私が長野県に初めて訪れたのは私が21歳の春であった。大阪のラジオやテレビを生産する会社に勤務して居たが此のブログの最初に書き込んで居る様に仕事は嫌いでは無かったが「若気の至り」と云うべきか?大好きだったアマチュア無線が学生時代の様に大阪では自由に出来なかった事が可也のストレスと成って居た。当時の私には「アマチュア無線が出来ない生活等は意味無い物」と考えて居たが流石に就職仕立ては無理と我慢して居たが3年間務めて其の可能性が極めて低い事を実感した時、最終的に思い切り無線が楽しめる田舎に帰る事を決断した。
退社日から最後の給料(三月分)を貰うまで1週間近くの待機期間があったので気持ちの整理も含めた一人旅をする事を思い付き、其の頃に既に始めて居たスキー道具を担いで大阪から北陸本線の夜行列車で新潟県糸魚川市まで行き糸魚川から大糸線で白馬村の駅に降り立ったのは翌日の朝の8時頃であった。其の当時(1970年頃)の白馬駅から民宿の細野まで向かう沿道は田園が続く田舎道で当時はスキーヤー憧れの八方尾根スキー場では在ったが現在の白馬村周辺とは全然様相が違って居た。(良い意味での田舎であった)
此処で1週間近くスキー三昧をして此の村が大好きに成り次のシーズンは此処でアルバイトしながらスキーの技術を磨く事を真剣に考え始め最終的には何処かのスキー場のパトロール隊員に成る事が私の夢と成った。其の後、徳島に帰り居候をして居たが若者が何時までもブラブラして居るのは世間体が悪いので就職活動をして居たら其の年の9月頃に思わぬ良いチャンスに恵まれ、徳島で勤務出来る会社から採用通知が来て前記の事も在ってどちらを選択すべきか?随分悩んだが最終的に徳島で就職する道を選んだ。今と成っては此の事に全く後悔はして居ないが、もし此の事が無かったら可也の確率で私は信州に移り住んで居たに違い無いと思うので今でも長野県は私の一番好きな憧れの県と成って居る。
実際に其れから結婚するまでの8年間は毎年、正月は野沢温泉スキー場へゴールデン・ウィークの休みには八方尾根スキー場の春スキーを楽しむ事に精を出し、結婚する時には全く貯金が無く親爺に「其れでよう結婚するなぁ~」と呆れられた。然し其の変わり当時有名であった長野県内の志賀高原の全スキー場、栂池、野沢温泉、八方尾根、etcと保々廻って当時の「スキーの三壁」と言われた難コースの野沢温泉の「シュナイダー・コース」赤倉の「ジャイアント・コース」そして八方尾根スキー場の「牛の首コース(一寸名前はおぼろげ・・)現在の黒菱ゲレンデ」を滑り降りる脚前?には到達した。結婚してからは此れを続けると生活が成り立たないと断念した途端に今度はアマチュア無線熱が嵩じて現在に至って居る。
今回、白馬ハイランド・ホテルから見える八方尾根スキー場を眺めて居ると若い頃の沢山の思い出が鮮明に甦って懐かしかったが物事良い事ばかりで無く急斜面を滑り降りる為にビンディングの開放圧を強めにして滑って居た為に急斜面でスキー板が上手く外れない侭の大転倒を繰り返して居た為に脚に負担が掛かり左足のくるぶし辺りの痛みや腰痛は日常毎で今回の旅行中の宿泊先で下蒲団下にマットレスが使用されて居ると寝られず畳の上やカーペットの上に直接寝て上布団のみで寝なければ成らなかった。兎に角、柔らかい蒲団では寝れない。
今回の旅はスキーから離れての5回目の信州方面の旅と成ったが年齢的には最後かも知れないし、家内の希望も在ったので漸く実現したが最初の日の景観は今一で在ったが翌日は素晴らしい天候に恵まれ青空の中、今まで見た中で一番の北アルプスの山並みが私達を見送ってくれた。