黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

三島村での実績と出会って御世話に成った人

2013年05月30日 19時51分46秒 | アマチュア無線 移動運用


      





 三島村の硫黄島に上陸して一番最初にした事は前回に書いたが郵便局に行き、不足気味の軍資金の調達で在った。其の後、離島訪問記念に ビューローにQSLカードを(1000枚ほど)硫黄島の郵便局から送った。そして郵便局を出て駐在さんの所に挨拶に行こうとしたらスクーターに乗って走って来た駐在さんと偶々、局前で御会いして少し立ち話をしたが至急の用事で出掛ける途中の様子、後程に駐在所に出向く事を伝えて別れた。この日の硫黄島への入港は13時過ぎで在ったのでこの時間では国内コンディションは良くないので取合えず島を一周し観光を兼ねて運用ポイントを探す事にした。


 港近くの集落を離れると直ぐに雑木林か竹林の景色が広がり人家は全く無く軽四自動車が辛うじて対向出来る程度の道が島のメイン道路と成っている。最初は島のどの方角に向かっているのか?解らなかったが一本道を進むと後で解った事であったが島の北西側に在る、坂本温泉に向かう道で在った。どんどんと先に進む程、道路の状態が悪く成りやがて道に覆い被さる竹を掻き分けながら進む道と成り「此れは拙い」と考えバックし車を回せる広い場所まで下がったが其の場所が「坂本温泉」であった。


 道端に畑等は見当たらなかったし、人家の無い付近に生えている背丈の高くない木々の根元や竹林は綺麗に草抜きや手入れが行き届いて居る事に私は驚いた。四国で在ればこの様な場所は蛇の巣窟と成る所、ハブは居ないとは下調べで解っていたが見知らぬ土地なので油断は出来ないが地面が見える程の手入れが成されて居る為、安心して散策する事が出来た。


 もと来た道を引返すと道路が交差する場所場所に丸太棒に矢印の形をした道路標識が打付けられて居る事に気付き、下調べしていた飛行場方面に向う道を進む事に、飛行場は直ぐに解ったが手前の駐車上は思ったより狭く3.5MHzのフルサイズのアンテナを張るには少し狭い感じと下調べでは現在は定期便は飛来していないと成っていたが小型のセスナ機がエプロンに駐機して居たので第一予定運用場所で在ったこの場所での運用は諦めた。この場所は島の西側に位置し東側の硫黄岳方面とは違い海抜50~60mHの小高い平地で馬や牛の放牧が行われグリーン一色の台地であった。滑走路の側面を南に進むと恋人岬の展望台に向う途中の空地が有りロケーションの良さと高さが在ったのでこの場所を運用地に定めた。


 運用場所を決めた後に一旦、島の居住地区に帰り駐在所を訪ねたが駐在さんは所用から帰られておらず奥様が在宅で有ったので事情を説明すると直ぐに御電話をして頂き「直ぐに帰るので此処で少々御待ち下さい」と案内された。少し待つ間に茶菓子を御馳走に成り非常に恐縮したが世間話をしていると駐在さんが御帰りに成り、ご挨拶の後、今回の硫黄島への訪問目的を説明し運転免許証と無線の従事者免許と免許状を御見せし事情を説明した。私の運用スタイルは車で乗込み人家の無い場所で長時間の運用と成る為、如何しても一般の住民の方に不審者扱いされる事が有るので「島内で馬鹿でかいアンテナを張り訳の解らない事を遣っていると警察に通報される可能性が在るので御足労戴くのは申し訳無いので事前に申し出に来ました」と言ったら「事情は良く解りました その様な連絡が有れば此方の方で説明して置きます。免許証のコピーの了解と宜しければ何か有った時の為に携帯番号を教えて下さい」と言われたので番号をお話したら後はザックバランな世間話に成った。会話の中で島内での危険な場所と観光スポットを教えて戴いたりアマチュア無線の事も色々聞かれたので今後この島で運用される方も居られると思い世間話をしながら40分程、今回の全国各都道府県ごとの人口の少ない順の10箇所をピックアップし其の合計の470箇所との交信を競うプチ・アワードの事や其の中でこの三島村が如何に注目されて居るかの事情を説明したり、最後には電波伝搬の電離層の事まで話が飛躍したがアマチュア無線の事は可也、御理解を戴いたと思うので今後に運用予定が有る方は是非訪問されるとバックアップが戴けると思うし、その様に御願いをして来た。


 三島村(硫黄島)JCG-46006Bの最初の運用は北緯30度46分46秒、東経130度16分31秒、海抜約40mHの高台から5月2日16:49JSTから7MHzで始まり22:15JSTまで運用、其の後22:19JST~23:59JSTまでを3.5MHzで5月3日の04:59JST~09:40JSTまでを7MHzで運用し432交信し其の中で3.5MHzは52交信に終わった。コンディションは悪くは無かったが全体的な数字としては伸び悩んだ。久し振りの移動運用のオペレートとで十分でなかった事や3番手の三島村からのQRVであり移動運用の情報は流して居なかったので其れ等が原因の一つでも有るが最大の原因はアマチュア局数の加速度的な減少が最大の要因であろうと思う。


 


鹿児島港から硫黄島まで

2013年05月29日 15時56分14秒 | 旅行
        


        


        


 鹿児島県鹿児島郡三島村に行く為には鹿児島市の南埠頭から出港する唯一の交通手段である三島村の村営のフェリー「みしま」に乗船する事に成る。この村は私が5年前に退職して全国の余りQRVの無い町村の移動運用を思い立った時に一番最初に行きたいと思った場所であった。何故ならこの村は其の時点で1局としか交信履歴が無く、幸いにQSLは得ていたが中々運用の無いレアーな村で在った。多分今回プチ・対象地に成らなければ今回の様な注目が在るものの多分運用はされない場所だったと思う。


 鹿児島県の数在る有人の離島の中で鹿児島市からの一番近い距離に在りながら其の交通網の不便さと費用が多く掛かる事に加えて一般の人が訪れる様な観光地で無かった事、ましてやアマチュア無線のみの移動運用に行くには少し大変な場所で在ったと思われる。何しろコンビ二は無いしガソリン・スタンドも無く、車中泊なら食料や水等、全てに渡って自分で準備する必要が有った。事実、今回の私の移動運用の為に準備した水が22L、食料の缶詰10個、果物関係の缶詰10個、日持ちのするパン類を6種類、非常食(クラッカー等)焼きそば、うどん、そば等のインスタント物は20個以上、ガソリンに至っては40Lを用意した。今だから言えるがガソリン40Lを携行管で持込んだが見付かれば多分乗船拒否物で在ったと思う。


 「フェリーみしま」は1200トン位の船で有ったがこの航路は波が荒い事で有名な航路、事前のインターネットの調査では過去に行った人の書込みによると「船に乗ったら直ぐ洗面器を傍に置き毛布を被って寝る事」と書いてあった。私は過去に船に酔った経験は無かったので自信が有った事と幸いな事に天候に恵まれ海は荒れて居なかったが「フェリーみしま」は船足が少し遅い感じで波頭を切って進むと言うより沈んで行く感じの重厚な航行であった。乗船客も殆どが島、在住の人か?ゴールデン・ウィークの里帰りの人達で流石に勝手が解って居るので船に乗り込むと皆さん早々と毛布を被り横に成っていた。騒いで居たのは3~4歳位の女の子の二人組だけで在った。私の方は心許無い軍資金で硫黄島に着いて若し郵便局で貯金が降ろせ無かったら如何しようか?と其ればかり考えて居たので船酔いする余裕も無い状態であった。


 鹿児島市の南埠頭で時間待ちをしていたら若い女性や外人さんが沢山集まって来たので「此れは彩りの在る楽しい旅になるわ?流石にゴールデン・ウィーク!」等と勝手に思い込んでいたが其の殆どが屋久島の世界遺産の地が目的らしく屋久島フェリーに乗船し「フェリーみしま」に乗船したのは40名くらいで車の乗込みは4台程度であった。「フェリーみしま」は定刻の09:30分に鹿児島港を出港し、桜島を見ながら錦江湾を南下し一路、最初の寄港地の竹島へと進んだ。


 錦江湾は奥深く外洋に出るのに1時間半近く掛かり湾内はベタ凪ぎ状態であったが外洋に出ると船はゆっくりと大きく揺れ始めた。写真上段の2枚目の竹島には12:30分頃に入港したが島全体が大名竹に覆われた余り高い山の無い地形の島で荷降ろしが終わると直ぐに出港し少し竹島の北側を回ると硫黄島の島影がハッキリと見え始めた。上段3枚目や4枚目では余り迫力が感じられないかも知れないが噴煙とゴツゴツした岩肌は迫力が在り更に船が進むと今までに見た事の無い様相をした島で在った。最初、洋上からは硫黄岳を正面から見るので三角錐の形にしか見えなかったが硫黄岳の南側の横を船が進むと活火山の硫黄岳とは違った緑の山々が見え始め其の奥に人家と港が見えた。中段の最初の写真が後から出て来る東温泉付近を船上から写したもの2枚目は港内の海の色が硫黄の為に赤く染まっている状態の写真、3枚目は島に上陸して坂本温泉に向かう途中で硫黄岳を写したもの、下段の最初は硫黄島の西側に浮かぶ黒島の島影で在る。其の後は恋人岬に向かう途中の硫黄島での最初の運用地と成った場所(海抜40mH)からの港や居住区辺りの写真、最後の写真が運用場所の直ぐ前の展望台付近からの写真である。


 

 三島村(硫黄島)への出発と不安材料

2013年05月28日 17時17分14秒 | 旅行



 鹿児島の道の駅「喜入」では宵の口から寝ていたので夜明け前に目が覚めた。昨日に寝袋に入る頃、沢山駐車していた車が1台も居らず此の場所で夜を過ごしたのは私の車だけだった様子、まだ辺りが暗い内に鹿児島市内の南埠頭に向かう事にした。市内には産業道路を使うと1時間以内に到着する予定で在ったが途中で24H営業のスーパーに立寄り「弁当」3食分を確保する為に時間待ちをした後に三島村へのフェリーの発着場に向かった。


 フェリー発着場には5時頃に到着したが三島村への出港時刻は9時30分の予定、待合所も開いて居らず駐車場にも入れない状態で仕方なく道路に車を停めて待つことに成ったが基本的には駐車違反の場所、仕方が無いので車に乗車した状態で3時間ほどを待つ事と成った。


 この段階で私には今回の移動中の2つ目の問題が頭を過ぎった。この日は5月2日で金融機関が開いている最後の日、次の日からはゴールデン・ウィークで金融機関がストップする為に、昨日郵便局で引出しておけば良かったのだが時間的な余裕が無かった。其の段階では財布の中身が十分に有ると思い込んでいた。乗船手続きをする前に財布を確認すると5万円少々くらい所持金は有ったが三島村の運用が終わり引き返し鹿児島港に入港するのが5月6日の18:30分頃なのだが其の時間では既に郵便局は閉まっている。


 何せ不測の事態が発生したら見知らぬ土地で現金を持たない事程、不安なものは無い。しかしこの段階でも三島村の硫黄島へ行けば郵便局も在るだろうし当然ATMが在るだろう?在れば其処で引出す事が出来るだろうと?楽観的に考えていた。やがて乗船手続きが始まり、今回のフェリーは三島村の村営事業なので係りの人に念の為に郵便局のATMの存在を聞いてみたら「見た事が無い」「多分無いと思う」との返事、おまけに村に帰る乗船手続き中の中年の奥さんが「無いよ!」と確定的な話、「此れは拙いな」と感じた。今回はキャッシュ・カードは持って来たが通帳は持って来ていない。余程の事が無い限り三島村の運用は問題なく出来るが三島村から帰る(18:30分鹿児島港着)其の日の23:00JSTに更に便利の悪い十島村にとんぼ帰りで行かなければならないので場合によっては金銭的な問題で其のフェリーに乗れない事が起こり得る状態と成った。


 乗船前に不測の時用にバラ銭を別に持っていたのを取出し数えて見ると3万位は有ったが乗船券などを買うには不向きな多種類の硬貨の集団、使い勝手が悪る過ぎるし金額的に少し足らない。三島と十島へのフェリーの往復料金だけでも10万近く掛かる事は解っていたのでこの不安は私の頭の中でどんどん膨らんでしまった。最終的に料金をVISAカード払いで申し入れたが係りの人は「現金払いのみです」と言いながらも先程からの情況を見ていたので気の毒そうに上司に確認を取っていたが上司は首を左右に振って駄目と言う態度、「如何されますか?」と聞かれた段階で駄目元でも三島村だけでも運用しなければの気持ちに成り乗船切符を購入した。


 30分前にフェリーに車を乗入れ客室に向かったが頭の中は其の対応策の事ばかりが頭を過ぎり気分は落ち込むばかり「まさかATM装置が無い!」など夢にも思わなかったが現実は受け止めるしかない。船が硫黄島に到着するまで客室で彼是考えたが最悪の場合には「九州の懇意な方に鹿児島まで走って貰う様に御願いするしか無いのかな?」とまで考えた。船は12時過ぎに竹島に寄航した後、40分位で硫黄島に到着したが下船して最初に郵便局に飛び込んだが局内には何処の郵便局の一角にも設営されているATMの設備は見当たらない「すみません 旅をしている者ですが この局にはATM装置が無い様子ですがキャッシュ・カードで預金を引出す事は出来ないのでしょうか?」と不安そうに聞いたら「局用の設備が有りますので問題無く出来ます。」と嬉しい答えが帰って来た。キャッシュ・カードを渡すと暗証番号を入れる端末機を渡され番号を入れると「幾ら引出されますか?」と聞かれ金額を言うと貯金を降ろす事が出来た。今朝から彼是考えた事が馬鹿らしく成る様な結末と成ったが此れで憂い無く移動運用が出来る様に成った事は私には一番嬉しい結果と成った。


 

鹿児島までは遠かった!

2013年05月28日 10時30分50秒 | 旅行


        

  

 山口県の下松SAでの目覚めは遅く既に太陽は可也上がっていた。私の車には遮光する為のカーテン設備が無くSAでの車の駐車は小型車用のスペースでなく限りなく大型車の駐車場所近くに行く事にしている。理由は簡単で小型車用の駐車場は殆どSAの建物前に集中しており其の近辺には照明装置のナトリュウム灯が在り明る過ぎて睡眠の邪魔に成るからで在る。勿論、遮光フィルムも窓ガラスに貼り付けているが光源が強く余り用を足さない。其の光源も座席に座って居る時は直接目に入る事は無いのだが後のフラット・シートに寝転がると如何様に車を置いても不思議と光源が目の中に入り眠り難いので大型車の間に入り其の車の陰を利用している。しかし此れにも問題が有り陸送用の大型車は保々エンジンを駆けた状態で休むのでディーゼル・エンジン特有の大きい音と排気ガスに悩まされる事と成るが私の場合は音拠りも明るさの方がどちらかと言えば苦手なので この様な方法を取っている。


 下松SAを出て山陽自動車道を西に向かい関門海峡を渡ると「遥々来たぜ~北九州~」と2年前と同じ様に替え歌を歌いながら九州自動車道へと入った。歌いながら2年も経過しているのに何ら変わって居ない自分に苦笑しながらも其れでも愈々九州路に入った実感を憶えた。門司から福岡市までは以前に来た時よりも通過するのに時間的に長く感じたが佐賀県の基山ICで小休憩の後、鳥栖ジャンクションを通過したら後は迷う事無く終着の鹿児島市まで只管走るのみ、西南の役の激戦地の田原坂を越えながら「雨は降る降る~人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂」の一説を思い出しながら明治時代なら大変な行程を現代は意図も簡単に越せる高速道路の有用性と有難さを実感した。


 熊本ICを通過した後に山江のSAで少し昼寝の休憩を取った後、鹿児島市へと向かったが我がピョンピョンⅡ世号には山口県の下関の手前の坂道に続いて2回目の厳しい峠道、アクセルをベタ踏みでも60Km/H程度しかスピードが出ず登坂車線をノロノロと走る事と成った。2年前は人吉から県道267号線でさつま町に入り326号線の山越えで鹿児島市内に入ったが、この時も326号線は可也の厳しい坂道で在ったが短い区間での上り下りで何とか越せたが高速道路は極端な上り下がりは無いものの連続した登り勾配の為、パワーの無い軽四だと段々と走らなく成り本当に苦労して車が可哀相な状態に成った。そしてその結果から帰り道は鹿児島市~熊本市間は高速道路を使わず地道を利用する事と成った。


 如何にか青息吐息で鹿児島のICを降りたのは16時前だったと思うが三島村へのフェリーの出港は明日の9時30分頃なので先ず最初に三島村へのフェリーターミナルの場所の確認と其の後に非常食や水の購入や発電機用のガソリンの調達に向かった。移動運用も最長に運用すると4日間の運用と成る為(大体1日の発電機のガソリンの使用量は7L前後)、従来の20Lの携行タンクでは不足の可能性を感じ更に20Lの携行タンクを購入した。何せ三島村の硫黄島にはガソリン・スタンドが存在しない状態の為、万全の方法を取った。其の後に2日程、風呂に入れて居なかったので指宿の手前の道の駅「喜入」に向かい温泉に入った 入浴料は安くサウナ付きで300円と格安な値段、この場所やガソリンスタンド、24Hオープンのスーパーも2年前に利用しておりナビにも登録済みで在ったので迷う事無く無事到着、全ての物資の調達が完了した。車を停めてトリップ・メーターの走行距離を確認したら家を出てから1200Kmを越えていた。24H以内にガソリン・スタンドに3回も入ったのも初めての経験で有ったが兎に角、回り道をしたとは言え徳島~鹿児島間は流石に遠かった。21時頃に道の駅の駐車場で3回目の車中泊と成ったが寝袋に入った途端に疲れの性か直ぐに爆睡状態に落ちた。


鹿児島市の南埠頭からは屋久島フェリー、三島フェリー、十島フェリー、高速船等の発着場所と成って折、重いリュックサックを背負った若人が沢山居たが大半は屋久島ツアーの参加者、三島村への訪問者は少なく車の乗込みは少ない状態と成っていた。



 


 


山口県大島郡周防大島町での移動運用

2013年05月27日 21時53分56秒 | アマチュア無線 移動運用

        




 今治市のPAで一泊の車中泊の後、翌朝に「しまなみ街道」で四国から広島県(本州)に渡った。尾道で高速を降りた後に国道2号線を西走し呉、岩国を通過し写真の大島大橋を渡り周防大島町に入った。2年前の沖縄~離島運用時にも広島を通過し其の時の計画では広島県の大崎上島町と山口県の周防大島からの運用計画も在ったのだが其の時は思いの他、移動時間が掛かり途中で断念し最終的に東広島市の道の駅の運用だけに終わった。


 今回は(周防大島は橋で本州と接続されているので)鹿児島へ行く途中に前回遣り残したこの場所に立ち寄る事にした。岩国市に入ってルート188を南下して大島大橋で周防大島町に其の後、島内を東に走り島の東端の両源田に行き道が無くなった所で引返し陸奥記念館前の(北緯 33度51分04秒 東経132度26分11秒)の道端のパーキング・エリヤで車を止めアンテナを設営して17時JST前からCQを出し始めたがコンディションが悪く、中々声が掛からずゆっくりとしたペースで7局程と交信した後、呼掛けの局が無くなった処で和歌山県新宮市の西山さんから声が掛かり、コンディションの開ける時間待ちをしながらゆっくりとしたペースで話していると九州の在る局から「7MHz帯の此の時間帯でこの辺りの周波数でラグチューするのは非常識だ!」とクレームが入った。当初、私は隣接にDx局が入感し其の信号の受信に混信を与えて居るのか?と思い其の周波数の運用を辞めたのだが実際はそうでは無くて私が固定局での運用に思えたのか?「この辺りは日頃、移動局が出て来る周波数なので貴重な時間帯に固定局同士が話をする場所では無いだろう。遣るなら拡張バンドで遣るのが常識で在ろう。その様な事は40年前から常識だ。其れが解らないのか?」と言う事で在った。


 解って無いのは貴方の方で私は移動局で当方を呼ぶ局が無かったので時間待ちを兼ねて今回の移動運用の変更点と(ブログでは隠岐方面の移動運用と書いていたが急遽予定が変わって三島村と十島村に変更に成った事等)今後の話をゆっくりとしていた訳で とやかく言われる筋合いでは無いのだが、QRTしている以上、また出て行って口論をする事も無いと思いアンテナを撤収し其の日の車中泊の予定地で在った道の駅「サザンセトとうわ」に向かった。この道の駅の敷地は可也広く建物の奥の海側にはアンテナの張れるスペースと車中泊の車も居なかったので運用も十分可能な状態では在ったのだが暗い中で再度アンテナを設営する元気も無く早めに眠りに入ったが中々眠られず日付が変わった段階でルート70の山越えの道を北上して玖珂ICから山陽自動車道に入り下松SAで車中泊と成った。


 


移動運用場所と交信数

2013年05月26日 05時46分09秒 | アマチュア無線 移動運用

   

  今回の移動運用地と総交信数


 広島県大島郡周防大島町        JCG-33003E        8

 鹿児島県鹿児島郡三島村        JCG-46006B     1270

 鹿児島県鹿児島郡十島村        JCG-46006D     1792

 熊本県阿蘇郡産山村          JCG-43002B      361

 島根県鹿足郡津和野町         JCG-32008C      163

 島根県隠岐郡知夫村          JCG-32006B      429

 島根県隠岐郡西ノ島町         JCG-32006G      369
 
 島根県隠岐郡海士町          JCG-32006D      664

 鳥取県日野郡日野町          JCG-34005C       98


                               合計  5154



 重複交信を除く総交信局数       1582/5154      30.7% 


 今回での1stQSOの局数        35/165348    0.02%


 運用周波数と交信数


  3.5Mhz   428

  7  Mhz  4297

 18  Mhz     3

 21  Mhz   426

     合計   5154


  今回の移動運用の目標値は最低でも総交信数で5000交信以上、十島村か三島村での運用で其々に2000交信以上を目指したが三島村と十島村での交信数が思いの他伸びずに総交信数は辛うじて最低ラインをキープしたが単一の運用地での総交信数2000は達成出来なかった。三島村も十島村も1000交信以上は出来ているが三島村は実動3日半、十島村は4日半の滞在で在ったので平均すると1日辺り400交信程度、期待した様な数字は達成出来ていないし三島村は湯煙対象地を絡ませた運用、十島村は島を中ノ島から口ノ島に移動し2箇所での運用した上での数字なので良い結果と成らなかった。この事は隠岐の知夫村、西ノ島町の移動運用でも同傾向に在り1箇所での運用(1日での朝夕をセットにした)は現段階では400交信辺りが限界の様に感じる。私の2年前の隠岐の3町1村の移動運用では現在の様に注目されて居ない中で全ての場所で600交信を下回る事は無かった事から、この2年間でアマチュア局の更なる減少化が進んでいる様に実感した。

 
 この事はプチの各賞の申請者数を見ても其々の申請者は400局前後、本来なら裾の広がりが在るはずなのに その様に成っていない情況から矢張り現段階でプチ・アワードを必死に(プチ対象地区からの移動運用を聞くと必ず声掛けする様な局)追い掛けている局は400局前後の様に思える。


 反面、隠岐郡の海士町は例外の部類で1日の朝夕のセットの運用で664交信を達成したが其のパイルの壮絶さは過去の運用では瞬間に経験した事は有ったが其の状態が数十分に渡り継続した事はスリリングで私にとっては今回の移動運用の中で嬉しい誤算と成った。多分1日辺りの交信数としては一番の実績と成った様に思う。

 



   


今回の移動経路と最初のハプニング

2013年05月25日 15時09分34秒 | 日記
 

 今回の移動運用は隠岐方面と予め定めて出発したが移動中に以前から調べていた十島村へのフェリーの予約情況を確認する気持ちに成った。十島フェリーの運行予定表は持っていたので連休後の5月6日出発の(23:00出航)便の予約状況を電話で確認すると乗船可能との返事が返って来た。意外な返事で有ったので今度は駄目もとで三島村フェリーの5月2日出航の5月6日(18:30鹿児島港)に入港の予約状況の確認の電話を入れたが相手が休みで連絡が取れず取合えず4月29日の深夜に高速に乗り、愛媛県の今治市まで向かい「しまなみ街道」(本四橋)を渡るコースを取り、取合えず広島まで向かい30日の朝に三島村フェリーの予約情況を確認し取れれば鹿児島に直接向かう事に、駄目なら隠岐に向かい運用後に鹿児島(十島村の運用)に向かう二段構えで今治市のPAで車中泊とした。


 翌朝に(30日)予約確認をすると意外な事にゴールデン・ウィークの中心の5月2日~5月6日の往復の予約が出来たので鹿児島に向かう事と成ったが少し日程的に余裕が有ったので前々から訪れたかった周防大島(プチ対象地)に立ち寄る事にした。


 此処で今回の旅行中のハプニングの1発目が起こった。高速道路の料金の割引を利用する為、深夜に徳島ICに入ったものの今治~本四橋間は高速連結をされて居らず仕方無く一番近いICを降りてETCゲートを出ようとしたらゲートのバーが開かず缶詰状態に後続車が次々と並ぶ情況に情況が解らず私はパニック状態、カードは勿論ETCの電源も入って折、問題は無いのだがリセットを掛けてもゲートは依然として開かない状態、車を降りようとしたら「危険ですから車から降りずに待って下さい係りの者が参ります。」とアナウンスが有りやがて係りの人が現れて強制的にゲート・バーを開けてくれた。「ETCカードを確認させて下さい」と係りの人は持って行ったが直ぐに帰って来て「ETCカードに入門ゲートの情報が入力されていない。」と向こうの都合の話をしたので此方としては「徳島ICのゲートは問題無く開いたのでその様な事を言われても当方としては困る其方の機械の問題だろう?どの様な事情で成ったのか十分説明をして貰わないと此れから鹿児島まで行くので今後、この様な事が有ると不安なので十分調べて欲しい」と申し入れを行った。


 暫く調べた後、当方の機器及びカードには問題は無いので確率的には今後は発生しない事と公団側の読取り機器の誤動作が有ったらしい事を認め「極稀なトラブルなので安心して御利用下さい。」との事で有った。其の後、今度は「しまなみ街道」の入口のゲートに入る時は冷や冷やもので在ったが問題無くゲートが開いたので少し安心したが今回の移動中に高速道路への出入りには其の度に緊張感が走る事と成った。

無事に帰って来ました。

2013年05月25日 03時47分59秒 | 旅行
 四月の月末から先日までの離島の移動運用を終え先日に無事帰って来ました。退職して元気な内に全国の町村を移動運用しながら日本国内を旅行する事を思い立ち、今年で5年目、最終目標で在った十島村、三島村の移動運用も思う様な実績を達成する事は出来ませんでしたが無事終了する事が出来ました。今回の移動運用に関しサポート戴いた方や、連日お呼掛け戴いた皆さんに深く感謝申し上げます。本当に有難う御座いました。


 流石に疲れたのか?徳島に帰り数日間、無線機のスイッチを入れる気持ちにも成りませんでしたが、旅の疲れを取りながら家周りに蔓延った雑草を抜いたり、データの整理などをしながらゆっくりと過ごして居ましたが昨日から各、バンドを聞き始めました。移動中はショートQSOに終始しましたが固定局ではゆっくりとラグチュー等を楽しみたいと思って居ますので今後共に宜しく御願い致します。