私の家内は5月生まれなので今日の月末をもって晴れて職場を退職して来月からは2人とも完全年金生活に入ります。家内は半官半民の金融機関に就職し長女が生まれるまでは在職しましたが当時は結婚が決まると自主退職すると言う今では考えられない暗黙の風習の職場の中でトップと直談判して初めて子供が出来るまで如何にか在職出来る道を開きました。
其の後に二人目の豪傑女性が現れて更に子供が出来ても勤めれる権利を獲得し女性でも課長に成れる道を作った様ですが其の先駆者として日頃は大人しい人間が一寸頑張った事で有名に成ったとか?当時の職場は良家の子女が多く花嫁修業的に2~3年勤めて結婚したら家庭に入る人が大半の職場で従って家内の様な平凡な家庭の人が入る事は余り無かったらしい。
彼女は就職試験の面接で何処かのテレビ番組で有った場面の如く部屋に入る成り緊張で足が滑っておっとっと状態に成ったり「此の会社を受け様とした動機は?」と聞かれ「他の金融機関は一般の人を相手にするので容姿が求められるので私としては自信が無かったので・・・・」と考え無しで正直に答えたら試験官の皆さんがクスクスと笑い出し代表格の専務が「私共は一般金融機関とは違い個人を相手にはしませんが容姿が良い事に越した事は無いんでよ!」と言われたとか?其れでも其の事が印象に残って採用に成ったらしい。家内は26歳まで其の職場に勤めたので後輩の女性からは若くして「お母さん」と呼ばれ日頃は大人しい大和なでしこですが或る一定レベルの線を越えるとガンと譲る所が無くて名前(正子)が示す通りの性格です。
私も長い夫婦生活の中で若い時に一寸調子を扱き過ぎてアマチュア無線の事で家内を大噴火させて「貴方は私に対する感謝の念が無さ過ぎる従ってこんなタワーは倒してやる!」とラチェットとモンキーを持ち出してタワーの基礎部のボルトナットを外し掛けられた事が有ります。其れまでは何を遣っても何一つ文句は言わなかったので私は調子に乗って居ましたが此の時に初めて彼女の恐ろしさの一面を認識して後は其の最後の一線を越えない様に努力をして居ます。
家内も長女が生まれて10年間は専業主婦を遣って居ましたが35歳位から再び社会に出て働き出し何とか世間で云う処の現役リタイヤまで務め上げて今日無事に退職の日を迎えました。私としては此の日の為に色々考えましたが矢張り2人だけで卒業日を静かに迎えたいと思い家内の好きな寿司(何時も寄りは高級な物)を買い出しに出掛け更に家内の泣き所の減量の為に長く我慢して居たビールも用意して帰りを待って御苦労様の祝杯を挙げました。家内は全く期待もして居なかった様で大喜びでしたが私の本当の彼女への感謝行事は6月の中旬から始まる2週間の北海道旅行で今日漸く宿泊先への予約も全て完了し後は出発をする日を待つばかりです。