプを外しCV-48を横倒しにして再度追い込み調整をすると段々とSWRが下がったが周辺部の影響か?1.5以下には成らなかったが使用上は問題無いと思い此のアンテナで約一年間7MHz帯を運用したが海外の交信ではダイポールよりは飛んでいた。しかし此の当時は100W出力で電信を全く運用しておらず今思うとアンテナの性能云々よりも海外と交信を楽しむ様なパワーで無かった。


 ダイポールはタワーを建てるまでの一時的なアンテナ、CV-48は少し目先を変えるために使用したが殆ど実用する事無く横倒し、家の横の葦と草むらの中で長年眠っていたが、不注意にも忘れてしまい、数年後の「葦(よし)退治」の野焼きで火を付けてから気付いたが「後の祭り」トラップ部分が燃えてしまい哀れな姿で再会した。此のアンテナ以降、私は垂直系のアンテナを信用しないし固定局で使う事は無かったが、ある程度経験をした今考えると土地が元川原で砂地の為に良好なアースが取れなかった事やラジアルにしてもDX用と成ると20~30本は必要で其等に対する対応が出来て居なかった。廃材は其の後の移動用の垂直ポールとして使用され重宝したが勿体無い事をした。其の後のループアンテナは、美観的な問題と家内から首を吊る様な線の張り回しにクレームが付き、首を吊らない高さの八木アンテナの購入を受諾して貰い廃止、待望の八木が実現した。AFA-40は上げた時から台風の餌食に成らないか心配したが17年間、無事に持ち堪え途中の大きい台風の瞬間最大風速53m/sにも壊れなかったが其の後トラップ部分にトラブルが発生し命尽きた。原因究明の為、苦労して降ろしたが上げる時に同じ苦労をするなら3エレに計画変更2005年の5月に現在のアンテナが上がりDXに対しては余り飛ばないが国内向けには重宝している。


 この様に現在の場所に移り住んでからの7MHzのアンテナはダイポール、CV-48、三角形のループ、AFA-40(2エレ)現在の3エレと進化したがタワーの高さが無いのでDX用として満足したアンテナは一度も無い。現在のタワーの高さではCQアンテナの選択がベストで有る事は解っているのだがタワーが自立で、絶えず高所のメンテ作業が必要なCQは大変だし ましてや台風銀座の四国では不向きと言う事で挑戦しなかったが私にとっては夢のアンテナである。


 CQ WW Contest(CW) の結果 (後半)

2012年11月27日 18時40分44秒 | アマチュア無線


 コンテストに参加したら北東方向に中米、カリブ海方面が出来るので楽しみが有るが反して北西方向はアフリカ方面の参加が少なく、一般的なEUしか出てこず変わったプリフィックスが出来る楽しみは有るが目新しい所は出てこない。今回はCW部門なので呼び側専門で300局位で終了、いつの日か「いらっしゃい~いらっしゃい」と相手のコール・サインを拾える様に成りたいと夢見ているが 生きている内に実現させる事は有るのだろうか?



 今回は今まででCW部門への参加としては最高の時間数を掛けたが300局程度、呼び専門でいったので今回にエントリーした比較的、主だった局は交信出来た様に思う。



  TF2CW (14) EA6FO(14) 9M2CNC(14) C6AKQ(7)

 

  PJ4A(7) VY2ZM(7) 6Y3M(7) HK1NA(7) PJ2T(7)

 

  KH6LC(7) P49Y(7) CW5W(7) KP2M(7) P40W(7) 

 

  ZF1A(7) LS1D(7) LX7I(14) OH0V(14) EW2A(14)

 

  C5A(7) P33W(7) A45XR(7) TO7A(14)  J75Z(14)

 

  P40W(14) NP3X(14) 9Y4/DL7VOG(14) TI5A(14)



  J79WTA(14)


CQ WW Contestの途中結果(2012/11/24~11/25)

2012年11月25日 16時08分16秒 | アマチュア無線

 今回 CQ WW CW Contestに 初めて参加とは言えないが自分としては今までに無く、少し時間を掛けて聞いてみた。お空のコンディションは思いの他良くカリブ海方面がよく聞こえて居たように思う。初めて高速のCWの信号を2~3時間、連続して聞くと頭の中で符号が踊り、ヘッドホーンを外しても信号が聞こえる感じがした。


 YS1/HB9KNA(21) C5A(21) 9M2MT821) 

 

 KH2/JK2VOC(7) P49Y(14) HD2A(21) 

 

 P49Y(21) HK1NA(21) PJ2T(21) 



 8P9DF(21) TO7A(21) YN2CC(21) 

 

 V26K(21) NP4Z(21)  XE1X(21) 

 

 V63JX(21) V26K(14) P40F(14)

 

 KP2A(14) PJ2T(14) NP2N(14) 

 

 PJ5T(21) V6A(21) 6Y3M(21) 

 

 3W2J(14) XU7AEL(14) XE1RCQ(21) 

 

 9M6NA(21) XV9NPS(21) XR3A(21) 

 

 9M8YY(21) TI5A14) 8P5A(14)

 

 FY5FY(14) VP5CW(14) FY5KE(21)

 

 PJ4A(14)  VP2V/AA7V(14) KH7X(14)

 

 A73A(21)   


 上記は交信した中ではまずまずの局(  )は周波数で順番に交信した順


固定局用のパソコン復旧作業完了 (2012/11/24)

2012年11月24日 21時21分07秒 | 日記

  
 
  




固定局用のパソコンが10月の後半にトラブルが発生、ウインドウズは立上がって居る様子なのだがアイコンが表示される手前で動かなく成る症状(其の段階からの終了作業は正常に出来る)ハムログが立上がらないのでデーターの1週間分くらいが抜き出し出来て居なかった。其のパソコンは無線機棚の狭い所に入って居たので復旧作業が延び延びに成って居たが、本日、重い腰を上げて修復作業に入った。

 まずパソコンの取出しに机に上がり裏側の接続コードを外し取出すのに可也の時間が掛かった。其の後パソコンのマスターのHDDを取出しUSBで接続する外付けのハード・ディスクにして他のパソコンに接続したらハムログのデーターは(HDBファイル)読み出せたのでUSBメモリーにデータだけ抜き出し、他のパソコンで確認したら30局程のデータが増加していたのでデーターの抜取りは成功した。

 其の後、本題のウインドウズの途中で進行しなく成る症状の原因を突き止める作業に入ったがコンピューターの専門職では無いので最終的に解らず、前の方法でCドライブ内の各ファイルを確認したらOS本体のファイル以外のデーターファイルは見付からなかったので思い切ってCドライブをフォーマットする事にした。最近のパソコンはOSはHDD内に入っているので安い中古のパソコンの場合はリカバリーディスクが付いておらず、手持ちのOSを利用する為、完全フォーマットを掛けると一眠り出来るくらい時間が掛かった。フォーマットが終わるとインストールは問題なく進み、約1ヶ月振りにOSが立上がった。

 インターネットやネットワークとウイルス・ソフトを入れて設定完了に約1時間、完全な復旧作業が終わったのは夕食後、午後から始めたので6時間近く掛かった。1~2年間に1回程度の此の様な作業をする事が有るが困った事に忘れた頃に問題が発生するので手間取ってしまう 困ったものだ。

阿南市でのアマチュア無線の再開とタワーへの思い(NO-1)

2012年11月24日 01時07分52秒 | アマチュア無線
 1978年の晩秋から現在の場所での生活が始まったが、家を構えた場所が実家とは4Kmくらい離れており、土地の人とは面識が無かったので、最初から無線のアンテナを張り本格的にアマチュア無線を楽しむ事は出来なかった。田舎の事なので、態度には出さないが皆さん「何処の何者的」な関心は有った様で、行き成りタワーを建てて周りを刺激するのは得策で無いと考え「じっと我慢の子」を決め込んだ。此の時が私にとっては無線的には一番辛い時期で有った様に思う。家が出来て6ヶ月ぐらい経過した時、前にも書いたが島先輩(JA5BIFさん)から「電力関係の変電所で使用していた四角のドブ漬け(亜鉛メッキ)の鉄塔の1セクション7.5m物が有るが要らないか?」と連絡を貰い「渡りに船」3セクションを譲りうける事に決めた。後日、ユニック車で自宅まで無料で配達までしてくれたが車の荷台には可也の数のセクションが積まれており先輩も「電力規格なのでドブ漬けも確りしているのでもっと持っておけ」と進められたが当時の私には先見性が無く3セクションしか貰わなかった。今思うと全数買取っていたら22mHのタワーが3基は十分に建てられたと思うのだが残念で成らない。当時はタワーは欲しいと考えてはいたが業者に任せる事は考えずに自分で立てようと思って居たので私の力量では一基が身の丈と思い込んでいた。其の意味で3セクションを接続2.5mを地中に埋めると20mHのタワーに成ると考えていた。

 部材は手に入ったがタワーを建てるには時期的に早すぎると思い家の横の道路脇に見える様に1年半程、2段積みで保管した。建てると高い物なので横に置き、近所の人に、まず目に慣れて戴く作戦に出たのだ。道行く人は其々に「此れは何に使うんで?」と聞いて来たので私は「今はお金が無いので横倒しにしているが ゆくゆくは此れを建ててアンテナを取付けて無線をするんです」と説明、段々と理解をして貰う様、時間を掛けて計画を進行させた。二人だけの生活の時は「共稼ぎ」で双方、帰りが遅く近所との接点は余り無かったが1980年の5月に長女が誕生した事を期に、家内は専業主婦に成ったので、我家の広報活動は一手に任せ、近所との本格的な御付き合いが始まったので此の頃から少しずつGPアンテナ~7MHzのダブレットとアンテナを張ってアマチュア無線を運用し始めた。そして多分1981年と思うが横に成って居たタワーを遂に建て、最初のアンテナはモズレーのTA-33Sを取付け、本格的なDx通信を再開した。今、古い業務日誌を見ると此の頃から飛躍的にDxとの交信が始まっている。サイクル20のピークを過ぎて落ち始めた頃と思うが1年くらいで250カントリーと交信したと記憶している。何せSSN値が250を超える等は日常茶飯事の事で有った。

本日のDXの実績 (2012/11/23)

2012年11月23日 22時56分34秒 | アマチュア無線
  本日の朝の内にPT0Sのログを確認に行ったが14MHzのCWモードでの交信はデーターがアップ・ロードされていなかった。最終のアップ・ロードされた時間の 直後に交信した様でタイミングが悪すぎ、午前中はコンディションは昨日程では無かったがハイバンドの開ける時間帯は聞いてみて出来そうな所は呼んでみた。夕方はPT0Sが7MHzのCWで聞こえていたがJAを中心にピック・アップしていたので現役組の方々には祝日の日、まさに「勤労感謝の日の良いプレゼント」に成ったのではないかと思う。其の後14MHzのCWが聞こえていたので、随分、迷ったが誘惑に負けて邪道の保険QSO、今回は確実なタイミングで有ったので問題なく交信成立したと思っている。今回の場所は簡単に行ける所では無いので老い先の短い私には次のチャンスが有るか無いか微妙な状態、本日辛抱して明日のログ・サーチで印が入って居ないと今回の交信は可也確立が悪くなるので御容赦いただいた。前回の交信は1990頃と記憶しているので私としては22年振りの信号、特にCWは此の当時は運用していなかったので「DXの王道」の14MHzでのCWでの交信は落とすことが出来なかった。


 今、インターネットで見るとPT0Sは本日の10:30ZでQRTした様子なので14MHzでの交信は閉局1時間前の滑り込み交信、あと拡張バンドでの24MHzでの交信を期待したが日頃のメンテを怠っていた為、(ローテーターが回らず)交信する事が出来なかった。アンテナさえ回れば確実に交信出来たと思うが「後の祭り」矢張り日頃のメンテの重要性を痛感した。
 


4X/UA9CTT  11/22   21:28U   7MHz   CW

 Z38/HA8KW   11/22   21:29U   7MHz   CW

 JW4KQ       11/22   21:59U   7MHz   CW

 J79WTA      11/22   22:17U   7MHz   CW

 HD2A        11/22   22:20U  21MHz   CW

 ZF2AH       11/22   22:21U  21MHz   CW

 C6AUM       11/22   22:26U  21MHz   CW

 NP2/W2VJN   11/22   22:47U  14MHz   CW

 9H3JX       11/23   07:44U  24MHz   CW

 6V7V        11/23   08:02U  21MHz   CW

 EA6UN       11/23   08:31U  24MHz   CW

 XV2RZ       11/23   08:36U  21MHz   CW

 V63JX       11/23   08:38U  21MHz   CW

 E51TLA      11/23   09:13U  14MHz   CW

 PT0S        11/23   09:30U  14MHz   CW

 4O4A        11/23   09:40U  24MHz   CW 


     

 果たして交信成立か?PT0Sとの14MHz(CW) QSO(2012/11/22)

2012年11月22日 22時49分11秒 | アマチュア無線
 昨日はデーター飛ばしの後遺症から無線交信する気持ちになれなかったが、本日は気持ちを入替え朝から各バンドをチェックしたところコンディションに助けられ中米からカリブ海方面との交信が出来た。夕方からの14MHzのPT0Sの信号はマズマズの信号でコール・バックは確認したが交信終了の「TU」の確認が出来なかったので少し疑問がのこったが次の局をピック・アップしていたので再度呼んでの確認が出来なかった。オンライン・ログでの確認しか方法は無いがログに無い場合は日数的に遣り直しは可也難しい様に思われる。SSBの14MHzは前回に交信し其のカードは得ているがCWの14MHzは初めてなので「果たして結果は如何なものか?」気を揉む処で有る。後、10、18、24MHzの何処かの周波数のCWでの交信が出来れば良いのだがアンテナが回ら無いので出てくればタワーに上がって方向を固定して呼ぶしか方法が無い、可能性は24MHzが一番有るのだが果たして其の結果は???



   YN2CC     11/21   21:32U    24MHz  CW


   C6AKQ     11/21   21:58U    21MHz  CW


   PJ2/K2PLF 11/21   22:22U    24MHz  CW


   PJ7I      11/21   22:25U    24MHz  SSB


   FM/KL7WA  11/21   23:23U    14MHz  CW


   C6AKQ     11/22   00:15U    14MHz  CW


   6W/UN7LZ  11/22   08:19U    14MHz  CW


   PJ2/K8ND  11/22   09:04U     7MHz  CW


   HK1NA     11/22   09:09U     7MHz  CW


   PJ7XX     11/22   09:13U     7MHz  CW


   PT0S      11/22   09:22U    14MHz  CW


   3W2J      11/22   09:36U    14MHz  CW         

 データー損失と 其の後 (2012/11/21)

2012年11月21日 21時54分48秒 | アマチュア無線
 昨日、HAM LOGデーターを飛ばした全容がなんとなく見えてきた。昨日の午前中は、JARLからのリターンのカードで処理出来ないカードが有ったので確認を取ったら、新しく変更されたQTHで有ったので(マスターコードが無かった)処理しているパソコンのターボ・ハムログのバージョンの関係で受付無かった事が解かり、ハム ログのバージョン・アップの動作中に車の引取りの連絡が入り 急いで出掛けた状態でパソコンはバージョン・アップは終了した感じ 以前のバージョンは1年以上前のバージョンで有ったが、此れには其れ也の理由が有った。


 私は固定で運用する時のログ管理と移動運用する時のログ管理は(ノート・パソコン)別々で、其々のデーターの結合はカードの印刷時に、問題を起こしたパソコンで行っていた。いつの頃からハムログのデーター取込がQSOデーターのリストアに代わり、そのバージョンから新規のデーターを従来の様に取込むと新規のデーターのみに書き換えられて不便で有ったので印刷用に使用していた現在のパソコンは わざと古いバージョンで残しデーターの書替えは新しい交信データーを追加して行く方法を取っていた。当然、移動時と固定局用のパソコンは絶えず新しいバージョンに書き換えていたので、ログ管理の上では問題は無かった。


 それと此のパソコンは本来、マスター的な存在で、以前の勤務先は情報が外部に漏れる事に大変厳しかったので(個人的な事務用だった)データー漏洩とウィルス対応の為、インター・ネットとにも接続していない我家では唯一のパソコンで有った。今回、固定局用のパソコンが調子がおかしく成り、臨時的な対応の中で、全体的な配慮に欠けていた様に思う。


 昨日はショックで余り眠れなかった。本日、時間を掛けて「復旧ソフト」を使用してあの手この手と遣って見たが、手応えが無かった。まだ完全に諦めてはいないが、多分復旧は難しと考えている。先日、QSLのリターン・マークを入れた時に最終交信数をメモしていたので最終バック・アップの(現存)交信局数との差は先程、計算すると985局程の数字に成る。途中CQ WW コンテスト (610交信)とJA IN コンテスト(251交信)での交信を差し引くと残り124局分が通常の交信分、海外のコンテストはカード交換の約束はしていないし相手の局がカードを必要とする場合は送って来るので対応出来るのだが(リポートも59以外は送っていないのでカードを出す事は出来る)通常の交信スタイルの交信局の方もカリブとアフリカ、珍しい場所との交信データー61局分はブログに掲載していたので助かった。結果的に実質の影響は63局との交信データーと成る。流石にショックは大きく本日の復旧作業中も無線機は動いていたが お空に出る元気は最後まで無かった。

自宅が完成 30歳で現在の場所に転居 (1978年 秋)

2012年11月21日 00時56分02秒 | 日記
 1977年の11月12日に29歳で結婚したと同時に実家を出て独立、徳島市内の安アパートで新しい生活が始まったが、人口密集地のためHF帯での無線活動は出来なかったが其れでもアンテナの接続されていない無線機は狭い部屋に確りと鎮座していた。当時、家内は半官半民の金融関係に勤務していたので給料も私より遥かに高額で有ったので彼女の勤務を優先する形で徳島市内に住んだが私の方は直ぐに阿南市に有る営業所に転勤命令が出て、その後は毎日、実家より南の街まで通勤する事と成った。


営業所勤務は技術関係は私一人、「親分無しの子分無し」で仕事的にはクレームは精神的に大変で有ったが実務面では上司が居ないので自由に出来たし、当時は修理もテレビ、冷蔵庫、洗濯機の修理依頼位で1日に3件程度の出張修理依頼が有るくらいで「販売店様の自店修理率」が高かったので楽勝で有った。


 唯、何時までもアパート住居だと好きな無線が出来ないので家内と相談し、家を建てる事にした。結婚した時は、貯金など全く無く、結婚式前に新婚旅行に行ける50万円が貯まっただけ、独身時代は年末とゴールデン・ウィークは長野に入浸りボーナスなどは右から左の状態でスキーを楽しんでいた。


アパート生活を丸1年した段階で300万を貯め、其れを頭金にして家を建てる事にして親父に相談、実家は農家なので土地は頂ける話は暗黙の了解事項で有ったので具体的な話に成ったが固い親父は「先祖伝来の土地は代々、長男が継いで行く物、だから屋敷周りの土地はやる訳にはいかない、阿南の大野町に有る畑なら自分の代で購入した土地なので自由にして良い」との事「又、新宅が近くに有るのは其の代は(自身兄弟なので)良いが何代か続く家の差が出来て歪み合い、他人より不仲に成る事が多く、新宅は一町村離れる位が良いと」諭された。


 当初は実家近くの四角の土地で四隅にタワーを建てて無線をやる夢を持っていた私としては少し期待外れでは有ったが、当時は土地を購入する元気は無かったので納得した。でも今思うと此の判断は正しかったと思われる。無線キチの兄弟が至近距離で御互いがフル・パワーで無線を遣ればその結果は「火を見るよりも明らか」まさか親父は其処まで読んでは居なかったと思うが適切な裁きで有ったと思う。


 現在の家の有る場所は、子供の頃、サツマイモ畑として使用しており、何度か訪れた事が有ったが非常に寂しい場所で風は強いし荒地で余り良い印象は持って居なかったが、土地が無ければ家が建たないし「何時かは出来る自分の子供は自分と同じ様な環境の中で育てたかったので自宅は必要」と考え家内に説明し現地に案内する事と成った。


 1978年の夏前の頃で有ったと記憶しているが当時は何も農作物を作って居なかったので土地は荒れ放題、私の背丈を越す葭葦が鬱蒼と茂り大変な状態に成っていた。(此の葭葦を完全に退治するのに20年を要した)其れを見た家内は「此処で住むの?」と不安そうに目に涙を浮かべていた。(確かにそんな時代も有ったのだが・・・・)反対に現地を見た私は面積が120坪強、三角定規の二等辺三角形でない方の形をした土地と、周り50m以内に家が無く柱上トランスは玄関先、何よりも日本列島に沿った(指向性として)3.5MHzのアンテナが張れる方向に細長い土地は形は悪いながらも私には魅力が有り無線を遣るには条件が良いと判断した。


 唯、一番の難点は交通の便が悪く子供が高校に行く時、非常に交通の便が悪い事で選択肢が狭まる事で有ったが全ての条件を満たす場所等、有り得ないし有ったとしても其れ也の出費が必要、私達には無理な願い事で有った。夏が終わる頃、家は完成に向かい時々、家内を連れて見に来たが我家を持てる喜びと徳島市内の実家の様に他所の家の軒先と自宅の軒先が当たる様な生活環境に比べると広々として日当たりも良く段々と其れ等を実感して喜んで居る様子で有った。そして其の年の晩秋から此の地での二人での新しい生活が始まった。



ハム・ログのデーターを飛ばす大失敗(2012/11/20)

2012年11月20日 21時51分18秒 | 日記
 本日、ハム・ログの10日間くらいのデータを飛ばしてしまった。パソコンは午前中に立ち上げていたが、移動用の車の車検が出来上がったとの連絡が有り、至急、車の引取りの為 外出し帰宅したのは11時を回っていたので 昼食の準備をして昼食を取りながらテレビを見た後、夕食の「おでん」を作る事にして出来上がったのが16時、夕方のコンディションを確認の為、無線機の前に座る。スクリーン・セーバーが動いていたのでマウスで解除、するとスタート・ボタンの横のバーに何故か「ハムログ」表示が2個有るので「おかしいな?」と思いつつ一つをクリックするとデーター表示が出ないので終了し、もう一方をクリックしたが同じ状態(ハムログは立ち上がるが交信データーが全く表示されない状態)実は此の時点でも状況が解らず、アイコンで再度、立ち上げたが同じ状態「あれれ・・」この時点で現実問題を知った。

 原因は不明で有るが今回は不運が重なってしまった。


 2週間くらい前に固定局でのログ用のパソコンがおかしく成り、代理のパソコンに切替えていたので置き場所が無くて自分の机の下に置いていた為、かがみ込むのが窮屈かつ、面倒だったのでバック・アップしていなかった事と、最終的には本来のパソコンにデーターを写す予定が有ったので、HDDにバックアップを取らずにUSBメモリーにバック・アップを取る様にしていた。(臨時のパソコンで有った為データーの二重化にもチェックを入れ忘れていた)タワー型の後面のUSBの端子に差し込むのが暗くて大変だった状況が失敗の原因となってしまった。



 問題のパソコンでのバック・アップは入替えてから出来て居なかったのでJA IN DX コンテストの交信データーと毎日の交信データーと合わせて500局以内と思われるがダメに成った。最近は国内の交信数は激変しているので20局未満と思われるが、殆どの喪失データーは海外局との物、Newは無いので大きな損失は無いが、カードを出す事が出来ない。それと島根よりのリターンのカードの受領マークを入れた3500枚位のデーターも同時に消えたので後日、再度チェックの必要性が発生した。自分の不注意とはいえ長時間の労力が瞬間に「パァ~」当局のショックは大きく夕飯は食べる気に成れなかった。本日は小さなミスで大失敗の御粗末な結果と成ってしまった。皆さん御注意を・・・


 

 今日のDx との交信 (2012/11/19)

2012年11月19日 21時19分43秒 | アマチュア無線

 先週の前半から出ていたPT0Sの信号がハイ・バンドでは余り強力に入感せず、交信の機会が無いまま本日に至っていた、最初の段階では14MHzと7MHzではマズマズの信号強度で聞こえていたが其の後は信号が弱く、呼べる段階では無く、又、ロングパスかショートパスか?の区別も付かない状態で悩んでいたが本日、7MHzで16:00jstを過ぎた頃から弱く聞こえ始め、JAが沢山呼んでいた。私の所では強く無かったが交信前の20分くらい前から599で入感し始めた。本体は7.0254MHzでUP~7KHzまで広がっていたがJAを中心にピック・アップしていた為17:11jstにコール・バックが有り交信が出来た。過去の運用では色んな周波数で交信実績は有ったがCWによるQSOの実績は無く、今回はCWでの交信を狙っていたので取敢えずホットしている。今回は余り差は無かったがロング・パスの方が強かった様に思えた。この場所は今後、上陸許可が難しいと噂されて折り、今後の運用が大変な場所、取敢えずCWでの交信を狙ったが明日からは18MHzか24MHzでの交信達成の為、頑張ろうと思っている。


    V44KAO   11/18   22:33U   24MHz     CW


    E51C     11/19   07:20U   21MHz    SSB


    PT0S     11/19   08:11U    7MHz     CW


    JU850DA  11/19   08:23U   24MHz     SSB


その後のアマチュア無線と2級の受験

2012年11月19日 15時59分34秒 | アマチュア無線
 徳島に帰ったのが21歳、その後、29歳で結婚するまで独身時代は長かったが人並みに色んな事をしたが、やはりアマチュア無線に一番入れ込んでいた様に思う。当時(1970~1977)は講習会制度も出来てアマチュア無線の全盛時代、局数の増加とU,VHF帯の無線機の発達や、車社会の到来でモービル運用が大変盛んな時代であった。勤務先もアマチュア無線機器に参画する家電メーカーのサービス関係で有ったので若い社員は全員(20人位、居た様に思う)アマチュア無線の資格は持っていたので、朝夕の通勤時間帯は毎日無線で交信しながら会社に向かっていた様に思う。(一般社会においても通勤途上で現在と違い乗用車にアンテナを取り付けたモービル運用は非常に多かった様に思う。)ただ其れでもHF帯を運用している人は同じ部署には誰も居なかった。


 私は自身の拘りから無線は「限りなく遠い場所との交信と、交信出来るかどうか?解らない不確実さに無線の面白さが有る。」と常々感じていたので144MHz帯のFMで運用するメンバーに一時、入っていたが何か違和感を感じ暫くして辞めてしまった。原因は毎日、顔を合わせて仕事をする連中と通勤時間まで話をする必要も無いし、何より四六時中、同じ連中と話していると話題が決まり気心が解っているだけに電話の代わりの感覚に成り、私が日頃、感じている無線とは異質な感じがしたからである。


 家に帰るとHF帯でアマチュア無線を楽しんでいたが海外と交信する為には 上級を取る必要性を感じ最初に2級を受ける事にした。無線工学や法規に関しては問題は無かったが電信は運用していなかったので(電信級は持っていたが)此れにはマイッタ、CWの音響を聞き出すと数分で拒否反応が始まり、その数分後には眠たく成り、集中力が途切れ受信練習に集中出来ない状況によく落ち入った。CWの受信には余り自信がない状態で試験に臨み、相当緊張していたのだろう受信を開始して数文字書いた処で鉛筆の芯がポキリと折れた。「あちゃ~」である。予備の鉛筆は用意していたので持ち替えて書いていったが「何文字か空白が出来てしまった。」その後は必死で何も覚えて居なかったが、答案用紙を集める段階で「こりゃ 落ちたわ!」と実感した。帰りの松山からの帰り道、悔やんだこと悔やんだ事・・・・・・


 予想に反して結果は合格通知が舞い込んだが現在でも「あれは何かの間違いで無かったのだろうか?」とその時の事を思い出す事がある。しかしながら御蔭様で「天下晴れて」14MHzの運用が出来る事と成った。