黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 若い頃にCW運用しなかった事の後悔

2015年11月29日 21時37分52秒 | アマチュア無線


 CQ WW DX CONTESTは土曜日の夕方前の2時間位と日曜日の07:00JST~09:20JSTと夕方の17:00JST~18:00JST間の合計5時間半の運用で全てが此方からの呼掛けの交信で262局程と交信して終った。21MHz帯はEUとUSA方向に別のアンテナが有るので問題は無かったが7MHz帯と14MHz帯のアンテナはローテーターを降ろしてメンテ中で然も11月の後半の天候不良に寄り取付けが間に合わずアンテナはEU向けで固定状態に成って居たので北米方面との交信は5局程度に終わりバンド別では7MHz帯が90局14MHz帯が22局、残りは21MHz帯での交信で合計262交信の不本意な数字に終った。 


 しかしコンディションが今一の中で呼掛け専門スタイルでは相手局を探す為の時間が必要なので現段階としては此の程度が精一杯の数字では無いかと?思う。兎に角 DX Contest中に可也速度巾の有る高速キーイング局を的確に聞き分けられる程の受信能力が無い私なので残念だが致し方が無い。


 しかし5日間程は仕事の関係から無線を聞く時間的な余裕も無かったので今回のコンテストは新鮮な気持ちで集中して運用したので其れ成りの達成感は有った。何時の日にか?CWモードで「さあ 何方でもいらっしゃい、いらっしゃい」の感じでパイルを捌く事は私の長年の夢だが?其れには歳を取り過ぎた。過去にブログにも何回か書き込んだが学生時代から免許は取りに行き取得したのに電信に寄るQSOに興味が全く無かった事からCWを運用する事が無く其の受信力は赤ちゃんのヨチヨチ歩き程度で進歩せず今と成っては遅過ぎるがCWでの運用を遣らなかった事を大変に後悔している。


 電波は思って居た程は飛んで居ない現実

2015年11月28日 23時07分52秒 | アマチュア無線


 5日程は全く無線の運用をしていなかった事から今日は早朝より無線機の前に座り各周波数をチェックしてみたがお空のコンディションは今一の感じ・・・だが今日はCQ WW ContestのCW部門が開催される日、数日間は無線から遠ざかって居た事も有り少し交信実績を取戻す思いで合間の時間を利用して取り組んでみた。夕方前の15時頃から21MHz帯と14MHz帯とで120局程と交信したが全て呼掛け専門、何せDXコンテスト時に於けるキーイングの速さは可也早く私の様なヨチヨチ歩き程度の受信力では自らCQを連発しよう物なら即座に捌き切れなく成って仕舞うのは明白なので一局、一局、確実にコール・サインが聞取れてから呼掛ける方法しか選択肢は無かった。


 其れと以外だったのは夕方の21MHz帯のEU方面へのコンディションの落込みが意外と早く17:30JST頃に随分応答率が悪く成り「あれれ?」と思って居たら18時頃にコンディションがガラリと変り14MHz帯や7MHz帯にQSYしなければ成らない状態にしかし此れ等の周波数も其々20局程度の交信が進むと呼掛け出来る局が疎らに成り直ぐにQRTする羽目に成ってしまった。


 然も自局の電波は自分が思って居た以上に相手に飛んで居ない事を今回は思い知る事と成った。今回のコンテストで私が呼掛けた局で一発で応答が有る局は殆ど無く矢張り本格的にコンテストに取組むなら1KWの出力は必須で有る事を実感し此方も近い将来に取組まねばと実感した。








 前々から欲しいボール盤で有ったが三相使用では・・・・・

2015年11月27日 22時00分05秒 | その他


    



 今朝も6時30分頃に我家を出発し仕事に行って着ました。昨晩は下腹がシクシクして深い眠りに入る事が出来ずに一時間毎に眼が醒める情況で絶不調の状態、しかし仕事先に提出した作業員名簿には私の名前が登録されて居る為に如何なる事情が有ろうとも簡単に変更は出来ない為に休む事は出来ずに参加し今日は結構大変な一日と成りました。私は滅多に御腹の状態が悪く成らないのだが連日の雨交じりの寒い天気と海上の吹きさらしの悪条件の中で御腹を冷やした様で今日は昼食抜きで仕事をする状態、昨晩と比べると体調は少し良くなりましたが以前と下腹の鈍痛が残った状態で体調は芳しくない状態です。


 此の4日間は外の仕事で朝は早いのですが夕方は作業が日没前には終るので17時頃には自宅に帰れたのですが流石に此の4日間は全く無線機の電源スイッチを入れる事無く終りました。明日からは2日間休んだ後に月曜日に出れば一先ず終了に成ります。今回の仕事への参加理由は計画中のアンプのRF部分のケースを発注する為の資金作りが目的で製作に必要な予算は如何にか確保出来そうです。何せ乏しい年金暮らしの身分で更に家内を働かせた状態で我が身は無線三昧では理屈が通らず責めて遊びに必要な資金は自ら稼がねば成りませんし完成の暁には一目で解る隠しようが無い存在感有る物ですから後々に文句を言われ無い様に資金の出所を明確にせねば成りません。其れ以外にも回転寿司への御招待と年末が近付いて居ますので家内の泣き所のお歳暮を贈る事も条件としてキッチリと確約させられて居ます。


 今日、会社の物置に置いてあった。兄が四万十市の嶋村さん所から頂いて持ち帰った電測車に取付けられて居たと思われる電動伸縮ポールを貰い受ける事にして近日、此れを持ち帰ろうと思います。此れは兄夫婦と私達夫婦が一緒に始めて高知へ行った時に嶋村さんの事務所にお伺いし持ち帰った物で其の後に組み立て途中で兄は旅立ちましたが此れは何をしても組み立てて動く様にせねばの思いで我家に持ち帰りサテライト関係のアンテナを取付けてみようと思います。来年の1月がくれば兄が旅立って1年が来ますので手付かずで置いて有ったアンテナ・タワー(3基)の撤去や無線関係(無線機だけでも7~8台位は有りそう)の整理も始める様で今日も「本格的なボール盤は要らない?」と甥に言われて前々から欲しかったので貰おうとブルーシートに覆われた現物を見たら鉄工所で見掛ける様な本格的な物「此れは良いわ本間に貰っても良いの?」と聞いたら「欲しいと言う人は居たのだけれど待っても本人が取りに来ないので叔父さんが使うのならどうぞ、でも色んな物を差し上げて叔母さんに恨まれそうだな?」 と言われたが貰う心算で念の為に電源プラグを見ると何と端子が4本も付いている「あれれ?此れはひょっとして動力用??」確認の為に駆動用のモーターの名盤を見ると案の定 三相交流モーター表示「此れはあかんわ!」幾ら私が欲しい物でも動力(三相交流)を引き込んで使用して居たら割りに遭わない代物、道理で其の欲しい人も取りに来ない筈だ・・・・・・当然私も残念ながら此れは諦めて御辞退申し上げた。

 

 代わりと言っては厚かましいが前から言ってあった兄が2メーターの移動運用に使用して居た12エレのスタック八木を貰う事にして近日中に持ち帰り昨年の夏の台風で潰れた10エレスタックの代用としてタワーに取付け使用しようと思って居る。以前の10エレスタックでも関東のロール・コールにはチェック・イン出来て居たので其れも可能に成るだろう。前に書いた11月中旬に終える筈で有ったアンテナ整備も例年に無い11月の雨の多い天気とアルバイトの関係で進んで居なかったアンテナ工事を明日から再開しなければと思って居る。しかし此処数日の天気を含め11月は本当に例年に無い雨の多い天気が続いて居る。今日も早朝は冷たい雨が降っていた。明日は晴れた暖かい天気だと良いのだが果たして?


写真は実家の兄の使用して居たアンテナ群、40~65歳位までは仕事が忙しくQRT状態であったが会社を退職して自分の非破壊検査や環境計測の会社を持ってからは少し時間的余裕が出来たのか?3~4年で各種アンテナを上げて体制は整えて居たが私とは反対でV,UHF帯がメインの運用、然も物作りが好きな方で私以上の「ゴミ集めの大家」であった。兄は7MHz帯は殆ど運用しなかったが我家の八木アンテナに刺激を受け3エレのフル・サイズの八木を上げる為に40mH級の自立タワーを立てると最後まで秘かに計画していたが其の夢は実現出来なかった。

 

 中央の四角い建物が会社事務所で手前のスレート屋根の建物が工作室と無線のジャンク品置場で本人は後生大事にして居たが残された家族には粗大ゴミでしか無い。左端の鉄筋の家が自宅で敷地面積は保々四角形で合わせて400坪以上有るが残念ながら隣近所が隣接して居りアマチュア無線を思う存分楽しむ環境としては十分とは言えないが此の広さは羨ましい限りである。直ぐに撤去すると兄が化けて出るかも知れないので1年間は残して置いたが年が明けると家族も撤去を考えて居る様で其の時は手伝わねばと思って居る。其の為に今回は記念に写真を撮って来た。


 疲れた性か書き込みが纏りません

2015年11月26日 20時41分23秒 | その他


 今日も雨交じりの寒風の中、一日中外で仕事をして居ました。先程、熱い風呂から上がり漸く冷えた体が温まりブログを書き込もうとパソコンの前に座りましたが段々と眠たく成って書き込む題材や内容が纏まらず今日は此の侭、寝ます。明日一日頑張ると土、日曜日は休みなので一息つけそうです。皆さんお休みなさい。


 世の中、覚えて損な物は何も無い

2015年11月25日 21時58分08秒 | その他


 今日も一日出掛けて居ました。朝の7時頃から日没までなので今日で丸二日間は無線機に電源を入れませんでした。日頃在宅時は声は出さなくても6~7時間は漠然と聞いて居るか?インターネットで興味の有るページを見ていますが其れも無く今日は帰って来たら冷えた体を温めるために風呂に飛び込み其の後はコタツに入りテレビを見て10時頃には布団に入って寝る健康的な生活です。


 此の丸一年間、仕事らしい事は全く遣って居なかったので本当に凄く新鮮な気持ちで仕事に取組むと同時に此れが人の本来のあるべき姿なのだと言う事を実感します。仕事をせずに健康の為に散歩やウォーキングする等は少し間違って居たなと反省し、要望が有れば今後は精々頑張ってみようと思います。今日などは終日雨降りの天気で然も寒かったのですが岸壁の突堤で少し危険な測定用の吊り足場を作って居ましたが5人が協力して予定よりも早く完成する事が出来ました。此の作業は単管と直交クランプや自在クランプを使用して全く何も無い高さの有る垂直のコンクリート壁に作業者が降りて行ける様に足場を作るのですが全くの門外漢の私でも其の作業方法を見ているとアマチュア無線に於ける高所作業やタワーの途中にアンテナ工事用の仮踊り場を作る作業に参考に成る事が多く日当を貰いながら其のノウハウを盗む事が出来るのだから申し訳無い感じがします。


 此れ等の作業は通常「鳶職」とい言われる人達の仕事ですが鳶職の一人前で無い人や仕事の仕上がりの悪い職人の仕事を見て兄が「あれは鳶で無く烏の仕事やなぁ~」と言って居たのを聞いて居たので烏と言うのはおこがましいが次の鳥なら取敢えず百舌か雀でしょうか?私も此処数年で其れ成りの経験と知識は得られた様に思います。本当に畑違いの仕事をしていると色んな事を習得出来て面白く其れが無線のアンテナ工事に生かされるので助かって居ます。


 久し振りの外での仕事

2015年11月24日 20時41分34秒 | その他


 今日は久し振りの仕事、何時もだとアマチュア無線を聞き始める時間帯に実家に向かい其れから作業現場へと向かった。実家の会社の手伝いは1年振り、其の時は那賀奥の水力発電所の仕事であったが今回は火力発電所内の仕事で過去に何回も行った現場であった。仕事は気心の知れた4~6人のチームで毎回行うので今日は1年振りに元気そうな顔ぶれと再会した。しかし今回は今まで陣頭指揮をして居た兄の姿が無く本当に寂しい。しかし兄の居ない現在、一番歳の若い甥が自信を持って全てを仕切り二代目社長として陣頭指揮している姿を見て凄く眩しく思えた。


 私は其の道のプロでは無く全くの門外漢なのだが兄が健在の時、「退職してブラブラ遊んで居るなら一寸手伝え」と声を掛けてくれ手間が必要な時だけ道具持ち程度の役割で参加しアルバイトしている内に現在のチーム・メンバーと知り合い。約10年位前から一緒に仕事をする様に成った。メンバーは兄を除けば全員が年下でしかも大半が私の子供と同世代だが雰囲気は頗る良く長い時は1週間程度の泊り込みの県外出張も多く四国四県の水力発電所は結構回って仕事をした。今回は長老の兄が居ないので年齢だけは一番年上に成ってしまったが仕事の上では全くの素人だし仕事上の安全面から作業はしては成らぬ年齢制限を越えたので昨年の暮の仕事を最後に完全引退をして居たのだが先日の兄の「お十夜法要」に実家に行った時に「内規で荷物を持ったり作業をさせる事は出来ないが安全監視員なら可能なので如何だろうか?」と話が有って折角の話だし家に毎日閉じ篭り無線三昧も如何なものか?と思い 今回は有難く話を受ける事にした。しかし本心はリニア・アンプ製作の家内に知れては不味い資金調達が目的、ハッキリ言って全ては無線の為である。


 今日の仕事は皆が作業してる状態を離れた場所で確り見ながら作業者が気付き難い他からの危険を知らせたり、作業中の危険な行為があった時に指摘したり注意する事が仕事内容なのだが作業者は全て私より専門職なので其の様な問題は無く、特に今日は海面に突き出た構造物の海面近くに検査用の足場を組む作業で有ったので近くを航行する船の引き波の有無を作業者に知らせる事が大半の仕事で早く言えば道路工事中によく見掛ける旗振りの仕事に近いもので廻りは確り見なければ成らないが難しい仕事では無い。しかし今回の現場は海辺なので風の吹きさらしの中で単調な仕事だが長時間立ちぱなしは日々、自堕落な生活を送って居た私には結構厳しいもので有った。其れに安全監視員の仕事振りを含め作業員全体の仕事振りをチェックするお偉い方の目も光って居るので気を抜く事も出来ず其れ成りのプレッシャーは感じた。今回は久し振りの仕事で正直、此れが後5日続くと成ると一寸キツイ感じもするが「無線の為ならエンヤ~コリャ~」で乗り切るしか無い。


 今日は珍しい場所からの運用が有ったらしい

2015年11月23日 17時32分02秒 | アマチュア無線

 今日の昼からもVK9WAを探し求めたがクラスターにアップされる情報は18Mhz帯と24Mhz帯のみで然も運用モードはSSBとCWのみで此のモードでは既に交信済みで有ったので聞くのみで終ってしまった。今回のRTTYモードでの交信は10Mhz帯のみで終わりそうな感じ・・・・14~28Mhz帯でのRTTYでの運用は余りアクティブではなかったのだろうか?昼間は結構な時間を聞いて居たのだが偶に聞こえても例のエリア指定に合い日本からの呼掛けが出来ずに「指を咥えてじっと我慢の子」の時間帯が多かった。


 今日の全体的なQRVの様子から今回のVK9WAのDXペディションも終了の感じだが?私は明日から4~5日間のアルバイトの話が入ったので運用が続いても呼掛ける事は出来ない。明日からは1年振りのアルバイトで発電所内に入って終日が仕事なので帰ってもグッタリして無線処では無く成るだろう。話が入った時にどうしようか?体力的な問題も有り少し迷ったがアンプのRFケースの発注もせねば成らず、其の費用を年金の収入で支払うと家を追い出されそうなので今回、働く事での収入で何とか支払いが出来そうなので話を受ける事にした。甥も私の歳を考えて安全作業監視員として雇ってくれるので主たる仕事では無く作業員の作業中の安全を少し離れた所から見て問題が無いか如何かを見守る仕事内容なのだが作業が海の突堤での仕事なので体を動かさず見守るのは寒いし何より時間の経過が凄く長く感じるので本当は作業者の方が気分的には楽なのだが?年齢的に作業者としては駄目らしく「リニア・アンプの為ならエンヤ~コリャ」の精神で頑張って来ようと思って居ます。


 今日は24Mhz帯を久振りに長時間聞く機会が有ったが夕方の16時(JST)辺りからEUの信号が深いQSBを伴いながら聞え始め久振りに「CQ DX」を出したら切れ目無く呼掛けが有り10局程と交信する事が出来たが途中のクラスターに9X0NH(アフリカのRwanda)がアップされたので「此れはヨーロッパ相手に遣っている場合じゃ無い」とCWの周波数(24.9015Mhz)に下ったら信号は559位で聞えて居たので早速UP-2~3Khz呼掛け始めたが遠く及ばず聞き始めた17:15JSTには559の信号が17:27JSTの頃にはノイズの中に信号は沈んでしまった。


 此処は私が若い頃は内戦状態で長らく電波が出て居なかったが今回、ログを調べたら1stQSOは以外にも早く1982年の21Mhz帯の9X5MH、その後7年間は交信履歴が無く1989年の28Mhz帯のSSBでの交信と成って居るが矢張り大々的な運用は2008年の3月の下旬から始まった9X0Rの運用で此の時は7~21Mhz帯で7QSO出来たが其の後は交信する事無く今年の2月27日に9X0PYと24Mhz帯でのCWが交信履歴としては一番新しく全体でも15QSOしか出来ていない。何せアフリカ本土の中では9Xや9Uの信号は珍しく私のアフリカ本土での上がりの最後の交信は1982年の7月15日の21Mhz帯のSSBで交信した9U5JMで有った。アマチュア無線をしていてアフリカやカリブ海方面の信号を聞くと心がときめき興奮するが今夕は正に其の様な状態に成ったが残念ながら交信には至らなかった。そう言えば今朝SV2ASP/Aが下の周波数で出ている事がクラスターにアップされて居たが起きるのが遅く信号は聞いて居ない。現時点でも21Mhz帯のCWでの交信が日本の局に寄ってクラスター・アップされて居るが当局では其の信号の確認すらする事が出来ない。

 そろそろVK9WAの運用も終わりでしょうか?

2015年11月23日 10時22分43秒 | アマチュア無線


 そろそろVK9WAのDXペディションも終わりでしょうか?此処数日は14Mhz帯のSSBの信号を探して居ましたが私が聞いて居た時間帯では此の数日間は信号を確認する事は出来ませんでした。昨晩も夜半から14Mhz帯でのRTTYの信号を捕らえて00:40JSTまで粘りましたが最後までEU,NA,SAへの指定解除が最後まで行われず流石に4時間以上待機させられると最後の方は眠たくて諦めて寝てしまいました。


 途中でオペレータ・チェンジと思われる「QRX-QRX」のメッセージが流れ信号が聞こえなくなったら15~20分間位は出て来なくオペレート再開の段階の数局分は指定が入らなかったのでセコイ根性で呼掛けましたが「QRZ-QRZ」と返って来て再度コールしたら「CQ VK9WA EU-EU」と連発されましたHi


 今日は朝からクラスターを見ながら自力でも各バンドをチェックしていますが現在は24MhzのSSBと18MhzのCWしか信号は出ていない様子でEU方面も日付が変わって週末が終わりましたので「御本尊達はお帰り支度に入ったのかな?」と勝手に想像していますが如何なんでしょうか?今回も遣り残しが有り一寸、残念に思いますが此れは無線設備の非力さも有りますが要因としては何より「如何しても交信するぞ」の気持ちの衰えの方が大きい様に思われます。今回は信号が聞こえて居る時間帯の大半が他のエリア指定が入り日本からのチャンスも少なかった様に感じ其のストレスに遣られて仕舞いました。

 色んな構想が広がる充実した日々

2015年11月22日 20時33分14秒 | アマチュア無線


      


 今日もジャンク置き場の整理をしていたら写真のアンテナ・チューナーが出て来た。私は購入した覚えがないので多分、ジャンク品を貰いに行き引き取った物の中に有った様だ。念の為に天板を取り外したら内部は決構確りした部品を使用している。


 何かに使用できないか?と考えて居たら良い考えが思い付いた。現在構想中のアンプの入力同調回路に使えるのでは?との考え、通常のアンプの入力同調回路は小型のボビンに巻かれたコイルに固定コンデンサーをπ型に組んでボビンのコアの出し入れで祖調整をする形式が多く使われている。今回のアンプの構想は出力側はバリエルとバキューム・コンデンサーを使用するので入、出回路を同時に切替えるバンド・スイッチ(特に出力側のバンド切替はバリエルを可変させる為に)と成るロータリースイッチが要らない為に周波数切替は入力側だけで良い事に成る。其れなら小型のボビンのゴチャゴチャした配線寄りはスッキリ出来るしマッチングも最良点で取れるので選択肢は間違いでない様に思える。ただ此のアンテナ・チューナーは1.9Mhz,10Mhz,18Mhz,24Mhz帯のバンド対応が無いのでロータリー・スイッチを交換して1,9Mhz帯はコイルを追加してオール・バンド化に改造しようと思って居る。色々な部品の拾い出しをして行く中で色んな考えや構想が出来上がって行く段階は非常に楽しく結構充実感を感じている。

 我家の方から望める県内一の移動ポイント

2015年11月20日 06時23分12秒 | アマチュア無線

          


 今週は天候が不順で雨が多く雨が降らない日でも曇天で11月には珍しく天気が悪かった。従って4日間程は日課に成って居た前の那賀川の堤防の内側にある河川敷の散歩は滞って居た。今日も午前中は曇りの天気であったが昼からは青空が開けたので13時頃から早めの散歩に出掛ける事にした。


 家の中では長袖のシャツでは少し肌寒い感じがしたが歩き始めると2Kmも歩かぬ内に少し汗ばんで来て太陽が出てると出て居ないでは全然感覚が違う。今日は何日間かのサボりを取戻す為に10Km近い距離を歩く事にして御決まりのデジタル・メデイア・プレヤーと何か写真を撮る題材が無いかとオリンパスのデジカメを肩に掛けて出発した。歩き始めると堤防の草が刈取られ非常にスッキリとしている事に驚いた。この前の散歩の時は堤防の斜面一杯に其々の雑草が勝手に伸び放題で草地に入ったり近くを通ると雑草の種がズボンに沢山くっついて取るのが面倒で其の侭 洗濯物入れにおいて置くと家内に口煩く言われたのだが此れほど綺麗に刈り取って貰えると何処でも自由に歩けるし同じ歩くなら平たいコンクリート道より斜度の有る堤防を歩いた方が運動量も大きいし足首の強化に繋がり何より決められた道を毎日同じ様に淡々と歩くよりは好き勝手な歩き方が出来る方が楽しさが増す。


 しかし周囲がスッキリした分、写真に撮る様な景色も無く何時もと変らない殺風景な景色で余り変化が無いがススキの穂が沢山出て来て河川独特の風景と成って居る。写真2枚目の一番手前の緑っぽい低い山が勝浦郡勝浦町の一番南側の山で此の付近は阿南市と勝浦郡勝浦町と小松島市が複雑に入り組んでいる場所と成って居る。次の2番目の稜線(小さい鉄塔がある山)が勝浦郡勝浦町の移動には最適な中津ノ峰(約800mH)である。此の山の北側の一角は徳島県徳島市の部分も有り車で山頂近くまで登れるので移動運用に便利なのだが何故か?最近は此処からの移動運用の信号は殆ど聞えない。3番目の薄い青の稜線が徳島県では移動運用場所として一番人気の有る名西郡佐那河内村(徳島で唯一の村)の大川原高原のある場所(約海抜900~1000mH)である。此の部分は佐那河内村、上勝町、勝浦町と境界線が複雑に入組んで居て数百m~2Km前後、車を移動させると徳島県内でQRVの少ない町村からの移動運用が出来るが問題として簡単に車で登れる事と高さが有り電波がよく飛んで行くので週末の運用だと他局とバッティングする可能性が強く、週末に間違いなく運用する為には前泊が必要で有る。しかし夏場は涼しくてましだが(寒い位)此れからは夜中には外気温が-2~ー4℃に成るのでそれなりの覚悟が居る場所である。


 今日は歩きと河川敷の石畳に寝転んで青空を見たりしながら散歩をしていたら帰って来ると2時間位の時間が経過していた。もう少し季節が進むと散歩も寒さとの戦いに成るだろうが今日辺りは1年で一番良い時期で久し振りの爽快感を味わう事が出来た日と成った。

 7Mhz帯の疲れたVK9WAとの交信

2015年11月19日 21時02分49秒 | アマチュア無線


 今回のVK9WA(Willis Is)との交信もハイ・バンドの方はSSBかCWモードの何れかで交信ずみ、しかし3.5Mhz~7Mhz帯との交信は全く出来て居ないので今日は早朝から網を張って居ましたが信号は聞えませんでした。3.5Mhz帯のCWの信号は聞いた事があったのですが「NA NA UP」の指示で呼掛ける事が出来なかった。

 7Mhz帯では今回全く信号を聞いて居なかったので一体何時ごろ7Mhz帯を運用して居るのか解らず上の周波数の星取りがある程度進んだので今日は夕方に的を絞って待ち受け受信に撤していた。夕方前にSSBでの運用がクラスターにアップされ運用周波数は7.180Mhz、早速、ご本尊の周波数を聞いてみると59プラスでガンガン聞えて居たが残念ながら今回も「NA UP-7.185」の指示、其の侭1時間程は受信したが其の指示が変る事は無く交信チャンスは無し、其れ以後は30分程毎に受信して確認したが依然としてW方面からのパイル・アップは止まらない。早めの夕食を終った処で聞いても依然とW方面をピック・アップしていたが交信が終って次の局をピック・アップをする間隔が随分長く成って来たので遂にWも呼ぶ局が尽きて来た感じで此れはチャンスかな?と気を抜かず聞いて居たら暫く聞いて居たら「VK9WA UP」のアナウンスに変ったが呼んで良いのか如何か?躊躇する処、しかしJAに対するコール・バックは無いのでフライングの可能性を感じて「じっと我慢の子」を決め、JAに応答が有るのを確認してから呼掛けを開始し19:47JSTに6.7Khz-UPの7.1867Khzで交信成立、受信開始時間はメモして居なかったので正確には解らないが交信までに3時間近く掛かったのはないかと思う。本当に疲れる交信と成った。

 「今日は朝から・・・・・・・」

2015年11月18日 20時15分03秒 | アマチュア無線

 今朝はVK9WAの3.5Mhzか7Mhz帯の運用に期待して06:30JST辺りから聞き始めたが信号が聞えないので少し時間的に早いかな?とは思いながらも14Mhzを聞いて其の後に21Mhz帯にQSYして暫く漠然と聞いて居たがクラスターにVP2ELY(Anguilla)からの草野さんの運用情報がアップされたので時間が早いし西日本からでは一寸厳しいかな?とは思いつつも確か21.260Mhzだったと思ったが受信を始めた。既に東日本の各局が呼掛けを初めて居たが此方では信号の浮き沈みが激しく時々了解し辛い信号強度でしかもオン・フレの状態でJAをピック・アップしだしたが向うの側では此方の信号が取り難いのか?此方からの呼び倒しが始まった2~3局との交信が終った所で「UP-5Khzでコンディション的に不利な西日本の6エリアから」のアナウンス、此れは交信出来るチャンスが広がった「流石が草野さん神様 仏様」状態、6エリアの局が一局交信した後、6エリアを指定しても誰も呼掛けない状態に「5エリア」のアナウンス最初は無理だろうと呼掛けたら以外にも最初に返って来て07:17JSTに交信出来た。

 以外にも5エリアで呼んだのは私一人だけ次の4エリアの局が交信して次の3エリアに入ったらVP2ELYの信号はQSBを伴いながら段々と落ちて行った。最初聞き始めた段階では55の信号強度で草野さんがエリア指定を始めた頃が調度ピークで59で有ったが私との交信が終って3~4分で信号は落ちて行った。然し何と言う抜群のタイミング、此の様な事は1年に1~2回あれば良い方、「今日は朝から~縁起が良いわい」と歌舞伎役者が見えを切る時の様な心持に成った。

 相手が何処を聞いているのか?解らない!

2015年11月17日 18時58分23秒 | アマチュア無線

 今回のVK9WAのDXペディションは行く人は大変と思うが日本からの距離やパスの問題を含め余り支障も無くリタイヤ組の特権を最大限に利用すれば楽勝か?と勝手に思い込んで居たのだが?そうは問屋が卸さず今回は大きな当て外れと成った。良く考えてみると最近のアマチュア人口の大半は既にリタイヤ組の方々が大半、其の上にアマチュア無線を通じて海外との交信(会話や情報交換)をする事に興味が有るのはロートルばかりで今の若い人ならもっと確実性の有るスカイプや携帯電話やメール等の手段を選ぶ方が確実で手っ取り早く多分其方の方を選ぶだろう。


従って平日で有っても各運用周波数はパイル合戦で賑わって居り今回は呼べど叫べど全く電波が届かない。多分飛んでは行って居るのだろうが?其れ以上に強い信号で潰されてしまって居るのだろう。VK9(Willis Is)は特別に難度の高い場所では無いが その他に対象と成る難度の高い場所からの運用が無く、其の上に距離が近くパス的な条件が良いのでワイヤーアンテナでも聞え必然的に競合が増して居る様に思える。


 今回は周波数の高いバンド(21~28Mhz)帯に重きを置いているのだが特に28Mhz帯辺りはスプリットの幅が広く時には3~15Khz位に広がり、且つ困った事にピック・アップされて居る局の信号がスキップ・ゾーンにある為に此方で聞こえず御本尊が聞いて居る周波数が中々解らない事だ。時々強力な信号が聞え「此の信号強度ならピック・アップされるはなぁ~」と確認出来る時も有って其の近くで呼掛けてみても相手は流石にDXペディションに出向く程のベテラン・オペレーター達は直ぐに受信周波数を変えるのでCWモードの幼稚園組は其の行動が読み切れず仕方なく或る周波数に留まりCWのキーイング練習に明け暮れる始末・・・・しかも自分のコール・サインを打ち間違うのだから情けない次第である。本当に爺ちゃんボケとりますHi 

 実感は余り無いが何と阿南市の財政状況は西日本一らしい!

2015年11月16日 23時31分18秒 | その他

 今月の初め頃から矢鱈と政治向けのチラシや報告書が郵便ポストに入って居るなと思っていたら阿南市では週末に市長選が公示された。色々な政治報告書の資料の中に「阿南市の財政情況報告書」が入って居て西日本にある210市の中で阿南市が財政力指数ランキングで1位にランクされて居た。前々から財政状態が良く全国ランキングでも10位以内には入って居るらしい事は聞いて居たがハッキリとした報告書で初めて確認した。


 私が学生の頃に阿南市は全国で13箇所指定される新産業都市構想の一角に名を連ね 行く行くは人口20万都市に成ると言われて居て其の産業の担い手を育てるべく阿南国立高専と県立の工業高校が新設され計画は進行しつつあったが用地買収まで終わって居た会社がオイル・ショックや其の他の問題で阿南市への進出計画を断念した為に此れ等の学校の卒業生は殆どが県外へと就職せねば成らなかった。私が卒業する頃には阿南市に有る大企業と言えば王子製紙(旧、神埼製紙)と日本電工、と四国電力の橘発電所くらいしかなかった。日亜化学も有ったが其の当時は蛍光灯に使用する蛍光材料では全国に名を馳せた会社ではあったが(其の世界では凄い市場占有率ではあったが)現在の様な規模では無かった。そして市の財政指数は全国の後ろから数えた方早い状態であった。


 其の後、此の侭では駄目だと原発を誘致する話が持ち上がり四国の最東端である蒲生田岬付近の用地買収も出来て居たが地元の大きな反対に合い最終的に頓挫し其の原発は四国の最西端の伊方町に出来る事に成った。其の後の阿南市は泣かず飛ばずの状態が続居たが日亜化学工業の「青い色,LED」の開発と量産体制が確立し其の後に日本電源開発の石炭火力としては当時、国内では最大出力の火力発電所を市が誘致して阿南市の財政状況は大きく変わった。特に日亜化学の業績は目覚しく現在の阿南市にとっては日亜様様の状態と成って居る様だ。日亜化学の本社と工場は私のホームQTHに近く(直線で800mくらいの距離)以前は徳島県下でも田舎の方で有ったが現在は様子が一変し社員の出勤時間に成ると県南部の色んな道で渋滞が起きる様に成って居る。


 此の会社が大きく発展した事に寄り大きい雇用力が発生し地元の子供達が就職出来ると若い人が定着して稼ぐので其れ等が相乗効果と成って今の阿南市の財政状態の良化に貢献している様だ。一時の交付金を目当てに色んな物を誘致しても其れは何時かは無く成るものだが、交付金が無くても会社が有る限り雇用して貰え給料が貰える事に寄り生活が安定し其れが人口の増加や若人の定住に繋がり其の結果が市にとっては税収の増加に繋がって今の所、良いサイクルで廻って居るので住民としては喜ばしい事だと思って居る。


  西日本財政指数ランキング ベスト5


  1、 徳島県阿南市  財政力指数 0.91(財政力指数は同じだが将来負担比率が佐賀県鳥栖市より上) 

  1、 佐賀県鳥栖市  同     0.91

  3、 大分県大分市        0.87

  4、 広島県大竹市        0.86

  4、 山口県下松市        0.86

 





 7年間の開かずの作業部屋が大変な事に?

2015年11月15日 20時32分37秒 | その他

 今日は朝からJIDX Contestに冷かしで参戦、朝夕共に凄く開けた時間帯も有ったが其の時間帯は短く其々に15~20分程度の長さで有った。其れ以後の時間帯でも単発的な呼掛けは有るのだが呼び掛けが途切れず続く時間帯は非常に短い。只、昨日に書き込んだ様に都道府県ナンバーがマルチと成って居るので徳島県のDX人口の少なさが味方をしてくれ珍しいのか21Mhz帯のみで交信総数は126交信で終った。もう少し粘れば200局は交信出来たと思うがシャカリキに成る気力も無く適当な所で飽きてしまった。

 今日の昼からは実家に出向いた。其の目的は先日にブログに書き込んだセラミック球の高額なソケットが見付から無いので其れを探しに行く事であった。私の実家はセメントの加工品を作って販売をして居たので親父が高齢で仕事が出来なくなった時に最後の親孝行と思い約3年間ほど其の仕事を継いだ期間が有り全く畑違いのセメント二次製品の製作をしていた。特別注文も受けて居たが大半の商品は一般的な物としては排水路で使用されるU字型溝(道路の両端の排水路に使用される)や用地境界杭(土地の境界に埋め込むセメント製の規格杭)溜め枡(家周りに使うセメント製の四角い枡)そして最近は少なく成ったが私等が子供の頃には各家庭には必ず有った井戸に使用されて居たセメント製の円筒形の商品等を生産していた。

 水道施設の完備に伴い各家庭の井戸の役目が段々と終わり掛かると同時に各家庭の需要は少なく成ったが私が子供の頃には町内に此の様な商売をする家が我家を入れて3軒も有ったが他の店は全て廃業、最後には井戸側の製造は徳島県でも私の所だけに成ったので大きい需要は無いのだが大手が手掛けない商品で有った為に隙間産業として結構存在感は有った。更に良い事にセメント商品は製作してある程度の期間を経過した方が強度が増すし作ってさえ置けば直ぐに売れなくても必ず何時かは売れるので在庫管理が楽で適正在庫で商品を造り溜めさえして置けば毎日仕事をする必要が無く特別な商品の注文が無い限りは自分のペースで仕事が出来た事と県内に競合店が無かった為に相手の方から商品を買いに来てくれるので結構気楽な仕事で有った。

 従って仕事場で仕事をしながら休憩時間や暇な時間を利用してゴソゴソと無線用の物作りをして居たので作業場の小さい事務所は格好の制作場でも有り家内には知られると拙い存在のジャンク品やコレクションの格好の置場所に成って居た。其の様な事から多分、真空管ソケットの存在は此処しか無いと思い自宅の会社の事務所に行き甥に作業所の其れらしき鍵を借りて作業所の鍵の掛かった事務所のドアを開ける事に成ったが私が其処に入らなく成ってからも7年以上経って居て鍵が合わずドアが開かない。再び会社の事務所に帰り甥に在る鍵を全て出して貰うと100個ぐらいの鍵が出て来た。親爺も兄も天国に行って仕舞い甥は其の部屋に入った事が無いので鍵が解らず可能性のある鍵を30個くらい預かって開けに向かったが最終的に何れの鍵でもドアを開ける事が出来ず辺りは暗くなり始め遂には時間切れと成ってしまった。

 最終的に此のドアは私が最後に施錠してからは誰も一度も其のドアは開けていない様で鍵の存在は解らず最終的な対応は後日の事に成ってしまったが?念の為に其の外の窓を確認したが開けられそうに無い。そしてスリガラスの窓から部屋の中をよく見たら部屋の窓際に可也大きい葉っぱが見えており内部は可也大変な事に成って居る様子?何せ部屋は土間なので外から根が張り室内で成長している様だ。後日に如何にかしてドアは開けねば成らないが部品の存在も気に成るが部屋の中がどの様に成って居るのか?気に成る処である。