黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

今日のコンディション (2013/06/30)

2013年06月30日 20時43分01秒 | アマチュア無線

  昨日に続き本日も7時頃から50Mhzを聞き始めたが数局8エリヤの信号が聞えたが安定な交信が出来る状態では無く、バンド内のノイズレベルも低くバンドは全体に死んでいる状態、此れでは期待出来ないと判断、24Mhz、21Mhzと下がっても同じ状態、そして18Mhzに降りても何も聞えない状態、ただ8エリヤの移動局が1局だけ59で入感しCQを連発していたが何処からも声が掛からず やがて諦めてQRTした。私も一瞬、ダイヤルが止まったがマイク。コンプレッサーをガンガンかけてサイドがバリバリ言っている其の局を正直、呼ぶ気持ちには成れなかった。少なくても18Mhzは国際バンド、近年3級にも解放されて上級で無くても運用できる様に成ったがもう少し自分の電波を確認する必要が有るのではと感じた。少なくともコンプレッサーをかけた段階から音声は歪むと言う事をもっと認識すべきであろう。如何しても届かせたい思いで一時的にスイッチを入れるなら未だしも常時、スイッチをONの状態でCQの連呼は戴けない。私も御大層な電波では無いが少なくてもコンプレッサーを国内QSOに使う事は無い。実際の交信中も余程、歪んだ状態か?汚い電波で無い限り其の事を指摘される事は無いし、相手も其の事を指摘し難いものだ。オペレート技術は(話し方や運用態度)其の人となりを表して居る事も勿論だが電波の質も在る意味、其の局の評価につながる。特に、このバンドは開放当時は上級資格者しか運用できなかった事や、安定に国内ラグチューが可能な為にアマチュア無線暦の長い人達が多いので、言わなくともオペレート技術や電波の質に関してシビアに聞いて居る方が居る事を知るべきで有る様に思う。

 余談に成ったが18Mhzのコンディションは08:20JST辺りから少し開けたが信号の上り下がりが激しく最初59で入感の信号が次の送信時にはノイズの中に埋もれたり乱高下が激しく尻切れ状態に成る交信も何回か有った。従って連続した呼掛けは少なく1局終る毎にCQを出してお呼びが掛かる様な交信が多かった。21Mhz帯の方も少しは信号も入っていたが呼んでも届いていない様子だしCQを出しても声が掛かる事が無かった。24Mhzは長くは聞かなかったが私が聞いている間、国内の信号を聞く事は無かった。50Mhz帯も時間の許す限り聞いてみたが近距離のG・Wの3エリヤの信号を受信したのみであった。此れで3週間連続で週末のコンディションは余り良くなかったが「聞かない事には始まらないアマチュア無線」中々辛抱の要る遊びである。
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島根県鹿足郡津和野町での移動運用 (2013/05/16)

2013年06月30日 09時37分03秒 | アマチュア無線
      


   阿蘇の白水温泉で日帰り温泉を楽しんだ後、阿蘇パノラマ・ラインを引返し山頂駅の御土産屋さんで家内への土産を買った後、来た道を草千里を通って阿蘇市側に下った。パノラマ・ラインと57号線が交わる交差点を直行すると「道の駅 阿蘇」の駐車場に入り小休止、一応、九州での予定した観光も終わったので後は深夜割引を利用して九州自動車道に乗り島根に向うのみ、57号線を熊本ICまで向かい午前0時過ぎた所で高速に乗り古賀SAで車中泊し翌朝に関門海峡を渡り山陽道へ更に途中から中国道に乗り換えた。カーナビのルートは中国道を岡山県まで進み鳥取に出て引返す形で境港までのコースを選んで居た為、時間的には早いのかも知れないが大変な遠回りのコースの為、途中のSAでコースの再検討を行った。

 私は2年前に島根県の移動運用として隠岐の3町1村(隠岐の島町、海士町、西ノ島町、知夫村)を運用したが其の時は九州からの帰り道に中国道の庄原ICで高速を降り432号線の山越えで松江市まで走ったが時間が掛かったのと同じコースを走ってもつまらないと思った事、島根県の本州側での町村の運用は一度もして居なかった事、更に今から幾ら急いでも本日の隠岐向けのフェリー便には間に合わず、何れにしても島根県内(本州側)での今晩の車中泊は必至で有った為、其れならプチ・アワードで私としては島根県内で最後まで残った津和野町に行く事にした。ナビの設定を津和野に変更すると六日市ICを降りた後、187号線を北上して津和野に入るコースが設定された。

 古賀町から津和野町(日原)に入ったら20代の前半に訪れた町筋とは随分印象が違っていたが観光に来た訳では無いので移動運用地を探した。ナビで周辺検索を掛けると日原天文台が有ったので山に登ったが良い場所が無く少し下のキャンプ場にも行ってみたが山中で駐車場も狭かったので下山し反対側の312号線の桐長峠方面と向った。そして可也奥まった北緯34度33分58秒、東経131度52分06秒、海抜236mHの場所、地元の功徳を称える石碑の有る駐車帯でアンテナを設営し16:16JST~20:41JST間7Mhz帯で運用し163局との交信で終わった。

 この地点でのアンテナ設営の写真は無い、実は一旦、この場所をナビに登録後、津和野の雰囲気が以前来た時と余りにも相違が有ったので一旦、山を降り町筋で年配の人に聞いたら「若い人に人気が有る津和野の町は9号線を西に可也走った道の右側に有る」と教えてくれた。其れでは写真だけでも撮ろうと思い観光地として有名な「津和野の町」へ向った。場所は直ぐに解り9号線を少し下がった川筋に40年前に来た津和野の町は有ったが余り大きい町では無く自動車では街中を走りまわる事が出来ず。自動車の駐車場も良く解らず写真を撮る事を諦めた。「道の駅つわの」も探したが解らない状態、諦めて近辺で移動運用が出来る所を探して9号線を更に西方向へと進むと道の側帯に運用が出来そうな場所も有ったが大きいアンテナを張れば直ぐにパトカーが来そうな場所ばかり可也走ってトンネルを抜けて左に曲がった所に広い駐車場が有ったので中に入ると「道の駅 願成就温泉」の看板が道の駅の移動運用は基本的に遣らないのだが場所を確認すると山口県山口市と出た「此れはアカン」と来た道を引返し前記の運用場所に戻った。その様な事情から2時間半くらい時間をロスしアンテナを設営すると写真を撮るのも忘れ運用を開始、其の日は其の場所の車中泊の予定で有ったが地元の方と話した時、隠岐行きのフェリー乗り場までは5~6時間は掛かると聞いて驚いてQRTしてアンテナ設営の写真を撮ろうとしたがデジカメのストロボでは発光が足らず写らなかった。現場を21時頃に出発し9号線を東に向いて出発し夜中をひたすら走った。途中で2時間ほど仮眠したが隠岐方面の発着港の七類には明け方の6時前に到着した。矢張り移動運用は一時の気紛れや、調子ずいて色気を出して決行しては成らない事を身に沁みて感じた。


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今日のコンディション (2013/05/29)

2013年06月29日 22時13分52秒 | アマチュア無線

 昨日の金曜日は平日ながら可也ハイ・バンドのコンディションが良かったので週末はQRVされる局が多い(日、土曜日)ハイ・バンドは期待出来ると思い朝の7時ころから聞き始めた。先週、先々週の週末は18Mhz帯から聞き始めて偶々それらのバンド・コンディションが大変良く、そこで踏み止まった事から50Mhz帯まで上がって聞かなかったが50Mhz帯が開けた様子、後で情報を聞いて「しまった」と思ったが後の祭り、私の悪い癖だが何処かのバンドが開けて聞こえていたら近い周波数帯の上下をチェックするべきなのだが、遣り始めた周波数で居座りコンディションがフェード・アウトするまで運用してしまう。

 各バンドの運用方法は色々有るが特にハイ・バンドの24、28、50Mhz帯は12~13年周期のサイクルの最盛期に確りと稼がないと後で後悔する事になる。28Mhz帯は1970年代から24Mhz帯は1990年の開放当時から運用しているが50Mhz帯はリタイヤしてから取組み始めたバンドなので正味の運用は3年程度で他の周波数帯と比較して交信数も少ないし実績も伴って居ない。本来なら此れ等のバンドを集中的に運用すべきなのだが私の場合は呼び続けられていれば其の周波数で最後まで運用するタイプ、実績本位で行くならば一つの周波数に拘らず冷静に状況判断し優先順位に伴い臨機応変の対応が出来なければいけないのだが其の器用さが私には一番欠けて居る様に思う。其の様な事から今年は50Mhz帯のオープンを随分見逃して来た。

 そこで今週は今までの失敗から50Mhz帯から最初に聞き始めた。今朝は1stQSOは07:05JSTから始まり2,3,4,6,7,8エリヤの8局と交信した07:40JST頃に電離層反射の交信は終わった。50Mhz帯が聞こえなくなった状態で18Mhz帯にQSYし10局程の国内局と交信した。此処連日聞こえていたEU方面の信号は18Mhz帯では私の所では余り聞こえなかった。昼前の11時台はグランド・ウェーブによる2,3エリヤの局と50Mhzで交信し其の後に各バンドをチェックしたが各バンドともノイズが高くNG、夕方前の15時頃から再び聞き始めたが18Mhzも21Mhzも少し国内が聞こえていたがCQを出しても呼んでも応答が無い状態が続き、同じ駄目なら50Mhz帯のG・Wを利用した交信に切り替え12局と交信して終わった。

 昨日は夜の18時~20:30JST間に18Mhz帯で国内が安定にオープンしていたので「今日は如何かな?」18時~20時近くまでと聞いてみたが18、21Mhz帯では殆どバンドが死んだ状態で一局も交信する事は出来なかった。結果的に3週連続で土曜日のコンディションは良く無い結果に終わった。明日、日曜日に期待するしか無いが明日のコンディションは果たして?
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念願が叶った阿蘇山の観光 (2013/05/15)

2013年06月29日 16時01分35秒 | 旅行
        

        


  産山村の運用の後に今回の九州の旅の最後の目的地の阿蘇山に上る事にした。この阿蘇山は過去3回ほど訪れているのだが如何した訳か相性が悪く山頂駅までは行けるのだが阿蘇の火口を見る事は出来なかった。一番最初は中学時代の修学旅行で初めて訪れた。当時の徳島県の中学校の修学旅行といえば大阪、京都、奈良方面が定番、事実1学年上の上級生まではそうで有ったが、私達の学年で学校側と折衝して紆余曲折は有ったが初めて北、中九州方面の修学旅行を勝ち取った。

 其の時に熊本県は熊本城と阿蘇山を訪れたが残念な事に火口までは行けたのだが雨と濃霧で火口を見ることが出来ず帰った。2回目は20代に会社の慰安旅行で訪れたが運悪く警報が出ており山頂手前のロープウェイ駅でお土産を買っただけで引返し、次は3度目の正直で2年前の沖縄方面の移動運用の帰りに立ち寄ったが再び警戒警報が出て門前払いを食らった。今回の訪問は4回目、幸いに鹿児島辺りで今回は警報が出ていない事を聞いていたので この日は阿蘇駅側から上った。幸いに天気も良かったので4回目の訪問で火口付近まで初めて行く事が出来た。ドライブウェイの途中にある草千里の上の展望台に居る土産物売り(虫除けの硫黄の塊を販売)のおじさんと話をしたら「貴方、今日で良かったわ 昨日は山頂で20m/hの強い風が吹きまくり観光処ではなかったし4回目もアウトに成るところやったな」と言われた。冷やかしの心算で見に行ったのだが、百戦錬磨のおじさんに上手く煽てられ、1000円の硫黄の塊を買う羽目に成った。阿蘇の火口は世界一大きく学術的には価値が有るらしが私の様な素人には「凄いなぁ」と感じたがいざ見てみると血道を上げて4回も来る程、拘る場所には思えなかったが話の種には成るだろう。

 其の後、阿蘇パノラマ・ラインを南阿蘇村方面に下り地獄温泉に進んだが以前は進入できたドライブウェイからの道路がバリケードで封鎖されていて進入出来ず。其の場所へは一旦、下道に下りて可也、遠回りの道を引返す事に成るので湯けむりアワードの対象地での運用を諦め阿蘇白水温泉でゆっくりと温泉に浸かってくつろいだ。



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 期待できるか?ハイ・バンドのオープン

2013年06月28日 20時08分48秒 | アマチュア無線


最近はハイ・バンドのコンディションが徐々に安定して来た。ここ数日は7Mhzを聞かず朝起きたら6時30分頃から18Mhzの海外の信号を聞き始める。早朝はEUの信号が日によって違うが80%位の確立で聞こえて来る。内外を問わず このバンドの設備は主要バンドと比較して各局、格差が有り、ワイヤーと八木アンテナ組では信号の強さが違い、同じ国からでも59オーバーから蚊の鳴く様な信号まで様々である。其れでも毎日4~7局程と交信しているのでコンディション的には良しとしなければ、当局の設備ではSSBでの交信は難しく、大半がCWによる交信、SSBで安定に海外を呼び出して交信している局は5エレ以上の多素子のアンテナを使用している局が大半の様子である。海外の信号が7時前後から落ち始めると8時前には保々、国内コンディションに切替わる。昨日は07:55~10時頃まで国内が開け夕方に19時~20時前まで再度開けた。本日は6時~7時30分頃まで海外が入感し前半はEU方面、後半にはW方面に変化した。国内は9時~11:30JST頃まで安定に入感して夕方も18:30~20:30JSTまで比較的に安定して聞こえていた。

 明日からは週末、当然QRVする局が増えるので狙い目である。現在 この時間(20:49JST)21MhzのSSBを聞きながら書き込みをしているが21.180~21.230Mhzでは国内交信が聞えている。私の場合はここ数日は18Mhzと24Mhzを運用しているが、矢張りこれ等の周波数帯は聞える時に遣って置かなければ悔いが残ると思う事と、これ等のバンドでの交信は1st率が高くJCAのポイントアップに直結する事だ。JCAは1st局との交信で初めてポイントの増加の可能性につながる。

 明日は平日には余りQRVの無い24Mhzと50Mhzを中心に聞いてみようと思う。SSN値は決して飛び切り良い状態では無いが ここ数日の状態から判断すると期待出来る様に思うのだが? ところが先週も先々週も金曜日のコンディションが大変良かったので土曜日を期待したが両週とも良くなかった。日曜日には少し持ち直したが今週の週末は果して?
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熊本県阿蘇郡産山村での移動運用(2013/05/14~05/15)

2013年06月28日 09時20分50秒 | アマチュア無線
      


      

「道の駅えびの」を出発し県道221号線を人吉市に向かい其の後、県道219号(人吉街道)を球磨川に沿って北上しながら八代市へと向った。この街道は余りアップ・ダウンが無く、馬力の無い軽四でも問題なく進む事が出来たが八代市に入った所で「道の駅坂本」(写真上段の2番目)で食事休憩、実はこの段階では私は「道の駅坂本」は山の中に有り球磨村内と思い込んでいた。球磨村と言えば余りQRVの無い場所、道の駅内の観光マップを見ると天文台が有る事が解った。一般的に天文台の有る所は低緯度の星の観測が可能な様に周りに障害物が無く360度の広い視野が有る為、アマチュア無線の移動運用には適している。とにかく現地を見て運用出来そうで有れば遣ろうと天文台に向った。可也山を登って山頂の465mH位の所に天文台は有ったが残念ながら駐車場に入る手前で施錠されており駐車場には入れず断念して近くを探すと森林体験交流センターが有り大きい駐車場に入ると、高さロケーション共に抜群の場所、「此れは飛びそう」と念の為にナビで場所を確認したら何と熊本県八代市坂本町中谷488mHと出た。(私のナビは古いタイプでポイント登録時にのみ正確な住所が表示される)「あちゃ~此れは骨折り損のくたびれ儲け」例によって市の場合は移動運用しない主義、諦めて山を下った。球磨川を挟んで東対岸で有ったら球磨村だったのだが残念至極、調度、球磨川が境界線だったのだ、如何しようも無い。

 八代市に入って3号線を北上し熊本市の近見から57号線に乗換え阿蘇山方面へ「道の駅阿蘇」で今晩の食料を確保、JCG-43002Bの阿蘇郡産山村へと向った。この村は村全体がグリーンに覆われ酪農を中心としている様で広大な牧草地内に大型の牧場がポツポツと点在する感じで私が運用場所探しに走り回った場所には殆ど一般家屋を見る事は無かった。村内には広い道路が通っており道端で運用出来る場所は沢山有ったが余りも見通しが良過ぎて注目される感じ、私の得意な「ごぞ地」は見付ける事は出来なかった。余談だが酪農農家は「こうてい病」から牛を守る為に非常に神経を使っている。一度発生すれば全頭を殺傷処理しなければ成らないので検疫の為に情況の解らない県外の車両の近寄りや立入りは歓迎しない。牧草地の近くで大型のアンテナを設置して運用するには余りにも目立ち過ぎる場所ばかり、其の為、村内の南西部に有る放牧地を離れた大蘇ダム湖に架かるヒゴタイ大橋の北側に有る駐車場(北緯39度59分58秒、東経131度11分30秒、海抜713mH)を探し当て運用場所とした。運用場所探しに手間取った事から運用開始は18:27JSTから始まり23:04JSTと翌朝の04:58JST~07:20JSTの間に7Mhzで運用し361局と交信したが残念ながら駐車場の広さが狭くアンテナが張れずに3.5Mhzは運用出来なかった。其れとアンテナ設営が遅くなったので夜写真を撮る事を忘れ、翌朝アンテナを撤収した所で気付いたが「時既に遅し」産山村でのアンテナ設営状態の写真は無い。この村はプチ・アワードの対象地、保々7時間に及ぶ運用時間の割りは交信数は伸びて居ないこの現象は今回の移動運用の終盤まで続いた。
 
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霧島、えびの高原の旅 (2013/05/14)

2013年06月27日 10時05分00秒 | 旅行
        

        


        


 今回の九州における主な観光は先日の「特攻記念館」と2年前の訪問時に実現出来なかった霧島方面と熊本県の阿蘇山であった。霧島方面は台風に遭遇したり阿蘇山は火山活動が活発で警戒警報が発令されており山頂駅までは上がれたが火口近くの駐車場に行く事は出来なかった。今回の帰り道は其れ等を観光しながら九州を縦断する事に成り高速を利用する方法も有ったが来る時の熊本~鹿児島間の高速道路は急な勾配は無いのだが連続する緩やかな勾配の坂道はピョンピョン2世号には手強くアクセルをベタ踏みでも60Km/h程しか出ず「世間の御邪魔虫状態」に成ったので鹿児島市~霧島~阿蘇山に至るルートは下道を利用する事した。鹿児島市から10号線で桜島を右手に見ながら鹿児島湾に沿って進み霧島市国分の広瀬西から60号線へ入り北に向う道に入った。其の時は既に日が暮れて辺りは暗く成っていた。可也の時間、山道を進み其の日の車中泊の予定地の「鹿児島道の駅2番霧島」に着いた時には21時を回って居た。

 翌朝に道の駅の上の神話の里公園の駐車場に上がり撮った写真が上段の2番目、広い駐車場に他の車は居らずロケーションも良かったのでQRVも考えたがよく考えると此処は霧島市、私は基本的に市での移動運用はしないので諦めて次の観光地の少し東手に在る霧島神社へと向った。写真3番目が大鳥居、4番目が霧島神社の本殿前の写真、この日は平日で有ったが帰り道に参拝の人波が途切れる事は無かった。其の後223号線を引返す形で霧島温泉郷から県道1号線で宮崎県の「えびの高原」に向った。えびの高原は20代に一度来ており考えると40年振り、前回の訪問時には硫黄山近くは余り草木が生えず水蒸気が沢山上がって硫黄の臭いが強かったが(火山活動が活発な様子に見えたが)今回は水蒸気が上がる事は無く近辺に草木が生えグリーンに覆われていた。其の後、不動池の近くの駐車場に車を停め硫黄山を周回する道を1時間程、散策した。途中から韓国岳の火口を見たいと進んだが途中に登山計画を書き入れる場所が有り、入山する人は軽装では有ったが皆さんリュックを背に登山靴スタイル、それに比べて私は移動中の定番スタイルで下はジャージ、上は半袖のシャツに手ぶらの運動靴スタイル、周りの視線が気に成り諦めて引返す事にした。途中の岩場にミヤマキリシマが綺麗に咲いていたので写真を撮ろうと遊歩道を離れて岩場に入ったのだが其の場所は斜面で可也急で足場が悪く(中段の写真3番目)歩いている時、岩場が崩れ前のめりに倒れそうに成ったので不自然な態勢で右足を出し支えた時、少し痛みが走った。山を降りて其の後は問題は無かったのだが2日後の島根県の隠岐の移動運用辺りから右足の親指部分がぼってり腫れて足を引きずりながら歩く羽目に成った。

 下段、最初の写真はえびの高原にある不動池、3番目が硫黄山の景色、最後の写真は30号線を北に進み、えびの市にある新しい道の駅、宮崎16番の「えびの」の写真、この日は無線運用をする事は無かった。

 

 
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鹿児島県知覧の「特攻記念館」の見学 (2013/05/13)

2013年06月25日 07時09分37秒 | 旅行
        

 2年前の沖縄方面の移動運用時に鹿児島でお世話になった田中さん(JR6LEA)に鹿児島に来たなら此処は必ず見て帰って下さいと案内頂いた知覧の「特攻記念館」、其の時は2時間以上滞在したが其れでも十分に見切れず次回に鹿児島に来る機会が有れば其の時は時間を掛けて見学したいと思っていた。指宿を出てルート27を北上して昼前に知覧町へ、平和公園の駐車場に入ると今回も平日なのに沢山の車で満車状態、周回しながら空きを探して漸く駐車出来た。

 入館したら館内はたくさんの見学者でごった返していた。小、中学生の見学者も多かったが矢張り御年配の方々が圧倒的に多かった。しかし其の大半の人は戦争を知らない人々、私が戦後三年目(1948年)に生まれたので物心が付いて戦争を実体験した人々は75歳以上の御高齢なはず、来館者の中には其の世代の人は意外と少なかった。前回の訪問時にゆっくり見れなかった特攻隊員の両親や家族に対して残された手紙や寄書きを時間を掛けてじっくりと見て回った。やはり死を覚悟して書いた人達の手紙は心を揺さぶられ胸が熱く成った。現在の平和ボケした私や、それ以後の人間には御国の為とは言え250Kg爆弾を抱え敵艦に突っ込み自爆するなど其れ成りの愛国心は有っても決して実行する事など出来ない事だが(今の若い人だと国外に脱出するだろう)其の当時の若い優秀で有能な人材を国家権力のもとに煽り洗脳し特攻隊や其の戦術を考えた罪を許す事は出来ないが御国の為と言うより先に外敵から家族を守る為に見返りを求めず自ら命を掛け其の命令を実行した若い特攻隊員の皆さんを戦争を美化する訳では無いが私は尊敬する。後10年も過ぎると戦争体験者の殆どが居なくなる。其の意味においても、これからの世代の人達に戦争を知らない私が言うのもおこがましいが「戦争の悲惨さと平和の大切さ」を啓発する場所としての有用性を感じた。

 特攻記念館には閉館時間まで残り見学したが其れでも館内の展示物の一部しか見学できず鹿児島県に再び来る機会が有れば是非又訪れたいと思いながら記念館を出て霧島方面へと向かった。

 
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薩摩半島の旅とK君との再会 (2013・05・13)

2013年06月24日 15時13分23秒 | 日記
         

          

        

    


 十島村(口之島)からの上り便は鹿児島港に18:50分に入港した。鹿児島に着いたら指宿方面の温泉に入る事と、2年前に来た時に「特攻記念館」を訪れたが其の時、機会があれば時間を掛けて再度、見学したい思いが在ったので例により途中にある「喜入の道の駅」へと向かった。十島村では滞在中、パンやインスタントのラーメン、うどん、そばで過ごした為、御飯ものが欲しかったのでレストランに入り食事をする事に、久振りに暖かい食事をしたので長居をしすぎて「喜入の道の駅」に到着したら8時30分過ぎ、温泉の閉館は9時なので入浴は諦めて次の「道の駅いぶすき彩花菜館」(写真上段1~2番目)まで進みこの場所で車中泊とした。

 あけて13日は終日、知覧の「特攻記念館」の見学予定であったが昨晩は温泉に入る事が出来なかったので「指宿に来ながら其れはないだろう」と朝一番に温泉に行く事に、2年前に来た伏目海岸の竹山の近くにあるヘルシーランド露天風呂たまて箱温泉に向かった。其の場所には8時前ころ到着したが駐車場には一台の車もおらず、時間待ちを兼ねて駐車場の近辺を散策する事にした。最初に伏目海岸の温泉を利用した山川の製塩工場跡や砂風呂で有名な「山川砂むし温泉」を見学した。砂むし温泉も興味はあったが御客さんはおらず私一人では気が引けて相変わらずの小心者振りとなった。元の場所に帰るとヘルシーランドの従業員さんが外回りの準備をしていたので「温泉は何時から入れますか?」聞いたら「9時半からの営業と成ります」との答え、まだ1時間近い待ち時間がある。仕方が無いので隣の温泉保養館方面に散歩に向かった。近くには温水プールや子供用の遊具やアスレチック設備が点在し一回りして帰る途中、運動場を横切る青年が見えた。長身の背格好や服装に見覚えがある。ヘルシーランドに通じる最後の上り坂で御対面、向こうから「お早う御座います」と挨拶が有り返礼の後、「元気で良い旅してましたか?」と言ったらビックリした様子、私は気付いていたが彼の方は解らなかった様子、彼とは1週間振りの再会、聞くと早朝に竹山に登り汗を掻いたので温泉に入りに来たとの事、目的は同じなので一緒に入る事と成った。下段1~2番の写真が「たまて箱温泉」の露天風呂、最初の写真に写っているベトナム人の様な傘を被った人相の悪いのが私(顔に似合わず小心者、後ろには開聞岳が見えているK君がシャッターを切った)2番目の写真のバックの山が竹山、中国の山水画に出てくる様なこの辺りでは変わった形をしている。温泉の客は2人だけ、話をしながらゆっくりと温泉を楽しんだ。彼は4年近く沖縄、九州、四国を徒歩で回っているらしく。冬は沖縄のサトウキビ畑をやっている83歳の御爺さんの所で働き、夏は四国の石鎚山で民宿のアルバイトをしながら其の間を利用して旅行しているらしい。彼の年頃は私の息子に近い、確かに私も若い頃は一人旅や長野の山小屋の住込みのアルバイトを考えた時期も有ったが既成概念や世間体を気にして実行出来なかったので今の彼の生き方が羨ましいと思う反面、彼の親の立場として考えると自分の息子が同じ事を遣ろうとすれば反対するだろうな?と複雑な気持ちに成った。しかし彼には浮付いた所は無く折角、再会出来たので食事を御馳走しようと誘ったが「御気持ちは本当に有難いのですが同行と成ると車に同乗しての移動と成ると思います。其の事は私が4年間守り続けてきた拘りの徒歩での旅を始めた目的に反するので申し訳有りませんが今回は遠慮させて戴きます」と言った。中々言える言葉では無い。其処には彼の括弧とした信念をみた。別れ際に「もし四国の徳島に来る事が有れば必ず連絡をくれ、其の時は御馳走する」と名前と携帯電話の番号を交換した。そして温泉の出口で別れたが日本最南端のJR駅、西大山駅へ向かう途中、重いリュックを背負い元気に歩く彼と出会い、車を止めて歩いてくるK君に向かいシャッターを切った。其の時の彼の はにかんだ笑顔を忘れる事は出来ない。沖縄の御爺さん所(他人)のアルバイトも御爺さんが働けなく成るまでは応援に行き、最終的には沖縄に永住する気持ちが有るらしいが其の間に徒歩で日本一周をやり遂げると言う彼には私の息子や今風の若者には無い野生的な魅力を感じた。人生の送り方に定石は無い。何かを求める瞬間から何かを失う。其の目的や目標が特殊で有ったり高い程、両方を得る事は出来ない。彼は一般的に見てリスクを伴う道を選択しているが、それ故に得られる物も有るだろうし達成感も得られるだろう。他人事ながら後悔の無い様に進んで貰いたいし何時の日か徳島で再会出来る事を楽しみにしている。 

 下段、4~7番目までは最南端の駅、JR西大山駅、特別な駅では無いが2年前と同じで私が滞在する1時間余りの時間、観光客が途切れる事は無かった。皆さん開聞岳をバックに記念撮影をしていた。私は一部のQSLカードを入れた封書を島根に向けこの「幸せを届ける黄色いポスト」に投函した。果たして効果は有るのだろうか?有れば良いのだが・・・・・
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 口之島(十島村)の最後の運用と出港

2013年06月23日 01時13分30秒 | アマチュア無線
    

    

     


 フリイ岳の下の駐車場で一夜を過ごした後、翌日の早朝、島の北端のセリ岬と北緯30度の石碑の写真を撮る為、島の北端部へと向った。上段の写真が北緯30度上の石碑とそれ以後の写真は北端のセリ岬の風景、強い風と波の影響で口之島内で一番変化のある景色が広がっていた。この日は昼頃に入港の予定の「フェリーとしま」で鹿児島港へ帰る日であったので運用の予定は無かったのだが、時間的余裕が有った事と前日の11日の午前中に21Mhz帯が少し開けて居たので、北緯30度ラインの近くの海岸に車を停め偶々、モービル・ホイップ・アンテナで21Mhz帯を聞いてみた。強くは無かったが国内が聞えていたので「もしや?」と思い従来のアンテナを設営した。そして07:32JSTから21Mhzで運用を開始、07:45分で北海道の新得町の牧野さんとの交信終了時に運用情況をJクラスターに書込みを御願いしたら快く引受けて下さり07:52分頃から明らかに呼ばれ方が変わった。其の後はQRTする10時前までは途切れる事無く呼掛けが有り230局の方と21Mhzで交信する事が出来た。私は十島村46006Dとの交信は過去8回有るが7Mhzが7局と18Mhzが1局、其の中でSSBでの交信は2006・03・18の7MhzのJN1JFO/6の1回だけそれ以外は総てCWモードによる交信と成っている。矢張り車の持込で無いと条件の良い所で(高さや、ノイズ、場所)の運用は難しいので少し条件が悪くても良く飛び且つ効率の良いCWモードの運用に成るのだと思った。其の意味で今回の移動運用の中で21Mhz帯のSSBで300局近い方々と交信出来た事は全体的に低調に終始した移動運用の中で一番の達成感に成った。

 10時頃にアンテナを撤収し、港に向かいフェリー便を待ったが予定より30分遅れて「フェリーとしま」は港に入港して乗船する状態で地元の方から声を掛けられた。其の方は地元のアマチュア局の方でJA6???(聞いたのだがメモら無かったので忘れてしまった)免許状も設備も有ると言われていたので多分私の信号を聞いて港までお越し頂いたと思うのだが乗船段階で走り走りの会話に成ったのが残念で成らない。別れ際に十島村に対する全国からの要望は多いので是非、アクティブに運用して下さる様に御話してお別れした。中段の最後の写真は主に運用した鳥帽子岳方面を撮ったもの、下段の3枚目までは鹿児島に北上中に屋久島が薄っすらと見えた時に、後の2枚は反対側の口之永良部島が見えた時に撮ったもの「フェリーみとしま」は両島の間を抜けながら一路、鹿児島港へと進んだ。







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口之島のセランマ温泉に行く

2013年06月22日 09時37分47秒 | 日記
          

  


 口之島の鳥帽子岳の運用場所では風呂に入る事が出来なかったので運用が終わった後、事前に調べていた最初の写真の地図の南側にあるセランマ温泉に向かい半時計方向で口之島の周回道路を進んだ。道幅は軽四自動車が如何にか対向出来る程度の広さでコンクリート舗装の道を進むと牛の放牧地との境に大きいな鉄製の可動式のゲートが有り自動車を降りて自分で開閉しなければ成らない。中に入ると所々の道路上に牛の糞が点在している中を避けながら進んだが中之島での事(脱輪)も有るので慎重にゆっくりと進んだ。島の南側は人が住んで居ないので放牧関係の人しか通らない様子、到る所に先の尖った小型の落石が有り、此れには可也、神経を使った。スペア・タイヤは有るもののジャッキが壊れて使用出来ない為、タイヤをパンクやバーストさせれば自分の工具では交換作業が出来ない事から他人に御世話に成らざるを得ない事に成る。「気を付けて慎重に走らねば」この事は鹿児島市に帰ってジャッキを購入するまで頭から離れる事は無かった。

 セランマ温泉は口之島の保々南端に有り周回道路から勾配の有る下り坂を降りた先端にあった。其の場所には駐車場と地区の公民館の様な建物が有り私が到着すると地元の方と観光客の方が外で話していたので「温泉に入りたいのですが地区の方に了解を得て鍵を借りると聞いていますが何処に行けば良いのでしょうか?」(インターネットの事前調査ではその様に書いてあった)と聞いたら「外の露天風呂ならこの建物の裏に回ると有るので許可は要らない」と教えてくれた。建物の横の細い路地を歩いて行くと温泉の垂れ流しで足場の悪い細い道を登ると3番目の写真の場所に出た。この近くは木々が生い茂り日が射し込まない様なジャングルを思わせる様な場所で常時、地面が湿っていて四国なら如何にもマムシが居そうな場所でハブが居るのでは?と不気味では有ったが基本的に火山帯の島はハブ(毒蛇)は居ないと書いて有ったので入浴する事にした。中に入るとドアで施錠する板塀で囲まれた浴槽と(写真の浴槽)外に円形の浴槽を連ねた露天風呂が有った。此方の方も写真に撮ったが私の不注意でレンズを湯気で曇らせ写真はピンボケ状態で写っていた。お湯は透明で温度は幾分緩めであったがお湯と水に其々バルブがあり調整出来る仕組みに成っていた。写真の浴槽ではユッタリ入るには大人2人が限界で余り大きくはなかったが横の浴槽は5~6人は十分に入れる広さがあった。30分位ゆっくりと寛いでいると男性の3人組みが来られ其の内の若い2人は板塀の有る浴槽に責任者の年配の方は私が入っていた大きい浴槽に入られ暫く世間話をしたが自衛隊関係のレーダー設備の工事関係の仕事らしく「徳島の方ですね、私の息子は徳島の松茂の教育隊に居るので時々、徳島に行くんですよ」話し掛けられ暫く世間話をしたが気さくな方であった。若い時にも工事で来た事が有るが この温泉に良く来ていたので民宿に風呂は有るのだが懐かしく久し振りに訪れたとの事であった。話の中で蛇の話に成ったがハブは居ないので心配は無いが以前の工事の時に竹藪を整地した時に「サソリまがい」と言っていたが格好は同じ物が沢山居た話をされたので驚いて「毒は有るのですか?」と聞いたら「噛まれた事が無いので解らない」と笑いながら話された。多分問題は無いのだろうが単独行動の私としては穏かではなかった。温泉から上り、元の道まで上がった後、半時計方向に更に集落への周回道路を進んだが最後の部分で未舗装の道に入り落石も多く、この場所でアクシデントが有ると困るので来た道を引き返し港まで降りて其の後、8日に上がったフリイ岳の下の駐車場まで進み11日の夜は其の場所で車中泊した。
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 口之島、鳥帽子岳(十島村)での運用

2013年06月22日 03時39分14秒 | アマチュア無線
        

    


 フリイ岳を下り高い山々がある島の南側に運用場所を探しに向った。最初は車で上がれる横岳(501mH)に行く予定であったが山に登る入口を気付かず通り越し右方向に入るセメント舗装の道が有ったので右折して山の稜線を進んだ。そして行止まりの鳥帽子岳の展望台の下の駐車場(北緯29度58分41秒 東経129度54分33秒の海抜225mH)に車を止め5月8日の夕方から5月11日の正午過ぎまでこの場所で3.5、7、18、21Mhzを運用した。最初の写真は運用場所から7~8mHにある展望台の地図付きの休憩椅子、運用地は現在地と書込まれた場所からと成った。2~3番目はアンテナの設営状態、駐車場の地面が勾配が有りタイヤベースが上手く水平に成らずポールを垂直に立てるのに苦労したがタイヤ・ベースの下に石を敷いたり給電用の同軸ケーブルの張力を利用し出来るだけ真直ぐに成る様に調節した。

 この場所はタモト・ユリと言う珍しいユリ品種の保護地区と成っており、調度、三島村では沢山のテッポウ・ユリが咲いているのを見たので百合のシーズンと思い運用の合間に見学しようとしたが展望台から奥は入山禁止と成っていた。このユリは着物の袂に入れないと持ち帰れない様な急峻な崖ぶちに咲く事から この様に名付けられたらしい。この場所には計、三泊したが其の間、訪れたのは観光客の団体が一回マイクロ・バスで訪れたのみ、後は時々、写真の様に放牧されている牛さんの訪問がある位で、静かでノイズも無く無線運用には快適な場所で在ったが夜は明かりも無く非常に寂しい場所であった。3番目の写真は運用場所から南の方面を撮ったものほぼ中央にトカラ富士と呼ばれる御岳979mHが見える。4枚目には洋上に浮かぶトカラ列島の島影が左端から中之島の一部、平島、小臥蛇島、臥蛇島が写っている。天気の良い晴れた日は洋上に水蒸気が立つのか?見えなかったが9日の夕方から10日にかけて可也強い雨が降り天気が曇り勝ちであった事が幸いし如何にか写真に撮れたが肉眼では写真よりハッキリと見る事が出来た。

 口之島(鹿児島県鹿児島郡十島村)のこの場所での運用は総交信数963に終わった。7Mhz帯の十島村としてのQSOは中之島で在る程度交信していたので この場所ではハイ・バンドの方に力を入れたが残念ながらコンディションに恵まれず、5月11日の午前中に21Mhz帯が少しオープンし30局程の交信に終わった。
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口之島(十島村)の歴史と フリイ岳

2013年06月20日 12時14分50秒 | 日記
      

    


 口之島は(鹿児島県鹿児島郡十島村)鹿児島市の南方204Kmの洋上にある離島でトカラ列島の一番北側の島である。元々は戦前まで先日に移動運用した現在の三島村の竹島、硫黄島、黒島の3島と現在の十島村の口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、子宝島、宝島の有人7島と無人島の五島を合わせて鹿児島県大島郡十島村と成っていた。其の後、太平洋戦争に敗れ1946年2月2日から北緯30度ライン(口之島の北部に北緯30度ラインは通っている)より南側がアメリカの占領下に置かれ現在の十島村である各島は1952年の2月10日に日本に復帰するまでアメリカ領と成った歴史がある。その間、日本に残った上3島の竹島、硫黄島、黒島は鹿児島市内に仮の十島村役場を置いて運営した。下7島が復帰した時、元々別の市郡を(三島村と十島村の間に屋久島、種子島が存在する)跨いでの行政運用は無理が有った為、上3島は大島郡三島村に下7島は大島郡十島村としてスタートする事と成った。そして1973年4月1日より鹿児島郡三島村と鹿児島郡十島村に成り現在に至っている。

 私は移動計画をする段階で三島村の命名は「読んで字の如く」其の侭で理解出来たが有人島が7島で何故、十島村なのか?少し疑問を感じたのでインターネットで調べて其の事が理解出来た。其の為、島に上陸すると島の北端で高さも有りロケーションの良さそうな北緯30度ライン近くのフリイ岳に興味が有り真っ先に其の場所へと向った。港から勾配の有る道を登ると道が二股に成っていて左に曲がるとフリイ岳、直進すると集落へと向う道と成る。左に曲がるとフリイ岳の東側の洋上を眼下に見ながら進むと行き止まりの駐車場に着いた。この場所は綺麗なトイレも有り3.5Mhzのフルサイズのアンテナを張るスペースも有り海抜も有って良かったのだが残念な事に5m程離れて平行に電線が走っている。この状態は過去の経験から必ず影響を受け上手くいかない事は解って居たので運用地としては向かなかったが数少ない公衆トイレが有る事で多分御世話に成る事が有るだろうと思いナビに登録した。

 2番目の写真に有る展望台へと進んだがこの日は青空の広がる良い天気、地理的に可也南に下がっている為に写真上段4枚目の遊歩道を登ると暑くて汗が噴き出た。階段や手摺は費用を掛けた良い作りでは有ったが観光客が少ないのか?人が通った様子も無く、定期的な点検が無いのか?途中の遊歩道は木々の枝や葉っぱが通路に覆い被さる状態に成って居たのは少し残念な気がした。展望台までは可也時間が掛かったが遊歩道を登り詰めると流石に戦時中は帝国海軍の見張り台として敵船監視に使用されて居ただけに見晴らしは最高で7Mhzの逆Vだと張れるスペースも有り無線運用には抜群のロケーションだが機材を持込むには大変な場所、QRPでの運用であれば最高の場所に思えた。3番目の写真は展望台の櫓の上、屋根が有った事と心地良い風が有ったので床に寝そべり1時間ほど休憩した。3~4番目は遊歩道の途中や展望台から島の南側を取った写真、最高峰の前岳628mHや横岳501mHが写っている。私の口之島での運用場所は二つの高い山の稜線の右端の平らに見える山の上230mHで運用した。最後の写真は運用場所から逆にフリイ岳方面を撮ったもの中央先端の山がフリイ岳、其の左側の稜線と海が交わる辺りが北緯30度ラインと成る。この島は火山島、硫黄島と違い島全体がグリーンに覆われていたが起伏の有る変化に富んだ島であった。
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 中之島(十島村)の温泉と口之島への移動

2013年06月19日 10時01分49秒 | 日記
   十島村(中之島)の東、西温泉

        

    

   


 中之島(十島村)での運用は私が予想した交信数に遠く及ばなかった事とこの日に昨日に私が乗って来た下り便が上り便と成って中之島港に入港するので思い切って一つ北側の口之島に移動する事にした。何故なら次に中之島に入港する便は5月11日の下り便と成り南側の島に下る事は出来ても翌日の上り便で即、鹿児島港へのトンボ帰りの行程に成る。週末の土、日曜日を移動に使うのは勿体無いし、この日の便を使い口之島に移動すれば週末の運用地は同じ十島村に成るが別の島からの運用として有効に使えると考えたからである。アンテナを撤収して山を下ったが途中の七つ山海岸の分岐点で右折してヤルセ灯台方面に向って20分位走った所で道路は改良工事中で道が塞がれていた。現場の小父さんが「10~15待ってくれたら通れる様にする」と言ってくれたが其の場所から灯台までは距離も有る為「話の種」だけに向うのもと考え諦めて踵を返して港へと向った。港近くの乗船券売場に行き、乗船の予約変更を申し出たが本日の乗船受付けは既に終了した様子だったが無理を覚悟で御願いすると女性の方が各部署に連絡戴き其の結果、乗船が可能と成った。支所を出た所で昨日、大変御世話に成った駐在さんとバッタリお会いし再度御礼を言う事が出来た。フェリーの入港までに2時間程の時間の余裕が有ったので島内の温泉に入る事にした。最初に港近くの西区温泉に向った。上段2番目が温泉の建物、道路から下がっており看板も無いので見付けるまで前を数回往復した。中は小型の大衆浴場の感じで御湯は乳白色で良い温泉で有った。料金は御気持ちの集金箱が有ったが私以外は入れている人は居なかったので無料なのだろう。私が入った時は地元の一回り以上の御年配の方が数名入浴中で有ったが「徳島から来た」と言ったら徳島の事を色々聞かれて話が弾んだ。西区温泉を出て直ぐに東区温泉に向かい折角の機会、温泉のはしごをする事に成った。構造的には西区温泉と同じ感じで贅沢な作りでは無かったが両温泉共に綺麗に管理されており気持ちが良かった。

 温泉を出て来ると自動販売機が有ったので喉も渇いたしジュースを購入しようと入ったが2台有る内の1台は故障中の張り紙が有り別の自販機に最初150円入れたが受付けないので次に100円硬貨を2枚入れたが再度受付けず「おかしいな?」と別の100円玉を入れたら受付けたので100円玉を更に入れたら其れは受付されず返却口に落ちる。何回しても同じなので返却レバーを動かしても最初の100円玉が返ってくる事は無かった。そうこうしている内に道路に車の止まる音がして車から「小父さん其の自販機は故障しているから駄目です もう少し先に行くと自販機が有るので其方で買ったら」と教えてくれた。車を良く見ると先程、この自販機の前に停車する時に対向した車であった態々引返して教えてくれたのか?用事終わって帰り道なのか?解らないが其の親切心で100円玉が取込まれた事は腹が立たなかった。そして教えられた自販機を探して走っていると突然、大柄な人が行く手を塞いだので何事かと?車を停めると「車は上がって良かったね うどん美味しく戴きました有難う」と言われたので総てが解った。昨日、駐在さんに御世話に成ったので何かの時の為に持っていた讃岐うどんを渡そうとしたら「私は警察官として当り前の事をしたまで戴く事は出来ない」と辞退されたので「そんな堅い事を言わずに」と言ったら「其れではジャッキを借りた民宿の方に御渡しすれば貴方の感謝の気持ちも相手に伝わるし、私も道具を借りた事の御礼の気持ちを相手にお伝えすると言う事で預かります。」と実に立派な大岡裁きと成った。其の方はジャッキと道具を貸して頂いた民宿の御主人だったのだ。私も直接会えたので御礼を申し上げたが昨日、山で御会いして御手伝い頂いた方が偶々、宿泊していた民宿だったらしく其の方から御主人さんは私の山で起こった経緯は聞いて総て御存知だったらしく、徳島ナンバーと屋根に乗っているポール等で私の車が解った様子で有った。そして私の車内を見渡し「流石に色んな物が載っているなぁ~此れだけ荷物が載っていると小型のジャッキでは無理だったんだろう」と呟いていた。この調子で行くと小さい島、私の御岳での武勇伝が島内に知れ渡るのは時間の問題、昼のフェリーで中之島からの脱出判断は正解であった様に思う。12時頃に「フェリーとしま」は港に入港、車として乗船したのは2台のみ直ぐに少し波が荒い海を口之島に向けて出港した。
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 中之島での恥ずかしい話

2013年06月17日 17時29分55秒 | 日記
        

  5月7日に鹿児島県鹿児島郡十島村の中之島に着くと運用地を探しに出かけた。出発前の計画段階で運用場所の検討をグーグル・アースで行おうとしたが航空写真の鮮明度が悪く解らなかったので島の広い道を南に下がり乍、反時計方向に回る事に成った。途中で道は段々狭まって来たが全体的に道路状態は良く最終的に未舗装の場所まで上がる途中(標高360mH位と思う)に何箇所も対向用の広い場所が在ったが其の大半が方向性が悪くナビに登録はしたものの決定する様な良い場所は見つからなかった。

 其の後、港近くの高台に在る駐在さんの所に挨拶に向かった。今回の島での滞在日と目的を説明し快く了解を得られ、世間話の中で「御岳は登られましたか?」と聞かれ「まだです」と答えると御岳は島一番の観光スポットで頂上からの景色はバッグンらしい事を聞いた。この御岳は979mHの高さでトカラ富士と呼ばれトカラ列島の最高峰である。お話では可也の高さまで車で登れ最上部に駐車場がある事をお聞きしたのでひょっとして良い運用場所が在るかも知れないと思い山に登る事にした。駐在さんの「気を付けてね」に送られて出発したのだが40分後に今回の移動運用中の最大のアクシデントが待構えていよう等、思いも拠らなかった。

 山を登り始めた最初の内は道路も広かったが1Kmほど登ると道は狭く成り、落石は有るは竹や雑木の伸びた枝を掻き分けて進む道と成った。離島で観光客が少ないのか?近々に車が登った形跡も無く道の途中はギザギザと尖った落石が彼方此方に散在していた。20分くらい登った所で同年輩の徒歩で登る登山客に会って会釈をして5分くらい登った所で少し道が広くなり登り始めて初めて下界が見えた事も有り不注意にも瞬間、よそ見運転をしてしまった。高い場所でよそ見をした為 本能的に山側に寄り過ぎていたのだろう視線を戻し「いかん」とハンドルを切ったがゴトンと音がして排水路の蓋の無い所で後輪を脱輪してしまった。まさに「おお~神様」と言う状態、車から降りて確認すると後輪が排水路に落ちた為、後輪の車軸が完全路肩に閊えて路面からの隙間にはジャッキが入らない。残された道は排水路の底からタイヤに当て木を当てジャッキで持ち上げる方法しか無いと考えたが以外に排水路の深さが有りジャッキのストロークが足りない事が解った。以前の徳之島で砂に潜って脱出に苦労した経験からコンパネの40 x 80cmの板は4枚程、ノコギリも車に常に積んでいたが20cm近くをかさ上げする様な物は積んで居なかった。残る方法は大きい石を見付け嵩上げする方法だが小さい落石は有った物の大きいものは途中の道筋には見当たらなかったので山頂の方向に探しに歩き始めた。暑い中、徒歩で5分ぐらい登った場所で使えそうな大きい石を3個程、確保したが可也重い、2回に分ける方法も有ったが2往復は嫌だったので「火事場のくそ力」宜しく2個の岩に上に小さい岩を乗せ「欲張り競争」状態で来た道を帰った。其の後、登山客の人も手伝って下さり彼是、試してみたが上手く行かない。30分程、お手伝いを頂いたが車は上がらず。登山の予定が有る筈なので御礼を述べて登山に向かって貰う事にして分かれた。其の時「自分で頑張る気持ちは解るが早い段階で警察に連絡して助けて貰う様にした方が良い」とアドバイスを頂いたが自分の遊びで来て公に御世話に成る事は考え無かったし、自分で時間は掛かっても車を上げる自信は有った。幸いに食料は十分有るし今晩1泊しても自力で遣ろうと思った。兎に角、冷静に成ろうと暫く下界を眺めながら休憩した。

車を上げる前に少しでも車を軽くする為に、中の荷物を降ろす為にサイドのドアを開けようとしたが何故かドアが開かず、後ろのハッチバックから重い荷物を降ろし軽くしてから排水路の底に岩を敷き其の上にジャッキを乗せ後輪を引き上げ始めたが車重が掛かり始めると火山岩で出来た岩が少しずつ崩れ始めジャッキの底部の水平が崩れ始めジャッキが傾き、後少しの状態でジャッキが変形してしまった。万事休す、一度ジャッキを下げハンマーで叩いて変形を直したが一度変形した物は脆く直ぐに同じ状態に、ジャッキの予備は持って居なかったので万策尽きた。頼みのジャッキが使えなかったら自力脱出は無理と判断、カーナビの周辺検索で自動車屋さんを調べたが情報が無い。この段階で駐在さんに頼る事しかないと判断し電話を掛けた。最初に島の自動車屋さんが有るかどうか?聞いたら「この島には自動車屋さんは無い」との事、困った状況を察した駐在さんは「車を上げる為の必要な物が有れば持って行く」と言って下さった。私としては非常に恐縮したが「島に訪れた人が困れば其れをお助けするのは私の仕事、遠慮する事は無い」と言って現場に来てくれる事に成った。30分位するとバイクで駐在さんが来られてダルマ型の大型のジャッキとバタ角の木片を渡してくれた。私の軽四の四辺形のジャッキと比較して底部や其の構造は頑丈で少々の重さでは壊れる事は無いと思った時、車は必ず上がると思った。今回は背丈が有るので排水路の底に直接ジャッキを固定出来たので傾く事も無く20cm長のバタ角をタイヤの間に入れジャッキを上げると意図も簡単にタイヤは道の高さ以上に成った。前記のコンパネをタイヤの前後に敷き、車に乗り込みエンジンをスタートし深呼吸した後に前進にシフトレバーを入れジャッキを蹴飛ばす様にスタートしたら簡単に車は側溝から脱出する事が出来た。

 車が脱出し荷物の積み込みと成ったら駐在さんも暑い中、お手伝い頂き「大変だったね 遠慮しないで早く連絡くれれば良かったのに」と言った後、「後を付いて来て下さい、展望台まで案内します」と展望台まで先導頂き眼下の中之島の景色を見ながら説明をして頂いた。駐在さんは直ぐに山を下って行ったが私は感謝の気持ちで最敬礼でお見送りした。この5年間の全国での移動運用中にたくさんの職質問などで少々閉口気味で有ったが今回の事で警察官に対する気持ちが随分違って来た。

 一服した後、御岳を下り再度移動運用の場所を探しにキン岳の北側の道の行き止まりのマイクロ波無線設備のある場所の500mくらい手前の道端に車を止め(北緯29度50分02秒 東経129度52分22秒)キン岳の稜線385mHの場所で運用した。中之島での運用は5月7日の15:46JST~22:37JSTと翌朝05:12JST~07:46JSTと7Mhz帯の運用で603局との交信で終わった。この十島村からの移動運用はプチ・アワードが始まってから2局目だったので今回の移動運用で初めて600局の大台を少し超える事が出来た。しかし私には無線運用よりも脱輪して困った事と自分の趣味の遊びで全国を移動運用中に公の機関の御手を煩わせる事だけは無い様に心掛けて行動してきた心算が今回は守れなかった事にショックを感じ単独での離島等への移動運用は年齢的にもソロソロ限界だな?と感じた。自分では気付いて居ないが行動面や健康面で衰えが出ている事を実感した。今後は身の丈に合った場所での単独の移動運用は有っても今までの様な移動運用は止めようと思っている。今後、トカラ列島等の離島に移動運用に行かれる方は是非とも事前に駐在さんに届け出る事をお奨めする。私も最初に挨拶に行っていなかったら面識の無い所に電話をする事すら出来なかった様に思う。事前に会って説明して居たし相手が私の事を知って貰って居た事が幸いしたように思う。兎に角、移動中は何が起こるか解らない.私も結果的に誰かが駐在さんの所に挨拶に行かれると語り告がれる様な不名誉な武勇伝を作ってしまったが離島の移動運用は我々が通常生活している生活環境とは可也違う事を知って貰う為にあえて恥を承知で書き込んだ。


 
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