黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 無線移動運用の為、暫くブログは休みます。

2011年09月22日 07時33分32秒 | アマチュア無線

 今回の台風も去りましたが徳島は今朝まだ時々強い風が吹いています。早ければ今日から3,9.0.2エリヤの旅に出ます。移動運用が中心ではなく昨年の移動時に御世話に成った皆さんとの再会や、秋の信州、富士山、出来れば伊豆半島への25年振りの旅を楽しみにしています。


 期間は2週間程度と思っていますが、体調不良や大型台風など来る様だと途中で切上げ帰るかも解りません。移動中は車中泊なので夜と朝は無線運用に成りますが従来の移動運用の形態とは違い、大半の場所での運用は朝夕それぞれ別の場所に成ります。 運用する予定の福井県、石川県、山梨県、静岡県、三重県、愛知県は二箇所、それ以外は(兵庫、大阪、京都、滋賀県)一箇所を予定していますが、この場所は来年の関東の移動時に通過する場所なので機会が有ると思いますが?私との全都道府県の交信を御希望の方は御注意ください。又、全エリヤ交信希望の方で3エリヤとの交信が出来ていない方は連休中に(兵庫、京都、滋賀)を運用致します。今回の運用が計画通りに達成できれば私が移動運用したのは40都道府県を越して残り僅かと成ります。


 運用時間は夕方は16:00~20:00 朝は 06:00~10:00の時間帯の中で運用します。アンテナは従来の逆Vが基本ですが都市部の運用も有りますので3,5と7MHzの釣竿アンテナも持って行きます。移動する場所は日本の中央部に近いので全エリヤに対してスキップ問題では条件は良い状態と思いますが全てはコンデション次第さてどうなりますか?


 運用順序は兵庫、京都、滋賀、福井、石川、新潟、長野、山梨、静岡、愛知、三重、奈良、大阪府、の順を予定しています。

 皆さんと交信出来る事を楽しみにしています。


沖縄県国頭郡今帰仁村での無線移動運用

2011年09月21日 07時59分13秒 | アマチュア無線 移動運用

   




 2011年 5月7日から8日に掛け沖縄県国頭郡今帰仁村にて移動運用

 私は今回の沖縄旅行で今帰仁村にある今帰仁村城跡を見たかったので此の日は今帰仁村に向かった。此の城は小さい石の石積みの城壁で出来て居て日本古来の城とは一寸イメージの違う物だったので十分な時間を掛けて隅々まで興味深く見て回った。其の後ワルミ大橋を渡り屋我地島に入った所で車に引かれた大きいハブが道路に横たわっているのを見た。次の古宇利大橋を渡ると古利島を一周し山から大橋を見た写真と島の入口の防波堤上でアンテナを立てた写真の此の場所で移動運用した。


 沖縄本島に入って恩納村で梅雨入り以来、初めて太陽の輝きを見たが実に8日間振り、曇天と雨の中の移動運用だった。この島では此の時期には子供達は既に海水浴を楽しんでいた。其の海水浴場が運用場所近くに有った御蔭で何時もの冷水シャワーでなく有料だったが温水シャワーを浴びる事が出来た。

 
 此処での無線運用が終って休憩をして居たら地元のアマチュア局が2人釣りに来られ私の車を発見、近付いて来た。お二人は2mのFMを運用しているがHF帯の運用経験は無いらしく色々、質問されたり世間話をした。其の話の中で古宇利島に全国有数の子宝の神さんを祭った神社が有る事も初めて知った。皇室も御忍びで来られている話等を聞いた。


 お空のコンデションは最高で連日連夜23時頃まで地域差は有るが国内コンディションは十分開けていた。徳島を出るとき夜は3時間、朝は3時間位の国内パスのオープンかな?と思ったが予想に反して夜のパスは6時間は十分に有った。沖縄旅行中は天気には恵まれなかったが電波伝搬は非常に恵まれた。


 今帰仁村での移動運用での総交信数は680交信に終わった。
 


 


 沖縄県国頭郡東村での無線移動運用

2011年09月21日 06時26分06秒 | アマチュア無線 移動運用

  

 2011年 5月5日から6日に掛けて沖縄県国頭郡東村での移動運用

 大宜味村の東シナ海側から入江に沿って小高い峠を越すと太平洋側の東村に入る この村は米軍基地設備が多いと聞いていたので一番最初に地元の駐在所に行きアマチュア無線の移動運用の申し出とアメリカ軍設備関係や特に立入禁止場所や注意する場所の確認をした。駐在さんは外出中で不在だったが奥様に親切に対応戴き頭が下がる思いがした。


 この村には太平洋を望む小高い山の方に村営の?『つつじエコパーク』が有りかなり大きい駐車場が4箇所くらい有ったが何故か?(公共の場所でのアンテナ設営は厳しい所では時々、クレームが付く場合がある。)気が引けて山を下り東村役場の近くの沖縄戦の慰霊碑の駐車場にアンテナを張り運用した。(当然、初めと終わりは手を合わせた。)地元の人の話では、つつじのシーズン以外で有れば『つつじエコパーク』でも移動運用も問題無い様なのでお薦めである。景色も良いしロケーションは最高の場所に思えた。


 私の様に大きなアンテナでの運用場所の選定には苦労が多い、釣竿アンテナとバッテリー運用なら、保々どんな場所でも運用可能だが私の経験からアンテナ以外の条件が同じなら交信数は250~300局ぐらいが限界、電波の飛びより受信に限界を感じる。パイルアップを捌き切れない。対して短縮の無いダイポール系のアンテナだと500局は楽に可能になる。

 

 矢張り如何しても受信能力の差が時間当たりの交信数に差が出る。結果的に移動時は後者を選ぶのだがアンテナの高さと大きさに比例してクレームのリスクが増大する。全国の町村を対象に移動する場合、呼ぶ側は期待しているので失敗は(運用の中断や中止)避けねば成らない。少しでもその可能性が有るなら其の場所の選択は出来なくなる。私の運用地が人里離れた山奥や、山頂、人家の無い漁港や僻地に片寄るのは其の為、クレームによる中断はそれ以後の運用周波数の確保が出来無くなるし最悪はQRTに成ってしまう事で此れは一番注意しなければ成らない事項と思う。


 条件的には少し悪かったが交信数は600局を上回った。運用後、東村から辺戸岬の手前までの太平洋側をドライブしたがヤンバルクイナや野生の動物や亀の横断注意の立て看板が多く自然環境保護が進んでいるのを感じた。此のコースを進んだ事で沖縄本島の外周部を保々一周した。


沖縄県国頭郡大宜味村 移動

2011年09月21日 03時11分41秒 | アマチュア無線 移動運用

   


 2011年 5月4日から5日にかけ沖縄県国頭郡大宜味村にて移動運用


 宜野座村から国頭村の辺戸岬に移動する際 この村は通過したので移動場所の下見をしたが事前の予定地よりも良い場所が有ったのでナビに登録して置いた場所に車を乗り入れた。写真の様に海岸線を埋め立てた様な、広大な面積の場所で後ろに見える診療所と団地の建物以外は何も無い場所だった。

 

 先日に移動運用した宜野座村の反省から先ずは近くの交番にアマチュア無線の運用をする事を申し入れ不審者等の連絡が有った場合の対応と近くでのアマチュア無線移動運用の申し出を行った。この場所は高さは無いが移動運用するにはロケーションに恵まれ総交信数600局を越した。


 大宜味村の道の駅『おおぎみ』も立ち寄ったが其の場所は直ぐ後ろに山があり釣竿アンテナで有れば運用出来るが此の移動運用場所とは雲泥の差で比較に成らないし私の移動運用は『道の駅での運用』が目的では無いので道の駅での運用せず写真を撮るだけに終わった。


 


沖縄県国頭郡国頭村 移動

2011年09月20日 22時01分14秒 | アマチュア無線 移動運用

         


 沖縄県国頭郡国頭村での移動運用


 2011年 5月3日 14:30頃、沖縄本島の最北端、辺戸岬に到着(写真3、4,5が辺戸岬)この地は太平洋と東シナ海が交わる所、溶岩が寝食された独特な地肌をして居り歩き辛かったが時折小雨のぱらつく天気の中 岬の北端まで歩いた。此の場所からは天気の良い日は与論島の姿が見えるらしいが梅雨に入った沖縄、視界は悪く其の島影は見得なかった。

 

 この場所はみやげ物店など有り一見、開けている様に見えるが此処まで来る途中には何も無い場所だった。駐車場は可也広かったが此の日はゴールデン・ウィークに入っていた為、駐車場は可也の混雑で此の地での移動運用は止む無くバッテリー電源と釣竿アンテナでの運用と成った。夜は此の駐車場で車中泊泊する予定だったが風があり天候が回復する様子も無く取合えず南の道の駅03『ゆいゆい国頭』まで引き返し、道の駅の駐車場で車中泊と成った。


 翌朝、此の道の駅で運用、最終的に国頭村では此の二箇所で移動運用し総交信数 301局(写真の最初が道の駅)に終った。
  


沖縄県国頭郡宜野座村での無線移動運用

2011年09月20日 11時37分59秒 | アマチュア無線 移動運用

     


 2011年 5月2日から3日に掛けて沖縄県国頭郡宜野座村で移動運用した。


 金武町での朝方の運用を早めに切上げて10時前には宜野座村にある。上の写真の『かんな湖』に到着、移動運用の場所はメイン道路の直ぐ横のダム湖の一番上の駐車場で広さも十分有り 展望台もあり景色も良かった。展望台の最上階には畳二枚分くらいの横になれる休憩出来る場所が有り此処への到着時間が可成り早かったので本格的な夕方の運用前に少し昼寝が出来て最高だった。


 展望台の下に水道の蛇口があり一般の方が頻繁に、10Lや20Lのポリ容器を持ち込んで水を持ち帰る人が居たのには驚いた。湧き水とか名水なら解るのだが?その様な立て看板も無く普通の水道水と思うのだが?此の現象は次の日も続いた。

 
 此の日の夜の運用後、寝ていると(午前1時30分頃)例により車の窓をコンコンとノックされ「警察です。」とパトカーの訪問、雛形の職務質問の後、『免許を見せて下さい。』と言われたが寝ぼけていたのか、免許証が見付からず焦って可成り慌てて仕舞い見付けるのに5分くらい探した、車の中は可也ゴチャゴチャしていたのと、時間が掛った事で不審者と疑われている事が十分理解できた。出てきた運転免許証を見せると『ゴールドカードですね』と言って警官の態度が急に変わったので日頃は感じないゴールドカードの威力に驚いた。『何をしているんですか?』とアンテナをライトで照らしながら質問されたので『アマチュア無線の運用です』と答えると、すかさず免許証と免許状の提示を求められた。『お~1級ですね!』この言葉でアマチュア無線の事は解らない様な素振りをしていたが全て解っているのだと知った。

 

 私と世間話をしている間、部下の警官は15分位無線で何か連絡していたが帰ってくると『車内を見せて下さい。』と携行ガソリン・タンク、ガスコンロ、ボンベの数、車内をライトで確認して漸く無罪放免となったが可也入念な職務質問だった。何時も感じる事だが矢張り人相の悪さが災いする。損な人間だと思った。


沖縄県国頭郡金武町での無線移動運用

2011年09月20日 07時03分27秒 | アマチュア無線 移動運用

  


 2011年 5月1日から2日にかけ沖縄県国頭郡金武町で移動運用をした。 


 国頭郡恩納村は東シナ海側、対して金武町は太平洋側に成る為、西から東の移動と成った、途中うるま市を抜けたが大変な渋滞で車がなかなか動かなかった。沖縄に入って感じた事は運転マナーが非常に良い事だ。今回の沖縄滞在中に追抜き等は殆んど無く皆さん淡々と走っている。意外と坂道があるのと郡部に入ると信号の無い交差点も多いが滞在中、一度も事故や取締りに掛っている車両を見ることは無かった。良く県外を他所者がユックリと走っていると後ろから『バァ~ン』とクラクションを鳴らされる事が有るが、沖縄滞在中は其れも記憶が無い。


 金武町では今回の移動で最大のトラブル、運用中、アメリカ兵の尋問を受けた。米軍の設備の横の運用も無謀だったが、写真の後ろの草むらはハブの良く出る場所だったらしい。車の右側の下は水がチョロチョロ流れる水路が有りハブが体を冷やすのには丁度良い場所、四国ではマムシの居そうな場所だったので危ないと感じ夜の3.5MHzの運用(アンテナの張替えの為には草むらに少し入らなければ成らなかった。)を止めたり夜歩きをしなかった。アメリカ兵の訪問にはビックリしたが其の後 連日の深夜の警察の職務質問が続いた。此の時期、調度、米国の特殊部隊がビンラディンの暗殺を謀った直後だったので運の悪い事に其の仕返しとしての米軍基地に向けたの報復行為を阻止する警戒警報が発令されていたらしい。


 此の途中中断と早めのQRTで総交信数は403で終わった。


沖縄県国頭郡恩納村での無線移動運用

2011年09月19日 22時45分38秒 | アマチュア無線 移動運用

   


 2011年 4月29日から30日の沖縄県国頭郡恩納村での移動運用


 29日、恩納村に16時くらいに到着、今回は事前調査宜しく第一の予定地で正解、海近くの野球グランドの駐車場で逆Vアンテナと発電機で運用した。車の後ろは野球グランド、前はレジャーボートの船置場、200m以内に人家も無く,遠慮する事なく発電機をバリバリと動かす事が出来た。


 この場所の思い出は、深夜、物凄い雷と、雨、風が吹き荒れ、夜中に目が覚めると私が今までに経験した事が無い様な強い雨が降っており発電機に取付けた雨除けの為のパラソルが吹き飛んでおりビニールシートを掛けに車外に出ると1分もしない間にパンツまでびしょ濡れになった。若し此の大雨に寄り発電機にトラブルが発生すると一時期は補助バッテリーで運用出来ても其の後のバッテリーへの充電が出来なく成るので其の内に無線の移動運用はアウトに成って仕舞う。此の大雨の中で出来れば出て行きたくは無かったが止む得なかった。丁度この日の沖縄地方は十数年ぶりの沖縄としては早い4月中に入梅宣言が成された。


 こうなりゃヤケクソでパンツ1枚になりスコールのシャワーを浴びた。勿論ある瞬間は「フリ??」夜中の2時頃で人通りも無く問題無かったが人に見られたら変人扱いされたに違いない。朝起きてみるとドアの下に脱いだサンダルが無い 探す事5分、何と50m位離れた場所に別々に流れていた。其の後、発電機の始動チェックが必要と発電機の始動ロープを祈る思いで引いたら一発で始動、ホットした。


 朝方の運用が終わり休んでいると隣のグラウンドで一般人の野球の試合が始まった。しばらくするとドカーンと車の左から大きな音がした。慌てて出て行くと何も言わずに向うに行く人がいたので「おい」と声をかけたらお辞儀だけして何も言わずに立ち去った。音が音だけに無傷とは思えなかったがどの部分にボールが当たったのか解らなかったので?傷は見付けられなかったが後で洗車した時、下側に笑窪が出来ていた。現場で5分くらい見たのだが徳島を出てから洗車していなかったのでよく解らなかった。相手も私が可也入念に調べていたので此方をちらちら見ていたが『触らぬ神に祟り無し』を決め込んだ。

 
 色々なアクシデントは有ったが此処での運用条件は良く686総交信数を記録した。

 


沖縄県中頭郡読谷村での移動運用

2011年09月19日 16時19分30秒 | アマチュア無線 移動運用


    


 2011年 4月28日から29日にかけて沖縄県中頭郡読谷村での移動運用

 28日の18時ころ位に村内をグルグルと回りながら漸く無線の移動運用が安心して出来そうな読谷村の漁港に到着した。大きい港ではなかったがアンテナを張るスペースが有ったので写真の様に逆Vアンテナを設営した。今回の移動は約1年を掛け移動場所は航空写真等で事前に調べて1、2、3と順位を付け、其の場所の緯度経度をエクセルに書き込み、移動運用候補地表を作成、移動地へ出発前に其れをナビに打ち込んで現地へ向かった。第一候補地は抜群のロケーションだったがプライベート・ビーチの立て看板が有ったので(鎖も無く入れたが嘉手納町のような事も有るので)此処で運用するかどうか?随意分と迷ったが個人の所有地の場合は若し万一運用途中で『立ち退き命令』が出ると此の地、読谷村での移動運用が出来なくなるので(嘉手納町での様な場合も有り得るので?)諦めて他の候補地であった写真の場所に成った。


 此処では海辺で空気が塩気で、べとついたのとトイレに困ったが、小の方は男子の特権を使用、夜に紛れて7mの高さから東シナ海に放出、ほんの気持ほど塩分濃度を高めた。


 沖縄移動で一番の難点は日帰り温泉や銭湯が少なく殆んど無い事、これも事前調査で解っていた事だったが毎日風呂に入る習慣が身についている私には此の事は一番辛かった。22日くらい沖縄本島を走り回ったが本格的な風呂に入れたのは3回のみ南風原で2回、北谷町で1回、名護市だったと思うがスーパー銭湯(日帰り浴が出来る設備)が有ったので、この後の今帰仁村移動の際、地元の人に教えていただき20km位走り探したら休館日でガックリした事が有る。旅館やホテルに泊まれば設備は有るのだろうが車中泊の移動者にとっては覚悟が必要であろう。私はキャンプ場や海水浴場のシャワー(冷水)を浴びたり水道水で体を拭いたりして此の問題を凌いだ。


 沖縄で少し困るのはもう一点、コインランドリー設備はたいていの町に存在するが其処には乾燥機は沢山有るが洗濯機が1台か多くて2台、洗濯乾燥が一台で出来る機種は殆んど見掛けなかった。(私が沖縄本島滞在中の4回使用で)殆んどの人がコインランドリーでは乾燥のみに利用している様子で若し此処で洗濯中の先客が居ると待ち時間でイライラする結果となる。沖縄を長期移動する人は此の二点が要注意事項である。読谷村での移動運用場所は高こそ無かったが周囲に人家が無く安心して移動運用が出来たので総交信数は550を少し上回った。


 沖縄県中頭郡嘉手納町と道の駅04「かでな」での移動運用

2011年09月19日 11時41分40秒 | アマチュア無線 移動運用

     


 2011年 4月27日から28日にかけ沖縄県嘉手納町と道の駅「かでな」で移動運用

 27日の16時頃に嘉手納町に入る。事前調査の運用予定地の公園の駐車場に入ると入口に22時以降は施錠する旨の立看板が有ったので此の場所での運用を諦めて道の駅の交差点を奥の高台に向かうと陸上のトラックがある運動場に出た。大きい設備だったので駐車場が有るだろうと入って行くとトイレ付きの100台以上が駐車出来るスペースが有った。


 夕方以降は車もおらず発電機を回して快調に交信していた。然し21時42分頃、コンコンと窓を叩く音、「22時に鍵をかけますの立退きを御願いします。」とガードマンが現れた。仕方なく特急でアンテナを撤去、近くの道の駅に移動、バッテリー電源と釣竿アンテナで道の駅「かでな」より22時17分から運用を開始した。


 翌日、道の駅の展望台に上がり、直ぐ前の滑走路を離発着する戦闘機や戦闘ヘリコプター、大型輸送機の写真を撮った。この展望台には飛行機のマニアが陣取っており大型三脚に超望遠レンズをつけた高額なカメラが取り付けられ、航空無線を聞いているのか?コーヒーを飲みながら雑談しているメンバーが急にカメラの前に行くと飛行機が離発着を繰り返していた。


 写真の銅像は甘藷(サツマイモ)を沖縄に導入した先人の 徳を称えた物、徳島のブランド「鳴門金時」もこの人が居たからこそ生まれた。徳島県人として感謝を込めてシャッターを切った。失礼ながら運用は銅像のすぐ横で行った。


 嘉手納町での交信数は道の駅で200局程度、最初に運用した嘉手納町の場所と合わせて総交信数は600交信を上回った。


 
 


沖縄県中頭郡北谷町の無線移動運用

2011年09月19日 10時49分38秒 | アマチュア無線 移動運用

         


 2011年、4月26日の夕方から翌朝にかけて中頭郡北谷町での無線移動運用


 北谷町は私の想像したより都会で第一予定地の総合運動場に行ったが駐車場も混んでおり逆Vアンテナを建てるとクレームが出そうな場所だったので第二予定地の漁港の方に変更、道路沿いの資材置き場の横が運用条件が良かったが車を停めると地元の人が何か言いたげに此方を見る視線が有ったので反対側のレジャーボートを停める写真の場所に最終的にアンテナを張った。


 夕方頃から雲行きがおかしくなり日没前には雨が降り出した 夜のコンディションは非常に良く500局を越す交信が出来た。翌朝の撤収時は沖縄で初めてレインコートでの作業と成った。


 沖縄県島尻郡南風原町での無線移動運用

2011年09月18日 11時06分55秒 | アマチュア無線 移動運用

      


沖縄県島尻郡南風原町(はえばる)での無線移動運用


 2011年4月25日の夕方から26日の朝にかけて写真の場所で運用、南風原町は人口密集地帯で移動運用計画段階から良い場所が見付からず運用出来ないかも知れないと思う町であったが、地元の方が役場へ折衝をして下さり時間制限のある公共の場所と写真の公園を紹介して戴いた。沖縄からの各エリヤへのパスは連日、23時頃まで開けていたので時間制限の無い公園の方を選んだ。明るい内は休憩の車が多くアンテナが建てられず気を揉んだが夕方には車も居なくなり十分なアンテナを張る事が出来た。


少し高台でコンデションも良く此の場所からは635交信を達成した。


 沖縄での御風呂と云えば「水の貴重さからか?」浴槽に入る寄りシャワー文化が中心で滞在中は公衆浴場は殆ど見付からなかったが此の南風原の町には大きいスパー銭湯があったので2回程使用したのと北谷町に日帰り浴が出来るホテルがあったので利用したが、お湯にどっぷりと浸かったのは此の3回だけで後は海水浴場の有料の温水シャワーか、無料の冷水シャワーで過した。此の情報は事前には解かっていたが毎日、お風呂に入る習慣のあった私には沖縄の梅雨時の移動運用中で一番辛い事と成った。


 沖縄県中頭郡中城村での無線移動運用

2011年09月18日 09時59分59秒 | アマチュア無線 移動運用

      


 2011年 4月23日 沖縄県中頭郡中城村で無線移動運用
 

 青空の広がる夕方、中城村の東側の海岸線の岸壁で運用、周りには漁協の建物だけで 非常に寂しいところだったが道路の側帯(車は殆んど来なかった)の埋立て地のフェンスに両サイドのエレメントを結わえ逆V、アンテナと発電機で運用、多数の局と交信した。


 沖縄本島内では此の中城村や与那原町からのQRVが少なく全国の全町村のCFMには苦労する場所、私の場合は此の村の近くの与那原町との巡り合せが悪く、全国の全町村とのQSOの上がりは与那原町となった。


 沖縄県国頭郡本部町での無線移動運用

2011年09月18日 07時01分04秒 | アマチュア無線 移動運用

        


 鹿児島港を出て外洋に出ると6000トン超級の船でも「所詮 大海に浮かぶ木の葉」奄美大島までは船はかなり揺れた。私は船酔いする事は無いので問題は無かったが同室の(4人部屋)2人はダウン気味でカーテンを引いたベットの中で呻いていた。早朝、奄美大島に到着、何時までも寝ていられないので甲板に出てみると同年代の男性が一人で海を見ていたので「良い天気に成りましたね」声を掛けると「昨晩はよく揺れましたね」と関西らしいイントネーション「関西からですか?」聞くと京都出身で今は沖縄の本部町に住んでいるとの事、前々から老後は奥様の生まれ故郷の沖縄に決めていたらしい。


 話の中で「観光で?」聞かれたので「観光を含めた無線の移動運用が主たる目的で沖縄は34年振りです。」と答えると「アマチュア無線?」聞かれ「ハイ」と答えると、その人も高校の頃、無線に夢中に成り高じて自衛隊に入りミサイルの自動追尾の研究をしていたとの事、今は退官して今回は鹿児島の人工衛星の追跡センターに行っていた帰りとの事、こうなれば双方の距離感は無くなり昼食の間を除く5時間、延々と立ち話が続いた。


 世間話から、無線、家族、老後の話、内容は多岐に渡ったが今思うと相手の御名前もカメラを持っていたのに写真の1枚も取っていなかった事が残念で成らない。こんな一期一会も有って良いと思うが此れが「旅のなせる技なのか?」褐色の日焼けした顔と、沖縄の人、独特の長い睫毛と涼しげな目が印象的な人だった。


 夕方の17時頃、本部港に入港、この時間だと国内のパスが有ると考え上陸後、直ぐに事前に調べていた写真の場所に移動し運用を開始、さすが沖縄、4局交信した後は怒パイルと成り釣竿アンテナで300局以上の交信が出来た。(運用場所は本部町運動場)


いざ沖縄への出発

2011年09月17日 22時04分49秒 | アマチュア無線 移動運用

         


薩摩郡さつま町を9時頃出発、上がり下がりの峠道を何箇所も越えて鹿児島市に着いたのは正午頃、約束していたJR6LEA田中さんと市内のショッピング・モールでお会いして ゆっくりと御話を聞く機会を得た。其の後、安いガソリンスタンドの紹介やフェリー乗り場への案内や乗船前まで御付合い戴き本当に有難かった御世話に成りました。


 今回、少し驚いたのは船会社の対応、乗船の案内や乗船待ちの駐車場など、殆んど案内が無く田中さんに教えて戴かなかったら解らなかったと思う。後で解った事だが此のフェリー便の利用は商業車が大半で乗用車は5台程度しか乗らなかった。飛び込みの車など殆んど無い感じだった。運賃も普通乗用車で鹿児島~沖縄間片道が約7万円もするので通常の旅行なら飛行機の方が安いし時間が早い。貨物と乗客のみの輸送が中心で乗用車等は眼中に無い感じだった。


 今まで沖縄や離島を回った人が自分の移動車を使用しない訳だ 数日の移動運用なら飛行機で乗り込みレンターカーを利用する方が手っ取り早いし安上がりかもしれない。(直行の往復で14万くらい各島での途中下船をすると更に割高になる)ただ私の場合は長期滞在なので宿を使うと費用が嵩むので移動車で乗り込む形となったが結果的には正解だったと思っている。安定した運用となると車も装備も其れ也の対応をしないと結果を出せ無い様に思った。


 鹿児島~沖縄間はフェリーでほぼ1日掛る、船は毎日2社の船が交代で双方の港から出帆している。19日の夕刻、鹿児島港を出帆、少し波の高い錦江湾上で桜島を仰ぎ見ながら「薩摩の女」を歌った。